ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*四話:響かない声*
「希々、今日一緒に帰らん? 俺、部活休みになってん」
昼休み、隣の席の彼女に声をかけると、そっと目を逸らされた。
「ごめんね。私生徒会の仕事があるから、帰り遅くなっちゃうと思う」
「終わるまで待っとるから」
一緒に帰りたい。その気持ちは伝わっていた。ただし、歪んだ形で。
「……忍足くん、今日は一人でいたくない日、なの?」
今さら好きだと告げることもできない俺は、曖昧に頷いた。
「……おん」
「……じゃあ、一緒に帰ろう。仕事が終わったら連絡するね」
今日も凛とした後ろ姿を見ながら、俺は内心頭を抱えた。
何故あの時素直に好きだと言わなかったのだろう。確かにあの日、俺は彼女が別の男を好きだと知った。知って何故、何も言わなかったのか。あの時のヘタレな自分を殴りたい。
告白して断られる。これは失恋だ。
だが俺は、伝えてもいない。
希々は、10年もたった一人を好きでいた。もはやそれは、世に曰く恋とか恋愛とかそういったものを超越している気がする。
そんな彼女のために俺にできることなどない。俺は彼女に名前で呼んでもらえない、その程度の存在だ。知っている。
ただ、希々の空虚感を、孤独を、少しでも和らげてやりたかった。傍にいることで、新しい恋愛という別のものに目を向けさせることで、支えになりたかった。
偶然指先が触れ合っても、動揺の欠片もない。手を繋ぐことに、何の意味もない。それでもクラスメイトに訊かれると、『忍足くんと付き合ってるの』と明言してくれる。俺はいつもそれを複雑な思いで見ている。彼女から俺への恋愛感情がないのを知っているのは、皮肉なことに当事者だけ。
「はぁ…………」
放課後、部活が休みの俺は希々を待つ間、気まぐれに美術室に足を運んだ。
今日の授業は版画を作らされた。まだ見ていなかった希々の作品でも見てみるか、と興味半分で覗いた時だった。
「ん…………っ、跡部く、ちょっと待っ……」
薄く開いた生徒会室から、希々と跡部の声がした。
「どこまで待てばいい? このチェックが終われば藍田は、忍足と帰るんだろ?」
「そ、だけど…………っ!」
ガタ、と机か何かが音を立てた。衝撃で扉がやや大きく開く。
「ん……っ」
鼻にかかった遠慮がちな喘ぎ声。
上気した頬に、乱れた呼吸。
およそ男子高校生には毒だとしか言えないそれらを前に、気付けば俺は重厚な扉をバンッと押し開けて居た。
希々の両頬を包み、口づけていた跡部が目線だけをこちらに寄越す。
「……まだ生徒会業務は終わってねぇのに、部外者が何で生徒会室に入ってきてやがる」
希々は上がった息を整え、俺の方に身体を向けた。
「……ごめんね、忍足くん。今片付けて、」
しかし跡部は彼女の手を引き、後ろから抱き締めた。
「!! あ……っとべ、くん、……何……?」
「俺はお前が好きだと告げた。もう少し……俺だけのものでいてくれ……」
「、……」
答えに窮したのか、希々は跡部の手を振り払うことはしなかった。
彼女が動かないなら、俺が動く。自分の彼女が他の男に触れられているのだ。取り返すことは自然だろう。
俺は跡部の腕を掴んで、低く尋ねた。
「……何のつもりや」
跡部は後ろから希々の耳朶に口づけて、俺を見やる。
「さっき聞いたろ。俺は藍田が好きだと言った」
俺は若干の後ろめたさを抱えつつ、そのアイスブルーを見据えた。
「……お前は知らんかもしれんけど、希々は俺の彼女や」
「らしいな」
「……彼氏の前でようそんな堂々とできるな。どない神経しとんねん。……希々を他のお前の取り巻きと一緒にすんなや。さっさと離れろ」
「誰が取り巻きと一緒にした? 藍田は特別だ。……本気で好きだから、本気で――――」
一瞬で俺の手を解き、跡部は希々にキスをしてから離れた。
「奪いに行く」
「っ!」
俺は解放された希々を引き寄せながら、跡部を睨む。
「同情でキスを許される俺も、同情で付き合ってもらえるお前も、どっちも立場は変わんねぇ」
「……!」
跡部は知っている。俺と希々がどういう関係なのか。そして今俺も知った。跡部と希々がどういう関係なのか。
ひりついた空気の中、希々は俺のブレザーの裾を引いて言った。
「待たせてごめんね、忍足くん。帰ろう」
何事もなかったかのように、無感動な声だった。それはそうだ。彼女にしてみれば、好きでもない男二人が言い争っていただけ。この子の中には元々、一人しかいないのだから。
「藍田、……また明日な」
跡部に振り向いて手を振ってから、希々は俺の手を引いて歩き出した。
その背中が、何故かひどく頼りなく見えた。