ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*三十六話:本心*
昼休みも放課後も、藍田は俺と過ごすようになった。藍田はあれから何も言わない。従兄のことも忍足のことも一度も口にしなかった。
頼ってほしい。必要としてほしい。心の整理がつかないなら相談してほしい。俺はそれらの本心を隠して彼女の側にいる。
昼休みは生徒会室で勉強を教えてやったり、他愛もない話をしたりして過ごす。
部活のない放課後は大抵車で彼女を家まで送り届けてから帰るが、時折街をぶらついたり雑貨屋につき合ったりするようになった。
しかし何より大きな変化は、藍田が俺のキスで目を閉じてくれるようになったことだろう。
今までのキスは俺の衝動を藍田が拒絶しないでいてくれただけだった。今は、俺の素直な気持ちを受け入れてくれている気がする。
「……藍田」
名前を呼んで、振り向いた綺麗な瞳に目を細める。そっと頬を包むと、藍田は目を閉じた。
合意の上でふわりと重なる唇は、強引なキスよりも心が満たされた。同時に胸が締め付けられる。
「…………跡部くん、紳士だね」
今、彼女の心はここにない。
気付かなければよかった。何も知らず、好きな女が俺に流されてくれていることを喜べたなら、それはそれで幸せだったのかもしれない。
だが俺は、本心を隠したままの藍田をそのままにしておけなかった。本来であれば、藍田が自分から言い出さないことに無遠慮に立ち入りたくはない。とは言えこの状況で藍田の問題が解決するとは到底思えない。
どうせこいつのことだ。時間さえ経てば忘れられるとか、周りに心配をかけないよういつも通りのテンションで過ごそうとか、そんなどうでもいいことを考えてぐるぐるしているに違いない。
俺から言い出して嫌われるのは損な役回りとしか言い様がないが、忍足が役に立たない今、藍田を呼び戻せるのは俺だけだった。
俺は小さく息を吐き、目の前の藍田を抱き寄せた。
「……今、藍田がギリギリの状態だってことはわかってる。その上で、俺の話を聞いてほしい」
「何のこと? 私、元気だよ?」
「なら何で忍足から逃げ回る?」
「…………」
柔らかな髪を撫でながら、俺は静かに問う。
「忍足のことが好きだから辛かったのか?」
藍田は数瞬躊躇ってから、小さく首を横に振った。
「……もしあの場で跡部くんが誰かとキスしていても、私は同じくらい辛かったと思う」
藍田は俺にきゅっと抱き着いた。
毎回思うが、こいつの行動はあまりにピンポイントで俺の庇護欲を掻き立てる。恋愛は惚れた方の負けという台詞をもう何度思い出したことか。
俺は話しやすいよう優しく抱き返し、ゆっくりその背を撫でた。
どれくらいの時間が経っただろう。やがて、ぽつりと藍田はこぼした。
「……心が、軋んでる。お兄ちゃんを好きな想いはきっともう、普通の恋愛感情じゃないってわかってる。でも私は、跡部くんの優しさに甘えて、……忍足くんのキスシーンから逃げてる」
穏やかに発せられたはずの声が次第に棘を帯び始める。
「……逃げて解決なんてしないのに、私は優しい跡部くんを利用して逃げ回ってるの。向き合うのが怖いの。思い出すのが怖いの」
自分を責める言葉の嵐に、俺は腕の力を強めた。
「……もう、いい」
「っ良くないよ!」
顔を上げた藍田は、泣きそうな表情だった。
「考えることが怖いの……! だけど……私……っ! あ、跡部くんのこと、り、利用してるんだよ!? 忍足くんを避ける盾みたいに!」
「……俺は」
「す……、好きって言ってくれるから、跡部くんのこと都合いいように振り回してる最低な女なんだよ!? ずっとずっと好きだった人のことさえ、半年で吹っ切れるような女なんだよ……っ!」
涙を湛えた透明な瞳が俺を射抜く。
「こんなどうしようもない女に、騙されちゃ駄目だよ跡部くん……!!」
そうか。
ずっと自分を責め続けていたのか。
お前は本当に面倒くせぇ女だな。失恋を克服したかと思えば今度はその一途さ故に罪悪感に苛まれる。
お前は本当に……不器用な女だな。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! ごめ、――――」
繰り返す無意味な謝罪を口づけで遮った。
忍足のキスシーンで抱いた拒絶感の理由が、俺にはわかったからだ。恐らく俺と忍足だけがその対象になり得た。
まだ自分では理解できず苦しんでいる彼女に教えてやりたい。
「……っ!」
俺は何度も口づけた。震える吐息ごとさらって、唇を重ねる。
落ち着け、藍田。俺の言葉を聞いてくれ。
そんな思いを込めたキスだった。