ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*二十七話:衆人環視の告白*
この日初めて、藍田は俺から逃げた。
テニス部がない日の放課後一緒に帰るようになった俺達の待ち合わせ場所は、生徒会室だった。藍田はいつも笑顔で俺を迎えてくれた。俺が先についた時は藍田の足音を心待ちにしていた。
今日も帰りのホームルームが終わってすぐ生徒会室に行こうとしたが、担任に雑用を任されてしまった。生徒会長として断るわけにもいかず、ノート数冊を職員室に届けに向かった時だった。
ドンッ、
「っ! ごめんなさ、」
「藍田……?」
「……!!」
俺を見るや否や、藍田は崩れた体勢のまま逃げ出そうとした。
わけがわからない。俺に対して怯えたような表情を向ける理由も、俺を避ける理由も、初めて約束を破る理由も。
藍田は約束を守る人間だ。だが鞄を持った彼女が向かっていたのは、どう見ても正面玄関だ。多くの生徒が教室を出る前に、こんなに急いで帰る理由を俺は知らない。
「……っ藍田!」
俺はノートをその場に落とし、彼女の腕を掴んだ。
「……っごめん……! 跡部くん、ごめんなさい……!」
「っ何か急ぎの用ができたのか?」
初めて、明確な拒絶でもって俺の腕が振り払われた。
「……っ私もう、跡部くんと一緒に帰れない……! ごめんなさい……!!」
そこに宿る響きは、今日一緒に帰れないだけ、というニュアンスではなかった。恐らくこれからもう二度と。
そして俺の勘が正しければ、藍田は今後俺と生徒会役員として必要な接触以外を絶つつもりだ。
何があったのか無理に話せとは言わない。
しかしここで彼女を繋ぎ止められなければ、今まで築いてきた関係が崩れ去ると直感した。
「……藍田!」
俺はもう一度彼女の腕を掴み、その小さな手のひらを自分の胸に当てた。
「っ!」
「藍田、逃げないでくれ」
一言だけ告げ、俺は彼女の目を見つめた。
嫌な予感に心臓は無駄に速く鼓動を刻んでいる。せめて俺が真剣なのだということだけは伝えたくて、僅かに潤む綺麗な瞳をただ見つめる。
流れる沈黙。
下校する生徒が俺達を遠巻きに見ながら歩いていく。
藍田は再び腕を払おうとしたが、微かに震える俺の手に気付いて硬直した。
「……っ」
俺だってこんなに格好悪い状況など望んでいない。
いつもの余裕たっぷりな跡部景吾は何処へやら、彼女を縋るように見つめることしかできない。心筋が縮みそうだ。手は震えるし、下手に何か言おうものなら全てを失いかねない恐怖で声も出ない。ただ、藍田はいつも俺の瞳を綺麗だと言う。ならきっと、俺の目を見てくれる、はずだ。俺は彼女の言葉と、俺が構築してきたであろう信頼に全て賭けた。
万感の思いを込めて、ただただ見つめる。
こんなに息苦しい沈黙は生きてきた中でも経験がなかった。
「…………」
「…………」
やがて藍田は俺の眼差しから何かを汲み取ったのか、そっと目を伏せた。細い腕から抗う力が抜ける。
「…………ごめん、ね。何も言わないで逃げたって、解決しないよね」
俺はようやっと息を吐いた。
「……俺が原因、じゃねぇのか?」
「……うん」
「……藍田はどうするつもりなんだ?」
綺麗な眼が、悲しく歪んで俺を見つめた。
「……大切な人が、苦しんでるの。迷ってるの。あの日の私みたいに。……今はその人のことだけ考えてあげたい」
「……それと俺から逃げることと、何の関係があるんだ」
藍田は目を逸らす。
「…………その人が跡部くんを、ライバルみたいに思ってるから」
「――……」
忍足の奴、また動いたのか。
思えば藍田の失恋を知って最初に動いたのもあいつだった。最初に藍田の彼氏になった。
俺はいつまで後手に回るつもりだ?
他の誰でもない自分への苛立ちが湧き上がる。
「…………そうか。なら、好きなだけ忍足のことを考えろ。俺様を忘れられるなら、な」
ただでさえ人でごった返す下校時の廊下。
目立つ生徒会長と副会長。
先刻から増している野次馬。
俺と藍田に興味がない奴等も、何か俺達が揉めているのではないかと寄ってきている。
――ちょうどいい。
「え、跡部く、…………んっ!?」
俺は衆目の中藍田の身体を抱きすくめ、唇を重ねた。
廊下中に悲鳴が響き渡った。
俺様をそう簡単に忘れられると思うなよ。
周りの人間全員が証人だ。
「俺は藍田が好きだ」
告げてからもう一度唇を奪って、解放してやった。鳩が豆鉄砲を食らったように瞬きを繰り返す藍田に、周りに聞こえるよう宣言する。
「……だから早く俺のものになれ、希々」
廊下中に本日二度目の悲鳴と奇声が響き渡った。