ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*一話:彼女は男子を名前で呼ばない*
藍田さんは、高等部から氷帝に入った子だった。頭が良くて成績は常に上位。張り出される成績上位者の紙では、いつも跡部の近くに名前がある。高校1年の最初の期末では、国語だけあの跡部を抜いて学年1位だったくらいだ。
俺は何の因果か、3年間藍田さんと同じクラスだった。物静かで授業の間の休憩時はよく本を読んでいる。独りが好きなのかと思いきや、昼休みは女友達と楽しげに話し、滅多に見られない綺麗な笑顔を見せる。その笑顔見たさに、俺は彼女を目で追っていた。
これが恋だと自覚するのにさほど時間はかからなかった。
彼女は男子を名前で呼ばない。いつも苗字にくん付けだ。何故なのか聞いたことがある。彼女は言った。
『名前で呼ぶのは特別な人だけなの』
彼女はクラスメイトを名前で呼ばない。彼女が名前を呼ぶのは誰なのか、ずっと知りたいと思っていた。
まさかこんなタイミングで知ることになるとは思わなかった。
真っ赤な目をして教室に入ってきた藍田さんに、俺は驚いて声をかけた。
「どないしたん!? 目ぇ真っ赤やないか!」
「忍足くん…………おはよう」
「おはよう言うてる場合ちゃうわ!」
クラスメイトが遠巻きに俺達を見ている。居心地が悪くて、入ってきたばかりの藍田さんに申し訳ないと思いつつも、その細い腕を掴んだ。
「忍足くん?」
「……っちょっとは自覚せぇ!」
男子の話題にあがるのは、可愛くて少し勉強ができない子だ。しかし口に出さずに憧れるのは、藍田さんみたいに静かで頭のいい子なのだ。見かけだって綺麗なのに、藍田さんは注目されているという自覚がない。
真っ赤な目の理由は気になるが、それよりもこの人を教室から出すことの方が先決だった。
ガラ、
俺が腕を引いて人のいなさそうな美術室に連れ込んでも、抵抗はなかった。
「……堪忍な。いきなり手ぇ引っ張ったりして」
「……うぅん、大丈夫」
改めて見ると、本当にうさぎのように目が赤い。いつもなら始業のチャイムを気にする彼女が、今日は微動だにしない。
「……忍足くん、授業始まっちゃうよ」
「それは藍田さんかて一緒やろ」
「…………そう、だね」
やはりおかしい。
俺はため息と共に髪をかき上げた。こんな状態の好きな人を放っておいてまで出たい授業などない。
「……何があったん?」
藍田さんは驚いたように俺を見た。
「…………忍足くんって、面倒見がいいんだね。知らなかった」
そりゃあほとんど話したことないからな。
「……何があったんか、俺で良ければ聞いたるから言うてみ。自分、目ぇ真っ赤やで?」
藍田さんは、力なく俯いた。
「…………私ね、小さい頃からずっと好きな人がいたの。従兄のお兄ちゃん。10年間、ずっと好きだったの」
ひゅっ、と喉が音を立てた。
「そう、なんや」
「……そのお兄ちゃんがね、結婚したの。昨日」
結婚。恋人とは一線を画すそれは、俺には遠すぎる単語だった。
「……私、涙が止まらなかったけど、お兄ちゃんが選んだ人とお兄ちゃんが幸せでいてくれるなら、それが一番幸せだって思ったの」
「…………」
「不思議だよね。告白しようとか自分のものにしたいとか、そんな考え全然浮かばなくて。…………私、ほんとにお兄ちゃんのこと好きだったのかさえ、よくわからなくなってきちゃったの」
藍田さんは地面を見たまま、続ける。
「でもね、涙は出るの。だからきっと、これは私の失恋なんだと思う。私……お兄ちゃんへの気持ち、伝えられなかった。伝えられないまま、失恋しちゃった」
藍田さんはようやく顔を上げ、俺を見て微笑んだ。
「それだけのことだよ。心配かけちゃってごめんね」
それだけ。
それだけ、ではない。彼女が誰も名前で呼ばなかった理由を、その10年間を、それだけなんて言葉で片付けられるわけがない。
微笑んだままの藍田さんの目から、涙が一筋零れ落ちる。
「……っ」
俺は咄嗟に、その小さな身体を抱き寄せていた。
「俺……も、失恋、したんや」
一切の抵抗がない。きっと彼女は今、心を閉ざしている。痛みを感じることもできないほどに。
「忍足くんも? 忍足くんを好きにならない子も、いるんだね」
落ち着いた声が、どこか遠くから響く。
「俺も、……好きや言えへんかったんや。……言えんまま、失恋した」
藍田さんは微かに笑った。
「私たち……似てるね」
今思うと、どうしてこんなことを言ってしまったのかわからない。それでもこの時は、これしか思いつかなかった。
「……失恋を癒すのは、新しい恋、なんやて」
「そうなんだ」
「……俺と、新しい恋、してみん?」
そっと離れて、藍田さんの目を見て告げた。
「俺と、付き合うてみん?」
藍田さんは、高等部から氷帝に入った子だった。頭が良くて成績は常に上位。張り出される成績上位者の紙では、いつも跡部の近くに名前がある。高校1年の最初の期末では、国語だけあの跡部を抜いて学年1位だったくらいだ。
俺は何の因果か、3年間藍田さんと同じクラスだった。物静かで授業の間の休憩時はよく本を読んでいる。独りが好きなのかと思いきや、昼休みは女友達と楽しげに話し、滅多に見られない綺麗な笑顔を見せる。その笑顔見たさに、俺は彼女を目で追っていた。
これが恋だと自覚するのにさほど時間はかからなかった。
彼女は男子を名前で呼ばない。いつも苗字にくん付けだ。何故なのか聞いたことがある。彼女は言った。
『名前で呼ぶのは特別な人だけなの』
彼女はクラスメイトを名前で呼ばない。彼女が名前を呼ぶのは誰なのか、ずっと知りたいと思っていた。
まさかこんなタイミングで知ることになるとは思わなかった。
真っ赤な目をして教室に入ってきた藍田さんに、俺は驚いて声をかけた。
「どないしたん!? 目ぇ真っ赤やないか!」
「忍足くん…………おはよう」
「おはよう言うてる場合ちゃうわ!」
クラスメイトが遠巻きに俺達を見ている。居心地が悪くて、入ってきたばかりの藍田さんに申し訳ないと思いつつも、その細い腕を掴んだ。
「忍足くん?」
「……っちょっとは自覚せぇ!」
男子の話題にあがるのは、可愛くて少し勉強ができない子だ。しかし口に出さずに憧れるのは、藍田さんみたいに静かで頭のいい子なのだ。見かけだって綺麗なのに、藍田さんは注目されているという自覚がない。
真っ赤な目の理由は気になるが、それよりもこの人を教室から出すことの方が先決だった。
ガラ、
俺が腕を引いて人のいなさそうな美術室に連れ込んでも、抵抗はなかった。
「……堪忍な。いきなり手ぇ引っ張ったりして」
「……うぅん、大丈夫」
改めて見ると、本当にうさぎのように目が赤い。いつもなら始業のチャイムを気にする彼女が、今日は微動だにしない。
「……忍足くん、授業始まっちゃうよ」
「それは藍田さんかて一緒やろ」
「…………そう、だね」
やはりおかしい。
俺はため息と共に髪をかき上げた。こんな状態の好きな人を放っておいてまで出たい授業などない。
「……何があったん?」
藍田さんは驚いたように俺を見た。
「…………忍足くんって、面倒見がいいんだね。知らなかった」
そりゃあほとんど話したことないからな。
「……何があったんか、俺で良ければ聞いたるから言うてみ。自分、目ぇ真っ赤やで?」
藍田さんは、力なく俯いた。
「…………私ね、小さい頃からずっと好きな人がいたの。従兄のお兄ちゃん。10年間、ずっと好きだったの」
ひゅっ、と喉が音を立てた。
「そう、なんや」
「……そのお兄ちゃんがね、結婚したの。昨日」
結婚。恋人とは一線を画すそれは、俺には遠すぎる単語だった。
「……私、涙が止まらなかったけど、お兄ちゃんが選んだ人とお兄ちゃんが幸せでいてくれるなら、それが一番幸せだって思ったの」
「…………」
「不思議だよね。告白しようとか自分のものにしたいとか、そんな考え全然浮かばなくて。…………私、ほんとにお兄ちゃんのこと好きだったのかさえ、よくわからなくなってきちゃったの」
藍田さんは地面を見たまま、続ける。
「でもね、涙は出るの。だからきっと、これは私の失恋なんだと思う。私……お兄ちゃんへの気持ち、伝えられなかった。伝えられないまま、失恋しちゃった」
藍田さんはようやく顔を上げ、俺を見て微笑んだ。
「それだけのことだよ。心配かけちゃってごめんね」
それだけ。
それだけ、ではない。彼女が誰も名前で呼ばなかった理由を、その10年間を、それだけなんて言葉で片付けられるわけがない。
微笑んだままの藍田さんの目から、涙が一筋零れ落ちる。
「……っ」
俺は咄嗟に、その小さな身体を抱き寄せていた。
「俺……も、失恋、したんや」
一切の抵抗がない。きっと彼女は今、心を閉ざしている。痛みを感じることもできないほどに。
「忍足くんも? 忍足くんを好きにならない子も、いるんだね」
落ち着いた声が、どこか遠くから響く。
「俺も、……好きや言えへんかったんや。……言えんまま、失恋した」
藍田さんは微かに笑った。
「私たち……似てるね」
今思うと、どうしてこんなことを言ってしまったのかわからない。それでもこの時は、これしか思いつかなかった。
「……失恋を癒すのは、新しい恋、なんやて」
「そうなんだ」
「……俺と、新しい恋、してみん?」
そっと離れて、藍田さんの目を見て告げた。
「俺と、付き合うてみん?」