ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*二十三話:溢れてくる想い*
駅前での待ち合わせ。
楽しみすぎて20分早く着いてしまった俺は時計塔を背にスマホをいじっていた。やがて待ち合わせの10分前に希々が連絡を寄越した。
『着いたよ! 忍足くん、どこ? 人が多くてわからないー!』
「……時計塔の真下に居るよ」
ヤバい。電話越しの声だけで頬がにやけてしまう。
『真下だね。今捜して…………あ、いた!』
俺も周囲を見回すと、白いワンピース姿の希々が人波をかき分けてこちらに来るのが見えた。慌てて駆け寄り、その手を引く。反動で軽く抱きしめる形になった俺の心拍数は、とんでもない数値を叩き出していた。
声を聞けただけで上がる数値が、可愛らしい白いワンピース姿で倍近く上がってからの密着だ。何やらいい匂いもする。
「忍足くん、ありがとう。こんにちは!」
はにかんだような笑みに、冗談抜きで鼻血が出るかと思った。
「……おん。そのワンピース、めっちゃ可愛え」
「本当!?」
希々はぱっと目を輝かせた。
あかん、心臓がもたん。
「付き合ってた頃のデートでは私、忍足くんのこと考えて服を選ぶ余裕もなかったから……ごめんね」
「いや、それは気にせんといて」
「ありがとう。今日は忍足くんが好きそうな服を選んだつもり、だったから……可愛いって言ってくれて嬉しい。よかった!」
今までで一番の破壊力を持つ笑顔だった。
俺は堪らず顔を背けてしまった。
しかも。
「忍足くんの服も格好いい! 忍足くん、黒似合うね!」
「……っそれ以上、見上げんといて」
「?」
首を傾げて俺の顔を覗き込む希々は自然と上目遣いになる。
「……あかん。希々が可愛すぎて俺、まともに見られへん」
「……っ!」
素直に口にした瞬間彼女も真っ赤になったため、俺達は二人して赤くなりながら映画館に向かったのだった。
***
俺が観たかった恋愛映画を希々も楽しみだと言ってくれた。ポップコーンと飲み物を買って隣に座る。
「私あんまり映画って観ないから楽しみ! この女優さん、初めて見た」
「最近人気急上昇の若手女優らしいで。相手の俳優は有名どころやし、評判ええから外れることはないと思うんやけど……」
「そうなんだ。忍足くん物知りだね」
そんな会話をしているうちに辺りが暗くなり、映画が始まった。
主人公の少女は、幼い頃同じクラスの少年に恋をする。
勇気を出して告白するも、返事をもらえないまま――翌日少年は不慮の事故で命を落としてしまう。
少女は誓った。他の誰が少年を忘れても自分だけは変わらず彼を愛し、彼の魂の居場所で在り続けると。
しかし少女は成長するにつれ望まぬ恋愛沙汰に巻き込まれるようになる。好きな人がいるから付き合えないと断っても、相手が死人では納得できないと言われてしまう。
『私は…………ずっと、××くんが好きだよ』
少女は呟く。
誰にも理解されなくてもこの思いを守り抜きたい、と。
独り少年への誓いを守ろうとしていた彼女は、苦悩のあまり死を選ぼうとする。
この世に別れを告げ、愛する少年の元へ行こうと夜の海に足を踏み入れる。そんな彼女を止めたのは、どこか亡き少年に似た雰囲気を持つ青年だった。
青年は彼女の心の叫びを受け止めた上でプロポーズし、二人は最後に結ばれる。
『オレは……××さんを愛してる貴女ごと、貴女を愛してる』
エンドロールが流れている。しかし俺の視線は隣の希々に釘付けになっていた。
希々は声を出さず静かに涙を流していた。スクリーンを見つめる大きな瞳から、宝石のように雫がこぼれていく。
見ないふりをした方がよかったのかもしれない。だが今にも消えてしまいそうな彼女を引き止めたくて、つい手を握ってしまった。
希々は驚いたようにこちらを向いて、苦笑した。唇の動きだけで伝えてくる。『大丈夫』。
切ない曲と共にエンドロールが終わり、明りがつくと俺達は立ち上がった。周りからはすすり泣く声や感想が聞こえる。
「忍足くん…………素敵な映画を教えてくれて、ありがとう」
涙を拭って微笑む希々はワンピースと相まってまるで天使のようだった。彼女がどうして泣いたのか、俺にはわからない。
単に感動しただけなのか、……どこか自分と重ねてしまったのか。彼女の心の奥を知りたい自分と、そう告げて拒絶されることに怯える自分がいる。
しかし俺の葛藤に反して希々は「映画の話しよう? 下の階のカフェ、行かない?」と切り出してくれた。
「……おん」
俺は微かな不安を抱えつつ頷いた。
***
「やっぱり休日は混んでるね。座れてよかった」
「……そうやね」
「…………」
アイスティーを口にしてから一拍置いて、希々はぽつりと呟いた。
「……ねぇ、忍足くんは、主人公がずっと初恋の人への思いを守った方がよかったと思う? 新しい愛を見つけて幸せになった、このラストでよかったと思う?」
「、俺、は…………」
言葉が続けられなかった。
希々は暗に尋ねている気がしたからだ。従兄を想い続けるべきなのか、これから新しく誰かを好きになるべきなのか、と。
安易には答えられない。もう泣かせたくない。
が、希々は俺の予想を裏切って穏やかに話し始めた。
「……誰か一人を想い続けるって、一途で綺麗に見えるけど……きっと本人はすごく辛いよね。一途な想いにみんなが憧れるのは、それが難しいことだからだと思うの」
「…………そう、やな」
漫画でも誰かを一途に想うキャラクターは人気が出る。しかしそれを現実で貫くには、一体どれだけの覚悟と犠牲が必要なのだろう。
この映画の主人公然り、周りが恋愛していく中で一人孤独を強いられる。理解されない。非難さえされる。報われないのなら諦めて新しい幸せを探せと誰もが口を揃えて言う。
俺には想像もできないその思いは、希々が従兄に抱いていたものと似ているのだろう。俺は何も言えず、黙って彼女の声に耳を傾けた。
「……でも、新しい愛を見つけるのだって簡単じゃないよね。新しく違う誰かを好きになるって……すごく難しいことだと思う」
そう語る彼女の顔を見て、俺は自身の杞憂を悟った。希々は歩き出そうとしている。
「私……お兄ちゃんのことが今でも大好き。だけどもう恋愛の好きじゃないってわかる。私…………恋愛感情ってどんなものだったか、忘れちゃってたの」
希々は光を宿した瞳で前を向く。
「だから跡部くんの告白も忍足くんの告白も、どこか他人事みたいに感じてた気がする。…………何度も好きって言ってくれてたのに……ごめんね」
ようやく傷を癒そうと動き始めた彼女の心に、感慨深い思いが込み上げた。
「……希々、頑張ったんやな。いろいろ考えて悩んで…………自分と向き合ってきたんやな」
希々は泣きそうな表情で頷いた。零れるまで行かずとも透明な滴を湛えた大きな瞳が、店内の照明に反射してきらめく。まるで宝石のような美しさに俺は心を鷲掴みにされた。
溢れてくる想い。
――好きだ。
「私……これから、跡部くんとか忍足くんとか、他の誰かを好きになるのかもしれない。…………なれないかもしれない。…………だけど、自分に嘘はつかないよ」
――最初は失恋だった。傷付いた心は感情を殺していて。
「周りの声じゃなくて、ちゃんと……自分の心の声を大事にする。……そう思えるようになったのは、忍足くんのおかげだから」
――意志が戻ったその綺麗な瞳が、今は少し眩しいくらいだ。
「……ありがとう忍足くん。私はこの映画、忍足くんと一緒に観られて良かった」
――強くなった君は、また迷うことがあってももう自分を見失うことはないだろう。
「私は主人公が一途なままでも、それを彼女が望んでいるならハッピーエンドだと思う。映画みたいに他の誰かを好きになれたとしても、それを彼女が望むならハッピーエンドだと思う」
――そんな君が立ち上がるまで隣で見てきたから、俺は。
「ハッピーエンド……幸せは、人によって違う。自分が幸せだと思えたらそれが“幸せ”なんだって……そんな当たり前のことに気付くまでに、すごく遠回りしちゃった。だけど、だからこそ思うの」
――そんな君が愛おしいから、俺は。
「遠回りしたって、無駄なことなんて一つもない。気付くのが遅くたって、気付くことそのものに意味がある。……答えを探そうとして、自分と向き合うことに意味があるんだって、私は思う。……たとえ、答えが見つからなくても」
――好きだ。俺は君が好きだ。言葉を交わすたび、その心に触れるたび想いは募って。
「――ありがとう。忍足くんが誘ってくれたから私、この映画に出会えた。誘ってくれて、ありがとう」
「……っ!」
もう、我慢なんてできなかった。
従兄を追いかけることをやめても、希々の心は真っ直ぐだった。思慮深く透明で美しかった。凛と清らかなその心に、今度は俺の場所が欲しい。俺だけの場所が。
「俺……っ、俺は! ……こないだのお詫びに希々にヘアピン、プレゼントしたいんや。今から一緒に……選んでくれへん……?」
希々は僅かに目を見張ってから、ふわりと笑った。
「……嬉しい。貰ったら大切にするね」
――明日彼女が付けてくるピンが、俺の贈ったものだったらいいのに。そんな些細な敵対心に己の小ささを感じて、俺は自嘲の笑みを浮かべたのだった。