ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*十八話:胸を叩く音*
約束の土曜日。12時ちょうどにインターフォンが鳴った。
私はそっとドアを開ける。そこには私服姿の跡部くんがいた。
「……こ、こんにちは」
「家の前で待ってろっつったろーが」
「…………うん。直前で勇気がなくなりまして……」
派手好きのこの人のことだから、何が起きてもおかしくないと思ってしまった。自家用ジェットで来るとかタキシードで来るとか薔薇の花束を持って来るとか。そんな人が家に来たなんて近所で噂になったら、私はもうこの道を歩けない。
それが怖くて玄関で待っていた。しかし跡部くんは、予想より普通だった。
いや、運転手付きの高そうな車が背後にあるのは普通ではないのだけれど、落ち着いたネイビーのジャケットは悪目立ちするものではなかった。
お兄ちゃんが暗い色の服をよく着ていたから、無意識に胸がときめいてしまう。
「……何か言えよ。この服が藍田の好みじゃねぇなら、今から買いに行く」
「……っ格好良いよ!」
反射で声が出た。慣れない戸惑いを抱えながら、上目遣いで跡部くんを見上げる。
「…………そういう色の服、好き。……格好良いよ、跡部くん」
私は男子を褒めたことがないと、今気付いた。
ものすごく恥ずかしい。
しかも、俺様節を発揮して“当然だ”くらい言ってくれればいいのに、こういう時に限って跡部くんまで赤くなって口元を手で隠すものだから、妙な空気になってしまった。
「……な、なんか跡部くん、大学生とか社会人みたい! 私服だと大人っぽいね」
話題を変えたつもりだった。
「………………調べた。大人のファッション雑誌読み漁ってな。……格好悪いだろ」
話題は変わらなかった。でも、一つ訂正させてほしい。
「跡部くんは格好良いよ。……お兄ちゃんのこと考えて、大人っぽい服を選んでくれたんでしょ? 一緒に出掛ける相手のためにファッション雑誌を読んでくれる跡部くんは、格好良いよ。誰が何と言おうと私にとっては…………すごく嬉しいし、すごく格好良いよ」
言っているうちに、私の頬が熱くなってくる。
跡部くんもさっきより赤くなって、私の唇に人差し指を当てた。
「……それ以上、格好良いって言うな。勘違いしそうになる」
勘違いって、何の勘違い?
こぼれかけた問いは、跡部くんの指先に消えた。
跡部くんは髪をがしがしとかいてから、一歩下がって私を見た。綺麗なアイスブルーの瞳に見つめられて、今度は私が視線のやり場に困る。
「っあの! あ、跡部くんが好きな色とかわからなかったから、私の一番お気に入りのワンピースにした、んだけど…………気に入らなかったら今着替えてくるから、どんなのがいいか教えて!」
跡部くんはしばらく動かなかった。
私だってそれなりに考えたのだ。今まで背伸びした大人っぽい服しか買わなかったけれど、跡部くんは意外と少し可愛い系の服が好き……な気がした。忍足くんともデートしたことはある。ただあの頃は相手の気持ちや好みを考える余裕なんて全くなかったから、服装について悩んでこなかった。
跡部くんとのデートを考えて、跡部くんの好きそうな服を探して。結局落ち着いたのは、オフホワイトとブラウンを基調としたワンピースだった。
「あ、の…………」
私が俯くと、跡部くんがふっと笑う気配がした。そのまま優しく抱き寄せられる。
「さっきの言葉、まんま返すぜ。……俺のこと考えて選んでくれたんだろ? それだけで俺はもう満足だ」
ぎゅっと腕に力が込められて、なんだかむずがゆい気持ちになった。
冷静に自分を俯瞰している自分が、呆れている。自覚はあった。
……私、浮かれてる。初めての感覚に、ドキドキしてる。
これは、何ていう気持ち?
「ちなみに俺は本人に似合ってればどんな服も好きだ」
「これ…………似合ってる……?」
跡部くんは少し照れ臭そうに言った。
「あぁ。似合ってる」
いつもは大人びている彼の初々しい様子に、胸がとくんと鳴った。
遊び慣れてる癖に、そんな態度卑怯だ。そんな優しい笑顔はずるい。心の中で文句を言っても、初めて見る私服姿の跡部くんはやっぱりすごく格好良かった。
玄関先で私の手を取った跡部くんが、ドアを開けて口を開く。
「……綺麗だ、藍田」
「…………っ!」
「……今日は俺のことだけ考えてくれ」
「跡部くん……」
どこか切なく真剣なアイスブルーに、私はこくりと頷いたのだった。
***
跡部くんにエスコートされて、高級そうな車に乗り込む。私はマットレスを汚さないようにドアノブに傷を付けないようにと、恐る恐る進んだ。おいくらするのかわからない車だ。慎重になるのも当然だと思う。
しかし跡部くんは、私を見て優しく笑う。
「……汚しても傷付けてもいい。そんな端っこにいねぇで、こっち来い」
「あ……」
手を引かれて、跡部くんの胸に倒れ込んでしまった。見上げれば、甘い視線にぶつかる。
どうしてそんなに優しい目をするの?
どうしてそんなに嬉しそうなの?
どうしてそんなに、……私を思ってくれるの……?
言葉にしなくても伝わる。“好きだ”。跡部くんの全身がそう言っている。
私にはわからなかった。この胸の高鳴りの意味も、跡部くんの想いも。
運転手さんがどこに向かっているのか尋ねようとした瞬間、運転席と後部座席を遮断するカーテンを引きながら跡部くんは私にキスをした。
触れるだけのキスの後、彼の顔に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
「制服じゃねぇ藍田に初めてキスしたのも、俺だろ?」
「……っ!」
かっ、と頬が熱を持つ。
もう嫌だ。今日の跡部くんはいつもの凛とした会長じゃなくて一人の男の子みたいだ。
男の人、みたいだ。
勝手に頬は熱くなるし、鼓動は速くなるし、自分が自分じゃなくなるようで少し怖い。
嬉しいのに怖くて、距離を置くべきなのにもう少し近付きたい。
これらの気持ちを上手く表現できず、そろそろと彼を見上げる。と、引き寄せられて再び唇を塞がれた。先刻より長い、でも触れるだけの口づけ。
車の中で何をしているんだろう。そんな私の思いなどお構いなしに、彼は私の心を掻き乱していく。
「何処か行きたい所はあるか?」
「え……でも車、もう走ってるよ?」
「とりあえず家で昼食だ。その後は藍田の行きたい所に付き合う」
家で、昼食。
家……跡部くんの家!?
私は真っ青になった。
「ままま待って、この車、跡部くんの家に向かってるの!?」
「あぁ。何だ、レストランの方が良かったか? テーブルマナーを気にしなくていいのは家かと思ったんだが」
「そういう問題じゃなくて! いやあの、気遣いは嬉しいんだけど……ご両親はいらっしゃるの? 私、通称あとベッキンガム宮殿なんかに入れる身分じゃないよ、一般市民だよ……」
「何だ通称あとベッキンガム宮殿って。気にすんな、それを言うなら俺だって一般市民だ」
跡部くんの頭にある“一般市民以外”の人はたぶん、闇の世界の住人くらいだろう。
そんなことを考えながら私は流されるまま豪邸にたどり着き、食べたことのない高級フランス料理をコースでいただいた。広い食堂に二人きりで緊張したけれど、とても美味しかった。
問題は、その後だった。
行きたい所なんて思いつかない。私がそう言えば、跡部くんはさぞ豪華な非日常を提供してくれるんだろう。でも今まで生徒会副会長として私が接してきた跡部くんなら、どんな安っぽいデートでも“私の望むもの”が知りたい、のだと思う。
非日常への憧れがないわけではないけれど、一方的にもてなされるのではなく跡部くんと二人で楽しめることを探したかった。
「……さて。今日は俺のことだけ考えてくれ、って言ったよな」
「……うん」
「今日一日、俺をお前にやる。何処に行きたいのか何をしたいのか、言ってみろ。全部叶えてやるよ」
「っ!」
俺をお前にやる、なんて簡単に言わないでほしい。今の台詞で心拍数が10は上がった。
私は俯いて、跡部くんのジャケットの裾を摘んだ。
「……ショッピング、したい」
「ショッピング? ブランド物か?」
私は首を横に振る。偶然思い出した。そう言えば髪留めピンが壊れてしまって新しいものを探していたんだった。跡部くんならセンスのいいものを一緒に選んでくれるのではないだろうか。
「……いつも私が行くショッピングモールがあるの。高級なものは売ってないけど、跡部くんさえ良ければ……髪を留めるピン、一緒に選んでくれない?」
この瞬間の彼の嬉しそうな顔を、私は一生忘れないと思う。
初めての歌を褒められた子供のように無邪気な笑顔が、ぱっと花開く。仕事ができる生徒会長でもなく、俺様な財閥の跡取りでもなく、そこにはただの跡部景吾くんがいた。
「いいぜ。俺は藍田の隣で藍田が変な野郎に絡まれねぇよう見張ってればいいんだな」
どこかずれた意見に、思わず笑みが込み上げた。
「ちょっと違うけど……うん、一緒にいろんなもの見たい」
「任せろ。何なら全部買い占めてやる」
「そういうんじゃなくて普通のデート、しよう? 跡部くんが私としたかったのも、高価なものをあげるようなデートじゃないでしょ?」
跡部くんは僅かに目を見張ってから、破顔した。
「……本当に敵わねぇ。俺は藍田のそういう所も好きだ」
その“好きだ”は何回も聞いているはずなのに、私の胸の奥深くを叩いた気がした。