ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*十四話:信頼*
まだ気持ちの整理がついていない藍田に無理に踏み込めば、俺は拒絶される。わかっていた。わかっていたから、これまで触れるだけのキスしかしてこなかったのに。
あの日、俺の積み重ねたものは呆気なく崩れ去ってしまった。
一度越えた境界線は、俺の理性を嘲笑うかのようにあの感覚を欲してくる。もう一度、もう一度、と本能が急かす。
俺だけの場所が欲しくて、そのうちもっと近付きたくなって、今はもう、藍田の全部が欲しい。あの喘ぎ声も、震える吐息も、か弱い抵抗も、思い出すだけで頭の中が欲の色に染まってしまう。
駄目だ。これは良くない。
俺は生徒会長として、跡部景吾として、藍田の信頼を裏切りたくなかった。
だからあれから、なるべく触れないようにした。距離を置くようにした。
藍田は最初こそ怯えたような仕草を見せていたが、俺が何のアクションも起こさず耐えているうち、穏やかに笑ってくれるようになった。
基本的に二人の時間は静かだ。必要事項しか話さない。それでも俺はその時間が好きだった。仕事疲れを感じた時には、気付けば藍田が紅茶をいれて俺の机に置いてくれている。
そんな気遣いが俺を更なる深みへ堕とすことを、きっと藍田は知らない。俺が何度脳内でお前に手を出しているのかも。
「…………」
生徒会の仕事が、もっと忙しければいい。終わらなければいい。時間なんて止まってしまえばいい。
しかしそろそろ文化祭の準備も終わる。薄くなった書類の束に、何とも言えない気分になった。
「ようやく終わりが見えてきたね。……私が副会長になったのが去年だから、跡部くんが1年生の時はこれ全部一人でやってたの?」
「……まぁな」
「すごいね! それは副会長くらい必要になるわけだよ」
藍田はくすくす笑った。
その表情を見て寂しさが過る。もうすぐ、こんな風に近くにいられる時間がなくなる。
週に一度のミーティングだけでは、とてもじゃないが足りない。
俺は、お前の隣に居たい。
気付けば、口をついて出ていた言葉。
「……なぁ、藍田」
「うん?」
「……今もまだ、忍足が彼氏役、なのか?」
藍田は、はにかむように小さく頷いた。
「……忍足くん、すごく私のこと考えてくれるの。私がどうすればいいか、一緒に考えてくれる」
「、そ、うなのか」
「うん。……もう付き合ってない、けど…………初めての恋人が忍足くんで、よかった。私……恵まれてたと思う」
「……、」
言葉にならなかった。心臓が、痛い。
「跡部くんも同じ部活だから、忍足くんのいいところいっぱい知ってるでしょ?」
何故、藍田は俺の自制心を試すようなことばかり言う。
「……忍足と、随分仲良くなったみてぇじゃねぇの」
平静を装った声は、かすかに震えていた。
藍田は嬉しそうに笑う。
「そうかも! 忍足くんのおかげで期末の理系も助かったし、何かお礼した方がいいかなぁ?」
「っ、」
握り潰した書類が、くしゃりと音を立てた。
「ねぇねぇ。日頃のお礼、って、跡部くんならどんなものをもらえたらうれしい?」
――――何かが、音を立てて切れた気がした。
「…………藍田、それ以上喋るな」
「え?」
「……本当に、お前はわかんねぇ。時々本気で、俺を弄びたいだけなんじゃねぇのかと思う」
「……跡部くん……?」
もう、自分の中に燻るものが嫉妬なのか怒りなのかもよくわからなかった。
「俺様を煽り倒した――――お前が悪い」
「跡部く、きゃ…………っ、ん……っ!?」
***
初めての片想いに、俺は俺なりに考えてきた。
好きだと自覚してすぐに打ち明けるのは軽いと思われてしまいそうで、この想いを2年間しまってきた。
中学の頃は別段執着する人間もいなかったから、好きなようにしてきた。気分で女と付き合った。悔いがあるわけではない。高校でまさかこの俺が誰かに惚れるなんて想像もできなかったのだから仕方ない。
だが、そんな過去を知られれば自然、俺の言葉に重みがなくなる。だから、待った。溢れ出しそうな想いを押さえつけて。
忍足がいつから藍田のことを好きだったのかは知らない。それでも、俺は悔しかった。クラス分けも運も何もかもが、あいつの味方をしているようで。
どちらの方が長く藍田を好きだったかなんて、どうだっていい。勝者はどのみち一人だ。
迷っている間は待ってやれた。耐えられた。
だが、何だ?
あいつと付き合えてよかった?
あいつに礼をしたい?
何をもらえば喜ぶか――よりによってそれを、俺に訊くのか?
――――冗談じゃない。
そんな残酷なことを投げかける唇は、塞いでやる。
あいつの名前ばかり呼ぶ声には、俺の名前を呼ばせてやる。
あいつに傾いた心は、無理矢理にでも引き戻してやる。
俺はもう、我慢なんかしない。
そうさせたのは――お前だ、藍田。
***
その身体を抱き寄せながら、ソファに雪崩込む。重ねた唇に噛み付いて、早々に舌を捻じ入れた。
「んぁ……っ! ゃっ、ぅ、んん……っ!」
紅茶の香りがする。逃げようとする舌を捕まえて、執拗に擦り合わせた。唾液を貪るように舌を吸えば、くぐもった嬌声が生徒会室に響く。
俺を押し返そうとする腕はあまりに細くて無力だった。
「んぅ…………っ!」
歯列の裏、上顎をなぞって咥内を味わう。
「ゃ……あ…………っ!」
舌を吸い上げるたび暴れていた膝が震え、やがてくたり、と力を失った。
「は、……そんな顔、あいつにも見せてんのか」
涙を滲ませながら上気した頬を染め、蕩けた視線を向けてくる。濡れた唇を親指で拭ってやると、肩がぴくりと跳ねた。
「…………ゃ、め…………ぁと、べ、くん…………っ」
この期に及んで話し合うことなどない。抵抗する意思は悉く砕いてやる。
好き放題藍田の咥内を蹂躙し、どちらのものともつかない唾液を飲み込んだ頃には、細い両手もソファに投げ出されていた。
「……最高の眺めだな」
俺の顔はさぞ意地悪く映っているのだろう。
そう理解していたが、俺は手を緩めない。耳朶に舌を這わせ、制服のリボンを解く。
「ひ、ゃあ……っ、…………っん!」
深いキスに溺れる。
快楽に頭が染まって理性が消えていく。
藍田の喘ぎ声にも快感の色が混じり始めたことに気付けば、俺の手は勝手に彼女の服を脱がせようと動いていた。
初めて片想いして2年耐えてきた相手を、こんな形で抱くのか。ふと皮肉な笑みが込み上げる。それでもあいつにとられるくらいなら、初めては俺が貰う。他の男では満足できない身体にしてやる。
――そう考えて、違和感を覚えた。
何故か抵抗がない。いくら力が入らなくても、俺の舌を噛むとか身体を捩るとか何かしらはできるだろう。このままでは自身の貞操が危ういことくらい、いくら鈍い藍田にもわかるはずだ。
なのに、何故。
「……藍田?」
「…………っ、……っ」
身体を起こして見下ろして、俺は今更途方に暮れた。
藍田は、泣いていた。だが、声を出さないよう必死に歯を食いしばっていた。
「……藍田、…………」
こいつの考えていることが、まるでわからなかった。
俺に同情しているだけで身体まで渡すだろうか。そういったことに価値を見出していなかったとしても、女として怖くはないのか。
被害者なのだから、声を上げて叫べば助かるかもしれないのに。
「…………」
ため息をついて、俺はブレザーを脱いだ。
はだけてしまった制服を隠すように上からかけてやって、そのままソファに座り込む。
「……本当に、お前はわけわかんねぇ。何で抵抗しねぇんだよ。何で助けを呼ばねぇんだよ」
藍田は震える手で俺のブレザーをきゅっと握りしめ、濡れた瞳で口を開く。
「ぁ……跡部くん、の、キスが、……かなしかった、から……」
「意味わかんねぇ」
「わ、たし…………何で跡部くんのこと、怒らせちゃったのか……わからない、の。だから…………信じて、待ってた。……私の知ってる跡部くんなら、きっと……ちゃんと話し合ってくれる、って……」
訂正する。こいつは大馬鹿だ。信頼する相手を間違えている。藍田には俺が修行僧にでも見えているのか。
「馬鹿野郎。俺が我に返らなかったらどうするつもりだったんだよ。藍田の処女はここで消えてたかもしれねぇんだぞ」
藍田は俺のブレザーを抱き締めて、儚く微笑んだ。
「その時は……仕方ないよ。ファーストキスは跡部くんだし、……誰かを信じる、っていう気持ちの中には、もし裏切られてもいい、っていう気持ちもあると思うから」
「……」
「私は……それくらい、跡部くんのことを信じてたみたい」
ここまで言われて怒りを持続させるほど、俺は子供ではない。
「…………わかった。今回は話し合いもせずにキレた俺が悪かった。だから何があったのか、教えてくれ」
藍田は身体に力が入らないからか、ソファに横たわったまま頷いた。……何となく気に入らなくて、そっと彼女の肩を抱き起こす。ソファの上で抱きしめながら、俺は真っ赤な眦に口づけを落とした。
「…………跡部くんにね、大人のキスをされちゃった時、あったでしょ?」
「……あったな」
「それからしばらく怖かったけど、……跡部くんは私から距離を置いてくれた。怖がらせないように、触れないでいてくれた」
何か問題があったのだろうか。あの頃の俺の対応は誠実そのものだと思うのだが。
「…………それでね、彼氏役をしてくれてる忍足くんに、言ってみたの。彼氏役が誰でもいいなら、跡部くんでもいいんじゃないかなって。そうしたら跡部くんのお願いだけでも叶えてあげられるから、って」
「…………」
藍田の価値基準は、周りの笑顔なんだ。自分のために動こうとしない。いつだって馬鹿みたいに、誰かのために何かをする。
俺は半眼で尋ねた。
「…………で? 忍足は何て答えたんだ?」
藍田は力なく笑った。
「彼氏役を跡部くんにお願いしたら、私はみんなに彼氏を乗り換えたって思われちゃう、って…………私の“好き”が、そんな軽いものだと思われるのは嫌だ、って……忍足くんが言ってくれたの。私、気付けなかった。忍足くんの方が、私なんかよりずっと周りを見てた」
俺は軽く鼻を鳴らした。
「……体良く丸め込まれやがって」
忍足の言うことも、理解できないわけではない。俺だって藍田が尻軽のように思われるのは本意ではない。
しかし、この藍田希々だぞ?
俺が女の副会長を起用した際、誰にも文句を言わせなかった藍田だぞ?
「私が忍足くんと別れて今度はあの跡部くんに言い寄った、なんて噂になったら余計まずいって言われて……ようやく、あぁそうだなって思ったの」
そうだも何もあるか。
べた惚れなのは俺の方で、妙な噂が流れようものなら全力で否定してやるのに。
忍足の野郎、ただでさえ学校にいる間は四六時中藍田の近くにいられるくせに、俺には僅かな場所すら与えないつもりか。
「……それに、ね。私…………友達を、裏切りたくないの」
「……? どういうことだ?」
想定外の答えに、俺は眉を顰めた。
藍田は気まずそうに小さく笑った。
「私の友達が…………跡部くんのこと、好きなの」
「――――」
「跡部くんと一緒にいられてうらやましい、って言われて……ようやく何をしようとしてたのか理解した。跡部くんのことを好きな子はきっといっぱいいて、その子たちを私は悪意なく傷つけるところだったの」
藍田の価値基準が他者の笑顔なら、俺は、ここで見捨てられるのだろうか。多くの笑顔のために、俺の気持ちは切り捨てられるのか。
「忍足くんのことを好きな子もいっぱいいたはずなのに、あの時の私…………そんな簡単なことにすら思い至らなくて、差し出された手に縋っちゃった。だからもう、同じ過ちは繰り返したくない」
「、俺、は、……、」
「もう忍足くんとは付き合っちゃったから、今さら過去は変えられない。だけど……跡部くんの未来なら、まだ変えられる」
藍田は俺の肩を軽く押した。
「……跡部くんの新しい恋、私、応援するよ」
「……っふざけんな!」
細い肩を引き寄せて、力いっぱい抱き締めた。
「っ!? 跡部、くん、苦し……っ」
「俺がフラれる理由は雌猫達の夢を守るためか!? ふざけんな……っ!!」
散々重ねてきた唇をもう一度奪ってから、首筋にきつく吸い付いた。
「痛……っ」
「俺に愛想尽かしたとか忍足が好きだとか、そういう理由ならまだしも……っ! 俺のことを好きな奴のためだと!? じゃあ俺の気持ちはどうすればいいんだよ!!」
胸を刺すこの感情は知っている。悲しみだ。
苦しい想いが波になって溢れ出す。
「誰が俺を好きだろうと知ったことか! 俺はお前が……っ藍田が好きなんだ! その俺の気持ちは…………っ、どうだっていいってのかよ…………っ!」
「……っ!」
藍田の顔が、さっと曇った。
「だ、って、私…………」
祈るように華奢な肩に手を置いて、声を絞り出す。
「従兄が好きだった藍田にとって、俺や忍足が取るに足らない存在だったのと同じだ……!」
これで終わりになんて、したくない。
「俺にとって藍田以外の女なんて全部一緒なんだよ…………、そんな俺に……っどうやって新しい恋をしろっつーんだよ…………っ!!」
「あ……とべ、くん…………」
細い指先が宥めるように髪を撫でる。俺はその手を振り払った。
「! 跡部く、」
顎を掴んで口づける。
「ん…………っ」
この行為すら許されなくなるのかと思った瞬間、目頭が熱くなった。死んでも泣きたくはない。
そんな俺のキスを拒むことなく、藍田は動きを止めた。
やがてそっと離れた唇から、穏やかな声が紡がれる。
「……ごめんね、跡部くん」
「……何に対する謝罪だ」
「……跡部くんの気持ちを考えてなかったこと」
吐息が掠める距離で、会話が続く。
「……本当にな。俺の気持ちなんて知りもせず忍足との惚気話をし出したかと思えば、友達のために身を引くなんて言い出すお前は悪女にさえ見えたぜ」
「あの…………ごめんね。……誰かの気持ちは報われても、誰かの気持ちは報われないこともある。……“好き”って……難しいね」
「藍田が難しく考えすぎなだけだ」
俺の感情は至ってシンプルだ。
「……そう、かな。……そう、かも」
「…………キスは、やめねぇからな」
藍田は苦笑した。
「……仕方ないなぁ。跡部会長は、我儘なんだから」
「うるせぇ。……俺は藍田を諦めるつもりもねぇからな」
再び髪を撫でられたが、その手は振り払わずにいてやった。
「……仕方、ないなぁ。…………頑固、なんだから」
「お前には言われたくねぇ」
「ふふ。……そうだったね」
俺の頭を撫でながら柔らかく笑うこいつを、どうしようもなく好きだと思った何度目かの放課後だった。