ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*十二話:視点*
付き合っている振り、ですらない。告白から逃げるための言い訳。それでも俺は希々に利用されるのが嬉しかった。
別れて一時気まずくなったが、彼女が俺を再び頼りにしてくれるようになって、俺達の仲は付き合っていた頃と同じくらい近いものに戻った。
今も昼休みは毎日お互いに勉強を教え合っている。俺は初めて期末に感謝した。……のだが。
「……どないしたん? 最近希々、上の空やね」
「! ご、ごめん忍足くん!」
ここ数日、希々はぼーっとすることが増えた。理由を聞いても、何でもないとしか言わない。
「何か悩みでもあるん? 俺、何かしてしもた?」
希々は眉を下げ、首を横に振った。
「忍足くんのせいじゃないの。悩み、って言う程のことでも…………ない、と、思うの」
俺は半眼で希々を見やる。
「……迷ってる時点でそれは悩み、っちゅうんやで」
「…………あの、その、…………おっしゃる通りです…………」
ようやく素直になった希々は、シャーペンを置いた。
「……俺には言えへんこと?」
珍しく言い淀む希々を見つめた。
「…………、」
目線を落としたまま、長い睫毛が瞬きを繰り返す。
俺は無理に悩みを聞き出すつもりはなかった。ただ、誰かに相談したいのなら俺に打ち明けて欲しいと思っただけ。
しかし、長い沈黙の末彼女から放たれた言葉に、耳を疑った。
「…………あの、…………忍足くん、は…………まだ私のことが、……好き、なの……?」
「、」
これは、どういうことだ。
「俺、は……」
わからなくても、俺がどうすべきかだけは明確だった。もう、希々に嘘や隠し事はしない。彼女には正直な気持ちを伝える。それが、最初に曖昧な態度をとってしまった俺の決意したことだから。
俺は頷いた。
「好きや。俺は今でも、希々が好きや」
希々は眉をハの字に寄せて、上目遣いに見上げてくる。
「…………友達、じゃあダメ、なの…………?」
「――――」
理解と同時に思考回路がぐちゃぐちゃに掻き乱される。
俺はなるべく平静を装って、机の上に置かれた希々の手を握った。
「…………希々、誰のこと考えとる?」
「……っ!」
目を見開いた希々は、怯えたように肩を跳ねさせた。
「……何があったか、教えてくれるやろ?」
俺が察したことを希々も察したらしい。
「教室では話しにくい、んだけど……」
「ほな、理科棟行こか」
「……うん」
昼休みの理科棟。
俺達が付き合っていた時、いつも過ごしていた場所だ。
教室に戻っていく生徒達と逆行し、人気のなくなった階段に腰を下ろす。
「……希々、跡部のこと好きになったん?」
「……違う」
「でも希々の悩み、あいつのことやろ?」
「…………少し、違うの。跡部くんと忍足くん二人のことで、……悩んでる」
跡部のことだけではない、という言葉にひどく安心した。まだ希々はあいつを好きになったわけやない。まだ、俺の可能性がなくなったわけやない。
「……はは。俺も女々しいわな。……希々ん口からあいつを好きになった、っちゅう報告されんくてこないほっとしとるなんて」
「…………忍足くん」
感情を宿すようになった瞳は、光だけでなく迷いも映して揺れ動く。
「跡部に何て言われたん? 俺と別れたことは伝えとるやろ?」
希々は膝を抱えて、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……忍足くんと別れた、って言ったら、付き合ってほしいって言われたから、……断った」
「……おん」
「…………でも、忍足くんがまだ彼氏役をしてくれてるって言ったら…………俺でいいだろ、って……」
希々は膝に顔を埋めて、吐き出すように言った。
「……っ跡部くんのプライドを傷つけたくない……! でも、忍足くんの優しさも無下にしたくない……っ!」
俺は彼女の天秤がまだ左右に傾いていることを知って、これからの展開を計算した。
希々の髪を優しく撫でる。
午後の授業開始を告げるチャイムが響いたが、俺達はどちらも動かなかった。
「…………希々。今、希々の中では俺と跡部が同じくらいの場所に居る、って考えてもええ?」
希々は無言で首を縦に動かした。
「希々は俺のことも跡部のことも好きやないけど、どっちを頼るのも嫌やない、ってことで合っとる?」
「………………うん」
絶妙なタイミングで仕掛けられる。俺は柔らかな髪を撫でながら、口を開いた。
「俺と跡部とが同じ条件で決められへんのやったら、視点変えて、希々のこと考えてみぃひん?」
希々は顔を上げた。不思議そうに繰り返す。
「私のこと?」
俺は穏やかな笑顔を浮かべながら、頷く。
「せや。今、クラスの奴等には……いや、学年の何割かには、俺と希々が“まだ付き合うてる”思われとる状況やろ?」
希々は申し訳なさそうな表情で頷いた。
「……うん」
さぁ、ここからが勝負所だ。
俺は希々に体ごと向き直って、視線を合わせた。
「俺と希々はほんまに付き合うてた期間もあるから、今さら何か言って来る奴は居らへん。けど、……今から俺じゃなく跡部を男避けにするなら、希々が遊び人みたく思われてまうと思うんよ」
希々は目を丸くした。
どうやら彼女には思考が及ばなかった問題らしい。
「希々は気にせんかもしれへんけど、そんなことしたら彼氏を乗り換えたと思われてまう。俺は希々の“好き”がそんな軽いもんやとみんなに勘違いされるのは嫌や」
「忍足、くん……」
「相手があの跡部なんもまずい。俺と付き合うて決めた時すら、あることない事言われたやろ? その希々が、今度はあの跡部景吾をたらしこんだ、なんて噂立ってみ? それこそ非難の的にされてまう」
希々は、はっと息を飲んだ。
「そ、う、だよね…………。私、何もわかってなかった……。やっぱり今のままでいるのが一番いいよね」
本当に噂の標的になるのを避けるのが目的なら、俺を男避けに使うのもやめた方がいい。付き合うつもりはない、と言われてなおごねる男など早々いない。そういう意味では、あの昼休みに現れた他クラスの男子は俺に有利な行動を起こしてくれたと言える。
別に跡部を彼氏役にしたって、希々の日頃の行いを知っているみんながいきなり態度を変えることはない。むしろクラスの連中には、跡部の我儘に振り回されて可哀想だと同情されるだろう。
それを知っていて、俺は敢えて口にしない。教えるのは、悪い可能性ばかり。今の関係を変えることで生じるデメリットだけ。
嘘ではない。俺が告げた可能性は、渦中の人物が藍田希々という生徒会副会長でなければ、確実に起こるからだ。
人の悪口を言わない。皆が嫌がる仕事を最終的に請け負うことも少なくない。成績優秀で、穏やかで大人びていて、生徒会副会長に相応しいと誰もが認めた生徒。
元々生徒会に、会長以外の役職は存在しなかった。長い間不在だった副会長を置くと跡部が言った時、高等部は俄にざわついた。
それでも相手が希々だと知れば、皆納得した。跡部に想いを寄せる女子も、藍田さんなら仕方ない、と異口同音に言っていた。
恐らく希々は、それらの事実を知らない。自分が皆に認められていることも、憧れに近い感情を寄せられていることも。従兄を追い続けた彼女の目には、同学年の人間など映らなかったのだろう。
希々の目線はいつも、大学生や社会人に向けられていた。俺は1年の頃からずっと見てきたから知っている。
「忍足くん……教えてくれてありがとう。私、クラスのこととか学年のこととか、疎くて…………考えが足りなくてごめんね」
俺は首を横に振る。
「俺は1年の頃から希々が好きやったんや。…………これからも、希々の彼氏役として役に立ちたい。希々が悲しい思いせんで済むように、守りたい」
「……っそ、んな、前から…………?」
思えばいつから好きだった、という話をしたことはなかった。俺は苦笑して頭をかく。
「……おん。クラスずっと同じやったから…………ずっと、見てきたんや」
「忍足、くん……」
「すまん、キモいわな。俺はストーカーかっちゅう話やねん。……今のは忘れてや」
希々はふるふると首を左右に振り、俺の手を握った。
「……ありがとう。私、忍足くんと付き合えてよかった。忍足くんが彼氏役でいてくれて、本当によかった」
「…………おおきに、な」
それらしいことを並べてこの子を繋ぎ止める自分の狡さに、自嘲の笑みが浮かんだ。