ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*九話:偽彼氏*
跡部とのキスを見せつけられた日から燻っていた激情が、弾けた。
『私のしたいようにしてほしい、って言ってくれたよね。なら、今ここで私に“別れ――――』
あの日、衝動のままに無理矢理口づけて彼女の言葉を遮った俺は、希々から別れを切り出してもらうことに成功した。
嘘でも俺から別れてくれなんて言えない。叶うならまだ“彼氏”でいたいのが、俺の本音だったから。
『っどうして、こんな無理矢理……』
『俺は希々のことが好きなんや。俺から別れてくれなんて、死んでも言わん。だったら嫌われて引導渡される方がまだましや』
『……そ、っか……。ごめんね。私……忍足くんの気持ち、全然考えてなかった。…………こんなんじゃ、私に忍足くんの彼女の資格、ない。……ごめんね、付き合うの、やめよう』
***
「おはよう、忍足くん」
「……おはようさん」
俺は元彼氏。跡部は片思い。それでもキスを許されている分、跡部の方が一歩先を行っているようで悔しい。
俺のせめてもの抵抗は、彼女を希々と呼ぶことだった。別れた後も名前で呼ぶことを許してくれたのは、希々の優しさなのか同情なのか。
希々は、別れてからも友達でいてほしいと言ってくれた。俺は嬉しかったが、素直に告げた。まだ希々のことを好きでいてもいいか、と。希々は少し悲しげに頷いた。
好きでいることをすぐにやめるなんてできないと、きっと誰より知っていたから。
まぁ俺は、希々を諦めるつもりなど毛頭ないわけだが。
「あ、忍足くん。今日の昼休み、物理でわからないところ教えてもらえるかな?」
「ええよ。ほな、明日の昼は希々が俺に古文教えてくれるか?」
「うん、わかった! 期末テスト近いから、理系が得意な人に教えてもらえるのすごく助かる!」
期末が近いことも重なって、俺達は互いの得意教科を教え合っている。昼休み希々と過ごせることに喜びを感じつつ、小さな違和感が引っかかった。
「……希々、」
「なぁに?」
能面のように固まっていた表情が、僅かに笑みの形に動いている。消えていた感情が、少しずつでも戻ってきたのだろう。
――それは跡部のおかげなん?
「……いや、何でもないわ」
「そう?」
訊きたくても、訊けなかった。
***
「忍足くん、ほんとに教えるの上手だね」
希々は感心したように目をぱちくりさせた。
「私、この系統の問題何回やってもつまずいてたんだけど、今初めて一人で解けた」
「元々希々は頭ええんやから、とっかかりさえあればどの教科も楽勝やろ」
「楽勝なんてとんでもない!」
ふふ、と笑う希々は頬に赤みが差していて、俺が好きな微笑みを浮かべていた。
しかし次の瞬間、その笑みが強ばった。
ガラッ、
乱暴にクラスの扉が開けられて、知らない男子がこちらへ歩いてくる。俺はそいつを知らないが、希々は立ち上がって逃げようとした。
「待てよ藍田!」
「……っ!」
他クラスと思しき男子が希々の腕を掴む。痛みに彼女が顔を顰めたのを見て、俺は咄嗟に男の手を振り払った。
「自分、何してん! 希々嫌がってるやないか」
「フラれたヤツは黙ってろよ! なぁ藍田、もうこいつと別れたんだろ? ならオレと付き合ってくれよ!」
希々は怯えたように後退る。俺はさり気なく彼女を背に庇い、よくわからない男と向き合った。
「さっきから聞いてれば、何やねん。それが女の子に交際申し込む態度か?」
「どけよ忍足! オレはお前と付き合ってるからって藍田にフラれたんだ! もうフリーならオレにだってチャンスはあるだろ!?」
俺達が別れたと知っている人間は少ない。と言うか、ほぼいないはずだ。希々は俺への態度を変えなかったし、跡部にしか伝えていないと言った。俺だって誰にも言っていない。が、跡部がそういった話題をこんな第三者に漏らすとは考えづらい。
ならばこれは、一時期出回った所謂ガセネタの可能性が高い。俺達が付き合うことになってしばらくの間、俺のことを好きだと言う女子や希々のことを狙っていた男子の中で、あることないこと憶測が飛び交ったのだ。
希々は俺の後ろから、震える声で問いかけた。
「……そんなこと、誰に聞いたの?」
「三好だよ! あれ、須田だったっけ?」
誰から聞いたかもわからない不確かな情報で希々を怯えさせるこの男に、怒りが湧いた。
「……それは残念やったな。自分、無駄足やで?」
「あ?」
「俺と希々、別れてへんから」
「! 忍足、くん……」
背中に希々の手が触れた。俺だって、役に立ちたい。一時でもいいから彼女を守る立場に回りたい。
この子に利用されたい。
「はあ!? マジかよ藍田?」
希々は震える手で俺のブレザーを握り、答えた。
「……うん。私、忍足くんとまだ付き合ってるよ。……だからあなたとは付き合えない」
他クラスの男子は「くそっ、話が違うじゃねぇか!」と息巻いて教室を出て行った。
気がつけばクラス中の視線が俺達に集まっている。もはや勉強などできる環境ではなかった。
「……とりあえず外、出よか」
「……うん……」
俺は希々の手を引いて、教室を後にした。
***
あの日無理矢理キスした場所で、今度は希々が勢い良く頭を下げている。
「忍足くん、ごめんなさい……!」
「いや、謝るんは俺の方や。別れたばっかやのに、彼氏面してすまん。今からクラスの連中に俺がフラれたって訂正して、」
「違うよ! 私のために言ってくれたって知ってるもん! 私が……言わせちゃった、んだよ……」
希々の泣きそうな表情を宥めようとして、……俺はとんでもないことを考えついてしまった。
希々に利用される方法。彼女の心の隙間に入る手段。跡部にはできない、俺だけのやり方。
俺はこれが卑怯だと知っている。知っていて、手を伸ばす。躊躇いはない。
希々の傷に最初に気付いたのは俺だ。希々の傷を癒すのは、俺の役目だ。跡部にも誰にも渡さへん。
「……希々、そんな顔せんといて」
希々の頬に触れて、微笑む。
「……俺はまだ希々のことが好きなんや。好きな子を守れたなら、俺の嘘かて本望や」
「お、したり、くん……」
一歩近付いて、そっと抱き寄せる。
「希々、俺と付き合うとる言うて告白断ってたんやね」
「……うん。本当のことだったから」
緩やかに、その腰に手を回す。
「……もし希々が必要やったら、これからも……俺と付き合うとる言うて男避けしてくれてかまへんよ」
「…………え?」
拒絶はない。綺麗な瞳が瞬きを繰り返す。
「俺、希々の我儘聞く言うたやろ? もう本物の彼氏、やないけど……好きな子に頼られたい」
「……そんなに甘えるわけにはいかないよ。私と付き合ってるってみんなに思われたままじゃ、忍足くんが新しい恋に踏み出せない」
――そう言うと、思っていた。
俺は自然に密着した身体の温もりを感じつつ、耳元で囁く。
「……希々の支えになれるなら、俺は嬉しいんや。いつでも俺を頼って。いつでも俺に相談して。……要らんくなったら、捨ててええから」
「! 捨てる、なんて……!!」
「せやから、希々が必要な間は……希々の偽彼氏で居させてくれへん?」
罪悪感から、彼女はこの提案を断れない。今まで一緒にいればそれくらいはわかる。そして一度頷いてしまえば、さらに罪悪感は心に深く根ざす。
俺はその罪悪感を少しずつ取り除いてやればいい。優しい言葉で、優しい態度で。
最初から歪んだ関係だったなら、もうどこまでが歪なのかわからなくなるほど、どろどろの甘い沼に引きずり込んでやる。
「……希々の嫌がることはせぇへんよ。正直今までと何も変わらん。クラスのみんなに別れたこと言わへん、ってだけやし」
希々は年上を好きでいただけあって、ああいう子供じみた男が苦手らしい。それはそうだ。感情的で、ガキで、煩い。
彼女にとって奴等は正直、近所の子供と大差ないと思う。その相手をしなくて済むという俺の提案は魅力的なはずだ。
俺は緩やかな抱擁と共に、横目で生徒会室を見た。遠く、跡部の顔が歪んでいるのを確認して、思わずほくそ笑む。
別れたはずの俺達が抱き合っていて、胸中穏やかではないのだろう。初めての優越感に、悪い気はしなかった。
「俺に希々以外の好きな子が出来たら、そん時はすぐ言うって約束する。希々に新しく好きな奴が出来た時も、この関係はすぐ解消するって約束する」
腕の中の希々は、逡巡しているようだった。俺は駄目押しの一言を伝える。
「……もうちょい希々の隣に居たいっちゅう、“俺の”我儘…………聞いてくれへん?」
今度はチャイムが鳴る前に、彼女は結論を出した。
「……ほんとに忍足くんに好きな子ができるまで、だよ?」
「おん」
「……嫌になったらすぐ言ってね?」
「おん」
嫌になんてなるわけがないのに。彼女は俺の仕掛けた罠に嵌っていく。
「…………じゃあ、お言葉に甘えて……忍足くんとまだ付き合ってることにさせてください」
俺は笑って希々の身体を離した。
「もうしばらく、偽彼氏として、よろしゅうな」