ピーター・パイパー(跡部vs.忍足)
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*八話:僅かな動き*
俺の願いを聞いてくれると言った数日後から、突然藍田の態度がぎこちなくなった。確かに俺がキスをしても拒絶はしない。しかし俺の目を見ようとしない。
俺が好きだったのは、臆することなく見つめ返してくるその透明な視線だった。キスに戸惑う時も、俺の告白に眉を下げる時も、藍田は真っ直ぐ俺の目を見る。どんな時も相手の気持ちを汲み取ろうとする彼女の真面目さも、好きだったのに。
何故目を合わせないのか。何があったのか。俺は話をしたかった。しかし昼休みに呼び出そうとしても藍田は、忍足と過ごすから、と断るばかりだ。
なら、放課後に問い詰めるしかない。俺が彼女と二人きりになれるのは、生徒会室だけだから。
「……いきなり呼び出して悪かったな」
「仕事なら仕方ないよ。私、何を手伝えばいい?」
「……仕事なんて、ない」
「……え…………?」
生徒会業務などとうに俺一人で終わっている。俺はまだ仕事があるから手伝えと嘘をついて、彼女の放課後を手に入れた。
テニス部の練習が休みの放課後は、貴重な時間だ。何が悲しくて好きな女を恋敵とのデートに送り出さなければならないのか。
「……何で、俺を避ける?」
藍田は、すっと視線を逸らした。
「避けてなんか、ないよ」
「なら、聞き方を変える」
俺は彼女の腕を引いて抱き寄せた。額に口づけると、見開いた目がようやく俺を見る。
「……何で俺と目を合わせねぇんだ」
「……!」
しまった、と珍しく顔に出ている。
藍田は無意識のうちに目を逸らそうとして、それに気付いて動きを止めた。
「、…………ごめんね。ちょっと……今、どうしたらいいかわからなくて……」
「……」
俺はそっと唇を重ねた。啄むように角度を変えて数度繰り返しても、藍田の身体は強ばったままだ。
「……わからねぇわからねぇって、藍田はそればっかだな。藍田がわからねぇなら、俺はもっとわかんねぇよ。お前のことが好きな俺は、いったいどうしたらいいんだよ」
「ごめ、」
「謝ってほしいわけじゃねぇ」
欲しいのは、心だ。
だが心の内どころか抱える悩みさえ、そう簡単には見せてくれない。つくづく厄介な女だ。俺はため息をついてソファを指さした。
「座れ」
「……はい……」
藍田は縮こまって腰を下ろす。俺はその隣に座って、足を組んだ。
「話をするぞ」
「…………へ?」
「今から話をしようっつってんだよ」
しばしの後。
藍田は吹き出した。
こいつの笑った顔なんて見るのはいつぶりかわからない。それにしてもこちらは大真面目なのに、何故笑う。
俺が眉を寄せて「何がおかしい」と聞くと、ついに藍田はくすくす声を出して笑い始めた。
「おい、何がそんなにおかしいんだ」
「だ、だって跡部くんが……っ、は、話をするぞ、って堂々と……!」
「……っ俺はわかりやすいように話題を提起しただけで、」
「ご、ごめんね。笑いたくて笑ってるわけじゃなくて……っぷ、」
非常に不本意だ。しかし不本意ながら、久しぶりに見た藍田の笑顔が心臓を叩く。
「…………藍田、好きだ」
勝手に口から想いが溢れた。
「……今も俺は藍田が好きだから、……目を逸らされるのは嫌だ。俺が強引に接してる自覚はある。けど、それくらいしねぇと俺は藍田の視界にも入らねぇだろ」
「跡部くん……」
「……俺は勝手だ。お前の優しさにつけ込んで、キスは俺だけの特権にしろなんて言った」
わかっている。藍田から向けられているのは、同情だ。
特に俺なんて、“あの”跡部会長に恥をかかせるわけにはいかない、なんて余計な気遣いまでされているに違いない。いつもなら同情されるなんて論外だし、跡部景吾という肩書きに気を遣われるくらいなら死んだ方がましだ。
だが、藍田のこととなると俺は、自分でも信じられないくらい情けなくなる。
同情で忍足だけでなく俺を見てくれるなら、それでいい。気を遣って俺と居てくれるなら、それさえチャンスだ。
藍田が失恋によって傷付いた。その傷を癒すのは、あいつじゃなくて俺がいい。俺はお前に、利用されたいんだ。
「……藍田がここ数日俺と目を合わせない理由がそれなら、悪いのは俺だ。忍足のことが頭から離れなくて、焦って無理矢理頷かせた。……悪かった」
俺は隣の藍田に、頭を下げた。
刹那、頭をふわりと撫でられた。
「……!」
初めて彼女から触れられた喜びに、かっ、と頬が熱を帯びる。今度は俺の方が顔を上げられなくなった。髪を梳くように柔らかく頭を撫でられて、くすぐったいような恥ずかしいような妙な気持ちになる。
「……ふふ。なんか、今なら思ってることちゃんと言える気がする」
心地好い手つきが、ゆっくりと髪を滑っていく。
「……今まではずっと“跡部会長”と思ってたけど、今私の目の前にいるのは……“跡部くん”っていう同級生だって感じる」
藍田は俺の髪に触れたまま、小さく「ごめんね」と言った。
「無理矢理でも何でも、……キスは跡部くんとだけ、って……決めたのは私だよ。私は……跡部くんのお願いを聞いてあげたかったから。だから、跡部くんは悪くない」
顔を上げると、藍田は困ったように微笑んでいた。
「……少し前に、忍足くんと別れたの。その時キス、されちゃったから……何となく跡部くんに申し訳なくて、顔を見られなくなったの」
「…………」
情報量に、頭と心臓が忙しく動く。
忍足と、別れた。なら今藍田は誰のものでもねぇってことだよな。
キスされた。キスをした、じゃねぇってことは、同意があったんじゃねぇよな。
「でも、今は跡部くんの綺麗な目、ちゃんと見られる。……言えてよかった」
「…………藍田」
俺は手を伸ばして、滑らかな頬に触れた。
「……藍田」
見上げる瞳に俺が映っている。
「……忍足と別れたなら、俺と付き合ってくれ」
「…………ごめん」
その瞳は数日前より僅かに、感情の光を宿していた。
「……理由、教えてくれるか?」
この瞳に感情を取り戻したのが俺なら、まだ待ってやれる。
「…………忍足くんと別れる時、いろいろ話したの。その時、気付いたの。私はどうしたらいいかわからなくて、思考を放棄してた。自分の気持ちも忍足くんの気持ちも……何も考える余裕がなかった」
真っ直ぐな眼差しが俺だけを映すのは、ひどく懐かしく、ひどく心地好い。
「だけど跡部くんの気持ちを考えた時はちゃんと自分の気持ちも考えてて、……ようやく忍足くんの気持ちも考えられるようになった」
忍足の名前ばかり出てくるのは気に食わないが、俺がきっかけだという言葉一つで有頂天になってしまう。
「何となく、とか、今付き合ってる人がいないから、っていう理由で付き合い始める友達はいるよ。それを否定はしないし、それがきっかけで本当に両思いになった友達もいる。……だけど私は忍足くんのおかげで、誰かと付き合っても新しい恋はできないってわかったから」
藍田は俺を見て、はっきり告げた。
「私は、私が好きになった人とじゃなきゃ付き合えない」
柔らかな頬に手を滑らせるたび、愛しさが込み上げる。
「だから、跡部くんとも付き合えない」
穏やかな声を紡ぎ出すその唇を塞いだ。
至近距離で視線が絡み合う。最後の理性で、俺は問いかけた。
「……付き合えなくても、…………キスは、許してくれるか……?」
藍田は苦笑した。
「跡部くんのお願いを叶えてあげたい気持ちは、変わってないから……。……仕方ないから、許してあげ、――――」
右手で頬を引き寄せ、口づける。左手で細い身体を抱き締めた。触れるだけのキスでは止まらない衝動。
唇の端から端まで、俺のキスを刻み込むように何度も往復する。苦しそうになると時折解放してやるが、そこで漏れる熱い吐息に俺の我慢はすぐに限界を迎えた。
「……藍田のファーストキスは、従兄か?」
キスの合間の問答に、藍田は綺麗な顔を上気させて息も絶え絶えに応じる。
「……っ、跡部くん、だよ……」
「……っ!」
喜びで一瞬、自制心が消えた。
きつく抱き締めて口づけの嵐を降らす。
「……っあ、とべ、くん…………っ! ちょっと待っ、」
「悪いが今の俺は藍田を押し倒さないだけでギリギリだ。その提案は却下だな」
「……っ!!」
藍田の頬が、途端に真っ赤になった。そんな表情を見るのも久しぶりだと思いながら、柔らかな唇を塞いだ。