ジャックとジル(氷立逆ハー)
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*十四話:分水嶺*
希々は俺に優しい。みんなに優しい。
いつも笑顔で明るく、周りへの気遣いも忘れない。
俺の親と彼女の親はよく話していた。
『希々ちゃん、本当にいい子よね。精市にも見習ってほしいわ』
『いえいえそんな! 精市くんだってすごくいい子じゃない』
『うちの子は外面がいいだけよ。ああ見えて頑固だから、反抗期は手がかかったわ』
『それは男の子だからじゃない? 希々はずっといい子だったわ』
希々はそこに居合わせた時、いつも笑顔だった。今にして思えば、その会話から何か気付けたかもしれないのに。
『希々は昔から本当に手がかからない、いい子だったわ』
後悔はいつだって、取り返しがつかない頃訪れる。
***
「精ちゃん、私の我儘聞いてくれてありがとう。精ちゃんが元気でいてくれるってわかって、安心できてる」
久しぶりに希々が家に来た。長期休暇はこういうことができるから有難い。
「希々だけの我儘じゃない。俺だって希々の声が聞きたいんだから、こちらこそありがとうって言わせて」
練習試合等の日はレギュラー全員で希々と会うが、個人的に会いに来てくれたのなら独り占めしても許されるだろう。
そんな狭量なことを考えつつ、俺は部屋で希々とくつろいでいた。
希々の転校前ならいつもの時間、いつもの日常だった。
「精ちゃん、私に聞きたいことあるの? なんかそんな顔してる!」
「、」
意図して触れないようにしてきた。きっと今回も、俺が避ければ無かったことにしてくれる。
希々は優しい、から。
「…………希々は…………」
「うん」
「…………」
声が出ない。
俺が強くならなければ、希々を守ることなど叶わない。想いを告げるどころか隣に立つことさえ。
わかっていて、俺は怖かった。
本当は聞きたいことばかりだ。
赤也と何があったのか。先週末の練習試合、どうして俺達に会いに来てくれなかったのか。
俺のことをどう思っているのか。赤也のことをどう思っているのか。
どうして何も言ってくれないのか。
どうして何も言ってくれなかったのか。
「…………聞きたいことは、いっぱいあるよ」
「うん」
「でも、希々が答えたくないこと……思い出したくないことに、触れたくない」
「?」
希々は首を傾けた。
「言いたくないことも思い出したくないことも、私にはないよ?」
「……本当、に……?」
希々は笑った。
「うん。本当に」
何もなかったことにする、という選択肢があることはわかっていた。
もしもタイムリープやパラレルワールドが存在するなら、今まさに分水嶺に立っていることも自覚していた。
それでも、俺は。
「――――希々はどうして、一度も助けを求めてくれなかったの?」
希々は瞬きをする。
そして心底不思議そうに、答えた。
「どうして、精ちゃんに助けを求めるの?」
俺は勇気を出して尋ねているのに。
「俺が弱いから、頼りにならなかった?」
「うぅん、違う」
「俺には言いづらいことだった?」
「違う。全然違うよ、精ちゃん」
希々は静かに首を横に振った。
「どうして、助けを求めるの? 求めてどうするの? 求めてどうにかなるの?」
希々は穏やかに、当たり前のように続けた。
「誰かにつらいって言ったら状況は変わるの? 苦しいって言ったら何か解決するの? 叫んだら誰かの考えが変わるの?」
「精ちゃん、赤也から聞いてない? それとも聞きたいのは中2の頃の嫌がらせの話? 学校とか家族の話?」
「赤也とはちゃんとさよならしたよ。赤也が私を好きだって言うから。私が作った平穏を壊そうとしたから」
「赤也が私の世界からいなくなるってわかってた。恨まれる可能性もあったし赤也が精ちゃんやみんなに私の悪口を言う可能性もあった。そうしたら立海のみんなが私の世界からいなくなるかもしれないってこともわかってた」
「だけど別によかったの。どうなってもよかったし、どうだってよかったの。そうなったら氷帝でまた新しい毎日を作るだけだから」
「私は他人が望む人間を知ってるから、その期待に応えてきただけ」
「勉強はやれば成果が出るよね。笑わない子より笑ってる子の方が印象いいよね。私だってそういう子と友達になりたいもん」
「何の問題も起こさない、品行方正な女の子。これで家族は喜んでくれる。優しくて明るい、人懐っこい女の子。これで学校のみんなは喜んでくれる。こういう時にこういう反応をしたら喜んでくれるかな、って精ちゃんも考えるでしょ? こういう時にこういう顔をしたら相手は喜ぶかな、こういう時はこういうことを言えば相手は喜ぶかな、そう考えて人と接するのは普通だよね」
「私は世界が望む普通をこなして、みんなが期待する“いい子”でいたつもりだよ? だから私、誰かに怒られたことがないの。ママにもパパにも先生にも怒られたことない。――たった一人を除いて」
「精ちゃんが聞きたいこと、何でも答えるよ。何が知りたい? 何が気になる?」
「私は言えないことなんてないよ。隠したいことも思い出したくないこともない。だって」
「だって私は、誰のことも信じてないもん。もちろん、私のことも」
希々が紡ぐ言葉は、俺の視界を閉ざしていく。柔らかな笑顔で放たれる言葉は、棘どころか刃だった。その切先は全て、希々自身に向いている。
俺は希々のことを何も知らなかった。
何も。
幼馴染?
兄代わり?
愛してる?
――――聞いて呆れる。反吐が出る。
「精ちゃん、大丈夫?」
この痛々しい笑顔に返す台詞など、俺は持っていなかった。
ただ、俺の目からは涙が止まらなかった。
「精ちゃん、泣かないで。私は大丈夫だよ!」
希々の『大丈夫』がいつだって大丈夫なんかじゃなかったと知った俺は、この日初めて、人生をやり直したいと思った。
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