ジャックとジル(氷立逆ハー)
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*十三話:猫*
藍田は変な奴だ。
あんなに表情筋を酷使していたら、いつか動かなくなるんじゃないかと思う。無邪気に笑い、周りとじゃれ合う。幼い笑顔はレギュラーの心を掴んだらしい。全員藍田の前でいいところを見せようと日々トレーニングに勤しんでいる。まぁ、動機が若干不純だがそこは目を瞑ろう。
第一印象こそ最悪だったものの、しっかりと業務をこなす彼女への評価は俺の中でも上がっていた。
しかし俺に対してだけ、藍田は態度が違う。まず、笑わない。これは誰に言っても信じてもらえないが、本当に笑わないのだ。そしてこれまた信じてもらえないが、必要事項以外喋らない。
『跡部ぶちょう』
少しだけ舌足らずな敬語は、俺にしかつかわれない。
『跡部ぶちょう、次は何をすればいいですか?』
『跡部ぶちょう、これ、日誌です』
『跡部ぶちょう、……ありがとうございます』
俺が苦手なら近寄らなければいいだろうに、藍田は頼んだことが終わるとむしろ次の指示を待ちわびたかのように駆け寄ってくる。
何と言うか、警戒心の強い猫を手懐けた気分だった。
以前、テニス部の部誌と一緒に各部活動の文化祭展示一覧をまとめて職員室に持って行こうとした時。部室に残っていた藍田が資料を無言で指さした。俺も見落としていた演劇部の誤植を指摘してくれたのだ。そんなものを氷帝文化祭のパンフレットに載せるわけにはいかない。
俺は礼を言いながら、ついペットと同じ感覚で頭を撫でてしまった。
『あ……悪い、』とすぐに離れたが、
『…………』
藍田はじっと俺を見つめてきた。無言で1分ほど。そしておもむろに俺の右手を掴み、自分の頭の上にのせ直した。
これは撫でろということか。
撫でられるのが好きという意思表示か。
『……助かった。ありがとな』
『…………お役に立ててよかったです』
数回撫でてやると、変わらず無表情だったが、ほんの僅か口角が上がった……気がした。上手く言えないが、無理のない表情のように感じた。
いつかの夜、急にかかってきた電話を思い出した。
『……お前、俺のこと嫌いなんじゃないのか?』
藍田は首を横に振った。
『跡部ぶちょうは……とくべつ、です』
『、』
何故だろう。
そんなはずないのに、毎回こいつの言動は俺に救いを求めているのではないかと錯覚させる。
本当は静かな空間が好きなのだろうか。
『……昼休み……生徒会室、来るか?』
『……?』
氷帝の生徒会には副会長も書記も経理もいない。俺一人で事足りるし、余計な面倒がないからだ。
そのため、あの部屋はほぼ俺の執務室と化していた。藍田は煩くないし仕事の能力は高い。利害が一致するなら入れてやってもいい。
俺は深く考えずそう言っていた。
『仕事を手伝うなら入れてやるが』
『……』
藍田は無表情ながらに逡巡し、小さく呟いた。
『…………跡部ぶちょう以外、いない、ですか……?』
『あぁ』
胸元で両手をぎゅっと握りしめ、藍田は俺の目を真っ直ぐ見た。
『……お仕事、頑張ります』
――――…………。
――……。
あの日から藍田は昼休み、生徒会室で俺の業務をサポートしている。もちろん毎日ではない。誰に任せても問題ないような雑務がたまった時、可能ならば頼む、と伝える。ちなみに藍田はこの依頼を断ったことがない。
……やはり静かな空間が好きなのだろうか。
彼女に単純作業を任せて、俺は判が必要な書類確認を進める。特に会話のない空間だが、藍田は文句を言わず、無駄に話しかけてくることもなく、ただそこにいる。
「跡部ぶちょう、終わりました」
「あぁ、助かった。今日はもう戻っていい」
「……もう少し、ここにいてもいいですか?」
「あぁ」
藍田はソファに移動してぽふっと座った。クッションを抱え、ぼーっとしている。
いつもそうだ。
彼女は早く仕事が終わっても帰ろうとしない。俺と話すでもなく、壁を眺めているだけだ。
その横顔を見て、改めて考えた。
藍田希々は変な奴だ。俺には二重人格者のように映る。さりとて問題点があるわけではない。
成績は変わらず良い。生徒にも好かれているし、教員からの心象も良い。一部のテニス部ファンからは反感もあるようだが、今のところ表立った騒ぎは起きていない。まぁ、俺がそんなことは起こさせないが。
「、」
気付くと書類の残りが少なかった。今日は俺も早く終わりそうだ。
「……テニス部には慣れたか?」
問いかけると、藍田は飾られた表彰状を眺めながら頷いた。
「何か困ってることはあるか?」
藍田は首を横に振る。
「……跡部ぶちょうは、困ってること、ありますか?」
少し驚いた。そんなことを聞かれたのは初めてだ。
「俺に困り事はない」
「…………そう、なんですね」
藍田の声音が曇った気がして問おうとした刹那、彼女のスマホが着信を告げた。
藍田が外に出ようとするのを手で制し、そのままでいいとジェスチャーで伝える。藍田はソファに腰掛けたまま、スマホを耳にあてた。
「……もしもし、精ちゃん? どうしたの?」
相手は幸村か。
「あはは、心配しすぎだよー! ……うん、大丈夫! 精ちゃんこそ大丈夫?」
別人のように笑う藍田。
「今週末? またみんなに会えるの楽しみ! もちろん精ちゃんを応援するよ!」
今週末の練習試合のことか。
「うん、わかった。ありがとう! ……うん、また夜にね!」
通話が切れる瞬間まで、藍田は笑顔だった。スマホから音が消えるのと同じタイミングで、藍田の顔からも表情が消える。彼女はスマホをポケットにしまい、再びクッションを抱えてぼんやり表彰状を眺めた。俺はそんな藍田をぼんやり眺める。
ふと、藍田がこちらを見た。
「…………跡部ぶちょう、今週末の練習試合…………」
「……どうした」
「………………いえ、何でもないです……」
「…………」
何を言うでもなく、藍田は俯いてしまった。本当にこいつはわけがわからない。
“休ませてほしい”と口にするのが、何故そんなにも難しいのか。
眼力は相手の弱点を見抜くための技術だ。俺には無意識のうちに、相手を観察する癖がついている。
藍田の望みが“練習試合の欠席”ではなく、“立海の奴等と会わないこと”だとすぐにわかった。俺は知らないが、言いたくないことがあるのだろう。人間、誰しも確執の一つや二つあるものだ。
「……今週末は立海との練習試合だが、マネージャーのお前にはレギュラーと準レギュラー以外の試合を任せたい。スコアとサーブの成功率、まとめてくれるか?」
「! はい!」
藍田は弾かれたように顔を上げた。
「跡部ぶちょう、ありがとうございます! 私、頑張ります!」
「……あぁ。頼んだ」
何故だろう。
気合いの入った声とは裏腹に、その目は泣きそうに歪んでいた。