ジャックとジル(氷立逆ハー)
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*九話:何故*
「あ。あとべっきんがむだ」
「…………」
昼休み、偶然生徒会室の前ですれ違ってしまった俺は無言で彼女を見やった。
監督も絆され俺以外の全員がこいつをマネージャーにしろと言うので、仕方なく氷帝テニス部のマネージャーになった藍田希々。
何度会ってもこいつは俺にだけ妙な警戒心を抱いている。
人のいないこんな場所で遭遇するなんて、今日の俺の運勢は最悪かもしれない。
そんなことを思いつつため息を吐いた。
藍田は相変わらず俺には仏頂面で告げる。
「精ちゃんから伝言。練習試合、立海と組んでくれてありがとう、って」
「……あぁ。受け取った」
「うん。じゃあね」
言うだけ言ってすたすた歩き始めるものだから、俺はさすがに藍田の首根っこを掴んだ。
「……なに? あとべっきんがむ」
「いろいろ言いたいことはあるが、とりあえずその呼び方をやめろ」
立海でどれだけ甘やかされていたか知らないが、ここにはここの秩序というものがある。俺が言わなければ誰が言うのか。
「だってニオちゃんからそう聞いたもん。……あ、正式名称じゃないとダメ? あとべっきんがむ宮殿」
「次の立海との練習試合は何年先になるんだろうな?」
「すみません」
途端に大人しくなる藍田希々。
これか。
こいつにはこれが一番効くのか。
「ったく……」
一々こんなことで腹を立てるほどガキではないが、俺は氷帝学園の生徒会長だ。氷帝の生徒として、代表を侮蔑するような態度は看過できない。
俺は藍田の制服の襟を直してやり、腕を組んだ。
「あのな。お前が心の中で俺を何と呼んでいようが、立海の奴等とどう呼び合っていようが構わねぇ。だが、氷帝の制服を着ている時はその校章に恥じない言動を心がけろ」
――この時初めて、藍田は目を見開いた。
初めて、俺をまともに見たのだ。心臓が射抜かれるかと思うほどの強い視線に、一瞬気圧された。
そんなに珍しいことを言ったつもりはないし、気分はもはや小学生を諭す教師だ。
しかし藍田の表情は、俺の呼吸を僅かに止めた。
喜びと悲しみと感動を煮詰めたような複雑な眼差しだった。救いを求めるような顔つきだった。
「、どうした、」
「あとべっきんがむは――――」
藍田は何か言いかけて、唇を震わせて、……そっと拳を握った。
「……跡部ぶちょう」
俺はわけもわからないまま頷く。
「、あぁ」
「跡部ぶちょう」
「あぁ」
「跡部ぶちょう」
「……なんだ?」
藍田は微かに口角を上げた。
「……跡部ぶちょう、ありがとう」
その微笑みは他の誰に向けるものよりも温かく見えた気がした。
*****
あの日から何故か俺は藍田に懐かれることになった。
本当にこいつはわからない。
意味がわからない。
こんなにも考えの読めない人間に出会ったのは人生初めてで、頭が痛い。
「跡部ぶちょう、これ日誌です」
「……あぁ」
「跡部ぶちょう、これ全員分のトレーニングメニューノートです」
「…………あぁ。助かる」
仕事は有能なのだ。
日誌は俺の分までまとめているし、部員全員のトレーニングメニューを細かく決めたミーティングの内容まで、ノートに完璧に記されている。
こいつが立海で重宝される理由がわかった。
それにしても、何故。
「おい希々。わからないことがあったら俺に聞けと言っただろ?」
「ワカちゃん! 大丈夫だよ。わからないことはワカちゃんに教えてもらってるもん」
「……なら、そんなに頻繁に跡部部長のところに行かなくてもいいだろ」
「ノートとか部誌とか、提出してるだけだよ?」
「跡部部長…………」
日吉が俺を睨んでいる。
「希々ちゃん。日誌なら俺が受け取ったるから、そない無理して跡部んとこ行かんでもええんやで?」
「ありがと、ユウちゃん。でもマネージャーなんだから、ちゃんとぶちょうに渡さないと! それが私の役目だよ」
「……跡部にそうしろ言われたんか?」
「うぅん。跡部ぶちょう、私に強要したりしないよ」
「跡部…………」
忍足が俺を睨んでいる。
「希々、一人でボール運ぶの重いだろ? 俺にも頼れよな」
「ふふ、ありがとリョーちゃん! でもリョーちゃんの練習のために私がいるんだから、任せといて!」
「いや、手が空いた時くらいは俺も手伝いたいっつーか、むしろ、た、頼ってほしいっつーか……」
「こら! そんなこと言ってると跡部ぶちょうに怒られちゃうよ?」
「跡部…………」
宍戸が俺を睨んでいる。
というような流れが繰り返されつつある。
本当に頭が痛い。
「……おい、藍田」
「はい、跡部ぶちょう」
「…………ドリンクを持ってこい」
「はい!」
走って行く小さな背中を確認して、俺はレギュラーに向き直った。
「……言いたいことがあるなら聞いてやる」
全員が不満そうに俺を見た。
「なんや跡部だけ特別やない? 希々ちゃん、跡部のこと嫌いやったんやないの?」
「俺のことが特別嫌いなんじゃないか?」
「絶対違うCー! なんか希々ちゃん、跡部の前だと違うんだよー!」
「知らねぇ」
「クソクソ跡部! 希々と何があったんだよ!」
呼び方について説教しただけだと言っても、誰も信じなかった。
「まさか跡部部長、俺達のいないところで希々をたぶらかしてたんじゃ……」
「えぇっ!? そ、そんなことないですよね跡部さん!」
「……俺様はそんなに暇じゃねぇ」
むしろ俺の方が聞きたい。
「どこに文句がある。お前らの方が親しげに呼ばれてるだろ。藍田もお前らといる時よく笑う。俺の前では別によく笑うわけでもしゃべるわけでもねぇぞ」
すると忍足が、ぼそりとつぶやいた。
「……希々ちゃん、みんなに平等なんや」
「……? マネージャーとして正しいことだろ」
「ちゃう。……どこに居っても誰と居っても、おんなじなんや」
「…………? レギュラーを贔屓しねぇってんなら、むしろ褒めてやるべきなんじゃねぇか?」
日吉が肩をすくめた。
「本当に鈍いですね、跡部部長は」
ジローまで「はぁー。跡部鈍すぎだCー」とか言うものだから、俺は首をひねるしかない。
いったい何のことかと問おうとした時、藍田が俺のドリンクを持って走って来た。
「跡部ぶちょう、ドリンクです!」
「…………あぁ。助かった」
「よかったです」
藍田本人の前で話題を蒸し返すのはさすがにはばかられた。
「……今日の練習はここまで!」
俺はコートに号令を出しながら、何度目かわからないため息を漏らしたのだった。