1章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*八話:名前で呼んで*
翌日、跡部は学校を休んだ。
熱を出したらしい。
希々さんにLINEで聞いたが、彼女にも状況がよくわからないのだと言う。
俺としては、希々さんが跡部と一緒でなければいい。
「ほんなら、今は希々さん大学にいてはるんやね?」
『景ちゃんのことは心配だけど、さすがに看病で大学を休むほどブラコンじゃないよー』
スマホの向こうで笑う希々さんに、俺はため息を禁じ得ない。
鋭いとか言われる俺がたまたま気付いただけ、なわけがない。本当にこの人は鈍いのだ。
まぁ、俺の気持ちにさえ気付かない希々さんだから、跡部の想いにも気付かずいられたんだろうが。
「……日曜、希々さんどっか行きたいとこあります?」
『え!? えっと、ど……どこでもいい、よ?』
「それ、一番困る答えや。初デートで失敗したないんで、何か好きなもの片っ端から挙げてってください」
『え、え、……っあ!』
向こう側で、ざわざわと声がする。
耳を澄ますと、希々さんの友達が来たらしい。
『珍しく真っ赤になって、どしたの? 希々』
『あ……っあの、私の好きなものって、な、何だろう!?』
『はあ? 何それ。あ……何なに、通話中…………誰これ、オシタリくん?』
『あっ! ちょっと……もう! あっち行ってて!』
『自分から聞いてきたくせにー?』
笑い声を背景に、希々さんは申し訳なさそうに謝る。
『ごめんね、忍足くん』
さっきから俺の内心は喜んだり落ち込んだり、文字通り一喜一憂している。しかし告白してしまった今、それらを内心に留めておく必要はない。
俺との話で赤くなってくれたことは嬉しいが、名前の呼び方が気に食わない。
「…………名前で呼んでください言うたやないですか」
『あぁっ、ごめん! ゆ、侑士くん!』
「後でスマホの名前も直しといてくださいね」
『? いいけど……なんで?』
周りへの牽制だと言ってもこの人は理解してくれないだろう。好きな人が自分の知らない大学という場所で、知らない男たちと関わっているこの不安を、言ったところでわからないだろうから。
まぁそこは問題ではない。
俺のことを好きになってもらえばいいだけの話だ。好きに、なってもらえるかはわからないが。
ここで希々さんに余計な心配をさせたくない。俺は笑って濁した。
「それより、希々さんの好きなもの! 俺は跡部みたいな金持ちちゃうから、何がええのかほんまにわからんねん。豪華なレストランとかクルーズとか、そんなもんにエスコートできひんのが悔しいです」
『…………それ、普通のデート、とは違うよね?』
「せやけど、希々さんにとっての普通、やろ?」
希々さんは少し黙った。俺は彼女の柔らかい声を待っている時間すら幸せで、目を閉じる。
『……侑士くんの普通と、私の普通、は、違うかもしれない。でも、世界の誰かの普通と、私の普通も、きっと違う。普通、って、たぶん、そんなもの、ない』
返ってきた台詞が些か真剣なもので、俺は目を薄く開いた。
『景ちゃんの普通、と、私の普通、が違ったみたいに。だから……』
――あぁ、なんであいつの名前を聞かなあかんの。そりゃあ希々さんの弟やからしゃあないか。知らずに居ったら、あいつが義理の弟になったらとか妄想できたかもしれんけど。
俺は心が広い人間ではない。
好きな人の口から恋敵の名前が出ても気にしないような器の大きい人間でもない。
これ以上跡部の名前を聞いていたら不用意に希々さんを傷つけてしまいそうで、口を開きかけた時。
『だから、ね。普通、とかじゃなくて……私と侑士くんの楽しい、を一緒にできたらいいと思うの』
「――……ほんま、敵わんわ…………」
俺はたぶん、この人に一生敵わない。俺のちっぽけな不安も不満も、一言で消してしまう。
『え? えっと……私、変なこと言ったかな……?』
「…………好きや」
『へっ!?』
「何遍俺を惚れさせたら気が済むんですか」
『ええぇえ!?』
きっと赤くなっている貴女に、早く会いたい。日曜までなんて待っていられない。
「……希々さん、授業何限まで?」
『四限、だけど……』
「ほな、授業終わったら帰らんと待っててください。俺、学校終わったら会いに行くんで」
どのみち跡部が休みなのだから、部活は日吉が何とかするだろう。俺は跡部の見舞いに行くとか適当な理由をつけてバックれる。
電話の向こうで焦る声を宥めて、何とか約束を取り付けた。
この想いを止める術を、子供の俺は知らないから。