3章
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*最終話:最愛の人へ*
「希々、クリスマスはどこに行きたい?」
「景吾と一緒ならどこでもいいよ」
「クルージングで…………いや、やっぱり別荘にする」
俺がそう言うと、希々は僅かに赤くなって唇を尖らせた。
「また景ちゃん、やらしーことするつもりでしょ!?」
「……否定はしねぇ。最近希々を堪能してねぇからな」
「? 毎日キスしてるのに?」
「キスは俺にとって呼吸と同じだ」
10年以上、俺は毎日希々とキスを交わしている。冗談ではなく、俺にとって希々とのキスはもはや酸素と同じだった。希々は少し困ったように眉を下げる。
「えぇ? そ、そうなの?」
「あぁ。だからたまには姉貴を堪能させろ」
肌が触れ合う時、未だに慣れない希々はぎゅっと縮こまる。それが可愛くて仕方ないことは本人には伝えていない。縮こまった後は俺を拒絶しているわけではないと伝えるためか、はっとしたように俺の背に手を回す。その仕草も胸が押し潰されそうなほど愛おしいが、本人には伝えていない。
「……私、もう30歳過ぎたおばさんだよ? 何の魅力もないでしょ」
「その言葉は聞き捨てならねぇな」
俺は希々を抱き寄せ、口づけた。触れるだけのキスで止めるつもりだったが、ふわりと香り立つ彼女の匂いにあてられて、結局深い口づけへと変わってしまう。
香りも声も笑顔も、希々は魅力の塊だ。本人はもう若くないとかお肌がどうとか嘆いているが、俺にとって彼女が媚薬同然の効力を持つ存在であることは、10年以上前から変わらない。
むしろ年齢を重ねて色気が増した。俺は今でも理性と本能の狭間で葛藤する日々を送っている。希々はそんなこと、夢にも思っていないだろうが。
「ん、…………」
「希々……」
舌を絡ませ、互いの呼吸と快感を追う。
何年経っても俺のキスが好きらしい希々は、激しいキスに必死で応えようとする。抱き合う体勢を変えながら咥内を求め合う。
やがて希々の目がとろんと溶けて、足元が覚束なくなり始めた。近くのソファに押し倒し、上から蕩けた顔を眺める。
「景、ちゃ…………」
「……何年経っても、立ったまま長くはキスできねぇな」
希々はさっと頬を朱に染め、視線を逸らした。
「……っだって、景ちゃんのキス…………気持ちよすぎるんだもん……っ」
「…………そんな可愛いこと言って、このまま終われると思ってねぇよな? なぁ、姉貴」
「な、何でほんとのこと言っただけなのに責められてるの!」
「責めてねぇ。欲情してるだけだ」
「何言って、――――」
反論ごとキスで塞いで、俺はしばし時間を忘れた。
***
あの日――俺達が指輪で繋がれた日から、約10年が経った。
俺は跡部の事業に注力したいから、という理由で見合いを断り続けている。元々希々の見合い話は彼女の目に触れる前に握り潰していたが、それを知った希々は怒るどころか笑って俺を抱きしめてくれた。
そのためこれは合意だということにして、今日も俺はせっせと希々への見合い写真を焼却炉行きにしている。
今、希々は33歳。俺は30歳になった。お互い知り合いに会えばいろいろ言われるが、やり過ごし方にも慣れてきたところだ。
俺は毎晩希々の部屋で彼女を抱きしめて眠る。夜がこんなに幸せになるなんて、学生の頃は想像すらできなかった。
風呂から出たら希々の部屋に集まり、一日の間にあった出来事を語らう。最初は俺の部屋でもいいかと考えたが、希々の香りに満ちた部屋の誘惑はあまりに強力だった。俺は試しに、希々の部屋がいい、と我儘を言ってみた。
希々は少しも困っていない顔で笑って、『仕方ないなぁ』と許してくれた。この笑顔のためなら何だってできるという想いは、あの頃から揺らいだことはない。
『……ねぇ景ちゃん。景ちゃんはまだ私のこと、好き? 後悔、してない……?』
希々は時折不安を口にする。その度俺はキスを落として答える。
『あぁ。俺は希々を愛してる。後悔したことは一度もねぇよ』
些細な不安でも、感じたら教えて欲しいと言ったのは俺だ。
『俺達の間に隠し事はなくそう。言う程のことじゃねぇと思っても、少しでも何か不安に思ったら言ってくれ。俺も、そうするから』
毎晩重ねていく言葉の中で、漠然とした黒い靄は徐々に晴れていった。溜め込まず早い段階で打ち明ければ、大抵の問題は解決する。
結婚していく周囲と自分とを比べて生まれる不安。相手の気持ちが変わってしまわないかという不安。あの日の選択を相手が後悔しているのではないかという不安。
口にしてしまえば何のことはない。俺は心のままに何度でも希々への愛を誓った。口づけて、抱きしめて、言葉にして。
『永遠に、希々だけを愛してる』
希々はいつも泣きそうになるのを堪えて微笑む。
『私も…………愛してる。景ちゃん……ずっとずっと、一緒にいてね。私を離さないでね』
『頼まれたって離さねぇよ。……姉貴こそ、もう俺以外の男なんか見るなよ?』
希々は嬉しそうに頷いて、俺に抱き着く。
『景ちゃん…………大好き。ねぇ……景ちゃんは今、幸せ?』
俺の答えは毎回変わらない。
『あぁ。希々と今こうしていられる俺は、地球上の誰より――幸せだ』
希々の涙腺は、俺が幸せだと口にするたび崩壊する。相変わらず涙脆く相変わらず単純なこの姉が……希々だけが、俺の幸せを握っている。今も昔も。
世界で最も美しい雫に唇を寄せ、俺は訊き返した。
『希々は……今、幸せか?』
『……っうん、……うん……っ!』
その笑顔は、あの頃と変わらず眩しかった。
***
夜に希々の部屋に行くと、希々はベッドで本を読んでいた。俺もベッドに上がり、彼女を後ろから抱きしめる。
「どうしたの、景ちゃん?」
「……希々に触れたくなった」
大学時代のテスト明けを思い出すこの体勢は、今でも俺のお気に入りだ。希々はこの数年で、俺が部屋に出入りすることに慣れたらしい。
当初は赤くなって部屋に行く時事前連絡を求めてきたが、俺がわざとその要求を無視して入り込むうちに抵抗が薄れたのだろう。今では好き勝手抱きしめても文句を言われなくなった。
「何の本読んでるんだ?」
「エッセイ。30代の女性のいろんな考えが知れて面白いよ」
「へぇ?」
俺に意識を全く向けず活字ばかり追う。何となく面白くない。慣れるのも考えものだ。
俺は背後から希々の項に鼻先を埋めた。昔から変わらないクラシックローズの香り。冷えた耳朶に唇を寄せて悪戯に吐息を吹きかけると、ようやく希々が反応した。
肩をぴくりと震わせ、「景ちゃん、読めないから邪魔しないで」と宣う。
「あーん? 俺が邪魔だってのか?」
「景ちゃんが邪魔なんじゃなくて、景ちゃんが邪魔してるって言ってるの! おかげでA子さんのプロポーズの続きが読めな、」
「――――んなもん読むな」
半ば無理矢理エッセイを取り上げ、ベッドに押し倒す。
「えぇ!? なんで!」
三十路になろうが俺は常に希々不足だ。満たされた毎日だが、寿命が存在する以上少しでも長く触れていたい。そんな俺の想いを知る由もない希々は、特に抵抗せず俺を見上げる。
「……景ちゃん?」
「俺が何度でもプロポーズしてやる」
「、……景ちゃん…………」
俺の不安が顔を出した瞬間。希々はそれを感じ取ったらしい。優しいアイスブルーがふわりと微笑んだ。
頬が温かい両手で包まれる。その指先に俺も指を絡め、そっと握った。
「……希々、愛してる。これからもずっと、俺の……俺だけのものでいてくれ」
希々は頷いて、俺と同じように指先をきゅっと握った。
「……はい」
「俺と一緒に、生きてくれ。子供がいなくても、世間にどう見られても、そんなもん気にならなくなるくらい幸せにする。希々と希々の居場所は必ず俺が守る」
「……うん」
プロポーズだけは、俺からできなかった。やり直しなんてできるわけもない。悔しがる俺に、希々は笑った。お姉ちゃんの勝ちだね、そう言って。
「絶対希々を幸せに、する。…………けど、俺が幸せになるには希々がいねぇと駄目なんだ。だから……」
触れて時間を止めるだけのキスを落とし、俺は掠れた声で伝えた。
「……俺のことだけ、見ててくれよ」
希々は頷いてから、くすぐったそうに笑んだ。
「……はい」
「……他の野郎のプロポーズが気になるなら全部再現してやる。街全体のイルミネーションか? 貸し切りテーマパークか? 新しい家でも買うか?」
「それ、職権濫用だし財閥資金の無駄遣いだよ」
希々はくすくす笑った。
「何言ってやがる。俺は希々のもので、今の跡部グループは俺のものなんだ。俺が希々のために金を注ぎ込んでも何の問題もねぇだろうが」
「問題だらけだよ!」
紙面で結婚という契約を交わせる人間達への憧れは、俺にだってある。だからこそ、そういった話を希々が読んでいると不安になる。俺では満足させてやれないのか、と。
しかし俺の弱音にいつだって希々は優しい声で答えてくれた。
私は幸せだよ、と。
今日も希々は、目を閉じて穏やかに言葉を紡ぐ。
「……景ちゃんを不安にさせちゃったならごめんね。このエッセイ、評判だから読んでみただけなの。……私にとって他の人の恋愛とか結婚は、物語の中の世界だよ。私にとっての“愛してる”は、……景ちゃんの所にしかないの。これからもずっと。ほんとだよ」
絡めた指に少し力を込めて、希々が真っ直ぐ俺を見上げる。
「景ちゃん。私には結局、“好き”ってよくわからなかった。だけど“あいしてる”は、景吾が教えてくれた。だから私も言える。……愛してるよ、景ちゃん。大好きだよ」
「……っ!」
「だから……一緒に生きて、ね。隣にいてね」
一つだけ訂正しよう。
この姉が持っている“全て”の中には、俺の涙腺さえも含まれていたらしい。
「……愛してる。俺は、ずっと、希々のこと、を…………っ」
生まれて初めて嬉しくて泣いた、あの日を思い出した。指輪をもらったあの日。プロポーズされた、あの日。
「私、ちゃんと覚えてるよ。今日は一緒に生きる約束した記念日だもんね。景ちゃん」
声が、出ない。
「……っ、」
「指輪、つけてくれてありがとう。……私、景ちゃんのおかげで幸せだよ。私も、景ちゃんを幸せにしたい。守りたい。ちっぽけな両手かもしれないけど」
希々は俺の首にきゅっと抱きついて身体を起こした。俺の目から溢れる涙をそっと唇で拭う。慈愛に満ちたその口づけは、女神からの祝福のようだった。
「……私、恋愛がわからなくて悩んできた。でも、景ちゃんと一緒ならどこにだって行ける。怖いものなんてないの。すごいね、私今、無敵だよ」
「っ!」
我慢できず、微笑む希々を掻き抱く。
「希々が俺の全てだ……っ! 何があっても俺は姉貴の味方でいる……! 俺自身も、俺が持つ全ても、未来も、全部あんたのもんだ……っ」
背中に回される温かな手が愛おしい。
「愛してる、」
言いながら、シャツの袖で目尻に残る涙を拭った。
「……何を敵に回しても希々を守り抜くと、命を懸けて誓う」
俺の、唯一変わらないもの。
「ふふ、ヨーロッパの騎士みたい! 景ちゃん、頼もしいんだ」
からかうような笑みさえ、曇ることのないよう。そのために俺はいる。そのために俺は在る。そのために、俺は生まれたのだから。
俺が希々に告げる愛は、告白であり誓いであり決意だ。この命尽きるまで、俺は希々のために在る。俺は、希々のものだ。
「俺が希々を愛したことを悔いることは決してない。……ちゃんと言葉にしたことはなかったよな」
息を吸って、一文字一文字に心を込めて告げた。
「――――俺の全てを希々に捧ぐ。My dearest, I'm yours.」
「景、ちゃ、」
目を丸くする希々にゆっくり口づけて、俺は目を閉じた。触れ合う唇が溶けそうに甘く愛しい。胸に湧き上がるこの想いを愛と呼ばずに何と呼べばいいのか。
永遠なら、今、此処に在る。俺の中に。
「……希々」
ふわりと唇を離して、ベッドの上で二人、見つめ合う。柔らかな頬に手を滑らせ、俺は若干不格好にくしゃりと笑んだ。
「……愛してる。俺は希々を愛してる。……誰よりも、何よりも、永遠に――――愛してる」
希々は軽く目を見張って、不意に眉を下げて、涙を滲ませながら綺麗に笑った。
「…………っ愛してくれて、ありがとう。愛を教えてくれてありがとう。大好きだよ、景ちゃん」
その答えを。
涙を。
声を。
笑顔を。
温もりを。
俺は永遠に忘れない。
これが俺の“幸せ”で、“愛”で、“譲れないもの”だ。
俺は希々を愛することができて誇らしい。苦しんだ時期もあったが、その苦悩がなければこの幸せもなかったのだ。
たとえこの先どんな困難が訪れても、希々となら越えられる。月夜に交わした約束は俺の存在理由となり、俺を支える。
愛を伝えられる喜び。
愛を受け入れてもらえる喜び。
愛してもらえる喜び。
起こるはずがないと諦めていた、結ばれる奇跡。
願わくばこれから俺達の歩む先に、少しでも多く希々の笑顔があるように。少しでも長く共にいられるように。
「希々…………」
俺は希々を抱きしめた。どちらからともなく、唇が重なる。
触れ合うだけで満たされて、胸がいっぱいになる。愛しい想いが込み上げる。
あぁ、俺は本当に希々のことが好きなんだ。愛してるんだ。そう実感した、何度目かの夜。
ふとカーテンの横に懐かしい写真が見えた。俺は二人きりでも結婚式を挙げたかったが、希々が誰かに見つかることを心配して嫌がったのだ。
『景ちゃんのことは私が守るの! 万が一にでも変な噂が立ったら困るから、ここは我慢して?』
希々の方に結婚式とかそういったものへの憧れがあるんじゃないかと思っていたが、そうでもなかったらしい。
『私、あんまり結婚式とかに憧れってないの。ずっと遠い世界のことだと思ってたから。……あ、でもウェディングドレスは着てみたかったな』
この時初めてウェディングフォトというものの存在を知り、それを生み出してくれた人間に心から感謝した。最愛の人の世界一美しい姿を隣で見られるだけでなく、一緒の姿を写真に残せる。
俺は希々が満足ならそれだけでいい。俺を世界一幸せな人間にしてくれる、最愛の人。俺が世界一幸せにしたい、最愛の人。
「希々、愛してる……」
「私も……」
二つの影が重なる。
窓の外。蒼い月が、静かに祝福するように淡い光を投げかけていた。
Fin.
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