3章
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*十一話:和解*
「……何でお前がここに居んねん」
いつになく苛立っている忍足に、俺はカードキーをかざして見せた。
「今朝造らせた。納期もへったくれもあったもんじゃねぇけどな」
「……さすが跡部財閥やな。金に物言わせれば、人のプライバシーも覗き放題っちゅうわけか?」
「俺はお前の家の前に立ってお前を待っていただけだ。プライバシーを侵害した覚えはねぇ」
清潔感のある社員寮はさながら高級マンションのような外観だった。この中に住んでいる人間は全員あの医大の関係者ということになる。
俺が単身ここに乗り込んで来ることまでは想像していなかったのだろう。ぴりぴりとした空気の中、忍足は素っ気なく言い放つ。
「……俺今から仕事やねん。そこ退けや」
「お前は今日は“特別な仕事”を任されて、臨時出張ってことになってる」
「……何やて?」
プルル、プルル、
忍足のスマホが鳴る。
忍足はディスプレイに表示された人物の名前を見るとすぐに通話ボタンを押した。
「はい、忍足です。…………はい、…………そう、なんですか。………………はい、わかりました」
恨めしそうな視線が刺さる。
忍足は通話を終えると長いため息をつき、家の鍵を開けた。
「……入れや」
「そうさせてもらう」
一人暮らしにはちょうどいい広さの部屋だろうか。ここに何度も希々は来ているのか、と一瞬ずれそうになった思考回路を元に戻す。今は嫉妬している場合ではない。
来客用に紅茶を取り出す忍足がどこか硬い声で問いかける。
「適当にその辺座りぃや。何か話しに来たんやろ?」
「いや、いい」
俺は立ったままその背を見据えた。
「気遣いには礼を言うが、単刀直入に聞く。お前、希々を脅してるよな?」
「…………何言うとるん?」
瞬時にその場が凍りついた。
俺は敵意を隠していない。忍足も適当にあしらえないと悟ったのか声に刺が混じる。
既に、座って落ち着いて話せる段階などとうに過ぎてしまっていた。忍足がこちらを向いたことで交差した視線が火花を散らす。
「勘違いすんな。希々は何も言ってねぇ。……だが俺にはそうとしか考えられねぇ」
希々は恐らく口止めされている。俺はまず彼女の潔白を伝えた。忍足もそこは理解しているのか数秒黙り込む。
やがて返されたのは答えではなく疑問だった。
「……なぁ跡部。お前自分がおかしいことほんまにわかっとるんか? 血ぃ繋がった姉なんやで?」
今さらすぎる問いかけに僅かな苛立ちが込み上げた。時間稼ぎに付き合うつもりはない。だが俺は言い争いに来たわけでもない。内心の憤りを抑え、冷静に答える。
「……俺がおかしいことなんざどうでもいい。好きに貶して好きに非難しろ。――俺は、愛しているはずの相手を毎日泣かせてるお前が、一体何を考えてやがるのか聞きに来たんだ」
忍足はややあって気まずそうに目を逸らした。
「…………俺と希々さんがどんな話してようとどんな関係になろうと、お前には関係あらへんやろ」
俺は一歩踏み出して、忍足の腕を掴む。
「忍足」
「……っ離せや」
「忍足」
「……っ!」
途端、それまで逃げ腰だった忍足が顔をこちらに向け、俺を睨んだ。
「……っ跡部は今も言えるんか!? 希々さんのためなら右腕を切り落とせるて!!」
忍足の目に宿るのは何故か嫉妬だった。希々と毎日一緒にいるのに、彼女に結婚すると言われているのに。
「……ああ。言える」
俺が冷静に返せば返すほど忍足は悔しそうに唇を噛む。
「俺は希々のためなら何でも捨てられる。目でも腕でも……命でもな」
「……っ!!」
忍足は俺の腕を振り払った。
「っ前にお前は俺が羨ましくて死にそうや言うたけどなぁ……っ! 俺からすれば逆や!! 希々さんから一番信頼されて一番好かれて選ばれて……っ!!」
こいつのこんなに切羽詰まった声を聞いたのは初めてだった。
「何でよりによってお前なん!? プロポーズできひん癖に、恋人になれへん癖に、それでも希々さんの中…………っお前でいっぱいやんか……っ!!」
叫びに近い、泣きそうな声だった。
「わかっとる……っ! 普通とちゃうからお前がそない覚悟できたってことも、だから希々さんに選ばれたってことも! ……っせやけど納得できひんのや!!」
「…………」
俺は何も言わずそれらを聞き続ける。
やがて忍足は自分の顔を隠すように俯いた。
「……跡部やって卑怯なこと数え切れんくらいしてきたやろ……! 希々さん手に入れられるなら、どない汚い手使てもええって思い……わかるやろ…………」
「…………ああ、わかる」
学生時代の刷り込みのキスに始まり、俺が姉を依存させるためにしてきた数々の策はきっと歪んでいた。間違っていた。深い愛情と同じくらいのどす黒い独占欲が俺を突き動かしていたと、自覚はしている。
俺の命続く限りは彼女の元にいるが、俺に頼りきりの希々は俺が死んだら一人で立てなくなってしまうかもしれない。
知っていた。知っていて、引きずり込んだ。
甘やかして、心の奥深くに根を張って、俺が居座る場所を作った。自立させないよう誘導した。本当なら姉貴は、榊翔吾や忍足と恋をしても何ら不思議はなかったのに。
俺は知っている。俺が全てを邪魔してきたと。
だから俺はその罪を償えと言われれば何だって差し出せる。
それでも。
何を失うとしても、俺は希々だけは譲れない。希々の隣にいる権利や触れることのできる立ち位置を他の野郎に奪われるくらいなら、死んだ方がましだ。
たとえ希々の未来を歪めてでも、俺は彼女が欲しかった。
「……わかるなら、素直に希々さんのこと手放してくれや……」
忍足は震える声を絞り出す。
俺は深呼吸してから口火を切った。
「……俺はお前の言う通り、卑怯だ。お前の気持ちも痛いほどわかる」
「…………」
「……けどな、忍足。お前もわかってるんだろ? こんなこと長くは続かない。希々と結婚したとしても、…………俺を守るためにお前と一緒になった希々を、お前は愛し続けられるのか?」
「……っ!」
忍足が目を見開いた。
俺は苦笑混じりに髪をかき上げる。
「……昨日、榊翔吾が家に来た。憔悴しきった希々を心配してな。……認めるのは癪だが、奴が家まで押しかけて来なければ俺は気付けなかったかもしれねぇ」
希々。
誰よりも長く共に過ごし、誰よりも愛したひと。
「榊翔吾は、姉貴がよく相談しているらしい“大事な人”ってのが誰なのかを俺に訊いてきた。……俺はその時、初めて知ったんだ」
俺は希々のためなら全てを捨てられると思っている。そしてそれは俺だけの勝手な、独りよがりな決意だと認識していた。しかし、違った。
「姉貴が一人で抱え込むのも自分を犠牲にしようとするのも、……理由はいつも同じだった」
彼女はずっと言っていた。私が景吾を守る、と。
自惚れなんかじゃない。希々が一人で悩むのも自分を犠牲にしようとするのも、いつだって理由は“俺のため”だった。
学生時代から変わらない。姉として俺を守ろうとする希々は頑固なまでに前だけ向いていた。
「忍足。どうせ俺と姉貴の関係をバラすとか何とか言ったんだろうが、無駄だぜ?」
俺の名前も腕も存在そのものさえ、この世でただ一人のためにある。
「跡部の力もコネも何を使ってでも……たとえ法に触れてでも、俺は希々の笑顔を守る。…………希々を泣かせてばっかのお前に“姉貴”はやれねぇ。諦めろ」
――――長い沈黙が流れた。
静寂を破って、忍足はソファに座り込んだ。
「はあー。…………ほんま、敵わん。こんなややこしい姉弟地球上で自分らだけやで」
「だろうな」
俺もくつくつ笑ってその場に腰を下ろした。
「景吾坊ちゃんをクッションに座らせてもうた」
「もう坊ちゃんじゃねぇよ。副代表だ」
「そうやったな。……国立大卒業も副代表も同時にやろうとしたんは希々さんのためか?」
座り心地が良いとは言えないクッションの上で、俺はようやく息を吐いた。
「そうだ。姉貴が頼れるくらい大人になりたかった。……強くなりたかった」
忍足が苦笑いを浮かべる。
「本気で人生全部、希々さんのために設計したんやな……」
俺にとっては当たり前のことだ。禁忌とされる茨の道を歩くなら、俺は希々の足下で棘の全てを受け止める。
「命より大事なもんも譲れねぇもんも、一つあればいい。……その一つのために俺は全てを懸ける」
忍足は少し寂しそうにふっと笑った。
「…………俺の負けや。今まで悪かった。……希々さんはもう俺に会いたないやろから、跡部から説明したって」
俺は口角をつり上げる。
「甘えるな。希々をなめんなよ? 今までのお礼だとか何とか言ってお前と話せるまでしつこく追いかけるだろうから、覚悟が決まったらしっかり向き合って自分で謝りやがれ」
ため息をついた忍足が「それにしても……」と顔を顰めた。
「恋敵や思っとった榊翔吾が余計なことして、結局二人して一番厄介な恋敵に負けるなんてどんな皮肉や」
俺は軽く吹き出した。
確かに榊翔吾と話さなければ俺は行動を起こせなかっただろう。忍足と和解することも希々の真意を知ることもできなかったに違いない。
「……まぁ、精々希々さん盗られへんよう気ぃ付けや」
言われるまでもない。俺は久しぶりに晴れやかな心持ちで片方の眉を上げてみせた。
「俺様を誰だと思ってんだ、あーん?」
「実の姉大好きな変態やろ」
「…………」
忍足が腹を抱えて爆笑した。
「…………」
若干心外ではあるが事実なので、俺は無言で忍足の家を後にしたのだった。