3章
夢小説設定
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*七話:そばにいて*
希々が、部屋に引きこもった。
あまりにも突然の事態に俺は戸惑ったが、少し一人にしてほしいと言われて渋々頷いた。
それでもさすがに、飯も食わず風呂にも入らず初めての有給を申請してきた時点で俺の心配は限度を越えた。
コンコン、
「……希々」
返事はない。しかし、部屋の鍵は開いていた。希々は俺に会いたくないわけではないらしい。どこかほっとしつつ、そっとドアを開けた。
「……希々?」
希々はベッドの上に座って、布団を肩に掛けたまま窓の向こうの夜空を眺めていた。
俺がゆっくり歩み寄っても、逃げようとはしない。
ひどく不安定なその横顔に、何か得体の知れない寒気がした。
「……希々……」
俺がベッドまでたどり着いて、布団ごと抱き締めても希々は身動き一つしなかった。
「……希々、何があった? 何か悩んでることでもあるのか?」
希々は光を失った瞳で、小さく告げた。
「私…………侑士くんと結婚する……」
「……………………は………………?」
希々の瞳から、つう、と涙が頬を伝った。
「景ちゃん…………大好きだよ。私、景ちゃんと一緒にいたいから…………侑士くんと婚約する」
「……意味がわからねぇ。一から説明しろ」
俺を見ずに、希々はただ静かに涙を流す。滑らかな頬を溢れ落ちるその雫は、月に照らされて宝石のように美しかった。
「……ごめんね。景ちゃんには言えないの。でも私…………侑士くんのものになる」
「……っ!」
声を荒げようとした瞬間だった。
「!?」
希々は俺に抱きついて、キスをした。触れるだけの長いキスに、希々の言いたいこと全てが込められている気がした。
以前のように、俺と“さよなら”するか“仲直り”するかと訊いても、恐らく彼女は動じない。答えがどちらだろうと、何の抵抗もなく何の感慨もなく、身体を差し出すんだろう。
「……景ちゃん、いつもの、言って?」
「…………希々、好きだ。何よりも、誰よりも、…………これからも永遠に、……愛してる」
泣きながら笑って、希々は言った。
「……景ちゃん、大好きだよ」
それが別れの合図に聞こえて、心臓が早鐘のように脈打つ。
「……希々、本当に何があった」
希々はゆっくり首を横に振る。
「…………景ちゃんは、翔吾さんからのプロポーズに迷う私に言ってくれた。どうすべきかじゃなくて、どうしたいかを考えろ、って。…………私は景ちゃんと一緒にいたい。景ちゃんの傍にいたい。だから…………侑士くんのものになる」
「希々、忍足に何を言われた?」
首を左右に振る希々に見付けた、いくつかのキスマーク。
今までなら嫉妬で理性の箍が外れてもおかしくなかったが、今日の希々の様子を見てそんな気分は微塵も湧いてこなかった。
ただひたすらに、胸の真ん中にぽっかりと穴が空いたような虚しさだけが去来する。
希々は、本気で何も言わないつもりだ。理由はわからない。知っているのは希々と忍足だけ、という事実しか情報はない。
「…………希々、俺には何ができる?」
希々は僅かに光を宿した瞳で、俺を見た。
「……そばに、いて。いっしょに、いつもどおり、いてほしい」
希々が言わないのなら、俺が忍足に話をつけるしかない。だがそれは明日以降にやるべきことだ。
今の俺が希々のためにできること。それを知りたかった。
希々は壊れそうな笑顔で、俺に抱き着いた。
「ぎゅってして、けいちゃん」
「……っ、わかった」
自分から抱き着いてきたくせに、弱々しい力しか込められていない。折れてしまわないよう、そっとその身体を抱き寄せた。
「けいちゃん…………あったかい」
「…………安心しろ。希々があいつを選んでも、心から笑えねぇなら全部ぶち壊してやる。俺が、あんたを守るから。……だから、安心して休め」
希々は儚い色気のある笑みを浮かべた後、糸が切れたように眠りに落ちた。
「…………あの野郎」
俺は希々を抱き締めながら、ぎり、と歯を食いしばった。
忍足が希々を好きなことは知っている。長いこと曖昧な関係だったことも知っている。それでもこんな風に泣かせるなんて許せるはずがない。
俺はもう、誰が敵でも容赦はしない。
希々を守るためなら、何だってする。
頬を撫でる風とは対照的に、俺の胸には熱い炎が滾っていた。