3章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*五話:あわよくば*
お試し恋人をやめても、希々さんは相談事があるたび俺の家に来てくれた。誰にも聞かれないから都合がいい、ということは理解している。
しかし俺はこの日、自宅で途方に暮れるという初体験をした。
「……何があってん」
いつか会った希々さんの大学時代の友人さんが、千鳥足の希々さんを支えながらドアの前にいた。この時の俺の衝撃がわかるだろうか。
「久しぶりだね、えーと……オシタリくん?」
「あ……いや、その……お久しぶりです」
「見ての通り、希々ったら同期会で飲みすぎちゃってさ」
頭は混乱の極みだが、いくら希々さんが華奢とは言え、女性一人で支えるのは大変そうに見える。俺は友人さんの代わりに希々さんの肩を支えながら尋ねた。
「何で俺ん家来たんですか? 希々さん、自宅に帰れば良かったんとちゃいます?」
すると友人さんは、苦笑した。
「迎えに来てくれそうなのも自宅に居るのも弟くんだけだって言うからさ。彼氏いないのは知ってたけど、『他にちゃんと介抱してくれそうな人いないの?』って聞いたらキミの名前が出て来て」
「…………」
跡部はこの事を知らないに違いない。そしてこの人も、跡部と希々さんの関係を世の中の姉弟と同じだと考えているのだろう。なるほど確かに。自身に置き換えれば、この人の考えはすんなりわかった。
俺なら姉貴が酔っ払ったから迎えに来いと言われても、正直面倒だ。迎えに行ったとしてもその後の介抱など絶対にしないだろう。一般的な姉弟の距離感なんて、そんなものだ。
これだけ酔っている希々さんをどうするか。友人として、一人で放っておくことも頼りにならない弟に任せることもできない。介抱まで任せられる人となると、家族以外でそこそこいい雰囲気だった俺になるわけか。嬉しいような後ろめたいような、複雑な気分だった。
「希々、ほら、オシタリくんとこ来たよ」
希々さんはふらふらしながら、舌足らずに訴えた。
「ゆーしくんは、めいわくかけちゃうから、けいちゃんよぶのー!」
友人さんは呆れたようにため息をついた。
「けいちゃんって弟くんでしょ? こんなめんどくさいあんたの面倒見てくれるわけないでしょうが」
希々さんは俺に身体を預けたまま、むぅ、と頬を膨らませた。
「あいのばかー! けいちゃんはすごいんだからね!」
友人さん――あいさんは、肩を竦めた。やたら可愛い酔い方をしている希々さんを放置し、俺を見上げる。
「……いつもはこんな飲み方しないんだけどね。とりあえず、酔いが覚めるまで面倒見てもらえるかな? あたしこの後仕事があって、すぐ会社行かないといけないんだ。オシタリくんも迷惑だったら、まぁ仕方ないからもう一人の名前の人のとこ連れてくけど」
「! いや、任せてください! 俺が預かります! ……ちなみにもう一人って、…………翔吾さん、って人ですか?」
あいさんは目を丸くした。
「そう! 何、二人とも知り合いだったの? だったら希々のことは男性陣二人に任せて大丈夫そうね」
あいさんは希々さんから手を離し、悪戯っぽく微笑んだ。
「この機会に落とせるといいね、オシタリくん」
「!? ゲホッ、」
思わず噎せた。……この年上の女性には、未だ消えない俺の想いなどとうにお見通しだったらしい。
「大学まで来た根性、正直感心したもん。キミになら希々を預けてもいい、って思えたから」
「…………ありがとう、ございます」
あいさんは快活に笑って、
「じゃあ、希々のことよろしくね!」
と言って去って行った。
残されたのはふにゃふにゃ笑う希々さんと、棒立ちの俺。
まずは酔いを覚ましてもらわなければならない。俺は玄関のドアを閉めて、希々さんをいつも話しているソファまで運んだ。
「けいちゃんー、ごめんね、飲みすぎちゃったよー」
目を閉じたまま、俺に身体を預けてくたりと微笑む。この人は、俺を跡部だと思っている。胸が、軋んだ。
「…………希々さん、水飲んで。はよ酔い覚まして」
「うごけないー……」
希々さんは眠りかけたのか、かくっ、と体勢を崩した。
「っ!」
抱きとめて、近くで香るいい匂いに息が止まった。
シャラ、という小さな音と共に揺れるネックレス。跡部が贈ったというそのネックレスは、今思えば常に彼女の首にあった。
それは、お守りとして?
単に気に入ったから?
それとも――――。
「けいちゃ、――」
跡部の名前を呼ぼうとした希々さんの唇を塞ぐ。うっすら目を開いた希々さんは、まだ俺が誰だかわかっていないようだった。
「……ふふ。けいちゃん、ちゅうしてー?」
「…………ええですよ。けど、後悔せんでくださいね」
ここで立ち止まる選択肢は、俺の中になかった。
不安定な姿勢の希々さんをソファに押し倒し、キスを深める。
「ん…………」
拒絶されるかと思いつつ唇を割って舌を差し入れたが、彼女は慣れた様子だった。
「……っ!」
こんなことを跡部と毎日しているのかと想像した途端、苦しくなる。燃え上がる嫉妬につい身を任せたくなってしまう。
……でも俺はあの時決めた。
どれだけ長くかかっても構わない。ようやく見せてくれた心の隙は、必ず広がる。
お試し恋人でなくなっても、跡部のことを相談できるのは俺だけ。俺はできる限り希々さんの心に寄り添って、変わらない想いを伝えてきた。
時間の流れは、緩やかにだが確実に俺への信頼を深めてきたはずだ。
それが今、証明できる。
「……希々さん、起きて」
「んー…………」
「……希々さん」
耳元で何度も名前を呼び、吐息を吹き込む。
「……希々さん、はよ起きて。目覚まして。俺は跡部やない。侑士……忍足侑士や」
「ゆ……うし、くん…………?」
その名前に反応して、希々さんの瞳がうっすら開く。
「…………希々さん、ここがどこかわかります?」
希々さんは相変わらずふにゃりと笑う。
「ゆーしくんの匂いだ……ふふ。あんしんするー」
「……そりゃあ嬉しいです。ここ、俺ん家です。あいさんに担がれてきたこと、覚えてはります?」
希々さんは再び目を閉じてしまった。体温を求めるように、俺に身体を擦り寄せながら。
「あい……ゆーしくんはめいわくかけちゃうって、いったのに……」
「……何言うてるんですか。俺…………酔った希々さんに会うの、初めてなんです。……あいさんには、感謝せなあかんですね」
跡部はこと酒に関しては、自分のいない所では希々さんに徹底して飲ませなかった。俺が酔った希々さんと二人きりになるのは、これが初めてだ。
いつもの凛とした姿とは違う。全身で甘えてくる様子が心を鷲掴みにする。
「……希々さん、はよ酔い覚まさへんと。帰り遅くなってまう」
俺は必要な台詞を連ねた。どのみち彼女に届いていないとわかった上で、最低限の義務は果たしておく。
「ゆーしくん…………」
首筋に頬ずりされて、口づけられる。
「ねむいのー……もすこし、だけ…………ぎゅってして……?」
「……っ! わかり、ました」
自分で経験して初めてわかった。跡部はこの誘惑に一人耐え続けていたのか。まさに生殺しだ。あいつ、実はマゾだったんちゃうか。
抱きしめる腕に力を込めると、すーすーと寝息が聞こえ始めた。
絆されかけて、いや、あかんと自分を叱咤した。愛しい人を抱きしめて眠れるのは嬉しいが、このままでは何一つ事態が動かない。
俺は希々さんの額に、瞼に、頬に、唇に、首筋に、鎖骨に、肩に、ゆっくり口づけた。
「んっ……くすぐった……ぃ」
意識が浮上した希々さんの頬に手を滑らせ、ゆっくり唇を奪った。
「、…………?」
啄む様に数回繰り返して、甘い咥内に侵入する。怖がらせたくなくてずっとできなかった深いキスに、体温も心拍数も上がっていく。
「ん、…………ぁ、ん……」
酔っている希々さんは、俺のキスに応えてくれる。舌先をちろちろと悪戯に擦り合わせると、くすぐったそうに笑う。
とろんとした瞳が潤んで俺を誘う。
「けいちゃ…………ゆーし、くん……?」
俺が誰だかわかっているのかいないのか、希々さんは熱い吐息混じりに自分から口づけてきた。
「……っ!」
理性は働いていても、本能は制御できない。
頭がくらくらする。眼鏡が外される。
妖艶に笑む眼前のひとから目を逸らせない。
「わたしの……もの?」
細い指先が焦らすように身体を滑っていく。
もう、この人のものになりたい。好きなようにしてほしい。滅茶苦茶にしてほしい。
「……っ俺……っ!」
この人を好きなようにしたい。滅茶苦茶にしたい。俺のものにしたい。
俺まで酒に酔っているように、思考がぐらつく。
しかし次の瞬間、
「……嘘やろ」
今度こそ希々さんは寝落ちてしまった。文字通り無防備に、警戒心の欠片もなく。
「…………はー…………」
俺は深いため息をついて彼女の上から退いた。
甘えてくっ付いて色気を振り撒く。これは跡部が見せたくないわけだ、と嫌という程理解できた。
あわよくば、と思わなかったわけではない。ただ、こんなにも信頼されているのに手を出すなんてことは俺にはできなかった。
「ほんま、……難儀な人やね」
何故跡部のいない所でこんなになるまで酒を飲んだのか、問題はそこだ。希々さんが起きたらそれを聞こうと心に決め、俺は頭を冷やすべく洗面台へ向かったのだった。