1章
夢小説設定
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*五話:理解*
跡部がいろんな子と付き合っては別れているのは知っていた。中学の頃からだ。
この件が希々さんにバレれば、彼女は傷付くだろう。自分の弟がとんでもない女たらしになっているなんて、恋愛のこともまだよくわかっていない彼女は、きっと大きなショックを受けるに違いない。
そもそも跡部がこんなことをやめればいいのだ。跡部に落とせない女子がいるとも思えない。
俺は何度も言った。
『お前、もうそういうんやめろや』
『何のことだ』
『女取っかえ引っ変えすることに決まっとるやろ』
しかし跡部は、同じ言葉ばかり返した。
『またその話か。お前には関係ない』
『俺には確かに関係ないけどな。希々さんはこれ知っとるん? 俺には関係なくても、俺の好きな人に関係あるなら口出すで、俺は』
跡部はこの時だけ、僅かに黙った。
『……姉貴は、知らない』
『知られたらどないすんねん。弟がこんな荒れた付き合いしてる知ったら、希々さん悲しむことくらいわかるやろ?』
『…………好きな奴に好きだと言えるお前が羨ましいぜ』
どういう意味か、当時はわからなかった。
わかったのは、今。
希々さんと跡部の昨夜のやり取りを聞いて、初めて俺は理解した。
凡そ神に愛されたかのように全てを持って生まれた跡部が、唯一“好きだ”と言えない相手。唯一落とせない女子。
選択肢から抜け落ちていた、誰よりも近しい人。
***
跡部の性格上、希々さんを傷付けた後悔に苛まれたまま授業に出るとは考えにくい。誰も来ないあの生徒会室に残っているだろう。
会長席から見えるのは、理科室の入口。
跡部が荒れている理由が希々さんならなおのこと、跡部にこの人は渡せない。諦めてもらうしかない。
俺は抱きしめる腕に力を込めて、愛しい人の耳元で三年越しの想いを口にした。
「……好きや。ずっと好きやった……希々さん」
ちらりと視線を遠くの生徒会室に向ければ、跡部の見開かれた目と目が合って、すぐに逸らされた。そのままカーテンが閉められて、俺の意図は伝わったと把握する。
それよりも今は、腕の中で固まっているこの可愛い人をどうにかしなければ。
俺は体を離して、希々さんの目を覗き込んだ。
「……好きや」
瞬きをする人形と化した希々さんに、思わず笑ってしまう。
「希々さん、夢やないから。俺、告白してん」
そう告げると、ようやく希々さんは動き始めた。手を上下させ、目を泳がせ、距離を取ろうとする。
そうはさせへん。
俺は希々さんの肩に手を置いて、逃げるのを阻止した。
「あ、ああああの、わ、わたし、誰かを好きになったこと、ないから……っ」
「知っとる。でも…………付き合うとるうちに好きになるかもしれへん、やろ?」
「えぇええ!? そ、そうなの?」
そうだ、なんて嘘をついてもよかったが、そこはやはり惚れた弱みか。俺は苦笑した。
「わからん。そういう人も世の中にはいるらしいけど、希々さんがそうかはわからん」
「え、…………うん、え?」
どうやったら、意識してもらえるだろう。子供の俺でも。
考えてもわからないから、俺はひたすら言いたかったことを伝えることにした。
「ずっとずっと、好きやった。希々さんのこと。せやから勉強教わりに行ったし、ほんまは卒業式の日に告白するつもりやったんです」
「そ、そう、なんだ……?」
何故か疑問形だ。
希々さんは困ったように俺を見る。
その頬を赤くするには、どうしたらいい。
「あ、の…………私、ずっとずっと、疑問だったんだけど…………お、忍足くんに、聞いてもいい…………?」
「……おん」
「……私のことを好きって言ってくれる人はみんな、私の見かけが好きなの?」
「――……」
何となく、わかった。希々さんが告白されても、困る理由。
希々さんは一生懸命言葉を選んで、繋げる。
「私、お父さんもお母さんも綺麗な人だって、ちゃんとわかってる。景ちゃんも綺麗だってわかる。だからたぶん、私も綺麗なんだと思うの」
「…………おん」
「綺麗なものを好きになるのはおかしいことじゃなくて、だから、好きって言ってもらえるのは嬉しい……と、思う、んだけど、ね」
恐らく初めて、希々さんは恋愛感情と向き合おうとしている。その相手に自分がなれた喜びに、背筋が震えた。
「ものを好きになるのと、人を好きになるのは、違う……よね?」
「……そうやね」
「……例えばね、整形手術すれば、みんな綺麗になれると思うの。芸能人もしてるし、お父さんの取引先にも、そういう人がいる」
希々さんは祈るように腕を組んで、目を閉じた。
「綺麗になりたい、必要とされたい、愛されたい。そのために努力する人たちを、私は尊敬する。私は……運良く、生まれたときから綺麗をもらえただけだから」
でも、と彼女は続けた。
「綺麗な人が好きなら、芸能人を好きになればいい。みんなが私を好きだって言うのは、……私が手近な存在だからじゃないの?」
「…………」
「別に、いいの。私が誰かを好きになったことがないのは事実だから、誰かを責めようとも思ってないし、怒ってもいない。……でも、もし忍足くんの“好き”が……その、綺麗なものとしての好きじゃなくて、人としての“好き”なら…………忍足くんは、私のどこが好きなの……?」
それはきっと、長い間彼女の中で燻っていた疑問。どうして好意をもらえるのかわからなくて、迷って、困惑して。
俺はそれを理解して、余計に愛しさが募った。優しいこの人は、誰かを傷付けたくないんだ。責めたくないんだ。
だから誰も選ばなかった。
「……希々さんの声が好きです」
後から後から、溢れてくる想い。
「ふわ、って笑い方も。悪戯っぽい笑い方も。細い指も、耳の黒子も」
もう、止まれない。
「柔らかい髪も、俺を見て細めてくれるこの目も」
髪に触れる。頬に手を滑らせる。
「毎日俺に勉強教えてくれる優しいとこも。俺を見つけると名前呼んでくれるとこも。俺に笑いかけてくれるとこも」
小さな唇にそっと親指を当てて。
「俺を甘えさせてくれるとこも。……跡部の代わりに泣くとこも」
好きで好きで、せつなくなるくらい。
「希々さんの全部が、好きです。もし見かけが変わっても声が変わっても、俺、希々さんが……一人の女性として好きや」
眼鏡を外して、ブレザーのポケットに引っ掛けた。どのみち伊達だから、視界に変化はない。
ただ、この人の仕草全部を直接網膜に焼き付けたかった。
「中2の時から、ずっと好きでした。希々さんにとって、俺は子供かもしれへん。でも、本気で好きなんや。……好きで好きで、もう、どうしようもないんです」
瞬間。
希々さんが、真っ赤になった。
「あ、え……あれ、え……?」
「……っ!」
頬に手を当てて熱を冷まそうとする姿は可愛すぎて、俺は衝動的にもう一度抱き寄せた。
「忍足く、」
「俺、休日も希々さんに会いたい。毎日だって声が聞きたい。好きや」
希々さんは初めて本気で抵抗した。部活で鍛えている俺には全くきかないが、離れようと身をよじる。
「は、離して……!」
「なんで? 希々さん、よくこうして俺もジローも抱きしめてくれたやろ?」
「それは……っ、」
一人で言い訳をしながら何度も首を振る希々さんは、俺の自惚れでなければ――初めて、異性を意識したんじゃないだろうか。
「俺は弟みたいな存在やて、前言うてくれましたやん。なんでそないに――」
ばっ、と離して潤んだ瞳を見つめる。
「真っ赤なん?」
「わ……っ私にも、わからないよ……っ! だって、忍足くん、が……」
「俺が?」
「…………っ」
このままでは泣かせてしまう。俺は希々さんの右手を取って、自分の心臓辺りに当てた。
「……俺の心臓、めっちゃ速いのわかります?」
「、あ……」
「……これが、俺の“好き”や。…………希々さん、好きです」
見開かれた綺麗な瞳に、俺が映る。
戸惑いから一筋零れた涙を拭って、俺は微笑んだ。
「付き合ってくれ、とはまだ言わんときます。せやけど、お願いが一個あるんです」
「……なに…………?」
「侑士、って呼んでください」
希々さんは口を開いては閉じ、開いては閉じ、やがて小さく呟いた。
「侑士、くん…………」
「……おん。俺、もう遠慮せぇへんから。希々さん、連絡先教えて?」
「え……あ、わ、わかった」
流れのままに連絡先を交換して、俺はほくそ笑む。今まで跡部に邪魔されてLINEも交換できなかった。
しかしもう、これで俺は跡部に一々お伺いを立てなくても彼女をデートに誘える。
「希々さん……今週の日曜、空いてはります?」
「あ、空いてる、けど……」
「じゃあ、デートしてください」
押しに弱いのに、変なところで律儀な希々さんは眉を寄せた。
「土曜日試合でしょ? 次の日くらいちゃんと休んだ方がいいんじゃ……」
「俺が、会いたいんです。家で休んでるより、希々さんと居る方がいい。…………あかん、ですか?」
嫌だ、なんて言われるわけない。わかった上で俺は訊く。
案の定縦に振られた首に、心が満たされた。