3章
夢小説設定
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*一話:譲れない愛*
あのすれ違いから約2年が経った。希々はあれからすぐに忍足と榊翔吾とのお試し恋人をやめた。やっぱり景ちゃんの傍が一番落ち着く、などという無自覚の殺し文句を残して。
しかし恋人であろうがなかろうが、奴等は希々にキスをしているんだろう。希々が拒絶しない限りそうなることは火を見るより明らかだし、そもそも希々は流されやすい。俺としては奴等が勝手に希々を諦めてくれることが一番なのだが、何せ諦めの悪い奴と諦めの悪そうな奴だ。
希々に俺以外の男が触れると考えただけで舌打ちしたくなるものの、希々が求めるのは俺のキスだという自信はあった。だから俺は奴等を敢えて牽制しなかった。
希々は奴等に迫られるたび、流されては罪悪感に苛まれる。本来俺に後ろめたさなんて感じる必要はないのに、どこか自分の中で消化しきれないものがあるのだろう。
お試し恋人の件でわかった。何かあっても、一人で抱えきれなくなった希々は最終的に俺に心の全てを打ち明ける。そのたび俺は希々の心の奥深くまで入り込める。
「…………希々」
腕の中、無防備に晒された寝顔を眺めた。
今日は俺の部屋で散々キスをした後、寝落ちた彼女を抱きしめている。滑らかな頬に触れれば愛おしさに胸が詰まった。
「……俺は、歪んでるよな。卑怯だよな」
愛する人を同情で繋ぎ止め、刷り込みの口づけを利用し――それでも思っている。
倫理も道徳も常識も、何もかもかなぐり捨ててやる。希々に選ばれるためなら何でもする。善人で在ろうとして本当に欲しいものがすり抜けていくくらいなら、俺は悪人でいい。誰にどれだけ罵られ、蔑まれ、疎まれても構わない。
俺にとっての価値観の基準は希々の笑顔だ。希々の幸せだ。……ただし、それを希々に与えられる人間が出てきたとしても俺は希々を譲らない。俺より希々のことを知っていて俺より希々のことを愛している人間など、この世に存在しないからだ。
俺の人生そのものとも言える、命を懸けたこの恋。この愛。
もう、誰にも譲るつもりはない。
「…………」
目の端に映る、廃棄した見合い写真の山。一々確認などしていない。俺へのものも希々へのものも、必要ない。
本当は、何度か考えた。俺が誰かと結婚して希々を解放してやれたら、希々を間接的にではあるが幸せにしてやれるんじゃないかと。
だがそんな考えは2年前の希々の言葉で吹き飛んだ。
『わたしが、景ちゃんを幸せにするの! 景ちゃんが幸せってことば、いっぱい言えるようにがんばるの! ほかのひとと幸せになるなんて言っちゃやだ!』
酔って若干呂律の怪しい言い回し。だからこそ希々の本音だとわかった。
希々が俺を幸せにしたいと思っていてくれるのなら、俺は他の女など見ている場合ではない。俺の幸せは希々の隣にしかないからだ。
俺だって、あんたを間接的に幸せにしたいんじゃない。直接俺の手で幸せにしてやりたいんだ。叶うなら、二人で幸せだと笑い合いたいんだ。
俺は自分の縁談相手の写真は見なかったが、希々の縁談用に送られてくる写真には全て目を通していた。確認しては俺よりいい男でないことに安堵していた。
「…………ごめんな」
歪んだ愛の鎖は、希々から引導を渡されない限り、彼女を縛り続けるだろう。俺に解くことはできない。愛しさも切なさも、時が経つごとにむしろ深くなっていく。
俺は希々に、何をしてやれるんだろう。弟、でしかない俺は。
ふとそんなことを思っていたら希々がうっすら目を開けた。
「け……ちゃ……?」
「……まだ夜中だ。寝てろ」
髪を撫でてやるとゆっくり瞳が閉じていく。と思いきや、希々は無理矢理目を開いた。
「けいちゃんが起きてるなら私も起きる!」
どんな理屈だ。
希々は俺にきゅっと抱き着いて、首筋に鼻先を寄せた。
「景ちゃんの匂い、いつもよりバニラっぽい……」
「何も付けてねぇけどな」
「……じゃあ気のせいだね」
と言いながら、希々は首筋ですんすん俺の匂いをかぐ。ここ2年で変わったことと言えば、希々の匂いフェチの対象が俺にも及ぶようになったことか。
やがて希々は俺の首に口づけて甘えた声でねだった。
「…………付けても、いい……?」
俺が断るなんて有り得ないとわかっていて訊くこの姉は最早小悪魔だ。
俺は頷いて両手を希々の背中に回した。
希々の舌が、ちろちろと首筋を擽る。今日は何処に付けたいのか。最近希々は俺にキスマークを付けたがる。しかも一度付けたところに何度も付け直す。肌の薄く敏感な場所を吸われて舐められて食まれて、それを繰り返される。
もちろん嫌ではないが、希々から何かアクションを起こされると俺も欲を解放したくなってくるので、止めるべきか迷うところではある。
「……景ちゃんがキスマーク付ける理由、ちょっとわかったかも」
今日の分は充足感を得たのか、希々は俺の胸に頬を押し付けて微かに笑った。
「これ、口寂しい時に気持ちいい……」
口寂しかったらしい。希々の思考なんてそんなものだ。深い意図などないとわかっている俺は、苦笑した。
「俺の理由とは違ぇな」
「え、そうなの?」
数時間前あれだけキスしたのに、足りない。深夜だというのに、声を聞くだけで全神経が愛する人を求めてしまう。
俺は希々を抱き寄せて、その唇を塞いだ。
「ん…………」
触れ合うだけで満たされる。人体の構造なんて大して違いはないはずだが、希々の唇は柔らかくて溶けてしまいそうだった。
しばらく動かず、そっと角度を変えて再び口づける。時が止まったかのような、幸せすぎる時間。
惜しいと思いつつ、とろんとした姉の瞳を見て、耳元で囁いた。
「口寂しくなくなったか?」
「ん……」
今度は希々が背伸びをして、俺の唇を塞ぐ。
腰に手を回したまま満足するまで待ってやると、希々はふにゃりと笑った。
「……寂しくなくなった」
右手だけ持ち上げて、柔らかく髪を撫でた。心地好さそうに細められた綺麗な瞳は、どことなく猫を彷彿とさせる。
「今日は何だって、寂しくなったんだ?」
「景ちゃんが知らない女の子と歩いて行っちゃう夢見たから……」
可愛すぎる台詞に、俺は腕の力を強めた。
「……そりゃあ絶対に正夢にはならねぇ夢だな」
「…………ほんとに?」
「俺の気持ちは死ぬまで変わらねぇ」
希々が不安になるたび何度でも、希々以外を愛するつもりはないと伝える。俺にできる、永遠への唯一の証明。
「俺は希々のもんだし、一生あんたの傍にいるし、姉貴のことが誰より何より好きだ」
髪を撫でるついでに柔らかな頬に手を滑らせた。
「不安になるたび、こうやって教えてくれ。俺は何度でも言う。何度でも誓う。……言ったろ? 俺の愛が信じられねぇなら、一生かけて信じさせてやる、って」
「景、ちゃん……」
俺は、希々を不安にさせないために最善の努力を尽くす。この決意は、何年経っても揺らいだことはない。
「……俺は希々のもんだから、キスマーク付けられて嬉しいけどな。まさか口寂しいとかいう理由で、忍足やあいつにまでこんなことしてねぇだろうな」
希々がくすくす笑う。
「してないよ」
「…………自分からキスしたりもしてねぇだろうな」
希々は悪戯っぽく俺を見上げた。
「してたらどうするの?」
「、」
流されてキスを拒めないのは百歩譲って諦める。しかし希々が自ら望んであいつらにキスをすると考えた途端、言葉が出てこなくなった。
結果、
「……………………凹む」
という何とも情けない本音しか返せなかった。
すると希々は身動ぎし、俺の頭を優しく抱きしめた。
「私が自分からするのは、景ちゃんだけだよ」
「――――……っ」
その答えだけで、何もかも報われたような気分になる。
悲しみも喜びも俺の全てを持っているのは、今も昔も希々なのだと改めて実感させられた。