2章
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*最終話:もしもこれが運命なら*
私の涙はわりとすぐに引っ込んだ。
ベッドの上、膝立ちになって、綺麗な涙を流す景吾の頭を抱きしめる。酔いは何処かに飛んでいた。
「……ごめんね。景吾が全部わかった上で私を自由にしてくれてること……私、知ってた。知ってて、侑士くんと翔吾さんに会ってた」
景吾はぐす、と鼻声で答える。
「んなこと知ってる」
「……私、二人と今、お試しで恋人になってるの」
「恋人なんてお試しでなるもんじゃねぇだろ」
さらさらした景吾の髪を撫でながら、自分とは違うシャンプーの香りを吸い込んだ。
「……恋人、になってみたら、“好き”って気持ちが理解できるかと思ったの」
「…………」
「二人とも、キス、だって嫌じゃない人だった。一緒にいたい人だった。大事な人だった。……でも、私が今“好き”を知りたい理由は、景吾の気持ちを理解してあげたいからだって、わかったの」
「!」
腕の中の景吾がぴくりと震える。
「……ごめんね。やっぱり、わからないままだった。景吾が切ない顔をする理由、私じゃわかってあげられなかった」
「んなこと、」
「だけどね」
私は景吾の言葉をそっと遮る。
「私の気持ち、前と少しだけ変わったことを伝えたい」
怯えたように逃げようとする大きな背中を、全身で抱き締める。
「私は景ちゃんと、離れたくない。ぎゅってしたい。一緒にいたい。……景ちゃんのこと、大好きだよ。愛とか恋とかわかってなくても、…………私の幸せだって、景ちゃんの隣にあるの」
景吾の身体が硬直した。
「…………私、景吾が『幸せ』って口にするたび、胸がぎゅってなって泣きたくなるの。私が幸せにしてあげたいって思うの。景ちゃんが私を愛してくれるように、私は景ちゃんを幸せにしたいって思うの」
「、……」
強ばった景吾の背中を撫でて、髪を梳く。景吾がいつもしてくれているみたいに。もらったものを返したい、という気持ちは、同情とか愛情とかとは関係のない、感謝だ。
「……きっと翔吾さんは、私じゃない誰かを自分で見つけて幸せになれると思う。侑士くんも……お医者さんになる夢を叶えて、看護婦さんのいっぱいいる病院で働くようになったら、いつか私じゃない誰かを見つけて幸せになってくれると思う」
私は、翔吾さんにも侑士くんにも、幸せになってほしい。大切な人だから、幸せになってほしいと心から思っている。だけど、相手は私じゃなくてもいい。
「景ちゃんにも、幸せになってほしい。幸せになってくれるなら、相手は私じゃなくてもいい。だけど…………」
私は苦笑した。
「……景ちゃんは、本当に私じゃないと、幸せになってくれそうにないから」
言い終わるか否かという時、温かな景吾の手が背に回された。大きな両手が、縋り付くように抱き締め返してくる。
いつかの夜と逆だと思いながら、私は精一杯の力でぎゅっと景吾を抱きしめた。窓からの柔らかな月光が私達を包む。
「……っ俺、は、…………希々じゃないと、駄目だ」
「うん。知ってる」
「…………本当は俺以外と……キス、しないでほしい」
「……ごめんね」
景吾は小さく息を吸って微かに笑った。
「…………知ってた。流されやすい希々のことだからな。怒ってるわけじゃない。……これは俺の、ただの我儘だ」
でも、と景吾は続けた。
「…………頼むから、誰かのものにはならないでほしい…………」
私はそっと目を閉じて、景ちゃんの香りに包まれる。
「……前に景ちゃん、俺のものになれって言ったのに?」
「そんなこと言ってねぇ。俺のもんになる覚悟を決めろ、って言ったんだよ」
「えぇえ、違いがわからない……」
景吾が言い淀んでから、掠れた声で呟いた。
「…………俺は希々に、プロポーズ、できねぇから…………」
「――――」
プロポーズ。結婚。確かにそれは、自分を相手のものにする、ということだ。同時に、相手を自分のものにする、ということ。紙面上の話ではなく、契約によって法的に“誰かのもの”になるということ。
「……景ちゃん、私がプロポーズされること心配してたの?」
「…………」
沈黙が肯定を返してきた。
「あのね、私まだ23歳だよ? 結婚なんて考えられないよ。私にプロポーズするような物好きなんて、心配しなくても景ちゃんくらいだよ」
「…………今はそんなこと言ってても、希々は30近くなったら結婚したいって言い出すんだ。俺じゃねぇ奴を探して選んで婚活パーティーとか行き出すんだ」
最早被害妄想だ。でも景ちゃんの声は本気で不安そうだった。
「何日後か、何年後か、わからねぇ。どうせ希々は…………あいつとか忍足とかと結婚してぇって言い出すんだ。早くしねぇと嫁の貰い手がなくなるとか言い出すんだ。俺は遅かれ早かれ希々に捨てられ、――――」
泣き顔を見られないようにしている景吾には申し訳ないけれど、私は無理矢理景吾の顔を上げさせて唇を重ねた。
どちらのものかわからない塩っぱい雫が、冷たい。
そっと唇を離すと、景ちゃんはびっくりした顔で私を見ていた。何もかも、3年前とは真逆なことに笑ってしまう。
「……景ちゃんは、ばかだなぁ」
景ちゃんの頭を撫でて、微笑む。
「景ちゃんは、誰とも結婚しないんでしょ? だったら私が焦る必要ないじゃない。おじいちゃんおばあちゃんになっても、……景吾が傍にいてくれるなら寂しくないもん」
「――、」
「今の私のことは、今の私にしかわからない。30歳の私のことは、30歳の私にしかわからない。でも私は…………何年経っても、景ちゃんのことが大好きだと思う」
結婚したら、ハッピーエンド。そんな簡単に人生が語れるなら、誰も苦労はしない。
好きではない誰かとでも、結婚したら世間的には幸せに見えるのかもしれない。両親を安心させてあげられるし、友達に置いて行かれる不安もなくなる。社会のどこかに属せた気がして安心できる。だけどそれは、一時的なものだ。安心と幸せは似ているけれど、安心は不安と紙一重で、永遠には続かない。
「私は…………」
私は、幸せになりたい。
安心を手にしたいんじゃなくて、心から幸せになりたい。そのために必要なのは何なのか。誰なのか。
景ちゃんのあの夜の言葉が、胸をよぎる。
『俺は正しくなくてもいいから、幸せになりたい。それには姉貴がいねぇと駄目なんだ』
「……私も、幸せになりたい。でもそれには、景ちゃんがいないと駄目なんだよ」
翔吾さんと一緒にいられても、侑士くんと一緒にいられても、そこに景ちゃんがいないなら、私は心から笑えない。
「……景ちゃんは、私に景ちゃんをくれた。私はまだ答えなんてわからないけど、景ちゃんを幸せにしたい。景ちゃんの隣にいたい。……それが今の私の、幸せだよ」
人間なんて皆エゴイストだ。私は私の意志で人生を選択すると決めたから。
「それとも、景ちゃんの気持ちは変わっちゃったの?」
瞬間、強く抱き締められた。
「……俺が、変わるわけねぇだろ。俺はあんたのもんだし、俺には姉貴より大事なものなんて存在しねぇ」
「景ちゃ、――」
唇が塞がれる。時間が止まる。触れ合うだけの唇から、温かい想いが流れてくる。
「――愛してる。誰よりも、何よりも。好きで好きでどうしようもねぇくらい……愛してる」
こんなに深い愛、他の誰が知っているんだろう。
景吾はいつの間にかいつもの景ちゃんに戻っていて、偉そうな物言いが降ってくる。
「俺を捨てねぇっつったの、聞いたからな」
「うん。捨てないよ」
「捨てても戻ってくるからな」
「ふふ。捨てないってば」
――もしかしたら。
もしかしたら、血が繋がっていたからこそ、こんなにも愛について考えられたのかもしれない。
恋愛感情のわからない私が、景ちゃんの姉だったことも運命なら。
「…………景ちゃんとずっと一緒にいられるなら、私、……好きな人なんてできなくてもじゅうぶん幸せ」
「……じゃあ俺は希々が幸せでいられるように、精々傍にいさせてもらうぜ? 嫌という程な」
「それ、いつもと変わらないじゃない」
笑いながら、そっと抱きしめ合う。
「……大好きだよ、景ちゃん」
「……好きだ。愛してる、希々」
ずっと、誰かを好きになる気持ちがわからなかった。怖かった。辛かった。他の人と違うことが。
だけど、それが私だから。
もう、周りと自分を比べるのはやめよう。
こんな私でも愛してくれる人がいるなら。
こんな私を愛してくれる人がいるなら。
そんな運命も、悪くないかもしれないと思えたから。
*社会人編完*
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