2章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*二十九話:意地悪*
「翔吾さ、っん……っ!」
あれから俺は、希々に言った通り今までと同じように接してきた。ただし、兄のようにではない。もう、隠す必要のない想いに正直に。俺の方からも会いたいと口にするようになった。キスをするようになった。
俺は希々に、“俺を従兄弟の兄のように思っていい”と言った。しかし俺の方が彼女をどう思いどう接するかまでは、敢えて明言せずにおいた。嘘は一つもついていない。
甘味処の個室は、誰にも見られず彼女を独占できる。パフェを一口くれ、と言ってその手を引き、口づけた。希々は小さく肩を跳ねさせたが、宥めるように小さな手を包み、指先同士を絡めているうち呼吸が安定してきた。
震える吐息に唇を離し、潤んだアイスブルーを見下ろす。
「……希々ちゃん、慣れてないキスやと子鹿みたいになるんやね。可愛えけど」
「!! な、慣れてないですよ、き……キス、なんて……っ!」
耳朶に唇を這わせて、吐息を吹き込んだ。
「――うそつきやな、希々は」
「嘘なんてついてな、」
「大事な人とのキスは慣れてるやん」
「、そ、れは……」
希々は目を伏せた。
「……なぁ。なんで付き合うてへんのに、キスするようになったん? その“大事な人”と」
別に希々を責めるつもりはない。なるべく答えやすいよう、柔らかい口調で尋ねた。
伏せられた長い睫毛が瞬きを繰り返す。希々が迷う時の癖だと最近知った。
すっと離れて、優しく髪を梳いてやる。
「…………好きだ、って言われた時に…………」
「おん」
「…………何一つ強要しないから、…………好き、がわからなくていいから、…………キスだけはさせてほしい、って、言われて…………」
「…………へぇ?」
思わず目を細める。
「…………だから翔吾さん、……そんな簡単に、キスなんてしないでくださ――――」
前言撤回や。
俺よりそいつを選ぶなら、そいつのキスなんか忘れさせたる。長期戦は覚悟の上だが、負け戦を仕掛けた覚えはない。
希々を抱きすくめて動きを封じた上で、唇を奪う。
「…………っ!」
「恋人ならキスしてもええ言うたんは希々ちゃんやで?」
「でも、っ…………っ!」
「……俺のこと、嫌いになったん?」
軽く数回啄んで唇を解放すると、希々は小さく首を横に振って俯いた。
「……一つ、言うとくけどな。俺は簡単にキスなんかせえへんよ」
柔らかな髪に頬を埋め、薔薇の香りに目を閉じて告げる。
「酔っとる時何かやらかしてそう言われるならまだしも、素面で誰彼構わずキスする程の女好きや思われとんなら、そこは否定したい」
「……」
「俺がキスしたいんは、希々ちゃんだけや。簡単にしとるわけやない」
「…………」
冷えた耳朶に口づけて、出会った頃を思い出した。
「……最初はほんまに軽い気持ちやった。こっちに知り合いが居らへんから、こない綺麗な子と仲良うできたら嬉しい思たんは事実や」
いつからか、希々のことばかり考えていた。
いつの間にか、落とすどころか落とされていた。
「でもな、今の俺ん中、希々ちゃんでいっぱいやねん」
怖がらせたくない。触れたい。
もっと自制したい。理性なんてぶん投げたい。
嫌われたくない。嫌われてもいいからお前が欲しい。
矛盾だらけの思考に、俺は初めて振り回されて。
「希々ちゃんのこと、好きや。キスだってほんまはもっとしたい。もっと希々ちゃんに近付きたい。……これでも、我慢しとるんやで? 希々ちゃんを怖がらせたないから」
ややあって、泣きそうな声が聞こえた。
「……っわから、ないんです。自分の気持ちが……。私…………翔吾さんにキス、されると…………すごく、……っ後ろめたくなって……っ」
「そりゃあ、大事な人に対して裏切ってるみたいな気持ちになるんはわかる。……認めたないけど、そいつとしかキスして来んかったんなら、事実上そいつが希々ちゃんの恋人みたいなもんやったんや。……今までは、な」
思えば俺は、自分の想いをきちんと言葉にしてこなかった。ひとえに恋愛を怖がる希々のためだったが、俺と“大事な人”との差は過ごした時間だけでなく、伝えた想いにもあるのではないかと思い至る。
俺も、この想いを口にしなければ。そして、そいつの場所をさっさと空けてもらわなければ。
「希々ちゃんにとってそいつは確かに特別なんやろ。……でも、そいつのこと“好き”やないから付き合わんかったんやろ? “彼氏”に出来んかったんやろ?」
「それは、…………でも、…………私、は…………」
居心地の良い場所を求めて、希々は甘えてきた。なら、彼女の欲する言葉を与えよう。正しいかどうかなどどうでもいい。俺はただ、この子の心の真ん中に行きたい。
そいつは可能な限り、希々と他の男との接触を避けたはずだ。何のことはない。希々は、そいつ以外を選ぶ機会を奪われていただけ。
使用人とはいえ希々にこれだけ特別視されているなら、その発言力はそこそこ大きいだろう。が、その立場を利用して、希々を自分だけに繋ぎ止めておこうなんて計画は死ぬ気で阻止してやる。
「……ずっとそいつのことしか知らんくて、そいつとしかキスしてへんのやったら…………それはそいつの歪んだ洗脳や」
「……せ、んのう…………?」
これまでの強引なキスとは打って変わって、そっと背を撫でる。優しく、甘く、彼女が欲する安らぎを。
「せや。落ち着いて考えてみ? その大事な人に、他の男と関わらんように仕向けられた覚え、あらへん?」
希々の動きが止まった。身に覚えがあるらしい。俺は頭をフル回転させて立てた仮説を重ねていく。
「恋愛感情がわからんくて、希々ちゃんは誰とも付き合わんかった。でも、希々ちゃんはモテたと思うんよ。どっかの男には『なんで自分と付き合えんのか納得できん』とか言われたこともあるんちゃう?」
ふる、と肩を揺らした希々が、俺の腕の中、シャツをぎゅっと握った。離れかけていた彼女の心が、理解してもらえた喜びにこちらへと戻ってくるのが手に取るようにわかる。
「翔吾さん……どうして、わかるの…………?」
俺は希々の頭に、ぽん、と手を置いて苦笑した。
「希々ちゃんと一緒に居って、これだけいろんな話すれば、想像はつくわ」
希々は顔を上げずに、それでも俺のシャツを握る手に力を込めた。心臓の位置に、遠慮がちに彼女の頬が押し付けられる。
「……その人は、私がそう言われた時、ずっと守ってきてくれた人だから……。私の相談に、ずっと乗ってくれた人、だから……」
俺は軽く息を吐いて、ヴァイオレットブラウンの髪を撫でた。
「……希々ちゃんみたいなべっぴんさんが、恋愛経験ないんは正直驚いた。けど、世の中いろんな人が居る。……ようわからんけど、大多数の枠に入ってる方が偉いみたいなあの風潮、何なんやろね。世界の人間は常に多数派が偉い、正しい、……そう思とるらしい」
否定されたことがあるから、希々は迷うのだ。自分が普通ではないと理解して受け入れていても、他人から指摘されれば不安が渦巻く。
自分は本当に、誰も好きではないのか。実は誰かが好きなのではないか。この際好きという感情がわからなくても、誰かを選んで恋人を作ってみれば恋愛感情を知ることができるのではないか。
そんな躊躇いが彼女の中にあることは、想像にかたくない。だから俺のお試しなんて提案にも乗ってきた。つまり希々は今、迷っている。“大事な人”と同じくらい、俺のことも頼ってくれている。
なら、これを機にそいつを引きずり下ろす。
「……辛いこと、全部その“大事な人”に相談してきたんやろ?」
希々はこくりと頷いた。
俺は柔らかな髪から項までふわりと指を滑らせて、「でもな」と続けた。
「?」
顔を上げた希々の瞳を見据える。
「希々ちゃんを男から遠ざけて、恋愛感情と向き合う機会を奪ったんは誰や?」
「……っ!」
綺麗なアイスブルーが見開かれた。
「自分の管理下に希々ちゃん置いて、希々ちゃんの自由を制限してるんは誰や?」
「そんなこと、」
否定の言葉を食い気味に制する。
「本来恋人同士になって初めてするキスを、希々ちゃんの恋人でもないのにしとんのは誰や?」
「違、」
まだそいつを庇おうとする希々の唇に噛み付いた。
「んん……っ!?」
ブラウスの裾から脇に手を滑らせれば、希々は目を見開いて声を上げる。
「ひ、ゃあ…………っ! っんぅ……っ!?」
ようやく開いた咥内に舌を伸ばし、怯える小さな舌を絡め取った。ちゅ、と音を立てて甘い唾液を吸う。
「ん……っ!」
怖いなら噛めばいいのに、そうしないのは慣らされているからか。
そいつの歪んだ刷り込みに助けられるなんてプライドが許さない。希々から求められるようになるまで、俺も慣らせばいいだけのことだ。焦るな。
「ふ、ぁ…………っ!」
艶めいた唇を解放し、その桜色を親指の腹でなぞる。真っ赤な顔でぴくりと反応する希々に、もう一度問いかけた。
「……俺のこと、嫌いになった?」
「……っ嫌い、に、なれるわけない、のに……! 翔吾さん意地悪、です……っ」
潤んだ瞳を覗き込み、俺は内ポケットから出した伊達眼鏡をかけて笑う。
「しゃあないやろ。男は好きな子にはつい意地悪してまうもんなんやから」