2章
夢小説設定
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*二十八話:感傷*
最近、希々の様子がおかしい。おかしい、というのも変だが、そうとしか形容できない。
「……希々、なんでそんな離れたとこに座ってる?」
「……景吾と、距離を置いてるの」
物理的に、距離を置く。俺のことが嫌いになったのかと思いきや、仕事終わりにはキスをねだられる。
「景ちゃん……キスして」
「、……あぁ」
頷く前に、唇を押し付けられた。
いつも通り触れるだけの長いキスをすると、
「……っ!」
それでは物足りない、とばかりに舌を差し入れられた。酔っていないと拙い希々の舌遣いに、心臓が音を立てる。
「…………本当に、どうした? 最近、っ、」
俺が執務室のソファに押し倒された。彼女からの手探りの口づけに、快感と欲情が顔を出すのを止められない。
「……深いの、して。景ちゃんとしかしたことないキス、もう、これしかないの……」
希々の目には、うっすら涙が見えた。俺にはその複雑な感情を知ることはできない。言ってもらえなければわからないのだから当然だ。
「…………いいぜ。ただ……予め言っておく。明日は首や肩の出ない服にしろ」
それでもただ、彼女の望むものを与えた。
「……っうん……」
希々が話したがらない以上、無理に聞き出すような真似はしたくなかった。今は俺に言えないことがあっても、抱えきれなくなったら打ち明けてくれるはずだ。俺にだけはどんな悩みも不安も教えてくれた。時には助言すら求めてくれた。
きっと今回も、そうだ。なら、俺にできるのは待つことだけ。
「けぃ、ちゃ、…………ぁ…………っ」
俺と希々の位置を入れ替え、抱き寄せながら舌を絡め取る。俺に応えようとする希々に、キスの雨を降らせた。
「…………っ、……っ!」
もう、目を閉じていても希々の咥内のどこに何があるかわかる。上顎の性感帯を執拗になぞれば、しがみついた指先から力が抜けていく。温かい舌を甘噛みして吸い上げ、甘い唾液を飲み干す。
「け……い、ご…………っ」
姉の服に手をかける背徳感も、一度してしまえば二度目は薄れると知った。キスの合間に希々のブラウスのボタンを外し、首や肩に小さな華を咲かせた。
「ふ、…………っぁ」
キスマークを刻んだ場所を何度も吸い、舌を這わせる。ちゅ、と音を立ててやんわりと食む。希々はそのたびにぴくりと身体を震わせ、喉を逸らした。
白い肌に所有印はよく映える。もっと付けたい。もっと溶けたい。俺の背に回された手が、力を失ってなお縋りつこうとする。全身で求められているかのような錯覚に、思わず喉が鳴った。
「け…………ぃちゃ、…………」
「……今日も、夜は部屋に来るなって言うんだろ?」
「そこでしゃべらな、…………っぁ、」
「……声、我慢できたら行くのやめてやるよ」
「……っ!」
俺と、距離を置きたがる希々。忍足だか榊翔吾だかの入れ知恵だろうが、この鈍い姉はその意味を理解していない。
距離を置く、っつって仕事中だけ離れてどうすんだよ。夜に部屋に来るなって建前みてぇに言う癖に、俺が弱音を吐けばすぐ心配そうにドアを開ける。顔を見たいとねだれば笑って部屋に招き入れる。距離を置くこととキスは別物だと思ってるぞ、この姉貴は。
『景吾と距離を置きたいの』、そう言われた日からむしろ俺と希々のキスの頻度は増えている。知っていて俺は教えない。教えるわけがない。今も俺は夜毎希々の部屋に入り浸って、あるいは俺の部屋に呼び入れて、キスを繰り返している。やめる気は毛頭ない。
そのことに奴等はまだ気付いていないらしい。
「……っんっ! 待っ……て、けぃ、ご…………っ」
「……声出した。姉貴の負け、だな」
色っぽい喘ぎ声ごと口づけて、俺は希々を見下ろした。
「……っ、ゃ、も…………あつぃ…………っ!」
真っ赤になって首を左右に振り、白い肌に俺の印を散らしながら喘ぐ希々。見ているだけで、うっかり下半身が反応してしまった。
「……暑いのかよ」
「ん、……っ」
頷く希々の瞳に滲む生理的な涙さえ、俺のものにしたくて。眦に唇を寄せ、塩っぱい雫を啜った。
「待っ……て、景吾、そんなにつけたら、服でも隠れなくなっちゃう……」
「……嫌なのかよ?」
「い、嫌……では、ない、けど……なかなか消えないから、毎日お風呂で恥ずかしいの!」
可愛すぎる理由に、俺は希々を強く抱き締めた。
「……ちょっとくらい、いいだろ。俺はあんたの全身に付けてぇのを我慢してるんだ」
「! 全身、って……」
「俺は本気だ」
……わかってる。
跡部希々のキスマークなんて、誰に見つかっても一瞬で噂が広まってしまう。相手は誰なのか、結婚するのか。
そんな会話が飛び交うのは火を見るより明らかだ。しかも今はタイミングが悪い。ここでうっかり榊翔吾が希々と懇意だと知られようものなら、なし崩しで本物の縁談まで湧きかねない。
俺は希々の額に口づけた。
「……安心しろ。ちゃんと服で隠れるように調整してる」
「い……っつも思うけど、どこにあるのか私わからないよ! 後ろとか横とか、自分じゃ見えない所に付けられてても……痛いわけじゃないからわかんないし……」
「痛い方が良かったか?」
「……っ景ちゃんの馬鹿!」
拗ねて起き上がろうとする希々はどこか幼く見えて、俺は小さく吹き出していた。
「っ言っておくけど、私は景吾のお姉ちゃんなんだからね! 年上の女性なんだから!」
「悪かった」
「今さら、っ!」
俺から離れようとする希々を引き寄せて、ぎゅっと腕に閉じ込める。耳元で「好きだ」と囁けば、息を飲む気配と共に抵抗が消えていった。
「…………景ちゃん、いじわる」
「いきなり距離を置きたいなんて言われた俺も、十分意地悪されてると思うがな」
「……そ、れは………………ごめん。でも景ちゃんのこと嫌いになったわけじゃないんだよ」
「…………それを聞けただけで、十分だ」
華奢な肩に顔を埋めると、柔らかな髪からふわりといい匂いがした。いつも希々の後に風呂に入ると残っている、上品な薔薇の香り。
「……あぁ、でも、どこに付いてるか知らねぇと困ることもあるかもしれねぇな」
俺は喉の奥で笑って、抱きしめた希々のブラウスの襟を割り開いた。
「ふぇ!?」
奇妙な声を上げて赤くなる希々に、指先で教えてやる。
「此処と、此処と、あと此処と此処と…………」
「な、なんか予想より多い!」
「スーツなら見えねぇとこだから問題ねぇ」
「問題しかない!」
「……」
真っ赤な希々の顔を見ていたら、愛しくて苦しくなった。
俺としかしたことのないキスは、大人のキスだけ。これからも俺だけの場所は、どんどん減っていく。きっと希々の中で様々な変化が生まれて、俺の存在は日々薄くなっていく。俺はどうしたって、恋人として希々の隣を歩けないから。
「…………」
「…………景ちゃん……?」
せつない。悲しい。そう思ってしまいそうになるたび、俺は自分を戒める。
希々が俺を拒絶しないでくれていることが、既に奇跡なのだと。希々に嫌いだと言われないことも、希々に笑顔を向けてもらえることも、当たり前なんかじゃないのだと。
「景ちゃん……悲しいの……?」
「…………んなわけねぇだろ」
「でも、……寂しそうな顔してる」
「…………希々が傍にいてくれるなら、俺は寂しくなんかならねぇよ」
ふっと笑って、俺は希々から離れた。
「……景ちゃん、何かあった……?」
希々の額にキスを落として、俺は首を横に振った。
「ちょっと仕事疲れが残っただけだ。気にすんな」
「…………景ちゃん」
「希々も早く休めよ」
心配そうな希々の方を見ないようにして、執務室を出た。
触れられる奇跡。
告げられる奇跡。
けれど決して起こらない、結ばれる奇跡。
生まれ変わったら、今度は希々を愛しても咎められない人間になりたい。
自嘲気味にそんなことを思って、少しだけ感傷的になった。