2章
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*十八話:うそつき*
車で帰宅中だった。先刻別れたばかりで家に帰ったはずの希々から電話がかかってきて、俺は不思議に思いながら通話に出る。
「どないしたん?」
『翔吾、さん…………っ!』
「! 希々ちゃん、泣いとるん? どうした? 今どこや?」
初めて聞く彼女の泣き声に、俺は自分でも驚くほど動揺していた。音からして屋外だ。
彼女の身に何が起きたのか。
こんな遅くに何故一人出歩いているのか。
『……っ翔吾さん……っ!!』
「今から行く。どこに居るん?」
時計を見ればとうに日付は変わっている。
『……わ、かんな…………、駐車場、……ぅ、ううー…………っ!』
「……っ今から戻る、電話このままにしとけるか!?」
『わ、かりまし、た…………っ』
車を甘味処に向ける。あそこを選んだ理由は、彼女の家に近いという理由もあった。家で何かあって走ってきたなら、あの近くにいるはずだ。
「いつもの店、そっから見えるか?」
『見え、ます……裏口…………』
「歩けるか?」
『も、…………無理……っ』
しゃくり上げる声に、とりあえずそこから見えるもの全てを教えてくれと伝える。
やがて場所の見当がつき、辿り着いた駐車場の隅には身体を丸める彼女がいた。無事だったことに心底安堵したが、何かが起きてからでは遅いのだ。俺は僅かな苛立ちを抱えつつ、希々の肩に手を置いた。
「希々ちゃん」
「っ!!」
びくっ、と震えてから、彼女はそろそろと顔を上げた。
「翔吾、さ……」
怒ろうとした俺は、その涙を見て声を飲み込んでしまった。
「翔吾さ、ん、翔吾さん…………っ!」
俺の名前を繰り返して縋り付くこの子に怒声を浴びせることは、俺にはできなかった。
「翔吾さん……っ!」
「……おん。居るよ」
「翔吾さ、ん……っ!」
「…………落ち着きぃや、希々。俺はどこにも行かへんから」
華奢な身体を緩く抱き返すと、背中に回された手がぎゅっと力を込めた。俺からすれば弱々しくても、それが彼女のありったけの力だとわかる。
「っ翔吾さん……っ!!」
「……っ」
俺も腕に力を込めて、強く抱き締めた。怖がらせないように今まで空けてきた隙間を、初めて埋める。
「翔吾、さん……っ」
何度も呼ばれる名前が、切なく胸を疼かせた。
***
希々が落ち着いてから、話を聞くべく店を探した。が、時間も時間だ。居酒屋くらいしか空いていない。車の中で、というのもリラックスできないだろう。
仕方なく、個室の居酒屋に入ったものの。
「……そないしがみつかんでも、俺はどこにも行かへんよ?」
「……」
希々はふるふる、と首を横に振り、俺に抱き着いたまま離れない。
「…………俺に電話してきたっちゅうことは、何か話したいことあるんやろ?」
「……」
彼女は相変わらずぎゅうぎゅうと俺に抱き着いたまま、何も言わない。
「…………えぇ……俺どないしたらええねん……」
俺は途方に暮れた。ただでさえ好きな女がこんなに密着していて、こんな時間で、周りに人がいない。
このまま話を聞けないとおかしな気分になってしまいそうで、俺はわざと明るく切り出した。
「そや! 言い出し辛いことなら、酒の力借りてみぃひん? ほら、希々ちゃん。何か飲みたいやつある?」
メニュー表を開くと、希々は身動ぎした。ゆるゆると俺から離れて、カクテルの一覧に目をやる。
指さした酒が甘党の彼女らしいもので、俺は小さく笑った。
運ばれてきた彼女のカクテルグラスに、自分のグラスをコン、と当てる。
「一応初めての飲み会、っちゅうことで、乾杯」
希々は腫れた目を見られたくないのか終始俯いたままだったが、こくりと頷いた。
ちびりちびり飲んでいる様子すら可愛く見えるなんて、俺も末期だ。
この間のパーティーでは直接話すことこそできなかったが、俺の有能な秘書が希々には彼氏も婚約者もいないことを小耳に挟んで来た。本気でボーナスを増やしてやるべきか迷う働きだ。
「…………ちっとは落ち着いたか? っちゅうか、ここに居ること景吾くんは知っとるん? 連絡しなくて、」
言いかけた俺は、そこで言葉を止めた。希々が肩を震わせて、グラスに涙が落ちたからだ。
「……景吾くんと、何かあったん?」
「…………っ」
希々は首を横に振った。しばらくして、
「あ、の…………」
ようやく、か細い声が彼女の唇から放たれる。
「前に、相談した、だいじなひと、のこと、覚えてますか……?」
「……もちろん。覚えとるよ」
希々は目を擦って、拳をぎゅっと握った。
膝の上に置かれた小さな手が、必死に力を入れる。俺は思わず、その手に手を重ねていた。
「……俺は、ここに居るから。傍に居るから。どこにも行かへんよ、希々」
「……ほんとに…………?」
「ほんまや」
徐々に強ばっていた身体から力が抜けていくのがわかった。
希々は下を向いたまま、ぽつりぽつりと語り出す。
「……翔吾さんと別れてから、家に帰って…………その人に、チョコをあげたんです」
「……おん」
「……そうしたら、その人が、…………今まで私があげてきたチョコのリボンを……大事そうに持ってて」
家にいる、ということは、希々の言う“大切な人”は使用人なのだろうか。
「……なんでそんなの持ってるか聞いたら、…………っわ、私に見限られた時のためだって……っ」
希々の涙が、手の甲に落ちる。
「私と一緒に、笑ってた時も……楽しかった時も、……っいつも、さよならのこと考えてた、って…………!」
使用人と主人の娘、身分違いの恋。
まぁ、わからなくもない。希々は恋愛感情がわからないと言っているから、そいつのことを大切には思っていても恐らく好きだとは言っていない。
使用人の方はきっと、本気で希々のことが好きなんだろう。自分が特別な存在だという自覚もある。もし両思いであれば、主人の反対を押し切って駆け落ちすることだって不可能ではない。
しかし、両思い、ではないから。希々からの“特別”がいつか消えたら。希々が誰かを好きになったら。自分の代わりにもっと相応しい誰かが現れたら。
常に自分の心に予防線を張って、いつ別れを切り出されてもいいようにしておきたい感覚は理解できる。
ただ、その伝え方がどうだったかまでは俺の知ったことではない。そのおかげで希々が俺を頼ってくれているのだから、むしろいい気味だ。
「私は……っ、一緒にいられて、楽しかったのに、うれしかったのに、……っ笑顔も、照れた顔も、拗ねた顔も…………っ!」
希々は声を震わせる。
「……っ全部うそだったなんて、信じたく、ない……! ……楽しかったのもうれしかったのも、私だけで…………っ、その人がそんな悲しい思いしてたことに、気付きもしないで…………っ!」
俺がそっと頭を撫でてやると、希々は抱き着いてきた。
「私……っ、家に帰りたくない……っ!」
……?
いや、あかん。
あかんあかんあかん。何を言うてんねんこの娘は。
さすがの俺もこれ以上は冷静に対応する自信がなかった。
「希々ちゃん、ちょいスマホ貸して?」
「やだ! 翔吾さん景ちゃんに連絡するんでしょ!?」
「まぁ、そやけど……」
さっきからずっとバイブ音が何処からか振動を伝えてくる。景吾くんか親御さんか、どちらにせよ心配させているのは間違いない。なのに希々は、涙に濡れた瞳で俺を仰ぐ。
「翔吾さん、側にいるって言ったのに…………っ、翔吾さんも私にうそつくの……っ!?」
「…………っ」
薄暗い灯りの下で、アイスブルーが揺れる。雫が僅かな光を乱反射してこぼれ落ちていく。まるでステンドグラスを見ているかのような美しさに、息を飲んだ。
「……っあのな、男にそういうこと言うなって景吾くんに言われんかった?」
「景ちゃんなんか嫌い……っ!」
「えぇえ…………ちょ、ほんまにスマホ貸して?」
いつになく希々はごねた。
「やだ……っ!」
十中八九、彼女が持っている小さなバッグに入っている。申し訳ないが、景吾くんにこのお姫様を回収してもらおうと手を伸ばす。
しかしその動きを察したのか、希々はさっとバッグを自分の後ろに隠した。
「……もう、いい……」
「希々ちゃん、ほんま落ち着いて?」
「もう、いい。翔吾さんも景ちゃんの味方なんだ。私が全部悪いんだ」
バッグを持って、ふらふらの足で希々は立ち上がる。膝の力が抜けて崩れ落ちそうになるのを、俺も立ち上がってなんとか支えた。
「……ここのお勘定は、今度払います……どいて」
「……どこ行くつもりなん?」
「…………帰ります」
明らかな嘘に、俺の表情も自然と険しくなる。
「嘘やろ。家帰りたない言うたやん。ほんまはどこ行くつもりなん?」
希々は目を伏せて、俺の腕を振り払う。
「今から、ホテル探します」
「っこない時間に一人でホテル街歩くつもりか!?」
「翔吾さんには……関係ないじゃないですか」
関係ない。
その言葉に、カチンときた。
「……俺を頼って電話してきて、関係ないんか。俺に嘘つくな言うて自分は嘘つくんか」
黙り込んだ彼女の腕を掴んだ。
「帰りたないなら、俺ん家来い。来ないなら無理矢理にでも家に帰すで」
引き寄せた身体に抵抗は、なかった。