1章
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*三話:素直な告白*
景吾は、本当に出来のいい子だった。でもその分、甘えるのが下手だった。
だから私には甘えていいのに。
学校でも完璧で、家でも跡部の跡継ぎとして完璧で、……いったいどこに気が休まる場所があるというのだろう。
私は姉として心配しているのに、景吾にはそれすらも煩わしいようだった。
何もできない自分が悔しい。
後ろから追いかけて来てくれた忍足くんが、私の右腕を掴む。
「……っ希々さん!」
私は足を止めて、俯いた。
「……ごめん、ね」
忍足くんは、躊躇いがちに問う。
「……何か、あったんですか?」
「昨日、…………」
言っていいのかわからなかった。私は俯いたまま、小さく尋ねる。
「…………忍足くんは、…………景吾がいろんな子と付き合ってるって、知ってた?」
息を飲む気配がした。
ややあって、肯定の意が返ってくる。
「そ、っか…………。忍足くん、知ってたんだ…………」
知らなかったのは、私だけだった。
「……俺も、そういうんはやめ言うたんです。でも、俺には関係ない言われて」
思わず乾いた笑いが漏れた。
「関係ないって、そればっかだね。あの子」
「…………いろんな子と同時に、やないんです。どっちか言うと、付き合ってすぐ別れてまたすぐ付き合って、みたいな」
「…………最悪、だよ」
***
昨日の夜、景吾の部屋から誰かと言い合うみたいな声が聞こえた。電話の向こうからは女の子のキンキンした声が響いて、景吾は無感動に返していた。今も頭に残って離れない、私には考えられない台詞。
『俺に好きな奴がいてもいいっつったのはそっちだろ』
私はノックなんて忘れて、景吾の部屋のドアを乱暴に開いていた。
景吾の驚いた目に映る私を自覚しながら、問い詰める。
『どういうこと?』
『……俺が誰とどう付き合おうと姉貴には関係ねぇだろ』
『そういう問題じゃないでしょ!? 好きな子がいるのに他の子と付き合ってたの!?』
いつだって私には優しかったアイスブルーの瞳が、あの時だけは冷たかった。
『……あぁ。ずっと、繰り返してきた。俺には手に入らない奴の代わりでいいから付き合えって言ってくる雌猫は、山ほどいたからな』
――パンッ、
左頬を引っぱたく。
『…………女の子を、雌猫って呼ぶのをやめなさい。景吾を好きって言ってくれる子を……その想いを、軽視するのはやめなさい』
誰かに恋をしたことのない私に言えた義理ではないかもしれないけれど、それでも私は許せなかった。
自慢の弟なのに。自慢の弟だったのに。
『景吾がモテるのはわかる。知ってる。でも、それは女の子たちの気持ちを踏み躙っていい理由にはならない。それに……』
こんなことをして、景吾が傷つかないわけないのに。
『そうやって、自分を傷付けるのもやめて』
景吾は過保護なくらい、私に優しくしてくれた。
跡部家に関することは全部長男の自分が継ぐから、と私を自由にしてくれた。
少しでも帰りが遅くなる時は、部活帰りに迎えに来てくれた。
両親に隠れて泣いていた時、背中合わせに座って泣き止むまで傍にいてくれた。
そんな優しい景吾が、こんなことをして胸を痛めないはずがない。
けれど、続く台詞に私は言葉を失った。
『……姉貴面すんな』
『…………え?』
『あんたに何がわかるんだよ。何も知らねぇ癖に、姉貴面すんじゃねーよ!』
景吾の考えていることが、まったくわからなかった。
『話してくれなきゃわからないよ! 何も知らないんだから、何があったのか教えてよ!』
『言えねぇからこんなことになってんだよ!』
『言えない理由がわからない! 私じゃなくてもいい、誰か相談できる人くらいいるでしょ!? ちゃんと溜め込んでることを吐き出して、こんな付き合い方はやめて!』
不意に、景吾が私の腕を掴んだ。
『――やめたら、俺に何のメリットがあんだよ?』
『な、に、って』
掴まれた場所が痛い。
『俺は一時でも好きな奴を忘れられる、相手は一時でも願いが叶う。互いにメリットしかねぇこの付き合い方をやめて、俺に何のメリットがあんだよ?』
『――、』
好きな人を忘れたい、なんて。
そんな悲しい恋を景吾がしていたなんて知らなかった。
だって、恋って楽しいものじゃないの?
私の友達はみんな、楽しそうに幸せそうに好きな人のことを話してくれた。
『だって、……』
景吾は苦しそうで、それは本当に恋なのか私にはわからなかった。
景吾が最近難しい顔をして考え込んでいたことは知っている。悩みがあることも。
わかってる。景吾は今、きっとギリギリの状態だ。でもそれを吐き出せないから、出ない声で叫んでるんだ。そんなにも景吾を悩ませているものは、いったい何なのだろう。
叶わないという恋愛のことだったのだろうか。それとも、見せないようにしていた跡部家を継ぐことへの不安か。はたまた、そういった様々なこと全部が重なった結果だったのだろうか。
もしもストレス発散のために景吾が恋愛を楽しんでいるなら、果たしてそれをやめろという権利が、私にあるのだろうか。
『……』
黙ってしまった私から腕を離し、景吾は部屋を出て行った。
***
「……っていうことが昨日あって。今朝、仲直りしたくて連絡したの。……だから、ここまで来たのに…………結局、関係ない、なんだね……」
私は頼りないのだろう。誰か、景吾の悩みを聞いてくれる人がいればいいのに。
ふと、横に立つ忍足くんを見上げた。
「……ねぇ、忍足くん」
「…………何ですか?」
「景ちゃんの相談に…………乗ってあげてくれないかな……?」
忍足くんは、しばらく何も言わなかった。
私をじっと見つめている。
眼鏡の奥の藍色の瞳があまりに真剣で、何やらいたたまれなくなってきた頃だった。
「…………ええですよ」
「! ほんとに?」
「かわりに……………希々さん、俺の相談に乗ってくれますか?」
もちろんだ。私は大きく頷いた。
ほっと一息つく。これで景ちゃんも、一人で抱え込まずに済む。
それに忍足くんにも悩みがあるなら、むしろ話してくれて嬉しい。私で役に立てるアドバイスができればいいのだけれど。
――キーンコーン、
「あ、ごめん! もう忍足くん、5時間目? の授業始まるよね! 私、一人で帰れるから、」
「――今すぐ、聞いてください」
私の言葉を遮るように、忍足くんは言った。
時計を見て、私は二の足を踏む。
「……でも、授業、」
「授業なんてどうでもええです。それより今すぐ、希々さんに聞いてほしいことがあるんです」
「授業終わるまで待ってるよ? それじゃダメなの……?」
忍足くんは掴んだままの私の腕を引いた。
「今すぐやないんなら、俺は跡部の相談に乗らん」
「!」
本当に、今すぐ、じゃないといけないんだ。
こんなに切羽詰まった忍足くんを見るのは初めてだった。
勉強熱心な彼が、授業を放棄してでもすぐに聞いてほしいという相談。
私は先輩として彼を教室に戻すべきだった。
私は友人として彼の話を聞くべきだった。
……私は景ちゃんの姉として、景ちゃんの相談相手を失うわけにはいかなかった。
「……わかった。今、聞くね」
「……ついてきてください」
生徒会室のドアが、遠くなる。
私は忍足くんに腕を引かれ、近くの理科室に入った。今は授業で使われない時間らしく誰もいない。
――ガラ、
扉を閉めて、忍足くんは私に向き直った。
掴まれていた右腕が解放される。
「……希々さん」
「なぁに?」
藍色の瞳に、決意を滲ませて忍足くんは口を開いた。
「……俺も、ずっと好きな人が居るんです」
「え?」
さっき、校門から来る時は違うって言っていたのに?
瞬きしている間に、忍足くんはそっと私の髪に触れる。
「俺は跡部と違て、叶わんくても別の子で寂しいの埋めようとなんて思わへん。けど、言いたくても言えへん気持ちはわかる」
「……恋愛の相談、なら…………私、経験がないからわからないよ?」
忍足くんが泣きそうな笑みを浮かべた。
「でも、俺の好きな人は希々さんやから…………相談できるの、希々さんしかおらんのや」
「………………………………え………………?」
頭が、真っ白になった。
優しく両腕が背中に回され、抱きしめられる。
「俺、希々さんが好きなんや。でも、希々さんには人を好きになる感覚がわからないんやて。俺…………どないしたらええ?」
音が、消えた気がした。