2章
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*十一話:義理と本命*
希々との距離を縮めようと思っていた俺は、彼女が誰かを好きになったことがないと知って、まず恋愛感情を一切見せないよう努力した。俺からは連絡せず、彼女からの連絡を待つ。
俺から連絡したいのは山々だったが、それは恐らく彼女が向けられ続けてきた一方的な好意と同じになってしまう。“彼女から求められた時にのみ応じる”。これが俺の最初の努力だった。
『! な、何ですか? そのデートのお誘いみたいな言い方……』
見合いやらパーティーやらに疲れていたわけではなかった。怯えた声の理由。弟くんが握り潰しているなら、理由は男が怖い、とかそういう類のものだろう。今まで会ってきた女のように、好きという感情をストレートに伝えても怖がられるだけ。それとなく気づかれるのも避けた方がいい。
俺は怖くない存在だと思ってもらえるよう、徹底的に自制に努めた。秘書からのスマホ所持禁止令もすぐに解けるほどに。
そして、徐々に増えていった通話の回数。
会いたいと言われる回数。
話の内容は恋愛相談だったり、近況だったりと多岐に及んだ。
社交用の笑顔でなく、様々な素の表情を見せてくれるようになった。
彼女は恋愛感情がわからないけれど、“ずっと自分を好きだと言ってくれている人”のことが大切だと言う。大切で近しい存在だから、傷つけたくないと。男は何をすると傷ついて、何をすると嬉しいのか。そんなことを訊いてくる。
恋愛において何をされたら傷付くか、なんて男女どちらに尋ねても答えはそう変わらないだろう。知っていて、俺は敢えて“男心”と伝えた。男しかわからない心がある、と暗に匂わせて。
見事それを汲み取ってくれた希々は、俺に“その人”のことを少しだけ教えてくれた。幼い頃から共に過ごしてきて、自分の良い所も悪い所も知ってくれている人。“侑士くん”とも他の人とも違う、大事な存在。
俺にはそれが誰なのかまではわからなかったが、彼女にこれだけ想われている男に嫉妬は当然生まれた。その嫉妬さえ気取られないよう、大人の顔で接してきた。
結果、甘えたい、と言ってくれるまで進歩した。
抱きしめたいだけだ、と言われた時は正直残念に思ったが、男が苦手な彼女に触れたいと思ってもらえたなら十分すぎる進歩だろう。
なんて考えつつ、横でご機嫌にパフェを口へと運ぶ希々を見つめる。
ふと、彼女の方から見つめ返されて心臓が音を立てた。
「翔吾さん、いつもコーヒーと小さなケーキですよね。甘いもの、好きじゃないのにここに連れて来てくれてる……んですか……?」
遠慮深い彼女に、嘘は逆効果だ。
「俺は甘いもん嫌いやないけど、量を食べられへんのや。希々ちゃんが食べとるみたいなパフェは、さすがに無理やね」
「……甘いもの自体は、嫌いじゃない、ですか……?」
「おん。バレンタインで貰ったチョコはちゃんと自分で食べとるよ」
そろそろバレンタインだと思い出し、さり気なく話題に出してみる。
希々はほっとしたように笑った。
「翔吾さん、毎年食べきれないくらい貰ってそう!」
「食べきれんくらいってどのくらいやねん」
「えっと、景吾くらいです」
「景吾くん、食べきれんくらい貰っとるん?」
希々は胸を張って頷いた。
「はい! 毎年凄い量貰うので、社員全員と家族とで分けても余っちゃうんですよ」
「……それ、ほんまの話?」
「? はい。だから翔吾さんもそれくらい貰ってるのかな、って」
とんでもないスケールのバレンタインを教えられた。同時に嬉しくもなる。そんな凄い景吾くんと、同じくらい俺もいい男に見えるのか、と。
俺は、社内で義理チョコ制度を禁止している。無駄だからだ。上司にあげるだの同僚にあげるだの、やらない人間は非常識だの。俺からすれば金と時間の無駄だ。よって榊グループ内でバレンタインに存在するチョコは、皆に見つからないよう渡される本命だけ、という状態である。つまり俺の手に渡るのも、本命だけ。義理まで数えたらさすがに食べきれないだろうが、本命だけなら俺でも日数をかければ食べられた。
「……俺は会社で、義理チョコ禁止しとんねん。まぁ禁止せんかったとしても、そんな景吾くんみたいなことにはならんやろうけど」
そう口にすると、希々は僅かに顔を曇らせた。
「あ…………そう、なんですね」
「…………どないしたん?」
「あ、いえ、何でもありません」
これは、俺にもくれようとしていた、ということだろうか。
俺はなるべく穏やかに問いかける。
「……希々ちゃんは毎年バレンタイン、誰にあげとるん?」
希々は恥ずかしそうに頬を染めた。
パフェのスプーンで口元を隠すように、小さく告げる。
「恥ずかしながら……毎年、父と景吾だけです。……あ、…………侑士くんには、あげてますけど。その三人だけです」
意外な台詞に、僅か目を見開く。
「…………その侑士くんって、前に希々ちゃんに告白してきた後輩やろ? なんでチョコあげとるん?」
希々は困ったように笑った。
「侑士くんから、欲しいって言われたので」
「……義理でええから、って?」
「はい」
欲しい、と言われたら渡すのか。いや、それなら毎年いくつ作ることになるかわからない。恐らく“侑士くん”はどこか彼女の中で特別な存在だからだろう。
……なら、俺は?
俺も、欲しい言うたらくれるん?
「……希々ちゃん」
「はい」
「俺も、義理でもええから希々ちゃんのチョコ欲しい言うたら、くれるん?」
希々は、目を丸くした。
「……翔吾さん、会社で義理チョコ禁止してるって……」
「それは社内の話や。俺と希々ちゃんは、会社の繋がりやない」
「……甘いもの、量は食べられない、って……」
ここで、間違っても本音を悟られてはいけない。
俺が欲しいのは義理だろうが本命だろうが、お前からのチョコだけだ、なんて。
俺は余裕のある笑みを浮かべて、希々の髪に指を滑らせた。
「実は俺、食べたいと思っとったチョコがあんねん」
「え、何ですか?」
「手作りチョコ」
学生時代貰い慣れたそれを、社会人になってから貰わなくなったのは本当だ。皆揃って高級洋菓子店の包みや、煎餅等甘いもの以外を手紙と共に渡してくる。
希々は不思議そうに首を傾けた。
「……手作りチョコ、ですか?」
俺は艶やかな髪を撫でて頷く。
「せや」
「そんなもの、食べ慣れてるんじゃ……」
「全然やで? ずっと食べてみたかったんや、手作りってやつ」
まるで食べたことがないような言い方。希々の手作りを食べたことはない。嘘は一つも言っていない。
「いつも、希々ちゃんは俺に甘えてばっかで申し訳ない言うとるやろ? 俺は希々ちゃんに頼られんの嬉しいけど、……折角やから今回は俺に甘えさせて」
声はどこまでも静かに、視線にありったけの熱を込めて、希々のアイスブルーを覗き込む。
「俺、希々ちゃんの手作りチョコ、食べたい。……もちろん迷惑やったら諦めるけどな」
希々は、ぱっと明るい笑顔を浮かべ、首を横に振る。
「迷惑なんかじゃありません! ほんとは私、日頃のお礼に翔吾さんにも何かお渡ししたいと思ってたんです」
予想を裏切らない台詞にほっとした。
「それは素直に嬉しいわ。俺、期待しててええ?」
胸の前でぐっと拳を握り、希々は大きく頷く。
「景吾のお願いで、毎年手作りしてるんです。チョコなら結構自信がありますから、楽しみにしててください!」
俺は景吾くんのシスコンぶりに、思わず笑ってしまった。
「景吾くん、ほんまに希々ちゃんのこと大事にしとるんやね。若干20歳にして跡部グループ副代表になった天才くんの、意外な一面や」
「ふふ。ですよね。景ちゃんは意外に甘えん坊な一面も…………あ、これはここだけのオフレコにしてくださいね?」
「さぁ、どうしよかなー?」
「えぇ!? 翔吾さんー!」
じゃれつく希々をやんわり抱きしめて、その香りに酔う。
希々の髪から香る花の匂いと、香水の仄かな匂いが混ざり合って、まるで薔薇園にでもいるような気分になる。恋愛感情を悟られないよう、湧き上がる欲望を押し殺した。
「……翔吾さん、いつもありがとうございます」
「……なぁ、希々ちゃん」
俺が口火を切ると、希々は顔を上げた。かち合う視線に、鼓動が速まる。
「……今度、ドライブ行かん? うちの別荘の近くに、めっちゃ綺麗な海があんねん」
「ドライブ、初めてです! 行ってみたい!」
景吾くんからOKが出るかはわからないが、出なければ別の場所に誘うだけだ。次は時間の合間、ではない“デート”をしたい。
「……景吾くんからOK出たら、連れてったる。夕陽が沈む時が特に綺麗なんよ」
「楽しみだなぁ」
希々ははにかむように笑った。