2章
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*十話:甘えられる場所*
初めて出来た、兄のような人。
気付けば私はいつからか、翔吾さん翔吾さん、と彼を慕うようになっていた。
景吾が大学に行っているほんの少しの間だけでも、会いたいと言えば会いに来てくれた。何があるわけでもないけれど話したい、と言えば電話につきあってくれた。
思えば私は誰かに甘えることがあまりなかった。元から景ちゃんの姉だったし、学生時代もどちらかと言うと周りに頼られてきた。そんな私に訪れた、初めての甘えられる場所。
「翔吾さん!」
「希々ちゃん、おはようさん」
車から降りた翔吾さんに駆け寄ると、頭を撫でてくれる。飛びつかんばかりの勢いで挨拶しても、笑って受け止めてくれる。呆れられたことなんて、一度もない。
「おはようございます!」
「元気やね。俺は眠うて眠うて……ふぁ」
「……ごめんなさい、私が急に……」
翔吾さんが私の誘いを断ることは、基本的にない。余程大事な仕事がある時以外、いつも私に合わせてくれる。
「……いや、今のは俺が悪かった。ごめんな、希々ちゃん。希々ちゃんは何も悪くない。昨日夜中まで根詰めすぎた俺があかんかった」
「でも……」
翔吾さんは私の頭を撫でて、言う。
「希々ちゃんに会いたいんは俺もや。忘れんといて。どんだけ仕事終わりやろうが朝っぱらやろうが、OKしたんは俺や」
「翔吾、さん……」
彼は私を甘やかしてくれる。私の甘えたい気持ちを理解した上で、それを許してくれる。突然の我儘さえ、責めることなく受け入れてくれる。
「……翔吾さんは、どうしてそんなに優しいんですか?」
翔吾さんを見上げて尋ねる。
「んー、俺に恋愛相談してくる妹が可愛えからやない?」
「!」
いもうと。誰にも言ったことはなかったけれど、昔憧れた響きだ。
「……お兄ちゃん」
翔吾さんには聞こえないよう小さく呟いて、思わずはにかんでしまう。兄が翔吾さんだったら、私は絶対にブラコンになっていただろう。景ちゃんも端から見たらすごいシスコンに見えるのかな、なんて考えたら、少しだけおかしくなった。
「今日は景吾くん、大学?」
「はい! 昨日、いきなり補講が入ったって言われて」
「ほんなら、俺は何時まで大事な姉さんを借りられるんやろ?」
「3時まで大丈夫です!」
私が答えると、翔吾さんは微笑んでから腕時計に目をやった。
「いつもんとこでええ?」
「はいっ!」
いつもの所、とは、最初に美味しいパフェをご馳走になった店だった。上の階に個室があって、お得意様らしい翔吾さんは私をそこに連れて行ってくれた。
私の特殊な相談、そして榊グループ社長が大っぴらに出歩くわけにはいかない、という二つの理由から、ここは私たちの隠れ家みたいになっていた。給仕のお姉さんとも顔馴染みになったくらいだ。
跡部の家で見慣れているけれど、ロココ調の個室の内装は乙女心をくすぐる。和風の個室よりこちらの方が、私が好きそうだから。そう言ってくれた翔吾さんに、抱き着きたいのをどうにか堪えた。
洋風の個室は横並びの、所謂カウンター席しか用意されていなかった。必然的に私は翔吾さんの隣に座ることになる。初めてここに来た時は距離感が掴めず、一つ席を空けて座り、あまりの気まずさに二人して大笑いしてしまった。それ以来この場所では、いつも隣に座らせてもらっている。
「翔吾さん翔吾さん! またこの間のパフェ食べたい!」
「ほんま、希々ちゃんはパフェ好きなんやねぇ」
笑って翔吾さんはメニュー表に目を通す。隣のその横顔があまりに綺麗で、私は思わず見とれてしまった。
「……翔吾さん、眼鏡する時ありますか?」
「? あるよ。俺普段コンタクトやから、家帰ってからは眼鏡や」
「…………眼鏡の翔吾さん、いつか見てみたい」
景吾も仕事の時眼鏡をかける。ブルーライトをカットするそれに、密かにきゅんとしているのは私だけの秘密だ。
「……希々ちゃん、眼鏡フェチなん?」
「あ、そういうわけではなくて……何と言うか、普段眼鏡をかけない人がかけると、……ちょっときゅんとします」
「そうなん? じゃあ次は眼鏡で来るわ」
翔吾さんは喉の奥で笑った。大人の余裕に、何だか甘えたくなってしまう。
私は少しだけ、席を寄せた。
嫌がられるかな?
怒られるかな?
おずおずと翔吾さんの顔を見てみたけれど、彼は特に気付いた様子もない。
怒られなかったなら良しとしよう、と思った時。
「……そんな可愛えことせんといて。個室なんやから」
「!」
顔色一つ変えずにメニュー表を眺めたまま、彼は言う。
「…………嫌、じゃ、ないですか?」
「嫌なわけないやろ。一緒に居りたない子と出掛けるほど俺は暇やない」
大人、だと思った。
大人相手にどこまで許されるのかわからなくて、翔吾さんのジャケットの袖を摘む。
くいくい。
「……めっさ可愛えけど、何しとるん?」
「…………袖を、くいくいしてます」
「ぷっ、」
翔吾さんは優しい目で私の頭を撫でる。
「……何か言いたいこと、あるんやろ? 言うてみ?」
私は彼の袖を控えめに引っ張りながら、目を落とす。
「…………翔吾さんは、私に何をされたら嫌ですか?」
「…………俺は希々ちゃんになら、何されてもええよ」
「そうじゃ、なくて……。服を触られるのが嫌、とか。抱きつかれたら嫌、とか。素肌が触れるのは嫌、とか。……翔吾さんはどこまで嫌じゃないのか、……知りたい、です」
景ちゃんを基準にしてはいけないけれど、私が今まで時折甘えられていた相手はたぶん景ちゃんだ。
「……私、自覚してます。翔吾さんに甘えてる、って。……甘えたい私を許してくれる翔吾さんに…………どこまで近付いてもいいのかな、って。誰かに甘えたことがあんまりないから、どこからが迷惑な距離なのか、わからなくて…………」
景吾との距離感で通常の人間関係を築くべきでないことは、さすがの私にもわかる。でも、どこまでが許されてどこからが迷惑なのかがわからない。私の周りから近しい年上の男性を排除した景吾のせいで、私は困っていた。
顔を上げられずにいる私に、優しい声が降ってくる。
「…………俺に甘えたいって思ってくれてること自体、めっちゃ嬉しい。俺の意見は変わらへん。希々ちゃんになら、何されてもええよ」
私は意味もなく彼の袖を握りながら、眉を下げた。
「……何されても、とか、簡単に言わないでください……」
「なんで? ほんまにそう思っとるよ」
「…………」
景吾の“何をされてもいい”は、本気だ。きっとあの子は私が何をしても受け入れてくれる。抱き着いても手を繋いでもキスをしても、むしろ喜ぶだろう。
景吾じゃない人の“何をされてもいい”は、私には難しすぎた。
袖を引っ張る手を止め、大人しく離す。
わからないなら、嫌われる前に離れればいい。そもそも、甘えるなんてことをしなければいい。いい歳の大人の女性として恥ずかしくなってきた。
「ごめんなさ、」
「――ほんまにそう思っとる。希々ちゃんが俺にしたいこと、全部教えて?」
私の謝罪を遮るように、翔吾さんは真剣な声音で言った。俯いている私の両頬が温かい手のひらに包まれて、上を向かされる。
「……でも、」
「でもも何もあらへん。甘えてええ言うたんは俺や。従兄弟の兄ちゃんみたいに思ってくれてええ、って」
「…………だけど、」
目を伏せると、私の頬から離れた大きな手が、私の背中に回された。景吾とは違う、本当に緩やかな抱擁。
「……!」
「抱きつかれたら、嬉しい。少なくとも俺は、な」
嘘、のわけない。異性に触れられるのも嫌だというのなら、自分から手を伸ばすはずがない。
「服掴まれるんは、可愛すぎて俺の方がぎゅーって抱きしめたなるけど、全然嫌やない」
「、」
「素肌触れるんは、他の女の子やったら抵抗あるけど……希々ちゃんやったら、俺は嫌やないよ」
首に、そっと頬を押し付けられる。
「……他に、何したいん? 教えてや、希々ちゃん」
私は緊張で震える腕を、彼の背に回した。自分からぎゅっと抱き着く。翔吾さんは、力を込めて抱き返してくれた。
「…………翔吾さんに、ぎゅって……したかった、です」
「いつでもウェルカムや」
「……それだけ、です」
私としては全力の甘えだったのだが、翔吾さんは耳元で囁く。
「…………ほんまに、それだけ?」
私は素直に頷いた。
「はい。本当に、それだけです」
と、何故か呆れたような声で文句を言われた。
「期待させんなや、まったく……。ほんま、景吾くんが過保護んなる理由わかるわ」
今度は抱きしめられたまま、頭をぽんぽん、と撫でられる。
「……ま、長期戦にしよ決めたんは俺やし。……抱きしめるくらい、俺で良ければいつでもしたる。希々ちゃんも我慢せんくてええよ」
「、…………本当、ですか……?」
「ほんまや。嫌やったらこないなことするわけないやろ」
私はその安心できる手つきに、頬を緩めて抱きついた。