2章
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*九話:かけがえのない奇跡*
大学の試験日程を終えた俺は、希々と二人きりで別荘に来ていた。特段此処に来る理由はないが、自宅以外で希々を好きなだけ堪能できるのは此処くらいしか思いつかない。
俺が甘えられる唯一の時間。
「……景ちゃん、それ楽しい?」
ベッドの上で後ろから希々を抱きしめてくつろぐ。
「楽しいっつーか……落ち着く」
安らぐ希々の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、温かい首筋に頬を押しつける。
「ふふ。甘えん坊な景ちゃん、なんだか可愛いな」
「テスト明けだけは俺が甘えるんだよ」
「はいはい。……テスト、お疲れ様」
「……ん」
仕事をしながらの大学は決して楽ではない。授業はリモートでも受けられるものと、通わなければならないものがある。仕事の時間と授業の時間、移動時間に済ませられるタスク量の兼ね合い。試験期間ばかりは毎日大学に行かなければならないし、レポート地獄が終わってようやく一息つけたところだ。
「……俺がテストでペンを走らせてる間に、姉貴は随分“翔吾サン”と親しくなったみたいじゃねーの」
拗ねてそう呟くと、希々は笑った。
「お兄ちゃんができた感じだよ」
「……へぇ? その“お兄ちゃん”と、こんなことしてねぇだろうな」
無防備な首筋に口づける。途端、希々は肩を震わせた。
「っ、するわけないでしょ!」
喉の奥でくつくつ笑うと、希々は俺の指先を握った。
「……景吾のこと、相談したりしてるの」
「……俺のこと?」
俺の指を握ったり擦ったりと、希々が意味無く弄るのは珍しい。非常に可愛くはあるのだが、何か言い出し辛いことでもあるのだろうかと不安になった。
希々は俺の指先を弄んだまま、小さく首肯する。
「もちろん……景吾のこと、とは言ってないよ? けど…………“ずっと前から私のことを好きでいてくれた人”……って言ってる」
「…………俺の何を相談してるんだよ? 俺、何か希々に心配かけてるのか?」
耳の輪郭を唇で辿りながら、問いかける。
「……っ、男心、ってどんななのか、教えてもらってるだけだよ……っ」
希々は僅かに身体をよじった。
耳が弱いことなんて、とっくに知ってる。知られていないと思っているのか、それを隠そうとする希々に悪戯心が湧いた。
「……で、男心は理解できたのか?」
ちょうど目の前にある右耳に、舌を差し入れる。
「ひゃう…………っ!」
そんな声を上げるものだから、自動的に加速していく色情。希々はぴくっ、と肩を跳ねさせながらも、まだ気丈に振る舞おうとしている。
「わ、わかった、ところと、わからないとこ、…………ふ、ゃあ…………っ!」
薄い耳朶を食みながら、ゆっくりと舌を這わせる。味なんてしないのに、美味い。軽く歯を立てて骨の位置を確かめた。
「や、景吾…………っ」
逃げようとじたばた暴れる、その顔を見たくて。
結局ベッドの上に押し倒す。
「ふぇ…………っ?」
若干涙目で頬を染め、肩を震わせる様子は容易く俺の欲を煽った。希々の頭を固定して、耳孔に舌を押し入れる。くちゅ、という湿った音に、いけないことをしている気分になった。背徳感すら快感に変わる。希々はもはや、存在そのものが俺にとっての媚薬だ。
「ゃ、何っ、……ん…………っ!」
初めての感覚に希々は喉を反らす。首を左右に動かそうとしているようだが、俺の手が邪魔して叶わない。
耳の中まで俺の想いが届いたようで、何となく充足感が生まれた。満足して解放してやると、希々は右耳を手でおさえ、涙目のまま睨んでくる。
「な……っ何!? 右耳スースーする!」
「あぁ、左もしねぇと左右対称にならねぇな」
「!? ちょ、景吾……っ、ひゃあ…………っ!」
左耳も好きなだけ味わって、俺は笑った。
「な……っ何するのよ! 背中がそわそわするんですけど!」
「したくなった」
「何でそんな堂々と言うの!」
頬を膨らませる希々が愛しくて、文句を言うその唇を塞ぐ。
「――、」
唇を重ねたまま、しばらく動きを止める。そんな触れるだけのキスを、角度を変えてゆっくり繰り返す。
「、…………」
夜毎のキスと同じ。このキスをすると希々の身体からは力が抜ける。ついでに機嫌も直る。いい事づくめのキスだ。
俺がそっと顔を離すと、希々は静かになって擦り寄ってきた。
華奢な身体を抱きしめて、目を閉じる。
何があるわけでもないこの穏やかな時間が、俺にとっては奇跡だった。かけがえのないものだった。希々への想いを一人抱えていた頃には、想像もできなかった時間。想像もできなかった感覚。
「……本当なら、俺は姉貴に気持ち悪いって言われて……顔さえ見せてもらえなくなっててもおかしくねぇんだよな」
「……今さら、どうしたの?」
「いや…………何つーか、……幸せだ」
希々は小さく震えて、よりくっ付いてきた。
「…………景ちゃんが幸せって言うと、……胸がきゅってなる」
この可愛すぎる姉をどうしたものか。
とうに末期の俺は苦笑して、腕に力を込めた。痛みは感じさせないように、でも、できる限り強く抱きしめる。
「…………好きだ」
「景ちゃん……」
「……好きだ。…………愛してる」
伝えることを許される喜び。抱きしめられる喜び。傍にいられる喜び。温もりを感じられる喜び。
俺に喜びを教えてくれるのは、いつだって希々だった。
「私…………私も好き、って言えなくてごめんね。“好き”を知らなくて、ごめんね……」
「ばーか」
申し訳なさそうな希々に、それこそ今更だと言いたい。
「姉貴がそれを知らなかったから、俺は拒絶されなかったのかもしれない。姉貴が謝ることは何一つねぇよ」
俺を好きになればいいのに。そんな欲求は相も変わらず顔を出すけれど。
「……希々が恋愛感情を知って、俺から離れて行くくらいなら…………一生知らないでいて欲しいくらいだ」
俺じゃない男を好きになるくらいなら、今のままでいてほしい。答えなんか出ないままでいい。流されて迷って、それでも傍にいられるなら。
「景ちゃん…………」
「……好きだ。俺の命ごと……全部、希々のもんだ」
俺は希々のためにいる。その愛は彼女を守るものだ。しかし、希々を欲しいと思う愛は、エゴの塊だ。下手をすればこの間のように彼女を傷付けてしまう。
「……この俺様を所有できる人間なんて、世界で一人だけだからな」
茶化した本音。
「……うん」
「所有権の譲渡は認めねぇぞ」
希々は、ふふ、と笑った。
「私だって……景ちゃんを誰かにあげたくない」
「そりゃよかった」
その時不意に、この休暇で渡そうとしていたものを思い出した。
「希々、嫌じゃなかったら受け取って欲しいもんがある」
ベッドから起き上がって、鞄の中からケースを取り出す。灰色の、縦長のジュエリーケース。
体を起こした希々が受け取って、「開けていい?」と尋ねた。俺は頷く。
ケースを開いて、希々は目を丸くした。
「ネックレス…………?」
「あぁ。本当は指輪を贈りたかったが」
小さなハート型のモチーフにダイヤをあしらったネックレスは、私服でもスーツでも使える。
「希々は、右も左も指輪できねぇと思って」
「、……なんで……」
「右手の薬指は恋人で左手の薬指は夫婦、なんてことはさすがに鈍い姉貴でも知ってると思った」
鈍い、と言われても、今日の希々は怒らなかった。黙って俺の言葉を聞いている。
「……で、恋愛感情がわからない姉貴は、違う指にはめようとする。だがそれぞれの指の意味は、調べるサイトやら本やらによって違う」
薬指以外にも意味を持たせようとする会社が多すぎて、苦笑したのは記憶に新しい。
バレンタインのチョコと言いアクセサリーと言い、意味を持たせればある程度購入者が増えるのは確かだ。経営戦略としては悪くないのだが。
「俺は希々を困らせたいわけじゃない。だから無難な、」
言いかけている途中で、希々が抱き着いてきた。
「…………景ちゃん、なんで私のこと全部わかっちゃうの……?」
それこそ今更すぎて、抱き返してやりながら俺は笑った。
「希々を一番近くで見てきたのは、誰だと思ってるんだよ」
「……っ景ちゃん…………大好き」
「…………俺もだ」
感極まっている希々の髪を撫でながら、今度は何を贈ろうかと考える。
ネックレスを贈る行為そのものにも意味はある。いつでも傍にいる、あなたを守る、……隠れた独占欲。そしてハートとダイヤモンドには、変わらぬ愛、永遠の愛と言う意味が込められている。
この姉はネックレスの意味までは知らないだろう。でも、気に入って付けてくれたらうれしい。
指輪と言う牽制ができない俺の、せめてもの男避けだった。