1章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*十八話:もう間違わない*
跡部がいるから、話すことはできないかもしれない。それでも久しぶりに、一目でいいから姿だけでも見たかった。
今日は制服やないから、俺も大学生に見えるかもしれん。
そんなことを考えながらミスコンのステージに来て、
――――俺の頭からは全てが綺麗さっぱり消え去った。
『ラストはエントリーナンバー21、2年生の跡部希々さんです! 跡部さん、こちらへどうぞ!』
希々さんの目よりも少し薄い、くすんだアイスブルーのトレーンドレス。金の刺繍と波打つ白いレースは、彼女を妖精と見間違えさせる。
「――――――」
俺は一瞬、結婚式場にでも来たのかと思った。会場は拍手すら忘れて、妖精の動きに注目している。
希々さんは司会者のマイクを受け取って、困ったように瞬きをした。
『あの、…………何をお話しすればいいんでしょうか?』
その言葉で、観客はようやく彼女が生きた人間だと理解したらしい。割れんばかりの拍手が送られた。
『えっ? え?』
『いやー、この拍手喝采を受けては、もう発表と同じでしょう!』
希々さんはおろおろとして、でもある一箇所を見てきゅっとマイクを握った。頷く先を見れば、見たことのない優しい笑みを浮かべる跡部がいた。
「……っ!」
痛む胸を堪え、希々さんの姿だけを網膜に映す。
『他にエントリーしてくださった方達も、自薦他薦問わず美しい方ばかりでした! ですが私、ここまで鳴り止まない拍手を聞いたのは初めてです! もはや私も私の声が聞こえません!』
『あ、あの…………私、何も芸とかできないんですが…………』
どっ、と笑いが起きた。希々さんの鈍さを知らない人からしたら、ミスコンを一発芸大会と勘違いしている可愛い美女、に見えるんだろう。
『ご安心ください! 貴女自身が芸術です!』
『……?』
絶世の美女がひたすら戸惑う姿に、司会者も笑っている。
『毎年このミスコンでは、来場してくださったお客様の拍手の大きさと、事前投票との両方でグランプリを決めています! 今年度の優勝者は、双方で一位を獲得した貴女です! よって跡部さんには、食堂利用50回無料券が献上されます!』
『無料券……? あ! だからみんな、私を勝手にエントリーさせたのね!』
希々さんが目を向けた方向には、いつぞや俺を助けてくれた希々さんの友達がいた。悪戯が成功した時のような表情と、拝むように合わせられた手が見える。
カラクリに気付いた希々さんが、軽く頬を膨らませた。そんな姿さえ、愛しくて。俺は会場の客の一人として、どこか遠くに行ってしまったかのような彼女を見つめる。
『跡部さん、せっかくなので、何か一言いただけますか?』
『あ…………はい』
希々さんは緊張した面持ちで、すっと息を吸った。
『こんなに綺麗なドレスを作ってくださった専門学校の皆さん、学園祭を盛り上げてくださっている皆さん、そして企画運営を考えてくださった文化祭実行委員の皆さんに、この場をお借りして感謝申し上げます。皆さん、楽しめていますか?』
その言葉は、跡部と同じ力を持っていた。
カリスマ的な魅力と、上に立つ者としての威厳。もちろん希々さんにそんなつもりはないんだろうが、生来持つ力は聴く者全てを魅了する。
一瞬、しん、と会場が静まった。
『あ、堅苦しいことを言うつもりじゃなかったんです! 私、緊張しちゃって。今日は弟も見に来てくれたんですよ。ね、景ちゃん!』
ステージ上で希々さんが手を振ると、跡部が振り返した。それによって会場は賑やかさを取り戻す。
『私がもらっていい賞なのかわかりませんが、選んでくださってありがとうございます。この後も学園祭を楽しんで行ってくださいね!』
希々さんが一礼してステージ裏に引っ込むと、再び会場は大きな拍手に包まれた。ついでに跡部の周りに女子が物凄い勢いで集まり始める。
「跡部さんの弟くんだよね!」
「弟くん、めっちゃカッコいいー!」
「高校生!?」
「名前何ていうの!?」
「連絡先教えてー!」
見慣れた景色のようでいて、跡部が年上の女性に囲まれるという図は新鮮だった。相手が希々さんの知り合いなら適当な態度は取れない、ということか。いつもは年上だろうが年下だろうが女子の群れなどばっさり斬って捨てるのに、どうにか角が立たないよう苦心しているのが見て取れた。
そこで俺はふと気付く。
今なら希々さんと話せるんじゃないか。
跡部には悪いが、この機会を逃したら簡単には会えなくなってしまうだろう。ただでさえ俺は避けられているし、跡部も俺と希々さんの接触を妨害している節がある。それでもどうしても、顔を見て直接謝りたかった。
「……堪忍な」
俺は一人呟き、ステージの裏手に向かって走り出した。
***
「ごめんなさいって言ったでしょ!?」
「理由を教えてくれよ!」
「何回も言ったじゃない、離して……っ!」
ステージ裏から、切羽詰まった声が聞こえた。
それが希々さんのものだとわかるや否や、俺は状況も把握できないままに飛び出していた。
「手ぇ離せや!」
「っ、お前……!」
前に会った、井上とかいう男が希々さんの腕を掴んでいる。希々さんは何度も首を横に振っている。その泣きそうなアイスブルーの瞳が、俺をとらえた。
「ゆ……し、くん……!」
「っ!」
たすけて、と、声なき声が聞こえた。
ほんまは跡部が居れば一番なんやろけど、ないものねだりしてる余裕なんてあらへん。
俺は二人の間に割って入った。
「っやめて、ください。希々さん嫌がってるやないですか!」
「オレは理由を聞いてるだけだ! なんで毎回はぐらかされるのか……っ理由を知りたい!」
震える希々さんを背に庇い、井上さんに対峙する。
「……何の、理由ですか」
「オレと付き合えない理由だよ!」
「なんで、はぐらかされてる思うんですか」
「……っ恋愛感情がわからないなんて、納得できるか! 別に好きなやつがいるって言う方がまだ諦めもつくのに、好きなやつがいるわけでもないって言う!」
――この人は、あの日の俺と同じや。嫉妬を抑えきれず、希々さんからの信頼を失ったあの日の俺。
自分が納得できひんから、納得できる答えを希々さんに求めようとしてる。“付き合えない”という結論に変わりはないのに、自分が納得したいがために“それらしい”答えを求める。
「……井上さん、でしたっけ」
「何だよ」
「自分、本当に希々さんから聞きたいんは、理由、なんですか?」
「は? だからそう言って、」
「理由やなくて、納得できる答えやないんですか」
俺がそう言うと、井上さんは息を飲んだ。
「……さっき希々さんは、『何回も言った』言うてました。……井上さんが本当に欲しいんは、理由やなくて自分が納得できる答えやないんですか?」
俺の後ろから涙混じりの声が、それでもはっきりと告げた。
「私、言った……ちゃんと、言った! 好きって気持ちがわからないのに誰かと付き合うなんてできないって、言った。なのに、井上君は違うって言う。好きがわからないなんて普通じゃないって言う。私は普通じゃないんだって言っても、彼氏がいないなら諦められないって言う!」
希々さんは、声を振り絞る。
「井上君が欲しいのは、納得できる答えなんだよ! 私の気持ちも、私の理由も、どうだってよくて……自分がスッキリしたいだけなんだ!」
「違う、オレは本気で跡部のことが好きだから……」
「好きって何!? 一時盛り上がってもだいたいの人は次の年のイベントを別の人と過ごしてる。付き合って別れてまた誰かを探してる! すぐに消えちゃう、誰でもいいようなそんな気持ちが“好き”なら、私は要らない! 知りたくない、欲しくない!!」
息を切らして叫ぶ希々さんの迫力に井上さんが圧された時、跡部が血相を変えて走ってきた。
「何の騒ぎだ!?」
「景ちゃん…………っ!」
希々さんは跡部に駆け寄って、ぽろぽろ涙を零した。跡部は希々さんを抱き寄せてやりながら、俺と井上さんを睨む。
「…………なんで姉貴が泣いてるんですか?」
井上さんはバツが悪そうに目を逸らす。
俺は端的に告げた。
「……この人が希々さんにフラれた理由が納得できん言うて、希々さんに無理矢理迫っとるとこを俺が止めた」
跡部の目が、すっと細められる。
「……それは事実なんですか?」
「……っだって、納得できるわけないだろ!? これだけモテてて、恋愛感情がわからないなんて!」
アイスブルーが絶対零度の怒りを浮かべると同時に、跡部は拳を握った。
「! 待ち、跡部! お前は希々さんから離れんなや!」
まさに殴り掛かるかと思われた怒気が、希々さんの名前に反応して一瞬薄れる。
「っ!!」
跡部は握った拳をゆっくり下ろし、怒りを鎮めるように希々さんの髪を撫でた。
「…………好きな相手を泣かせるのが、あなたの好意ですか。随分安いな。うちの犬小屋より安い」
その台詞にもはや敵意さえ滲ませて、跡部は吐き捨てた。
「二度と姉貴に近付くな。今後指一本でも触れてみろ。……学長に掛け合ってその場で退学にしてやる」
「……っ」
井上さんかて、希々さんの家――すなわち跡部の家を知っている。すでにそれを動かせる長男の本気を感じ取ったのか、足早に立ち去って行った。
跡部は希々さんの頭を撫でながらため息をつく。
「忍足、…………助かった」
「いや…………」
言い淀む。俺は希々さんと話したくて捜していたら修羅場に遭遇しただけだ。礼を言われるようなことはしていない。下心という点においては、俺もあの人と大した違いはない。
「……希々、帰るぞ」
「…………っうん、」
泣きながら、希々さんは頷いた。
俺だって、こんな時に話ができるとは思っていない。
……けれど、希々さんは真っ赤な目を俺に向けて、言った。
「侑士くん、…………ありがとう……」
「――――……」
やめてくれ。
いっそ嫌いになってくれればいいのに。
怖がったままでいてくれればいいのに。
「……景ちゃん、侑士くんも送って行こう?」
貴女はいつだって、俺の望む言葉をくれる。
「…………いいのかよ。怖くねぇのか?」
「……わから、ない。でも、侑士くんがいてくれなかったら……私はきっと、もっとずっと怖かった、から」
優しいアイスブルーが、俺に微笑みかける。
「……侑士くん、約束守れなくて…………ごめんね」
「……っ跡部の言う通りや! 希々さんは何も悪くない! 俺が……っ!」
俺のことなんて見限ってくれればいい。
もう話したくもないと言ってくれればいい。
なのに。
「…………侑士くんがここにいる理由が私との約束なら、一緒に帰ろう?」
車を呼ぶ跡部の横で、希々さんは俺に手を伸ばす。
嘘だ。
本当は、許してほしい。
また、話せるようになりたい。
また、一緒の時間を過ごしたい。
謝りたい。
ごめんなさい、と。
その一言だけでもいいから伝えたくて、ここまで来た。
「…………っ」
みっともなく滲んだ涙を、細い指が拭う。
「……仲直り、してくれる?」
「…………っはい…………っ! 俺、あんなひどいことして…………っ、ほんまに、すんませんでした……っ!!」
希々さんは、柔らかく微笑む。跡部の不機嫌な声が聞こえた。
「……仕方ねぇ、ついでに送ってやる」
「景ちゃん、侑士くんに冷たくない?」
「恋敵に優しくする奴なんて俺は知らねぇ」
「! 景ちゃん、よくそんな恥ずかしいこと真顔で言えるね」
跡部は軽く鼻を鳴らす。
面白くなさそうな跡部には申し訳ないが、俺は今日ここに来て良かったと、心から思った。