1章
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*十一話:ちぎれた絆と理性*
俺と希々さんは、順調に仲を深めていた。
初デートはプラネタリウムで、少し切ない目をして星を見る希々さんの手を握って。二回目のデートは水族館、三回目は映画館だった。
俺は希々さんと一緒なら正直何をしていても楽しい。こんな庶民的なデートでいいのかと訊けば、彼女は笑って頷く。
『侑士くんとなら、何をしても楽しいよ!』
お世辞なんかじゃない、と伝わった。
さすがに大学まで押しかけるような真似はもうしていないが、今度希々さんの大学で文化祭があるらしく、一緒に行く約束をした。
俺と希々さんは端から見たら、付き合っている、ように見えるんじゃないかと思う。
だからこそ、逆に不気味だった。跡部が俺に何も言わないことが。
何事もなかったかのように、授業も部活も淡々とこなしていく。そして、女を取っかえ引っ変えするのをやめた。俺としては希々さんの心労が減ったと喜ぶべきなのだろうが、一連の出来事がまるで嵐の前の静けさのようで、手放しには喜べない。
おかげで試合も上手くコントロールできず、今日も辛勝といった状況だった。
「侑士くん、おめでとう!」
「……あんなテニス、希々さんに見せたなかったわ。格好悪い」
自己嫌悪に陥りそうになる。好きな人の前でくらい、完璧な自分でいたかった。
なのにこの人は、首を傾げて言う。
「カッコよかったよ?」
「――……ほんま、敵わん……」
誰から見て格好良くても、誰から見て格好悪くても、意味なんてない。この人の目に格好良く映ったのなら、それより他に望むものなんかない。
「ねぇねぇ、希々サン! 俺はどーだった!? カッコよかった!?」
希々さんは飛びつかんばかりのジローの頭を撫でて、微笑む。
「カッコよかったよ」
「やったー!」
同時に、ちょうどシングルス1が終わった。いつも通り勝利を引っ提げて、跡部がこちらにやってくる。
「景ちゃん、お疲れ様! おめでとう!」
「当たり前だ」
「当たり前じゃないよ。景ちゃんたちみんなが頑張ったからだよ!」
跡部はスポーツドリンクを片手に、ベンチに座った。
「……景ちゃん」
「ん?」
「今日も、カッコよかったよ」
跡部が微かに目を見開いて、……照れくさそうに破顔した。
「……っ」
ざわ、
俺の胸が音を立てる。
跡部はこんな風に笑う奴やなかった。希々さんに誉められると、余裕のない顔で照れ隠しする奴やった。
でも、希々さんに特に変わった様子はない。
跡部に、何があったんや。
「侑士くん?」
突然、視界に希々さんが入ってきた。
「難しい顔して、どうしたの? 今日の試合、納得いかなかった?」
「! ……っ」
俺より背の低い希々さんが俺を見上げれば、必然的に上目遣いになる。
優しいアイスブルーが俺を映す。
「な、んでも、ありまへん」
「ほんとに?」
「……ほんまは、…………」
好きだと言えるだけで満足できたはずなのに。デートしてもらえるだけで、笑顔を向けてもらえるだけで、満足なはずなのに。
俺はどんどん欲張りになる。
希々さんから誉められるのは自分だけがいい。希々さんが触れるのは自分だけがいい。付き合っているように見える、だけじゃなく本当に付き合いたい。好きだと言われたい。
「……っすんません、ちょっと俺忘れ物思い出してん、失礼します」
駄目だ。希々さんに合わせてゆっくり進むと決めた。こんな些細なことで、希々さんに負担をかけたくない。
俺はなけなしの理性で彼女から離れる。
「侑士くん……?」
「……すんません」
何とか微笑みを作って、本校舎へと歩き出した。子供の俺は、自分の衝動で好きな人を傷付けそうになったら、距離を置いて冷静になることくらいしかできない。
好きだから我儘になる。でも、好きだから守りたい。甘い痛みを伴うこの感情は、この人に関わる時にしか生まれない。告白する前はどこか遠くて、憧れに近しい感覚もあった。
それが今は我欲の塊だ。こんな激情が自分の中にあったことに、俺自身驚いている。
「ふー…………」
とりあえず頭を冷やそうと、用もなく理科室に足を運んだ。俺が、告白した場所。
初めて彼女を抱きしめた場所。
俺の恋が、加速を始めた場所。
適当な机に座ってぼんやり窓の外を眺める。空は重たい雲が立ち込めていて、一雨来そうな様子だった。
希々さんは跡部が連れて帰るやろ。
俺は雨にでも打たれて、頭を冷やしてから帰ろう。
そう思っていた時、理科室のドアがカラ、と開かれた。
現れた人物に、瞠目する。
「な、んで…………」
希々さんは、困ったように笑った。
「だって、侑士くんが元気ないんだもん」
俺の隣で、えいやっ、と言いながら希々さんは机に腰を下ろした。
「ふふ。机の上に座っちゃいけません、なんて怒る人、今はいないから」
悪戯っぽい笑みに、切なくなる。
「……あ、景ちゃんたちだ! 見えるかな?」
希々さんは窓の向こうに大きく手を振った。小さく見えるテニス部の面々の中、跡部だけがこちらに気付いた。希々さんに手を振り返し、――何故か俺を見て、軽く唇の端を上げる。
「……っ!」
ざわ、
胸の底がざらつく。
「景ちゃんたちには言ってあるよ。侑士くんと一緒に帰るから先に帰ってて、って」
「跡部は……何て?」
「あんまり遅くなるなよ、って。最近景ちゃん、優しいんだ。なんでだろ?」
あいつは何を考えてるんや。
希々さんのこと突き放したり優しくしたり、俺に何も言わないどころか希々さんを任せたり。
ほんまに、何考えてるかわからん。わからんくて気味が悪い。
「侑士くん。私、侑士くんの楽しいデート、できてる?」
希々さんは俺の手に指先が触れるか触れないかの距離で、俺を見つめる。
「私は、楽しい。水族館ではイルカのぬいぐるみ一緒に見てくれて、嬉しかった。映画館ではポップコーン買うの一緒に並んでくれて、嬉しかった」
こんな庶民デートでも、この人は喜んでくれる。そのことが何より嬉しい。
「私ばっかり楽しい時間をもらっちゃってるけど、侑士くんは……楽しい? 無理させちゃってない?」
「……っ楽しいに決まっとるやないですか……! 俺かて、希々さんが喜んでくれて嬉しいし、希々さんと居られんならどこでも楽しいです!」
「でも、侑士くんはこういうの、慣れてるんでしょう?」
「は……?」
一瞬、頭が真っ白になった。
「侑士くんは格好良いから……そんなの慣れてるって、景ちゃん言ってた。だから安心してエスコートされて来い、って」
いやいや、何を言ってんねん。何の話やねん。
声が掠れる。喉が詰まる。
「な、にを…………」
「侑士くんは……もっと刺激的なデートがいいのかなって、わかって、るの。私が慣れてないから合わせてくれてるんだって、ちゃんとわかってる」
ふざけんなや。跡部、お前家で何を希々さんに吹き込んでんねん。
「俺は……っほんまに、希々さんと居られるだけで楽しい! 嬉しいし、幸せや!」
「……でも……」
「慣れてる? 俺が希々さんを好きになったんは中2やで? 中1やそこらでデートの達人になれるとでも思ってたんすか?」
俺の怒気を感じ取った希々さんは、怯えたように机を下りて距離を取った。
「景ちゃんは、できてたから……侑士くんも同じって、聞いて……」
「希々さんは跡部の言うことなら何でも信じるんやね」
俺も机から腰を上げて、彼女に足を向けた。
「だって、景ちゃんが私に嘘つく理由なんてないよ」
彼女が一歩後退るたびに、俺は一歩近付く。
「……俺が此処で告白したこと、覚えてますか?」
「覚えてるよ、もちろん……」
怯えた瞳に、今までなら優しくできた。でも今は、そんな余裕がない。
「俺の言葉、信じてくれますか? 跡部の言うことと違ても」
「侑士くんの言葉、疑ってなんか……!」
「ならなんで、俺が慣れてるとか言うんですか。跡部にできることが俺にもできるなんて、なんでそう思うんですか」
希々さんは壁に当たって、逃げ道を探す。その視線が目の前の俺以外を求めることに、苛立ちは止まらない。
「俺の一世一代の告白より、跡部から見た俺の像の方が希々さんの中ではしっくりくるん?」
「そ、れは、」
「俺は女友達とだって、二人でなんか出掛けへん。二人きりで会うんは希々さんだけや」
逃げ道を塞ぐように、壁に両手をつく。希々さんは震える両手を胸の前で組む。祈るような仕草さえ、俺を拒絶していると錯覚してしまう。
跡部の言葉の影響力に舌打ちしたくなる。
「笑ってくれるだけで嬉しい、LINEスタンプ一つで嬉しい、声を聞けるだけで嬉しい。年上で金持ちの希々さんが何したら喜んでくれるかわからんくて、悩んで、でも希々さんを喜ばすこと考えるのも嬉しくて」
「侑士、くん……」
「跡部が何言ったか知らんけど、俺は希々さんとのデート、初めてだらけや」
中1の頃から、跡部程ではないにしろ俺もそこそこモテていた。デートだってしたことはある。ただそこに、俺からの恋愛感情はなかった。向こうからの好意を裏切るのが申し訳なくて、背伸びしたデートプランも考えた。
でも、俺が本気で好きになって本気で頭を悩ませるのは希々さんが初めてだ。
「跡部が何て言うても、俺の気持ちは俺にしかわからん。頼むから、俺の言葉を信じてください。……俺、希々さんにだけは遊び人みたく思われたないです……」
希々さんの目が揺らいだ。
「侑士くん…………ごめんね。そう、だよね。景ちゃんとか他の人から見た侑士くんが、本当の侑士くんなわけじゃないのに」
希々さんが眉をハの字に寄せ、俺の頬に手を伸ばす。
「……ごめんね」
その、瞬間だった。
俺に手を伸ばしたことで、高そうな茶色のカーディガンが彼女の肩からずり落ち、インナーのワンピースが晒される。
控えめにだが肩の開いたワンピースは重力に従って、彼女の白い素肌を露にする。
カーディガンを着ていた時はわからなかった。
滑らかな鎖骨に、濃く付けられたキスマーク。
「――――!!」
刹那、取り戻しかけた理性が音を立ててちぎれ落ちた。
「……希々さん、家で跡部と何してるん?」
「? 何もしてないよ?」
「じゃあ跡部のこと、どう思ってはるん?」
希々さんは後暗いところなどないように真っ直ぐ答える。
「頼りになる弟、かなぁ」
信じたい、けれど。勝手に跡部が彼女の知らない間にやったことだと思えば辻褄は合うけれど。
俺の中のわだかまりは、そこで踏みとどまってはくれなかった。
「希々さん、デートかて俺とが初めてで誰とも付き合うたことない言うてたやないですか。なら、…………キスもしたことない、ですよね…………?」
「!」
希々さんは息を飲んで、すっと視線を逸らした。
「う、ん。したこと、ないよ」
――何やの、その反応は。
「俺に嘘つかんでください」
「嘘じゃないよ」
「ほんまに?」
「……っ一回、酔った景ちゃんが彼女と間違えてしてきたことはあったけど……! でも、弟との事故なんて回数に入らな――――」
この期に及んで跡部の名前。
彼女と間違えた、なんて陳腐な言い訳を信じるこの人も。
酔った勢いでこの人の初めてを奪った跡部も。
イラついて、仕方ない。
希々さんの頤を掴んで、柔らかい唇を己のそれで塞ぐ。
「……っ!? ん…………っ!」
最初は何が起きたのかわからず呆然としていた希々さんが、事態を把握して抵抗する。
そんなん、抵抗のうちに入らん。
跡部は良くて俺は駄目なん?
認めん。絶対認めん。
「ゃ…………っ!」
両手を無理矢理拘束して、細い両足の間に身体を捩じ込む。
角度を変えて何度も口づける。
想像より数倍の破壊力を持つその快感に、あっという間に夢中になった。
「ん…………っ!」
香水なのかシャンプーなのかわからん良い香り。熱い吐息。腰にくる、鼻にかかった声。華奢で柔らかい身体も、唇も、全部が気持ち良くて欲情が止まらない。
壁に押し付けたまま、噛み付くように唇を奪う。
「や、だぁ…………っ!」
普段なら見たくない綺麗な涙さえ、俺が引き出した感覚だと思えば罪悪感なんて湧いてこなかった。
欲しい。欲しい。もっと欲しい。
この人の全てが。
あいつに取られる前に、俺が。
奪うなら、いっそ全部。
まともな思考が吹き飛んだ俺の前で、希々さんは可哀想なくらい震えていた。涙を溢れさせて、呼吸の合間に助けてと訴えて、でも俺の足が邪魔で逃げられない。
キスを深めようとした瞬間、脳裏を跡部の笑みがよぎった。
あいつが笑った理由。
俺と希々さんが一緒に居れば、当然目ざとい俺は所有印に気付く。冷静さを欠いて強引に迫れば、希々さんは怖がって逃げ出す。どこに?
――信頼できる、弟のところに。
「……っ!」
我に返った俺の不意をつき、希々さんは身体をよじって拘束を抜けた。
振り向きもせず、扉に体当たりする勢いで理科室から走って行く。
「待っ、…………」
追おうとして、俺にその権利はないと今更ながらに後悔した。
……本当に、俺は子供だ。我慢すれば良かったのに。できたはずなのに。せっかく繋いできた彼女との絆を、自らの手で壊してしまった。
「……なんで……」
壁に手をついて崩れ落ちる。
「なんで…………っ!」
『侑士くん!』
あの笑顔も優しい声も、挑発に乗って手放してしまったのは自分だ。
「……っ」
今度は俺の両目から、雫が溢れた。言い繕う余地すらない。自業自得の涙だった。