審神者、夫婦に振り回される(いちみか)
三日月宗近、といえばその名に相応しく刀身に三日月に見える打ち除けがあることで有名ではないか。一期の妻は夢に出てきた通りの人物ならば、瞳に三日月を飼っている者だ。初めて夢に見た時もその瞳の美しさに見惚れてしまい、目が覚めてもその瞳に恋い焦がれて仕方なかった。冷静に考えればその夢を見だしたのは三日月が顕現された日である。一期の取り戻すことがなかったはずの記憶が、愛しい妻の存在に強く反応したのではないだろうか。つまり、三日月宗近が一期の愛しい妻だ。それは憶測に過ぎないが、きっとそうだ。一期は頭の中でそう断言した。
さて、その三日月であるが、ただいま追いかける一期から逃げている最中である。瞳の三日月という一期の言葉を聞いて、その場にいた審神者が三日月に視線を滑らせたお陰で、一期はようやく三日月と妻がイコールであることに気付くことが出来た。しかし、三日月はいわゆる羞恥心なるものに負け、その場から逃走してしまったのだ。一期もすぐに追いかけたが、これがなかなか追いつくことが出来ない。
(あんなに動きづらそうな装いだというのに・・・)
刀剣男士の強さが見た目に比例しないことなど、例えば大太刀の蛍丸を見れば分かることである。三日月も線は細い青年の姿であるが、天下五剣だ。錬度は圧倒的に一期の方が高いというのに・・・。一期は一定の距離から離されないように追いかけながら悔しく思った。本人は気が付いていないが、一期は無意識の内に三日月に追いつくか追いつけないかの距離を保っている。それは、この一週間妻だと気付くことの出来なかった贖罪の気持ちか、はたまた狩りを楽しむような捕食者の気持ちなのか。本人が分かっていないのだから、誰にも分かるわけがなかった。
「待って下さい三日月殿!」
「嫌だ!絶対に嫌だ!!」
待ってくれ、嫌だの問答を大声で繰り返しながら廊下を爆走するふたりに、本丸中の刀剣男士たちが何だ何だと様子を窺う。燭台切はすれ違いざまに「廊下を走ったら危ないよ」と声をかけたものの、件のふたりには聞こえてないだろうと溜め息を吐いた。隣を歩いていた大倶利伽羅は先を走っていた三日月と衝突しかけ、一期が走ってきた時には燭台切の後ろに隠れた。
「・・・何かなあれは・・・。ふたりともあんなに騒がしくする刀じゃないと思っていたんだけど・・・」
燭台切の独り言に大倶利伽羅は無言で肯く。おおらかな三日月と真面目な一期。これらの刀が本丸の廊下を爆走するのは珍しいを通り越して何か事件でも起こったではないかと疑ってしまう程だ。
「三日月と一期が鬼事とは珍しいな!驚いた!」
「鶴丸さん!?」
突然話に加わって来た白い後ろ姿・・・鶴丸の出現に燭台切と大倶利伽羅はただ驚くしかなかった。鶴丸は好奇心のままに走り去った二振りを追いかけて行ってしまう。呆然と見送ってしまった燭台切であったが、大倶利伽羅の「放っておいて大丈夫なのか・・・?」という心配する言葉で急いで鶴丸の後を追いかけたのだった。
*
一期が逃げる三日月の背中を捕らえることが出来たのは、審神者の部屋を飛び出してから半刻が過ぎたころだった。庭に躍り出た三日月が石に躓きかけたおかげで距離を詰めることが出来た。三日月の腕を強く掴んで、一期は息も絶え絶えになりながら声を出す。
「やっと、追いつき、ましたよ!」
一期に手を取られた三日月はとうとう観念したのか、今度は逃げ出そうとしない。しかし、一期を拒絶するように顔を背けて何も答えようともしなかった。それに焦れる一期は三日月の肩を掴み、真正面から相対する。
「逃げないで答えて下さい…貴方が私の愛しい妻なのでしょう?」
初めて会った時から感じている胸の高鳴りも、殆ど覚えていない妻と共通している。それが妻だという証拠になりえるのかは分からないが、一期には確信があった。こうして触れているだけで懐かしい愛しさがあふれて来るのだから。彼を思い出せなくて申し訳ないという罪悪感があったことも、無意識のうちに妻だと感じていたからなのだろうか。むしろどうしてこの一週間そのことに気が付けなかったのか不思議でならない。それを後悔しても仕方ないが、今からでも自分の気持ちを伝えるのにはまだ遅くないはずだと信じたい。
「…顔を、見せて下さい」
肯定も否定もしない三日月に焦れたのか、一期は半ば強引に三日月の肩を引いて顔を覗き込む。三日月は不安そうな顔をしていたが、その瞳はどこか期待に満ちていて、月にも見える打ちのけが湖面の中でゆらゆらと揺れている。一期はその瞳に魅せられ、無意識のうちに溜息を吐いた。
「やはり、美しい月だ。私はこの瞳が好きだったのです」
「…忘れていたではないか」
口ではつれない態度を取りながらも、三日月の瞳は一期から逸らされない。自分より長く存在している刀だというのに、純粋でどこか幼さも感じる素直さが一期は好きだと感じた。いつもは飄々とした態度を取っている三日月が、自分だけにはこういう顔を見せてくれる。彼はまだ自分を愛してくれているんだ思うと一期の顔が自然に緩んでいく。一期は三日月の瞼に口付けを落としてから「では、」と口を開いた。
「また私と夫婦になっていただけますか?三日月」
一期の真剣な眼差しを受けて、三日月は一瞬戸惑うように顎を引いたものの、恐る恐る一期の首に両の腕を回した。
「…はい、お前様…」
三日月の返答は囁きに似たもので、とても小さい声だった。しかし、一期の耳にはしっかり届いていた。一期はその返答を受け、優しく、しかしそれでいてもう離さないと言わんばかりに強く三日月の肢体を己の腕に閉じ込めたのだった。腕の中の温もりにただただ幸せを感じて、一期はまるで時が止まってしまったかのような錯覚を覚えた。そんな中、ふたりだけの空間だと思い込んでいたこの場に、第三者の声が割って入って来た。
「…こいつは驚いた。まさか庭の中心でラブシーンを見せつけられるとは」
今夜は夫婦誕生の祝いだな。楽しそうに笑うのは鶴丸の声だった。我に返ったふたりが周りを見渡すと居るわ居るわ野次馬と化した同胞たちの姿が。彼らに愛しい人との逢瀬を見られた、そう認識した途端に恥ずかしくなってきた一期は思わず三日月を抱きしめたまま固まってしまった。それは三日月も同じだったようで、しばらく放心したように周りを見渡して、それから羞恥心からか赤くなった顔を隠すように一期の首元に顔を埋める。
そう、鶴丸の言葉通りここは本丸の庭の中心地。派手な音を立てて追いかけっこをしていた一期と三日月を心配して追って来た刀たちが目撃したものは、まさに夫婦誕生の瞬間という目出度い現場だった。いや、元々夫婦だったわけだから正確に言えばよりを戻した瞬間だった。しかし、そんな事実を知っている刀の方が少ないのだから、一期の弟たちを初めとして色めき立った雰囲気が広がって行く。
ああ、しまった…と一期が遠い目をした視界の隅には兄の恋が成就したらしいことに喜ぶ自分の弟たちと末弟のラブシーンを見せつけられて面白くなさそうにしている三条派の刀たちの姿があった。これは後々厄介そうだと一期は思わず引き攣った笑いが込み上げる。更に問題なのは一期の首元に顔を埋めてプルプルと震えている三日月であろう。顔は見えなくても短い髪の隙間から見える耳がまたもや真っ赤に染められていて、三日月が羞恥心を覚えているらしいことに気付いてしうのは仕方ないことだった。
「三日月」
一期が心配になって恐る恐る声を掛けると、三日月は勢いよく顔を上げるが、美しい顔から首までもハッキリ分かるくらい真っ赤だ。先ほどまでと違うのは一期の好きな瞳が羞恥心から来る涙で覆われていることだろうか。一期が思わず涙袋に溜まりかけている雫を指で掬おうとしたところで、三日月は一期から大きく距離を取ってまたもや駆け出して行ってしまった。あ、と声を上げる間もなく逃げ出した三日月を再び追いかけようと駆け出す一期の背中に、周囲の冷やかしの声が投げられて恥ずかしい思いをしたが、その恥ずかしさは一期にとって嫌なものではなかった。
*
「あれ?みんなあつまってますね」
出陣から戻った三条派たちは本丸中の刀が中庭に集まって騒いでいるのを見て、報告をそっちのけに庭へと歩み寄って行った。すると、その中心に三日月の姿を確認して兄たちは慌てながら刀たちの波を掻き分けて前の方へと躍り出た。
「何事じゃ?」
自分たちの弟が何やら言い争いしているのを見て、小狐丸が何があったのか前にいた鶴丸に聞く。三日月が言い争う相手が昨日話題になった件の旦那ではないか。鶴丸の方も詳しい事情を知らなくらしく、ふたりが鬼事をしているから気になって来たら言い争っていたと回答される。何やら嫌な予感がすると三条派たちがそう思った矢先、三日月が一期に抱き付いた。一期が夫であると認めた途端に沸き上がる周りの刀たち。鶴丸も野次を飛ばして楽しんでいる。しかし、前日の三日月の様子を知っている三条派たちは急展開過ぎて何が何だが分からずに目を丸くすることしか出来ない。
「どうやらあの二振りが夫婦になったらしい」
目出度いな。しかし、彼らはいつからそんな仲になるほど親しくなったんだ?と首を傾ける鶴丸に三条の刀たちは苦々しい顔を我慢出来なかった。いや、鶴丸にというのは正しくない。正確にはこの一週間三日月のことを思い出せなかった一期が、今日になって三日月に接近したことに複雑な思いを隠せなかった。
「・・・きょうだいだけのえんせい、ちゅうしになってしまいましたね・・・」
長兄の悲しそうな呟きに、弟たちもまた気落ちする自分の気持ちを止めることが出来なかった。
