審神者、夫婦に振り回される(いちみか)

何時も頼りになる近侍が弱弱しく白いシーツの海に沈んでいる。その枕元に座り込んで倒れ伏す一期の手を強く握りしめた三日月は、絶えず涙を流しなが弱る夫に対して必至に呼びかけている。その光景に俺は思わず言葉を無くして立ち尽くして見守ってしまった。

「お前様っ!お前様しっかりしてくれ…!」
「ぅ…三日月…」
「お前様俺を、置いていかないでくれ…お前様ぁ…!」

一期の擦れた吐息を聞いて三日月の瞳から更に涙が溢れる。一期に覆いかぶさるように伏せて三日月が悲痛の声を一際大きく響かせたところで、我慢が出来なくなった俺は思わずツッコミを入れてしまった。

「って、一期はただの風邪だ!安静にしてやれ!!」

三日月を羽交い絞めにして一期から引き剥がすと、思っていたよりは軽いその体を引きずって何とか隣室へと移動した。なるべく静かに襖を閉めてから、しめじめと泣き崩れる三日月を見下ろす。一期が熱で倒れただけでここまで動揺する三日月を見ることになるとは思っていなかった。

(…まあ、この夫婦の仲睦まじさを考えれば当たり前か)

でもいつもマイペースに微笑む三日月が泣き崩れる様は見ていてとても痛々しい。一期が死んでしまうと勘違いして悲しみに暮れる三日月が哀れで仕方なくなった俺は、隣室で寝ている一期を起こさないように声を潜めて一期の状態を三日月に説明した。
始めは聞きたくないと、嫌々と首を振る三日月だったが、俺の説明を聞いてようやく理解したらしく涙を止めた。キョトンと目を瞬かせて俺の顔と、一期が眠る部屋へと続く襖を交互に見比べて恥ずかし気に袖で顔を隠した。可愛いすぎかおい…。

「あれが風邪だったのか…」

若干ぷるぷると震える三日月がとても小さく見えて、思わず可愛いと思ってしまった。いやいや…見た目最上級でも野郎だからな?落ち着こうぜ俺。あれだ、小動物とかを愛玩する気持ちに近いから。決して男に胸キュンしたわけじゃねーから。

「あんなに顔を赤くして…体も熱いから死に至る病かと…」
「安静にしてれば大丈夫だ…」

俺がそう返すと安心したように微笑んで、吐息混じりに「そうか…良かった」と三日月が呟いた。三日月も冷静になったようで良かった。これで寝込んでいる一期も安心して眠れることだろう。
俺は安堵の息を吐いてから改めて三日月に目線を戻すと、そわそわと落ち着きのない三日月の姿が目に入った。どうやら一期の元へ戻りたいようだが、さっき俺に引っ張られて部屋を追い出されたことで戻って良いのだろうかと伺っているらしい。風邪を理解した三日月ならばもう騒がないだろうから別に構わないわけだが、一期の傍に居たら風邪を移されてしまいそうで許可をして良いものか悩むな。

「人間の体を得て日が浅い三日月を風邪を引いている者の近くに置けませんよね、ぬし様」

突然背後からイケメンボイスが聞こえてきて、俺は思わず大袈裟に後ずさる。その時非情に間抜けな声が口から飛び出した気がしなくもないが、気にしたら負けだ。
俺の背後を意図も簡単に取りやがった相手は右手で狐の形を作りながら「コン」と悪戯めいて笑った。まるで人を化かすような笑みにしか見えない笑いを零すのは三日月の兄刀、小狐丸。「ぬし様すごい声音でしたね」とカラカラ笑う狐に怒りが湧かないわけではなかったが、それを口に出せない俺のへたれさよ…。

「兄上…しかし、俺は旦那様の傍に居たいのだ」
「気持ちは分かるが三日月、お主はまだ人の肉を得たばかり…風邪に対する免疫力が弱いのではと兄は心配になる」

一期もお主に風邪を移したくはないだろうな、我儘を言う弟を窘める兄の顔をする小狐丸。こいつ…傍迷惑な夫婦の喧嘩の時の取り乱しようが嘘のようなレベルで良い兄貴ぶってやがる…。
小狐丸に言っても自分の要求は通らないと悟ったのであろう三日月は難しい顔をして、今度は俺に向き直った。

「主、一期のために俺が何か出来ることはないか?」
「え?多分ないけど」

真面目な表情で訴える三日月に対してそんな軽い回答をしてしまう。いや、でも小狐丸の言った通り、顕現したばかりの三日月にやれることはあまりないだろうと思ったからだ。別に三日月を悲しませたいわけではないのだが…しょぼくれる三日月の顔は見ていたくないものなんですが、それは…。
しょぼーんとする三日月を宥める小狐丸と、おろおろするしかない俺というカオスな状況に、さらに忍び寄る影がひとつ…。

「俺に任せろ!」
「鶴丸!?」

スパーン!!と襖を開いて現れたのは刀は真っ白な衣装を翻して叫んだ。鶴丸だ。何時の間にそこに居たのだろうか、疑問は尽きない。そして、美少女に見紛うその顔は笑顔に満ちていて、嫌な予感しかさせなかった。

「一期の看病の仕方、俺が教えてやるぜ!だから君は安心して俺に付いて来ると良い」
「本当か鶴丸!」

自然な動作で三日月の手を取った鶴丸は、これまた自然な流れで三日月を部屋から連れ出した。鶴丸の鮮やかさに呆気に取られていた俺と小狐丸は、しばし無言でふたりが消えた廊下を見つめてしまった。それから思い出したように俺は隣室で寝ている一期を気にせずに思いっきり叫び声を上げた。

「安心出来るか!!!」

こんなにツッコミが遅いとは…今日の俺は非情に絶不調である。


*


慌てて三日月を連れて行った鶴丸を追いかけて俺と小狐丸は駆け出した。しかし、追いかけるのが遅すぎて廊下へ躍り出た時にはすでに二振りの姿は見当たらなかった。

「チィッ…小狐丸!臭いを辿れないのか!?」
「ぬし様、私は名に狐とありますが、刀ですので出来ませぬ」
「そうだよね!ちょっと無茶振りしちゃったねごめんね!」

狐はイヌ科だけど小狐丸は刀だもんね!ちょっと自慢の髪をしなっとさせて若干落ち込む小狐丸に俺は素直に謝った。兎に角追いかけようと勘に任せて走り出した。
途中ですれ違ったに陸奥守にふたりを見なかったかと尋ねると、気の良い刀は笑顔で「見たぜよー」と朗らかに笑った。陸奥守の肩を掴んでどこに向かったか訊ねると、鶴丸が台所へ行くぜと楽しそうにしていたと教えて貰えた。

「台所…何か食べ物を作るつもりじゃろうか」
「食べ物…嫌な予感しかしないぜ…」

鶴丸はたまに夕食作りの手伝いをしているところを見たことはあるが、料理を作るのが得意かと言えば首を傾げるしか出来ないし、顕現したばかりの三日月に至っては料理をしたことがあるはずがなかった。そう考えると嫌な予感しかしないのは当然だった。
台所の前まで急いでそっと室内を覗きこむと調理道具を物色する鶴丸の後姿と、それを見守る三日月の後姿が見えた。鶴丸は内番服だが、三日月は防具を外した狩衣姿のため調理をするなら汚してしまいそうで、それもまた心配だった。

「だ、大丈夫か…」
「ぬし様、そのように焦らなくても三日月なら完璧に出来ますよ」
「ブラコンのお前の言葉は信じねーから」

俺の言葉に小狐丸は「ぶらこん?」と目を点にさせた。どうやら意味を知らないらしい。三条は本当に横文字弱いな…いや、意味を知らなくて良い言葉だけどな。
ガサガサと棚を漁っていた鶴丸は勢いよく戸を閉めて、元気よく三日月に振り返った。

「よっし三日月!取りあえず病人食ってやつを作ってみようぜ!」

確か米があれば出来たはずだと親指を立ててウィンクする鶴丸が嫌に決まっていて腹が立つレベルだった。これだから顔が良い奴は何やっても許されるなぁオイ。

「病人食ってやつとか言ってるぞあいつ…!」

米があれば…ってことはお粥を作るつもりか…俺は梅粥が好きだ!アッ、どうでもいいか…。
病人食を作ると聞いても三日月は動じずに笑顔を絶やさなかった。綺麗に微笑んで鶴丸の言葉に頷いて応える。

「あい分かった。ところで鶴丸。病人食とは何だ?」
「俺も詳しくは知らないな」

ここでお前も知らないのかよ!!と叫ばなかった俺は偉いと思った。横で小狐丸が「言い出した者が詳しく知らないとは…」と小さく呟いたのは聞こえてきた。小狐ちゃん、ちょっと怖いよ。

「よしまずは調べるか」

イェー!と盛り上がるふたりは高いテンションのまま台所を飛び出してまたどこかへ走り去ってしまった。俺と小狐丸は特に隠れていたわけでも無かったのに、俺たちの横を通り過ぎて行ったふたりは俺たちに気が付いた様子は無かった。何?俺そんなに存在感ないかな?とマイナス思考に考えそうになるが、横にいる小狐丸が存在感ないはずないだろうと考え直して、単にあの二人テンションが上がり過ぎて気が付かなっただけだなと結論付けた。
見た目の優美さを裏切る大きい足音を響かせながらまた走り去っていくふたりを思わずまた見送ってしまったが、今度はすぐに追いかける気力が出なかった。思わず疲れたような声を出してしまったのも仕方ないことだろう。

「お、おい…本当に大丈夫かあれは…」

独り言が疑問形になってしまったのが悪かったのだろう。横にいる小狐丸がドヤ顔で弟自慢をしてきやがった。

「三日月ならちゃんと調べられますので大丈夫ですよ」
「もうブラコンはちょっと黙っててくれ!!」

やはり小狐丸は「ぶらこん…?」と目を点にさせるのだった。

「…しかし、ぬし様。三日月を止めれば夫の横に居たがりますゆえ、このまま好きなようにさせてやって下さいませんか?」

小狐丸の言葉には一理あった。確かに三日月を止めれば、彼は高熱で魘されている一期の看病をしようとするだろう。先に怪訝した通りまだ病気に対して抵抗力がなさそうな三日月を長時間一期と接触させたくはなかった。
三日月に病人食を作らせれば本人も一期のために何か出来たと満足感を得られるだろう。

(だったら好きにやらせた方がいいか…?)

でも、料理慣れてないあいつらに任せるのは恐ろしいから陰から見守ることにしていきたいと思った。というかあいつらの暴走に巻き込まれずに、それでいて見張る手段はそれしか無かった。

「この小狐も一緒に参ります」

再び走り去っていった二人を追いかけようとした俺に小狐丸がそう主張して付いてきた。こいつも弟が心配なんだろうな。そう思って拒否もしなかった。


*


再び三日月と鶴丸の捜索をするところから始まった。今度は広間の方へ向かうと、目立つ二人組が眼帯を付けたイケメンを取り囲んでいるのを発見した。俺と小狐丸はまたもや陰に隠れて様子を伺う。

「え?病人食の作り方を知りたい?」

眼帯のイケメン…もとい燭台切はコテンと首を傾けて恐らくふたりにせがまれた内容を繰り返した。見た目超カッコイイのに、意外と可愛らしい仕草とかするよなと思う。でもこれってイケメンに限るってやつだろ、俺ちゃんと知ってるんだから…。

「ああ。頼むぜ燭台切」
「うむ。俺からも頼む」

ぺこりと頭を下げて教えを乞う平安太刀の何と行儀正しいことか。

「あっ…ちゃんと料理出来る奴に教えを乞うてるな…偉いぞお前ら」

奴らの保護者みたいもんとしては嬉しい限りだ。あいつら俺より大分年上だけど。よく分からない感動を俺が覚えている。

「良いけど…何で僕に?」
「料理が好きだと聞いてな。病人食のことも知っているのではないのかと思って」

三日月がそう応える横で一緒に見守っていた小狐丸が目を輝かせた。

「ほら、ぬし様。三日月の発案みたいですよ。ぬし様ほら」
「はいはい。三条の末っ子さんは頭良い子ですねー」

軽く流そうとした俺の真意に気が付かない小狐丸は深く頷いて「三日月は本当に私の自慢の弟です」と頬を紅潮させて笑った。そんな素直に喜ばれると流そうとしたのに罪悪感感じちゃうだろ…。

「今、一期が熱出しててな。三日月に作らせた方が本人も喜ぶだろう?」
「ええ…三日月さんに?心配だなぁ…」
「そのために俺が付いてるんじゃないか!」
「えええー…もっと心配だなぁ…」

燭台切の反応に鶴丸は「何でだよ!」と腑に落ちないといった風に声を上げるが、正直それは俺も同意であるために深く頷いておいた。隣の小狐丸も「鶴丸は真面目にしていれば問題ないのだが…」呟いているが、まさにそれな、となる俺だった。
平安太刀のお願いに燭台切は了承の言葉を紡いで微笑んだ。「やっぱり簡単なのはお粥だね」と言ってメモ帳を取り出しす。

「僕が教えてあげたいところなんだけど、これから遠征なんだ。歌仙くんとか料理出来る刀も一緒だから…作り方のメモだけ書くよ」
「手間をかけるな…ありがとう、燭台切」

燭台切の了承の言葉に三日月も鶴丸も顔を見合わせて嬉しそうに笑う。二人とも見た目が美人の造形をしているから、そうしていると美少女のように見えなくもなくて悔しい。
喜ぶ二人を尻目に燭台切は今度は今度は困ったように眉を下げて笑う。その視線の先には三日月の姿がある。

「ところで三日月さん、狩衣のまま料理は止めてね。ちゃんとエプロンも付けてね」

俺の代わりにそれを突っ込んでくれてありがとう燭台切。


*


さて燭台切に言われた通り鶴丸が三日月を内番服に着替えさせ、エプロンを着用させた。エプロンは白いフリルがあしらわれていて、どこかで見たことあるな…と思ったら俺が乱に買ったものの、本人に拒否されたフリフリエプロンだった。あんな恰好しているからてっきり可愛いのが良いかと思ったのに、案外本人自身は男前で普通のが良いと笑顔でお断りされたものだ。
箪笥の肥やしになっていたフリフリエプロンだったが、どうやら鶴丸がそれを引っ張り出して三日月に着せたらしい。美しい造形だからか、普通に似合っていてあまり面白くない。ちなみに鶴丸は燭台切が愛用している黒いエプロンを使用している。お前白への拘りはどうした。
必要な調理用具、材料を用意したふたりは気合入れていた。奴らが気合を入れれば入れる程俺は不安になるわけだが。

「さて。作るか鶴丸」
「いいぜ。君よりは料理の経験はある。任せてくれ」
「よろしく頼む」

鶴丸の指示の元、料理のりの字も知らないレベルで調理に携わったことがない三日月がお粥を作るらしい。

「だ、大丈夫か…」

まず米を洗うと聞いて洗剤を投入しようとした三日月を鶴丸が止めたのを見て、不安はますます募るばかりだった。洗剤で洗った米で作ったお粥を食わされたら、錬度の高い一期でも下手したら死んでしまう…。風邪で苦しむ一期を故意ではないとはいえ、追い込もうとするのは止めてあげてやれ。
鶴丸も同じことを考えたのだろうか、青い顔で洗剤はいけない駄目だと三日月を必至に止めている。不安に思っていたが、鶴丸が一期と三日月のために動こうとしている気持ちがあることは理解出来た。今回の鶴丸は一期と三日月を冷やかす気持ちではなく、一期を看病したいという三日月を純粋に手伝いたいという気持ちがあるのだろう。三日月が何かをやらかす度に蒼い顔して全力で止めている。

「…三日月に道具の使い方や注意しなければならないことを前もって説明してやれば良いものを…」

それな。小狐丸のツッコミに俺は無言で同意した。
米をといで炊飯ジャーに米をセットしている二人は「面妖なからくりだな」「これで楽に米が炊くことが出来る」「なんと…」と会話しているのを聞こえてきた。そう、自腹揃えた現代のキッチンセット…今でこそ調理が上手だが、顕現したばかりの俺の初期刀の歌仙は当然料理なぞしたことがあるはずもなく、俺が飯を用意するしかなかった。だから、料理経験はあまりない俺でも簡単、かつ安全に上手い料理が作れるように炊飯ジャーや電子レンジなどなどを揃えたのだ。だってガスコンロしかなかったんだ…丸焼きにしか出来ねぇ…。審神者の初給料は最新鋭のキッチンセットに消えたんだ…アッ、俺の話しはどうでもいいなすまん…。取りあえず俺の初給料を犠牲に揃えた道具たちは、今三日月の初料理に役立っていて何よりだ…。唯一ガスコンロはあるからと電化にする費用をケチってしまったことが、ふたりの料理をしている姿を見ている現在一番の後悔ポイントだ。
俺の悲しい思い出を他所にふたりはもたつきながらも材料を切り終え、いよいよ湯を沸かし始めた。材料を切る時は横で一緒に見守っていた小狐丸が三日月が指を切らないか心配してそわそわしていたし、誤って切ってしまった時は毛を逆撫でて、三日月の元へ飛び出そうとするのを全力で止めた。小狐丸の長い髪が俺の顔を撫でて無駄にくすぐたかった。因みに三日月の指に鶴丸がちゃんと絆創膏をはっていたから安心して欲しい。
米や材料を投入して、鶴丸が笑顔で「しばらく煮るぞー」と鍋の蓋を閉めた。三日月はそれに頷いてコンロの火を調節したようだった。

「こ、ここまでは大丈夫か…」

そろそろお粥作りも終わりが見え始めて俺は安堵の溜息を吐く。

「ぬし様、落ち着いてくださ、…ん?何やら焦げたような臭いが…」
「はああああ!?!?」

小狐丸の不穏な言葉に思わず身を乗り出して鍋を見た。ふたりに見つかるとかそんなことを気にしている場合ではなかった。確かに蓋の隙間から黒い煙が上がっていた。三日月も鶴丸も次の手順を確認していて鍋の方は見ていない。

「ちょおおおおお前ら!!」
「主ではないか」
「ちょおー?」

慌てて台所の中に踏み入れて鍋の状況を伝えようとしたが上手くいなかった。ふたりの頭上に疑問符を見た気がした俺は鍋を必至に指差して何とかこの危機的状況を伝えようとする。

「鍋!鍋!!焦げてる!!」
「鍋…?あなや!?」

三日月が声を上げたと同時に黒い煙を吹いていた鍋が炎に包まれる。あまりの勢いに俺はそれを指差したまま叫び声を上げるしかなかった。

「火ぃ噴いた!!!」
「三日月、ぬし様下がってください」

慌てふためくしかない俺の耳に、冷静な声音のイケメンボイスが聞こえてきた。廊下に一応設置しておいた消火器を持った小狐丸が燃え上がる火に向かって中身を噴射した。因みにこの消火器、俺の給料によって設置したものだった。使い方を教えたのはたった1回だけだったというのに、ちゃんと覚えていた小狐丸超偉い。
消火器によって火の勢いはどんどん弱まっていき、大事になる前に消火することが出来た。なお、それを全て行ったのは小狐丸であり、俺自身は騒いでただけだった。情けないとか言うな…。
消火が出来たとはいえ、真っ黒焦げになってしまった鍋を見つめて三日月が座り込んで放心している。空になった消火を置いて小狐丸は三日月の横に立って弟に目線を合わすように屈んだ。

「…三日月大丈夫じゃったか?」
「あ、兄上…」

兄に肩を優しく叩かれて放心していた三日月が正気に戻る。小狐丸の顔と鍋を交互に見比べて、それから綺麗な顔を悲しみに歪ませた。

「…せっかくのお粥が…」
「強火だったから水が蒸発するの早かったんだな…元の水の量も少なかったのかもしれない…だから焦げて…火が…」

コンロのスイッチを見て、強火になっていることに気が付いた俺はそう呟いた。これは…ケチらずにガスから電化製品にしておけばこんなことにはならなかったのだろうか…。鍋もコンロも壁も黒くなった一角を見つめ、リフォーム代にいくらかかるのかと目が遠くなる。
確か鶴丸が鍋に蓋をしてからコンロの火の調節をしたのは三日月だった。何故か強火状態になっていたのはつまり三日月のミスだ。恐らく早く作るために火を強めた方が良いと考えたんだろうな。初歩的なミスだった。それに気が付いた三日月はますます泣きそうに顔を歪める。

「三日月は精一杯していた。それはこの兄が見守っていたから知っている」
「兄上ぇ…」

何時もは飄々としている三日月が兄に甘えるのは珍しい…いや、よく甘えているがその甘える行為が俺から見ても分かり辛い。しかし、こうして甘えていると分かるように泣きつく三日月は珍しかった。一期のためと思って一生懸命作っていたというのに、自分のミスで失敗してしまったことでショックを受けたのだろう。まだ顕現したばかりの三日月はそういったことに対する感情の操作は苦手な面があるのは確かだった。
しかしだ。三日月よりも問題は何時の間にか俺の横に移動した鶴丸だろうか。半泣き状態の三日月の顔をしげしげと眺めて、それからふむと何かを悟ったように頷いた。その時に小さな声で「三日月の泣きそうな顔正直そそるな…」と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。確か鶴丸は三日月が初恋と言っていたが、俺の本丸で昼ドラは勘弁してくれよと一応鶴丸に確認を取る。

「お前…本当に今は三日月に恋愛感情ないんだよな…?」
「勿論だ。しかし、顔だけは三日月が好みなんだぜ」
「お前…お前…っ」

上手くツッコミが入れられない俺は本当に絶不調だ。


*


焦げてしまった台所で調理を続けるのは止めた方が良いという結論になり、今夜の夕食を監督責任として鶴丸に町へ調達してくるように命じた。鶴丸自身も今回の騒ぎは三日月の面倒を見ると言ったのにも関わらず、防止出来なかった自分の責任もあると思う節があるようで、特に文句もなく了承した。鶴丸一人では大変だろうと、三日月を慰めていた小狐丸に手伝うように頼むと、小狐丸は落ち込む三日月を気に掛けながらも頷いてくれた。
二人を見送ってから俺は三日月を立たせて一期の部屋まで連れて行くことにした。本人に慰めてもらうのが一番だろうと思ったからだ。襖を開けて三日月の体をそっと中へ押すと、「でも先ほどは風邪が移ったら困ると…」と遠慮がちに言う。お前さっきは這いずってでも一期の傍へ行こうとしてたのに、何で急に殊勝な態度取ってんだよ…。
いいからと三日月を中へと押し込んでいると中で大人しく寝ていた一期がタイミング良く目を覚ましたようだった。落ち込む三日月はもう夫に任せてしまえと、一期が起きて狼狽する三日月を押し込む。

「…、う、三日月…」
「お前様…」
「…何故立っているのですか…もう少し近くに…」

咳で擦れた喉で一期は三日月を手招きする。大人しく一期の横に正座した三日月は、若干一期から顔を背けたまま未だに身に着けたままのふりふりエプロンの端を握りしめる。部屋の出入り付近にいる俺の位置からではよく見えないが、どうやら三日月はエプロンをかあり強く握り締めているようだ。

「実は…お粥を、作ろうとしていたのだが…」

三日月はそう切り出して罰が悪そうに言葉を切ってしまう。一期が強く握りしめる三日月の手に優しく手を重ねて、優しい声音で続きの言葉を促した。三日月は言いづらそうに「鍋を焦がしてしまって何も用意出来なかった。すまんなぁ…」と震える声で言った。

「お前様に…早く元気になって欲しくて…でも俺は自分で考えていたよりも何も出来ないなぁ…」

三日月の顔は見えないが、震えている声からまた泣きそうになっているのだろうか想像は難しくなかった。一期は優しく微笑んで、「…そんなことはないですよ。まだ、人間の体に慣れていないだけですよ…」三日月を元気付けるように口を開いた。

「三日月ならすぐに料理も上達しますよ」

そう言いながら熱に浮かされた視線を若干下げて三日月の左手の人差し指に巻かれた絆創膏を見る。これは先ほど野菜を切っている時に誤って三日月が自分の指を少し切ってしまったため、鶴丸が慌てて巻いた絆創膏だった。一期はその絆創膏の巻かれた指を痛々しそうに眺めた。

「美しい手をこんなにしてまで私のために…その気持ちだけで十分ですよ」
「お、お前様ぁ…!」

一期の優しい言葉に三日月はついに感極まって臥せっている一期の首元に勢いよく抱き付いた。熱で魘されていても高錬度の一期ならば三日月一人程度ならば受け止めるのは簡単だろう。そのままイチャイチャと抱きしめ合う夫婦を見ていると独り身であることを思い出せられて悲しくなってきたから俺はその場を離れた。

「終わりよければ全て良しだな」

抱き合う夫婦の姿を見て俺はもうそう言うしかなかった。というよりもそうやって締めくくりたかったと心底思ってしまった。
事故が起こり、大惨事になりかけた件の台所まで戻って来た俺はガスコンロのある一角を眺める。焦げたニオイが充満しており、どう片づければようかも分からなかった。兎に角政府に連絡を取り、リフォームの手続きを取ってもらうのが一番良いだろうか。さっきも言ったけどケチらずにオール電化しよう。
しかし、それよりもだ。この台所を神聖視している歌仙や燭台切戻って来た時に何て説明すれば良いのか、しばらく料理が出来なくなると聞いた彼らの悲しい表情を鮮明に想像出来てしまい、思わず胃を押さえてしまうのだった。
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