一
毎夜夢に現れては消える影に一期は思わず溜め息を吐くしかなかった。夢の中でこれが夢だと自覚することはおかしい話であるが、何故か一期にはこれが現実の光景ではないと知っていた。
お前様、お前様・・・。
三日月の瞳を持ったその影が一期に呼びかける。貴方は誰ですか。何故私を夫と呼びかけるのですか。私の過去を存じているのですか。知りたいことを片っ端から尋ねてもその影はやはり悲しそうに一期をお前様と呼び続けるだけだ。
そして、しばらくすると今度は一期を責める声が響き渡る。何故、妻を忘れたのかと。早く思い出せと。今度の声はハッキリと自分のものだと断言出来た。その声色は恨みに満ちた暗いものだが、一期はこれが自分の、そう、過去の自分の後悔の声だと気が付いていた。
過去の自分の声が聞こえ出すと、今度は過去の自分と恐らく妻であろう者との思い出の断片を見せつけられる。記憶を取り戻せていないだろうか、朝目が覚めるとこの思い出の断片はほとんど覚えていない。ただ、過去の自分が幸せそうに笑みを浮かべていたことだけは覚えており、そんなに愛しい者を見るようにただ幸せそうに微笑む自分が羨ましかった。
その所為だろうか。目覚めると無性に誰かを抱きしめたくなるのは。そうは言っても誰でも良いわけではないのだ。夢でしか会うことの出来ない、顔すら思い出せない妻をこの手に抱きたい、そう思ってしまう。一期はやり場のない手で顔を覆って俯いた。
「貴方は何処に居るのですか・・・」
手の隙間から漏れた声は悲観に満ちていた。
*
私には妻が居りました。
あの方との思い出はあの炎と共に燃え尽きてしまいましたが、あの方がとても美しい人だったことだけは知っているのです。…そうですね。見目麗しい人だったのは確かですが、私の言う美しいというのは妻の心のことです。とても気高くて、とても清らかで、とても純粋で、そしてどこか幼い。そんな妻が居たはずなんです。
近侍を務めてくれる一期が近頃悩んでいるようだったから、主として悩みを聞いてやらなければと思い聞いた結果がこれだった。おい、誰が惚気を話して良いと言ったんだよ。彼女いない歴イコール年齢のお前の主がショック死しそうなのに気が付いて欲しい。一期一振さんは弟たちに優しいお兄ちゃんなんだから、その優しさと気遣いをだな、もう少し俺に分けて欲しいと強く主張した。
(…心の中で)
どこか夢を見ているかのような様子で悩み相談をしてくる一期の話をどうしても途中で遮りたくなかったからだ。断じて犬も食わなさそうな恋バナに首を突っ込んで大火傷を負いたくなかったとかそういうことではない。
そろそろ話がループしつつある一期の妻の話を聞いていて考えたことは、一期の妻という人物が完璧過ぎるということだ。見目麗しくて、気高くて、清らかで、純粋で、幼い。これだけ聞いても属性を盛り過ぎではないだろうか。もしかして記憶がない一期が作り出してしまった妄想妻という可能性を疑ってしまった俺は、突っ込むまいと誓ったはずなのについつい質問をしてしまった。
「一期の奥さんって、もしかして同じ付喪神なのか?」
付喪神は神としての位は低いが、それでも神の端くれではある。人間では有り得ない属性過多も神様なら有り得るのか もしれない。ついでに言えば付喪神の妻は同じ付喪神なんじゃねーのか?という単純な気持ちから質問した。
「…そうですね。まだ体が無かった私が触れることが出来たような気がしますから…多分そうなのでしょう」
思い出も消えてしまったと言っていたから、その辺りも曖昧なのだろう。先ほどまでは意気揚々と語っていた一期の言葉尻が窄んでいる。それからここ数日の間たまに見せる自嘲を含んだ笑いを顔に張り付けて一期は自分の顔を手で覆った。
「夢を、見るのです」
ここではないどこか知らない、それでいて何故か懐かしい場所で愛しいその人と笑い合う過去の自分の夢を。瞼の奥に張り付くように現れる幻覚に一期は悩まされていたらしい。すごく嬉しくて暖かいのに、何を話しているのか夢越しでは全く分からない。美しい人だとは分かるのに、肝心のその顔は黒い霞に覆われていて拝見することすら敵わない。更にはその愛しい人が毎日のように自分を求めて泣いているのを見せられる。そんな夢をここ数日毎晩見るのだという。
「過去の自分に嫉妬とは…情けないものです」
「…いつからその夢を見るようになったんだ?」
最初の惚気話は何だったのか。唐突なシリアスに戸惑いながらも、思ったよりも深刻そうな一期の様子に心配してしまう。近侍であり、最早この本丸の要と言っても過言ではない彼には、何時も通り笑顔で居てくれないと彼の弟たちを中心に本丸の調子が狂ってしまうだろう。それは審神者として避けたい事態だった。ならばどうすればいいのか、原因を取り除くことを出来るのが一番だ。そのためには夢の切っ掛けを探すのが一番だろうといつから夢を見るようになったのか質問をした。
「いつから…」
一期は思い出すように宙に目線をやる。無言で考える一期に正直焦れる気持ちはあったが我慢した。こういうものは急かしても仕方ないものだと分かっている。数分ほど黙り込んでいた一期はようやく俺に目線を合わせた。どうやら切っ掛けとなったものを思い出したようだった。
「そういえばあの方が来た時の晩からだったと思いますね」
「あの方?」
勿体ぶっていないで早く言えと無言で続きを促す。一期としても別に勿体ぶるわけではなかったようだから、あっさりと口を開いた。
「三日月殿ですよ」
三日月宗近。天下五剣のひとつに数えられる美しい刀。彼がこの本丸へと来たのはおよそ一週間前だ。現在鍛刀出来る刀の中で唯一最後まで呼び出せず、喉から手が出そうになる程来てほしかった有名な刀。そういえば彼が鍛刀された時も近侍を務めていたのは一期だった。先輩が呼び出した三日月は一期が呼んだと聞いて、駄目元一期に鍛刀をさせてみたのだった。
思い出せばその時の一期の様子はどこか夢を見ているような、熱に浮かされているようなそんな様子だったような気がしなくもない。俺自身もようやく来てくれた三日月に感動し、悔しいことに美し過ぎる容貌に見とれてしまったものだからあまり一期の様子を覚えていなかったが。多分天下五剣の刀に圧巻されているんだろうなとかそんなことを考えたような気がする。
一期と三日月の共通点と言えば、三日月本人が語っていたが豊臣の元に一緒に居たということらしい。この時期のことを全く覚えていない一期は三日月に申し訳ないと感じたようで、知り合いだったと知った時に顔色を悪くしていたような…。やっぱりちょっと思い出せないな。一週間も前の話だしな。
(でもこれで一期の妻は三日月に関連する何者かだってことだ)
案外すぐに解決しそうだなと気落ちする一期を傍目に俺は楽観した。三日月に直接聞いた方が早いかなーなんて思い始めたところで、タイミング良くその本人がやって来た。
「主よ、少し良いか?」
障子越しに現れた影の声に一期が一瞬肩を揺らした。夢の切っ掛けとなった人物の登場に思わず驚いたのだろう。俺はそれを気遣うことなく三日月に入っていいぞと声を掛けた。
「…一期も居たのか」
静かに襖を開けた三日月は頭の飾りを揺らしながら、ひょっこりと中をのぞき込んで来る。どこか可愛らしい仕草に三日月の美しい容姿が合わさって、歌仙風に言えば大変雅です。クソ、また男に萌えてしまうだなんて不覚にもほどがある。男しかいない本丸の弊害が今ここに…いや、天下五剣のうち一番美しい刀だ。男女の垣根を越えた美しい容貌だから俺がトキメクのはもはや自然の摂理だ、仕方ないと自分に必死に言い聞かせた。
遠慮がちに部屋の中へ一歩だけ足を踏み入れた三日月は裾で口元を隠して、チラチラと一期の顔を盗み見ている。ああ、そうか…一期とまともに会うのはもしかしたら鍛刀部屋以来なのか。未だに思い出して貰えてないから気不味いのだろうかと思い、取りあえず俺は一期のフォローをすることにした。
「一期は俺の近侍だぞ、三日月」
果たしてこの言葉がフォローになっているのかは分からなかったが、少なくとも俺に声を掛けられた三日月は会話の糸口を見つけられたらしく、顔から緊張の文字が消えたのは確かだった。
「そうか…そうだったな。いやはやじじいになるともの覚えが悪くなっていかんなぁ」
「お前のようなじじいがいるかよ」
裾で口元を隠しながらコロコロと笑う三日月はとても本人が自称するじじいには見えない。美しさがカンストしている目の前の存在が年よりを自称するなんて、世の中のご年配方を敵に回すとしか思えない戯言だ。そもそも神様に老いはないだろうと思ってる。
「それで三日月はどうしたんだ?」
「うむ…。しかし、大事な話の途中だったのではないか?俺は出直しても良いのだが…」
そう言って部屋を後にしようとした三日月を止めたのは一期だった。自分は近侍だから何時でも話せるからと言って三日月に用を告げるように勧めている。それでも遠慮がちにしている三日月に焦れたのか、一期が徐に立ち上がり、三日月の手を取って再度部屋に入るように促した。まるで王子のようにエスコートをする一期と、思わずといった感じで素直に手を引かれる三日月。それだけで一枚の絵のように出来過ぎていた。おお…何だこれ…男同士なんだから普通なら暑苦しくて滑稽になりそうだというのに、ふたりの整いすぎた顔によって許される美しい場面と化していた。これだから顔の整った奴は…。
一期の横に座らされ、お茶まで用意されてしまった三日月は観念したようで、用意されたお茶を一口飲んでから三条派の刀たちで遠征へ行きたいというお願いをしに来たと白状したのだった。
「同じ刀派だけ水入らずで遊びに行きたいと今剣がな…遠征の役目はきちんと果たす故許してはくれぬだろうか」
若干小首を傾げてお願いをしてくる三日月にあざといと思いつつも、そのお願いの内容に関して渋い反応をしてしまう。何も意地悪で渋い反応をしているわけではない。
本丸にいる刀たちのうち、初めの方に来てくれた短刀の今剣以外の三条派は、どいつもこいつも本丸に来るのが遅かった。そんなわけで寂しい思いをしていた今剣の望みなら叶えてやりたいところではあるが、何分今剣と他三条派の間には錬度に差がありすぎる。特に一週間前に鍛刀したばかりの三日月なんかはまだ特にすらなっていない。そんなメンバーで遠征に行かせたとしてもあまり遠くへは行かせられない。何より癖の強い三条派だけの組み合わせに不安があるというのが本音ではあるわけだが…。
「やはり駄目か…?」
口元を隠しながら、眉根を下げてこちらを伺う三日月に、心臓を鷲掴みにされたような落ち着かない気分になる。ついつい二つ返事で了承してしまいたくなるような気持ちにさせる天下五剣は真に恐ろしい存在よ…。落ち着け俺。相手は男だ。綺麗でも男だ…。
「そんなに悲しそうな顔をしないで下さい三日月殿。貴方は笑顔の方が似合いますよ」
俺と三日月の攻防戦に笑顔で割って入って来た一期は三日月の頭を撫でながらそう言った。男同士だというのに何故かふたりに背景に薔薇の花が見えるような気がしてきた。所詮お耽美という奴だろうか。俺にはちょっと分からないし、理解したくない世界です。…というか、一期の奴何か今すごいことを言わなかったか?三日月も口説き文句に近い事を言われた所為か、頭を撫でられた所為か分からないが若干顔を紅潮させている。三日月の様子に気付いた様子も無く、一期は三日月の頭を撫でたまま俺に対して口を開く。
「そんなに心配ならお目付け役を付ければよろしいのでは?何なら私が一緒に参りますよ」
一期には俺が三条派を野放しにして大丈夫か心配していたことを見抜かれていたらしい。そんな一期の申し出は尤もではあるし、却下する提案ではなかったため了承することにした。
「分かったよ。誰か錬度の高い奴を一人連れて行くこと。これが条件だ」
「あい分かった」
自分たち三条派の癖が強くて心配されたと分かっているんだかいないんだか、三日月はお願いが通ったことに朗らかな笑顔を見せる。そんな三日月に一期が「良かったですね」と笑いかけると、三日月は「う、うむ、一期のお蔭でもあるな。礼を言う」と珍しく言葉に詰まらせながらお礼を言った。三日月の動揺したような言動も気になるとこではあるが、それよりも一期の方がおかしいと俺は感じたため、素直に疑問を口にした。
「…何か、一期はやけに三日月に甘くないか?三日月も一期の言うことなすことすぐ聞くよな」
「…そうですか?意識していませんでした」
あ、無意識でしたか一期さん。三日月は語らないけど、豊臣の元にいた時結構仲良かったのかなと思いながら三日月の方へと目を向けると、何時ものマイペースさはどうしたのか、明らかに狼狽した様子の彼がそこにいた。どれくらい動揺してるかというと忙しなく瞳を泳がせている。
「三日月?」
「そ、そういえばふたりは何の話をしていたのだ?」
三日月があからさまに話題を変えにいったことは勿論気が付いてはいたが、触れてほしくないようだったので三日月の意図に乗ってやることにした。マイペースさんが自分のペースを乱されるのは得意じゃないだろうからな。三日月が発した声だとは考えられない程上ずっているし。
「ん?一期の恋バナを聞いてたんだ」
「恋バナって、主殿!」
今度は一期が顔を真っ赤にして慌てて声を荒げる。他の人に簡単に暴露されたのが恥ずかしいのか、それとも大事な妻のことを恋バナ扱いされたのが嫌だったのか、一期が声を荒げた理由はこの辺りだろうか。しかし、その横の三日月は恋バナと聞いていまいちピンと来ていないようで目を瞬かせていた。
「こい、ばな?聞いたことのない花の名前だな」
うーん、そう来たか。天然かな?じじいを自称する三日月は略語に疎かった。顕現したばかりだから聞き覚えがないだけなのかもしれないけど。これが同じ古い刀でも鶴丸辺りなら嬉々として恋バナに乗って来ただろうに。
先ほど声を荒げた一期はというと、三日月の天然に乗っかって「きっと可愛らしい花なんでしょうな」と若干早口でまくしたてる。しかし、俺はそこを敢えて踏み込んで行くことにした。一期の余裕を崩すチャンスだと思ったからだ。
「一期には記憶を失くす前に見目麗しくて気高くて清らかで純粋で幼い妻が居たんだと」
「主殿、優しいと高貴と癒しと愛おしいが抜けています」
「属性増やすなよ。というか後半お前の感想じゃないか」
先ほどは話を流そうとした癖に、妙なところで拘る一期に呆れを感じてしまうのは仕方ないことだろう。一期的には譲れないものであるのだろうけど。俺のツッコミを無視して一期はまた愛しい妻に対する感想を述べ始めたが、聞いても胸焼けする上に重傷を負うから全て聞き流すことにした。
一期が妻のことを熱っぽく語り出したことで三日月が引いてないと良いんだが…。大らかな彼のことだ、これくらいは流してくれるだろうと三日月の様子と伺うと何と手で顔を覆って俯いていた。何てことだ、あの三日月が引いてしまっているのかと三日月の中の一期の評価を心配したところで小さい呟きが聞こえて来た。
「愛おしい…って、忘れていたのではなかったのか…」
消え入りそうな呟きは三日月のものだった。相変わらず手で顔を覆って俯いているが、指の隙間から見える顔も耳も真っ赤に染まっている。いよいよ三日月の様子もおかしいと認めた俺は三日月に「どうしたんだ?」と尋ねた。
「いや、何でもないぞ」
勢いよく首を振る三日月に合わせて頭の飾りも大きく振られている。若干重みのありそうなそれが勢いよく振られることで三日月の頭にぶつかっていたのを見て、衝撃が重そうだと的外れな感想を抱いた。そういえばこの房みたいなのって何て言うんだろうなと俺が関係のない思考をし始めるその間にも、一期の熱意籠った妻の感想は続いていた。
「息が止まるほど美しい人だというのに笑うとすごく可愛らしくて愛おしい人だったはずなんです。妻が笑うと瞳の中の月も一緒に輝いて見えてそれがまた麗しくて…」
「月?」
月といえば、と一期の横の三日月を見る。
彼の瞳には三日月に見える打ち除けがあるらしいと噂で聞いたことがあったからだ。俺は三日月の顔を至近距離から眺めたことがないため実際に見たことはないが。一期も俺に倣って三日月の方へと顔を向けた。一期からの距離ならば三日月の打ち除けも見えるだろうか。一期に瞳を覗かれるように見つめられている三日月は居心地が悪そうに顔を伏せた。しかし、伏せたことによって三日月よりも若干背が低い一期にはより瞳が見えるようになったとは皮肉な話である。
「…そういえば、三日月殿の瞳にも月がありますね」
「………!」
一期の言葉に弾かれたように顔を上げた三日月は至近距離で一期と見つめ合うこととなった。真っ直ぐ己を見つめる一期の視線に耐えられなかったのか、途端に耳から首まで真っ赤に染めた三日月は声無き声を上げ、彼らしからぬ騒がしい動作で部屋から逃げ出してしまった。立ち上がった際に一瞬よろけたように見えたのは、恐らく三日月が動揺していたからだろう。
「ま、待って下さい三日月殿!!」
逃げ出す三日月を追いかけていく一期はやはり彼らしからぬ騒がしさで出て行った。ひとり残された俺は急に静かになった部屋で「どういうことだ」と呆然としながら呟いた。事が一気に進み過ぎて理解が追いついていない。取り敢えず一期が言っていた言葉を反復する。妻の瞳には月が輝いていたと。だから俺は三日月を見て、一期も三日月の瞳を覗きこんだ。そして、一期の三日月の瞳にも月があるという言葉を聞いた直後に逃げ出した三日月…。
一期の惚気を聞く度に顔を紅潮させて居心地悪そうにしていた三日月を思い出し、それから三日月には当然のように何処か甘い態度を取る一期と、一期の言葉なら拒否しない三日月を思い出す。昔仲良かった名残みたいなもんなんだろうなと勝手に想像したものだったが、よく考えたらこれって成立したてのカップルみたいなやりとりじゃないか?いや、俺には生まれてこのかた彼女がいたことが無いから詳しくは分からないが。
(ここから考えられることは…。これ以上は、いけない。何か新しい扉を開いてしまいそうだ)
俺の勘がそう告げていた。だからこそ、遠くの方でバタバタと聞こえる音も、刀たちの騒ぎ声も全て聞いてない振りをすることにした。
しかし、俺の勘の働きは虚しいことに、数刻後当本丸にとある夫婦が爆誕するのであった。
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