Ⅲ 魔界の扉編
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✴︎74✴︎守りたい
何度仙水に殴られても、そのたびに拳を振り上げ攻撃を続ける幽助。
「未来ちゃん!今のうちに逃げろ!」
「未来!早く逃げるんだ!」
桑原や蔵馬が懸命に裏男体内から大声で呼びかけるが、未来は棒立ちになったまま動かない。
「ダメだ。呆けていやがる」
心ここにあらずな状態の未来に、飛影がチッと舌打ちする。
抱える焦燥感や苛立ち、悔しさをぶつける先がなく、血がにじむほど彼は拳を強く握った。
「もう休みたまえ」
些か闘いに飽きてきた仙水が、幽助の腕を掴み動きを封じた。
「ぎゃああああー!!!」
仙水に腕を折られ、激痛に呻く断末魔のような幽助の叫びが洞窟に響く。
(もうあんな思いは御免だ…!)
暗黒武術会決勝戦での記憶がフラッシュバックする。
あの時、幽助は桑原を殺しに向かう戸愚呂を止めることが出来なかった。
仲間を目の前で殺されるのは、身を引き裂かれるような耐え難い苦痛と悔しさの波に襲われて。ふがいない自分が許せなかった。
結局桑原は生きていたが、戸愚呂と違い仙水は本気だ。
確実に未来を殺そうとしているのは、その狂気的なほど奇妙な落ち着きをはらう不気味な瞳を見れば明らかである。
「未来!オレに聖光気を当てろ!まだ…まだオレはやれる!」
スタミナ切れでフラフラになった幽助が命じる。
「未来!早くしろ!」
何度目かの幽助の呼びかけで、心ここにあらずだった未来の表情が崩れた。
「できない…もうできないよ…」
やっと声を出せた未来が、悲痛に顔を歪ませ、ふるふると首を横に振る。
聖光気で幽助を復活させても、また彼がボロボロになるまで仙水と闘うだけ。その繰り返しだ。
これ以上未来は幽助が傷つけられるところを見ていられなかった。
「幽助ありがとう…幽助は十分頑張ってくれたから…」
「クソっ…うおおおお!」
それでも諦めきれない幽助が、底をついた力を振り絞り仙水に殴り掛かる。彼はもう気力だけで闘っていた。
苦しむ未来と幽助の姿に、仲間たちの胸も痛む。
「おい貴様。今すぐオレたちをここから出せ」
早鐘を打つ己の鼓動に気づきながらも、努めて冷静に飛影が樹に命令した。
「樹。オレからも頼む」
飛影と同じくひどく汗をかいた蔵馬が静かに妖力を放出し始める。
「お願いだ」
今度こそ、自分の手で未来を守りたいから。
何度も自分の心を救い癒してくれた彼女を、今度は自分が救いたいから。
「ボクを倒した次元を切り裂く刀、今出せないのか!?」
「そ、そうだ!あれがまた出せりゃ…」
次元刀で裏男体内から脱出できるかもしれないと、御手洗の助言で閃いた桑原が両腕に力を込める。
「クソ!なんで…なんで肝心な時に出来ないんだよ!」
しかし能力に目覚めたばかりの桑原は、コントロールが上手くできず普通の霊剣しか出せなかった。
顔を伏せて、現実から目を逸らすようにギュッと瞳を閉じた未来は、闇の中で一人震える。
死ぬべきだとは分かっている。
自分が生きている限り、仙水は倒せない。
人間界を救うためには自分の犠牲が必要だ。
でも死ぬのは怖い。嫌だ。
洞窟に入る時に相応の覚悟はしたつもりだったが、このザマだ。情けない。覚悟なんて全然できていなかった。
(天沼くんもこんな気持ちだったのかな…)
小さな体でこの大きな恐怖と絶望の中、死んでいったのかと思うと未来の胸は心臓を鷲掴みにされたかのように痛む。
幽助が力尽きた時、自分は仙水に殺される。
それは数分以内に訪れるだろう。
悔しい。
闘えないことが悔しい。
殺されるしかないことが悔しい。
(結局私は、最後まで皆に守られてばかりで何も返せなかったな…)
暗黒武術会では優勝商品となった自分を守ってくれて、未来は皆に恩返しをしたいと思っていたのに結局できなかった。
(この世界に来てからビックリすることばっかり)
妖怪や化け物の存在に、超人的な幽助たちの強さ。
きわめつけに、16歳という若さで自分が命を落とすことになるとは。
全然、そんな勇気はないけれど。
納得できていないけれど。
人間界のために死ぬ覚悟なんてない。
(今まで楽しかったなあ)
トリップさえしなければ今日死ぬことにはならなかったのに、とは未来は思わなかった。
だって、こんなに素敵な出会いがあった。
かけがえのない仲間ができた。
皆との思い出が、走馬燈のように未来の頭を駆け巡る。
(……そっか)
そこで、未来は自分の思い違いに気づいた。
(人間界のためじゃないんだ)
不思議だ。この世の終わりのように塞ぎ切った心だったのに、次第に身体に力が湧きあがってくる。勇気がこみ上げてくる。
(お母さん…お父さん…ごめんなさい)
両親や大切な人たちの顔が浮かんで、涙腺が緩む。
きっと家族は、今のこの状況を知ったら逃げろと言うだろう。
人間界なんかどうでもいい。お願いだから逃げて私たちのところへ早く帰ってきてと。
もしかしたら、今すぐ逃げて洞窟の外にいるであろうぼたんに頼み霊界に行けば、それも可能なのかもしれない。
(でも、でもね…)
覚悟を決め、目尻に光る涙を拭う未来。
ピンと真っ直ぐ背筋をはり、決意を胸に大きく一度深呼吸した。
(他人のものでも自分のものでも、命を粗末にしてはいけない)
己の命を軽率に投げ打つ行為は、決して称賛されるものではないと未来は思う。
だから、最初は恐れず敵に挑んでいく仲間たちの気持ちが理解できず信じられなかった。
捨て身の戦法を使ったり、自分の命を顧みない彼らの行動に何度ハラハラさせられたことか。
(けれど…私には、皆が自分の命を軽々しく扱っているようには一度も見えなかった)
命懸けで闘う彼らは、むしろ懸命に生きようとしているように未来には見えた。
(皆が闘ってる姿は輝いていたから…)
それが闘いであれ。
競技であれ。
作品であれ。
仕事であれ。
愛する人であれ。
命を懸けられるほどのものを見つけられるというのは、すごく素晴らしいことだと未来は思う。
(私もね、皆のためだって思ったら怖くないんだ)
未来は皆の姿にたくさん勇気をもらい、たくさん守られてきた。
ならば、今度は自分が皆を守る番だ。守りたいのだ。
(人間界のためじゃなくて、皆のためだって考えたら、不思議と心に力が湧くんだ)
最後に、かけがえのない仲間たちに伝えたい言葉は何だろう。
未来が思案していると、幽助が本当に力尽き倒れる。
「うっ…」
「そのしつこさは尊敬に値するよ」
呻く幽助を感心したように一瞥し、仙水は未来に向き直る。
「お待たせ、未来」
静かに、だか着実に一歩一歩と未来の元へ仙水が近づいていく。
「おい!やめろ!オレァ許さねーぞ!」
焦る桑原が必死に叫び、次元刀を出そうと奮闘する。
「樹。早くここからオレたちを出せ!」
「貴様!早くしろ!」
切羽詰まった蔵馬と飛影が怒鳴るも、樹は微笑を浮かべるだけである。
「貴様…!」
「待て飛影!そいつを殺せばオレたちは一生ここから出られない。手加減できるほど今君は冷静じゃないだろう」
樹に殴り掛かろうとした飛影だったが、蔵馬の言葉に動きを止める。
「死ぬ覚悟はできたかい?」
そして、ついに仙水が未来の目の前にたどり着いた。
「まあね。最後に一言お別れの挨拶したいから待ってもらってもいい?」
「いいだろう」
自分を見上げる迷いのない未来の瞳に、彼女が逃げる気も運命から抗う気もないのだと察した仙水は快諾した。
「皆ー!」
未来が大声で仲間たちに呼びかけ、彼らは彼女の表情に目を疑う。
「なんで、未来…」
蔵馬が驚くのも無理はない。
「時間ないから短くすませるよ」
未来は、笑っていたのだった。
「今まで本当にありがとう。皆に会えて良かった」
いっぱいの想いをまとめると、出てきたのはやっぱり感謝の言葉と、そして。
「私、ずっと皆を近くで見てきたから分かる。皆は強い!ほんっと信じられないくらい強い!だから絶対大丈夫だよ」
仲間に託す、勝利への希望だった。
「もういいかい?」
「うん。なるべく一瞬ですませて、痛くしないでね」
「善処する」
仙水と向かい合い、覚悟した未来は目を閉じる。
(皆を守りたい)
瞼の裏に、大事な仲間たちの顔を思い浮かべる。
(守りたいの)
その一心だった。
「いくぞ」
「…っ…!」
いよいよか、とギュッと目を瞑った未来だが、一向に痛みは訪れない。
(あれ…?)
恐る恐る目を開けると、未来に向かって振り下ろされようとしていた仙水の右腕を掴む青年の姿があった。
「…幽助」
仙水は強い。敵わない。
オレはまた仲間のために何も出来ないのか。
薄れる意識の中、絶望にくれる幽助を再び立ち上がらせたのは、覚悟を決めた未来の力強く潔い別れの言葉だった。
「まさか…どこにそんな力が」
未来の聖光気を当ててもらっていないにもかかわらず復活した幽助に、仙水は目を丸くする。
「未来。テメー何一人でカッコつけてんだよ。ガタガタ手も足も震えてるくせによ」
図星を突かれ、幽助に何も言い返せない未来。
未来は、一つ自分に嘘をついた。
仲間のためと思うこと。それは確かに大きな勇気を与えたが、死への恐怖を完全に払拭するまでには至らなかった。
「そ、そうだよ!怖いよ!でもやっと覚悟したのに、幽助が引き伸ばすからこんな思いする時間が延びちゃったじゃん!」
「ああ!?テメーせっかく人が助けてやったのにその言い草はなんだコラ」
「やりぃ!未来ちゃん守ってナイスだぜ浦飯!って、何やってんだあの二人は」
場にそぐわない言い争いを始める二人に、桑原は呆れ力が抜けるも、自然と笑みがこぼれる。
幽助が復活し、安心感と勝利への希望で胸がいっぱいになった。彼にはそう思わせる魅力があると、認めざるをえない。
「もうちょっとなんだよ…あとちょっとでオレも何かつかめそうだ」
ボロボロの身体を揺らし、ニヤリと幽助は口角を上げ呟く。
「仙水。怖けりゃ今のうちにオレを殺せ。こいよ…きっとおもしれえェことが起きる」
「ふっ…ふふ…ふはははは…!」
仙水は高らかに笑い、聖光気の出力を強める。その強大なパワーに大地は揺れ、洞窟の壁が崩れ始めた。
「面倒だ。二人まとめてトドメをさしてやろう」
仙水の言葉で、ハッとした未来は隣の幽助の横顔を見つめる。
(もしかして幽助、私が怖がってるって見抜いて…?)
「未来」
すると、幽助がこちらを振り向いた。
「最後の最後に守ってやれなくて悪いな。あいつ強いわ」
未来だけに聞こえる声で、そう告げた幽助。
ゆっくり未来はふるふると首を横に振る。
「…私、今、本当に怖くないや」
もう強がりじゃない。
幽助、今度こそ私怖くないよ。
幽助が一緒なら。
「そっか」
吹っ切れた未来の表情に安堵すると、幽助は真っ直ぐ前を、仙水を見据えた。
もう、彼は仲間を失う光景を見たくなかったのだ。
「浦飯め、また何か狙ってやがるぜ!」
「…あるとは思えんな」
「何ィ!?」
ガッツポーズした桑原は、背後から聞こえた否定の声に振り返る。
「一対一で勝てる相手じゃない…」
すると蒼白な顔で汗をだらだらと流した飛影がいて、彼は意表を突かれる。
「貴様は奴と同じ人間だから感じないらしいが…奴の今の気は妖怪でいえばS級クラスだ」
そう飛影が言っている間にも仙水は聖光気の出力を上げ続けており、洞窟の天井は崩れ落ちる。
「甘かったな。ただの身の程知らずだと思っていたが。本気でオレたちを皆殺しにできる力を持っていやがった」
魔界ですら滅多に会えないS級クラスの実力の持ち主が、まさか人間の中にいたとは。
皮肉で無情な展開に、飛影の声も微かに震えている。
「で、でも見ろよあいつの自信を!浦飯はきっと考えがあるんだ!ただでくたばる奴じゃねえ!」
「ま、まさか…」
蔵馬の頭に浮かんだ仮説は、口に出すのも憚られるものだった。
「桑原くんが戸愚呂との闘いの時にやったこと、それを今度は幽助と未来がしようとしてるんじゃ…」
焦燥感と絶望に押しつぶされそうになりながら蔵馬が述べ、桑原は絶句する。
「浦飯と未来ちゃんが…今度はオレたちに…?」
そんなことはあってはならない。絶対に。
青ざめた桑原はぶんぶんと首を左右に振る。
「よせェ!やめろォ!!オレは許さねェぞ絶対許さねェ!」
大粒の涙をぽろぽろこぼし、がむしゃらに叫ぶしかなかった。
「おい貴様。何度も言ったはずだ。今すぐオレたちをここから出せ」
飛影が再度樹に命じ、バサリとマントを脱ぎ捨てる。
脈は速く、その決意の瞳と滴り落ちる汗から彼の覚悟、焦りが窺えた。
「どうせ死ぬなら戦って死ぬ。あいつとな」
あいつ、とは無論幽助のこと。
飛影は胸の中心、今はなき氷泪石が下げられていた位置で無意識に拳を作る。ギュッと氷泪石を掴むように。
「そして未来を逃がす。洞窟から放り投げでやる。一丁前に死ぬ覚悟しやがって…許さんぞ。ふざけるな…」
脈打つ鼓動の五月蠅さから逃れるように、多弁になってしまう飛影。
誰に言うでもなく、未来への文句が口をついて出る。
「強引にでもオレが連れ出す。喚いても知らん」
あいつは穏やかなくせして、言うべきことは敵味方関係なくハッキリ言うし、意外と頑固な面があり困った奴だった。
おまけに危険を厭わず自分の思い一直線に行動してしまうときた。
“なんでそんなこと言うの?疑うの?…飛影のそういうとこ、悲しいよ”
“飛影は…あなた達とは違う。絶対違うから!一緒にしないで!”
“飛影…ありがとう”
それ故に感謝の言葉も。あふれんばかりの笑顔も。
素直に、ストレートに届けて。
未来の言動の根底には、いつも他者への思いやりがあった。
出会った時からずっと、未来は芯が通っていて、強くて優しく。自分を持ってる奴だった。
そんな奴だから好きになったんだ。
「未来はオレが守る」
守りたいと思ったんだ。
「協力しよう飛影」
ローズウィップが空を切り、蔵馬の長髪が揺れる。
彼が想うのは、幽助、未来、桑原、飛影ら仲間たち。
「オレは五人のうち誰が欠けても嫌だ」
そう言い切れるほど、彼らはいつしか蔵馬にとって大きくかけがえのない存在となっていた。
「そんなとこまできてしまったからな」
想い人に迫る危機に、口は乾きローズウィップを握る蔵馬の手に力がこもる。
未来には何度も救われて。
たくさんの幸せをもらった。
だから誓ったのだ。
彼女だけは絶対にこの手で守ろうと。
守りたいと、強く思ったのだ。
「幽助と未来のところへ行かせてくれ」
懇願する蔵馬。
桑原も、飛影も、皆の思いは一つだ。
「だめだね」
しかし、樹の返事には慈悲も一分の情もなかった。
「君たちが力を合わせても忍は倒せまい。だが力を合わせて逃げることはできるかもしれない」
ここで逃がせば桑原たちは今以上に強くなるだろう。
出そうな杭は打つのが、樹のスタンスだ。
「オレは君たちの力を過小評価しない。君たちには一人ずつ死んでもらう」
「てめえは…どこまで…」
燃え上がる怒りで桑原がワナワナ震えていることに、樹は気づいていない。
「どこまで腐ってやがるんだァー!!!」
そう叫んだ桑原の右手には、これまでどう足掻いても出なかった次元刀が握られていた。
「忍!二人を殺れ!」
珍しく焦った様子の樹が声を荒げると同時、桑原の次元刀で裏男の腹は引き裂かれる。
苦しむ裏男の低い雄叫びと共に、桑原、蔵馬、飛影、御手洗の身体は外界へ飛び出した。
地面に着地した彼らは、目の前に広がる光景に息をのむ。
「二人は今死んだ」
仙水の傍らに、口元から薄く血を流し倒れた幽助と未来の姿があった。
「寂しくなんかないよ。お前たちもすぐだから」
今しがた人を殺めた右手をポケットにしまい、仙水は告げた。
しん、と場にしばしの静寂が訪れる。
「へ…へへだまされねーぞ!ほんとは笑うのこらえてやがるだろ!起きろよコラ!」
沈黙を破ったのは桑原。呆然とする飛影と蔵馬の横で、ケラケラと彼は笑う。
「どんなに芝居したってよ、脈までは止めらんねーぜ!」
桑原は頸動脈を触知するべく、幽助と未来の首元に手を当てる。
「…浦飯…未来ちゃん…」
二人はこんなにも穏やかに、眠っているように見えるのに。
どうして。
「第一の扉はついに開けられた」
仙水の言葉通り、大きな地響きと共に魔界の扉はついに開かれ、低級妖怪が穴からわらわらとあふれ出てくる。
妖力を上げる蔵馬と飛影。
唯一無二の友と命かえても守りたかった想い人をいっぺんに失った二人は、絶望と虚無感、怒り、悔しさ、悲しみ。今の己を支配する諸々の感情を、ひたすらにその妖力に込める。
右腕の包帯をといた飛影の邪眼はむき出しになり、蔵馬の姿はいつの間にか南野秀一から妖狐へと変わっていた。
「邪王炎殺黒龍波ー!!!」
飛影が黒龍波を繰り出し、暗い穴の奥へと吸い込まれていく仙水を三人は追った。
仲間の亡骸を洞窟に残して。