Ⅲ 魔界の扉編
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
✴︎65✴︎飛影と蔵馬
「飛影!」
土砂降りの雨の夜、現れた訪問者の名前を未来は叫ぶ。
「ここ十階だぞ!?どうやってベランダまで来たんだよ!?」
相手が以前未来と一緒にゲーセンで遊び夕食を共にした飛影だと分かると警戒を緩めた天沼は、領域(テリトリー)を隣の部屋まで広げた。
これで未来も飛影のいる隣の部屋への移動が可能になったわけである。
「飛影、どうしてここに?もしかして邪眼で私の危険を察知して来てくれたの?」
「ああ」
二人を阻めるものは何もなくなった。
未来は一歩一歩、震える声で飛影のそばに近づく。
「幽助が言ってたこと本当だったな。飛影は私たちがピンチになった時に絶対来るって。よかった。飛影ともう会えなかったらどうしようって思ってた…」
「大袈裟だろ」
「だって、飛影は暗黒武術会が終わって一か月も姿を現さなかったし。魔界に帰るって言うし…」
私も元居た世界に近いうち戻ることになるだろうし。
その言葉は、何となく口に出したくなくて飲み込んだ未来。
「ほんと、よかった。こうしてまた会えて」
目の前、手を伸ばせばすぐ触れる位置にきて、穏やかな笑みをこぼした未来を飛影はじっと見つめた。
彼女の瞳は薄く涙で彩られていて、飛影の心を揺さぶる。
自分がいなくなったことで、こんなに未来を動揺させてしまっていたのか。
罪悪感がチクリと胸を刺すのに、自分のために彼女が涙してくれたという事実に心が動く。
(…悪趣味だな)
泣かせたくないのに、泣かせたいような。
己に宿るそんな矛盾した感情に気づいた飛影が、小さく口角を上げ自嘲する。
「飛影、ありがとね。実は心細かったんだよ、敵に連れてかれてさ。飛影が来てくれたらもう安心だ!」
ぱっと大輪のような笑顔を未来が咲かせて…。
ああ、この笑顔を守りたいから自分はここまで来たのだと飛影は悟る。
“飛影は…あなた達とは違う。絶対違うから!一緒にしないで!”
自分のために未来が啖呵を切ってくれたあの夜も、こんな風に雨が降っていたと飛影は回想し、濡れる外の景色を眺める。
割れていない方の窓ガラスが、向かい合う飛影と未来の姿を静かに映していた。
…しかし、部屋にいるのは二人だけではない。
「ちょっとお二人さん。オレ置いてきぼりで話進めないでよ!しかも未来、何安心しちゃってんの?人質が増えただけなのに」
飛影を人質としてカウントする天沼に、未来はチッチッチと人差し指を振って否定する。
「天沼くん、飛影をナメてもらっちゃ困るよ!飛影はめちゃくちゃ強いんだから!」
「ふうん。でもオレの領域(テリトリー)の中じゃ暴力行為は無効だよ?」
「おい。貴様らなぜ未来を攫った?」
返答次第でたたじゃおかん、という目で天沼を見据え飛影が尋ねる。
「オレも詳しくは知らない。仙水さんによると、魔界への穴を開ける計画に未来の手が必要ってことらしいけど」
「未来、お前何か能力に目覚めたのか?」
「いや、全然。仙水さんとやらは勘違いしてると思うんだよね…」
疑惑の眼差しを飛影から向けられ、未来がこっそりと彼に耳打ちする。
「だろうな。とても変化があったようには見えん。いつもの能天気なお前のままだ。全く、暗黒武術会の時といいお前の周りにはズレた価値観の奴らが群がるようだな」
「飛影って一言、いや二言くらい多いよね」
口元をヒクヒク引きつかせる未来である。
「そうだ。そのままじゃ風邪ひいちゃうよね。飛影、待ってて。今バスタオル持ってくる」
びしょ濡れの飛影のため、バスルームへタオルを取りに行こうとした未来の腕を彼が掴んだ。
「いらん。さっさと行くぞ」
「あ、飛影…」
未来を引っ張って割った窓ガラスから外に出ようとした飛影だが、見えない壁に阻まれた。
「無駄だよ。オレにゲームで勝たない限り二人はこの部屋から出られない」
ゲームの腕に絶対の自信を持っており、不敵に笑う天沼。
未来と飛影の命運は、領域(テリトリー)の支配者であるこの小さな彼に委ねられている。
***
一方その頃。
「クソ、桑原と未来のやつどこ行きやがった…!」
蔵馬と共に豪雨の中、桑原と未来を探し回っている幽助だが、一向に二人を見つけることができない。
刻々と時間だけが過ぎ、募る焦燥感と苛立ちに舌打ちをする。
「もう街はあらかた探したぜ。どうする、蔵馬」
後ろの蔵馬に策を請い振り向いた幽助が、視界に入った彼の姿に二、三度瞬きを繰り返す。
雨に濡れ髪先から雫の滴り落ちる蔵馬のたたずまいは、息をのむほど美しい。
しかし、その瞳は幽助が今まで見たことのないほどひどく暗く陰鬱だ。
「蔵馬?どうした。大丈夫か?」
「…一回幽助の家に戻ってみようか。もしかしたら二人と入れ違いになっているかもしれない」
そう提案した蔵馬の声は落ち着いている。
よかった、いつもの蔵馬だとホッとした幽助は、彼に同意し自宅へと足を速めたのだった。
蔵馬と共に自宅マンションに着いた幽助が目にしたのは、四人の人物を背負って玄関先で倒れ込んでいる桑原の姿。
三人は同級生である桐島、大久保、沢村とすぐに分かったが、縮れ毛のもう一人は幽助の知らない少年だった。
「桑原!」
桑原の発見に安堵する幽助だが、近くにもう一人の仲間の姿はない。
「どうした桑原、何があった!?未来は一緒じゃねえのか!?」
意識を失った桑原の身体をガクガクと幽助は揺さぶる。
すると、スッと蔵馬が穂のついた細い茎の植物を取り出し桑原の鼻先に近づけた。
「蔵馬それは?」
「気つけ薬のようなものだ。これで桑原くんが目を覚ましてくれるといいんだが…」
「ん…」
眠りから覚めた桑原が薄く瞼を開く。
「桑原!起きたか!一体何が…」
幽助が呼びかけるやいなや、カッと目を見開き覚醒した桑原が切羽詰まった表情で彼の肩を掴む。
「大変だ浦飯!!未来ちゃんが奴らに攫われちまった!正確に言や脅されて自分から行ったっていうか…人質となった沢村たちを助けるために」
「何っ」
未来の姿がなかったことで薄々予感はしていたが、幽助は聞かされた内容の衝撃に一瞬言葉を失う。
「未来はどこにいるか分かるか!?」
「オレは分からねえが、こいつに聞いてみてくれ。御手洗っていう、仙水一味の一人だ」
桑原が気を失っている縮れ毛の少年を指させば、蔵馬がまた先ほどの植物を取り出した。
しゃがんで御手洗に植物を嗅がせる彼の表情は、前髪で隠れて伺えない。
「おい…まだそいつ起きねえのか?」
しかし全く起きる気配をみせない御手洗に、幽助がしびれを切らして蔵馬に問いかける。
「諦めな。疲労がピークに達してるんだろう。今その薬は効かないよ。自然に起きるのを待った方がいい」
「婆さん!」
玄関のドアを開け中から出てきたのは、幽助の師匠である幻海だった。
「極度に疲労している人間にソレを嗅がせても意味はない。その子には効かないと、お前が一番分かっているだろう、蔵馬」
「…っ…」
幻海の言葉に、蔵馬が力なく植物を持っていた腕を下ろす。
(いつにないほど蔵馬が冷静じゃねえ…)
無駄と分かっている行為を続けるなんて、いつもの蔵馬なら考えられない。
未来の危機に初めて見せた蔵馬の一面に、幽助が目を見張る。
「…桑原くん。未来が攫われた時のことを詳しく教えてくれ」
流れる長髪を垂らし、しゃがんだまま静かに蔵馬が問うた。
「未来ちゃんは刃霧って奴にバイクに乗せられ連れてかれた。奴らが未来ちゃんを攫った理由はわからねえ。協力してもらう、とか言ってたな…。すまねえ、止めることが出来なかった」
不甲斐ない自分と、敵への怒りに桑原は握った拳でダンッと床を叩く。
「ワリイ、オレが持ってる情報もこれだけだ。早く…未来ちゃん助けに行かねえ…と…」
「力尽きたね。寝かせといてやろう」
再び意識を失った桑原を見、幻海が淡々と述べる。
「早く未来助けに行かねえと!」
「待ちな!」
居ても立っても居られず、走り出した幽助を呼び止めた幻海。
「すぐ飛び出すのはあんたの悪い癖だ。これが罠だったらどうする、敵の思う壺だ。御手洗が起きるのを待ってからで遅くないだろう」
未来と最後に交わした会話で、彼女にも幻海と同じことを指摘されたと幽助は思い出す。
(あんなくだらねえ言い争いを最期にしてたまるかよ…!)
喧嘩別れなんて御免だ、と幽助は唇を噛んで悔しさに耐える。
「奴らは未来に協力させるため連れて行ったようじゃないか。大丈夫、殺しやしないだろう。拷問されようが何されようが生きてりゃ問題ない」
拷問、という幻海の言葉に蔵馬の拳がギュッと強く握られる。
幽助は胸倉を掴む勢いで幻海に食ってかかった。
「生きてりゃ問題ないって…じゃあ婆さんは未来がどんな目にあってても構わないって言うのかよ!」
「そうは言ってないだろう。大体、あんたは未来がどこに連れていかれたのか当てはあるのかい?」
「入魔洞窟。そこで奴らは穴を開けているらしい」
「確証は」
強い口調で幻海に詰問され、ぐ、と幽助は押し黙る。
「今は情報収集と敵の狙いを探ること、計画を練ることに専念すべきだよ。軽率に敵の本拠地に乗り込めば、未来もあんたも皆死ぬことになるよ」
「…そうですね」
すくっと蔵馬が立ち上がった。
「蔵馬…」
真っ直ぐ前を見据える彼に、妖狐の影を感じ取った幽助。
冷たい光を放つ蔵馬の瞳は、静かな怒りに燃えていて、睨まれれば背筋が凍ってしまうだろうと思う。
「オレが思うに、未来は異世界から来た人間だから敵に目を付けられたんだろう。敵の目的は異世界へ繋がる穴を開けること。未来に何らかの能力を求めて攫ってもおかしくない」
「じゃあ、穴を開けるっつう目的を達成するまで奴らは未来を殺さねえか…」
「そう願うしかないね」
幽助に頷いた蔵馬の顔と声には感情がない。
蔵馬はまた先ほどの植物を取り出し、それを桐島、大久保、沢村の鼻先に近づけた。
「彼らに聞いてみましょう。今第一にすべきは情報収集だ。オレたちには情報が少なすぎる」
蔵馬のその台詞は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
本当の望みや感情を蔵馬が押し殺しているような…そんな気が幽助はした。
自分の気持ちに率直に従い行動する己や桑原、飛影とは蔵馬が決定的に違うのがこういう所だ。
(蔵馬…今すぐ未来を助けに行きたいって顔してるぜ)
蔵馬の無表情の裏の思いを、彼の仲間である幽助は読み取る。
正論は、時に残酷だ。
何が最善で正しいか誰よりも理解している蔵馬だからこそ、感情のままに行動することを選べないのは辛いだろう。
幽助はそんな蔵馬がじれったかったし、大事な仲間である彼のため何も出来ない自分がもどかしかった。
***
仙水一味のアジトであるマンションの一室では、むすっとした飛影が壁際を背にして座り込んでいる。
未来を助けに来たというのに、共に囚われの身となってしまった自分に苛立っているのである。
「はい飛影、タオル持ってきたよ」
そんな飛影に未来がバスタオルを被せると、ごしごしと頭を拭いてやる。
「やめろ」
飛影は未来からタオルを引ったくる。
もしこれが蔵馬相手だったら、いや幽助や桑原でも、未来はこんなことしないだろう。
彼女にガキ扱いされるのが飛影は気に入らない。
「あ、自分でやる?風邪ひいちゃうからちゃんと拭くんだよ」
「お風呂入ってきてもいいよ!」
部屋の主?である天沼もびしょ濡れの飛影を気遣う。
(それにしても、どうやったらここから脱出できるかな)
天沼の実力から察するに、彼にゲームで勝利するのは不可能に近い。
何か策はないかと思案する未来は、大凶病院にて城戸が意識を失うと領域(テリトリー)が解けたと幽助が言っていたことを思い出す。
(もしかしたら天沼くんを眠らせれば脱出できるかもしれない)
浮上した仮説を、早速実行に移すことにする。
「天沼くん!そろそろ寝たら?小学生はとっくに寝る時間だよ」
「んー、そうだな。確かに眠いし、あっちの部屋のベッドで寝てくるよ。でも意外、未来は懲りずに勝負を挑んでくると思ってた」
誘導に従い思惑通り寝室へ向かう天沼に、未来は心の中でよっしゃ!とガッツポーズをする。
「あ、オレの領域(テリトリー)は眠っても解けないからね。さっきオレが仮眠してた時もそうだったでしょ」
しかし、どや顔で告げられた天沼の言葉に未来は地に落とされるのであった。
「じゃあおやすみー」
「おやすみ…」
へにょんとこうべを垂れて、力ない声で未来が寝室へ入っていった天沼に返事する。
八方ふさがりのこの状況に溜息がでるが…
(なんか敵に囚われてる状況なのに全く緊張感ないっていうか、のほほんとしてるよね私たち…)
改めて状況を確認してみるとおかしくて、事態は危機的だというのに未来はふふっと小さく笑いをこぼす。
(私はもう大丈夫…怖くない。だって飛影が来てくれたもん)
飛影が現れたことで、攫われた未来がそれまで感じていた恐怖は一気に払拭された。
(でも、桑ちゃんたちは大丈夫かな)
一緒にライブに行った桑原らの安否が気になった未来が、ポンと手の平を打つ。
「そうだ!飛影、お願い!邪眼で桑ちゃんたちの様子を確認してみてよ!」
手を合わせて頼み込めば、タオルの隙間から大きな三白眼と目が合った。
***
隠された第三の目をさらけ出す飛影の隣で、固唾を飲んで見守る未来。
「飛影、どんな感じ?桑ちゃんたちは今どこ?御手洗くんはどうなった?」
「静かにしろ」
邪眼に必要なのは集中力だ。
焦りから質問を畳みかける未来を、飛影が諫める。
(どうか無事でありますように…!)
祈るように手を組んで、桑原たちの無事を未来は願う。
一方、飛影の意識は幽助の自宅マンションに移っていた。
(…いた)
御手洗に襲われた場所には桑原の姿は既になかったので、ここを探ってみたらドンピシャだった。
「奴らは無事だ。全員幽助の家に帰っている」
「ほ、本当!?よかったあ…」
安堵した未来の全身から力が抜ける。これでホッと一息だ。
しかし、気がかりなことはまだある。
「皆に申し訳ないね、きっと私のこと心配してるだろうし…。飛影、皆に私は無事だよー!って邪眼で伝えてくれない?」
「…無茶言うな」
未来は邪眼を万能道具か何かと勘違いしているのではないか、と思う飛影である。
彼女を心配している仲間…そのフレーズから、否が応でも飛影が考えてしまうのは蔵馬のこと。
“オレも未来が好きなんだ”
四次元屋敷での、思いもよらぬ蔵馬の告白。
蔵馬も自分と同じ気持ちを抱えていたなんて、飛影は全く気づかなかった。
対照的に、蔵馬にはずっと己の未来への気持ちを見透かされていたと、飛影は回想する。
それこそ、飛影自身が未来を好きだと気づく前から。
“未来を譲る気はありませんから”
自分も未来が好きだと飛影に伝えたから、もう遠慮はしないと蔵馬からは宣戦布告された。
では、伝える前は遠慮していたとでも言うのか。
当時は動揺して立ち尽くすのみだったが、落ち着いて考えてみると蔵馬が何故自分にあんなことを告げたのか飛影は気になった。
飛影に恋愛の機微なんて分からない。
けれど、蔵馬の言動には理由があるのだろうと考える。
彼が宣戦布告しなければならない理由がきっとあったのだ。
(その甘さが命取りになるかもしれないぜ、蔵馬)
飛影に伝えてからでないとフェアでないとでも蔵馬は思ったのだろうか。
飛影は蔵馬の実力を認めているし、絶対の信頼を置いている。
しかし、蔵馬は闘いの時にもその甘さに足元をすくわれることがあった。
飛影が魔界で耳にしていた妖狐蔵馬の噂は極悪非道で冷血な妖怪とのことだったが、実際に会った彼はすっかり人間と同化し丸くなってしまっていた。自分に牙を向けるものへの冷徹さは健在だが。
「飛影、どうしたの?ぼーっとして」
黙りっぱなしの飛影に、未来は不思議そうに首をかしげる。
飛影がゆっくりと彼女の方へ顔を向けた。
蔵馬も未来が好きだと知って、飛影はどうしたらいいか分からなかった。
未来を手に入れる方法も。
恋敵に勝つ方法も。
きっと蔵馬なら知っているのだろうが、飛影は知らなかった。今だって分からないままだ。
けれど。
「飛影…?」
そっと引き寄せ抱きしめた未来に、掠れた声で名前を呼ばれる。
未来が欲しい。
未来に触れたい。
未来を守りたい。
そう強く思っていることは確かなのだ。
難しいことは抜きにして、自分はいつも彼女のために全力でありたいと思う。
飛影は生まれた時から強さを求め続けてきた。
それは偏に自分のためだったが、今、飛影は他の誰でもなく未来のために強くありたいと切に願っている。
未来のあたたかさを感じながら、飛影は目を瞑る。
こんなに穏やかな気分になるのはいつぶりだろう。
(氷泪石がなくても、未来さえいればそれでいい)
そう素直に思っている自分に、もう飛影は驚かなかった。