Ⅲ 魔界の扉編
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
✴︎53✴︎トライアングル
午前11時30分。
先週と同じように、蔵馬は待ち合わせ場所である駅の噴水前に佇む。
ひとつ先週と違うのは、待ち人が二人ではなく、一人であることだ。
「蔵馬」
駅から溢れ出る雑踏の中から、未来が現れる。
「待った?ごめんね」
「大丈夫。時間ピッタリだよ」
そんなお決まりのセリフを交わす二人。
「今日…」
「え?」
「今日、いつもと違う」
蔵馬に指摘され、未来はくるくると自分の髪をもてあそぶ。
「あ、髪のこと?さっきまで美容院行ってたから、巻いてもらったの」
ちょっとした自分の変化、お洒落に気づいてもらえるのは嬉しいことだ。
「可愛い」
一瞬蔵馬に何を言われたのか分からなくて、未来は手を止めきょとんと彼を見つめ返す。
「未来はいつも可愛いけどね」
微笑を浮かべ、蔵馬は先ほどまで未来が弄っていた髪をすくった。
その流れるような所作に、未来はドキッとする。
「か、からかってる…?」
こんな風に髪を触って。
歯痒くなるような口説き文句を言って。
(私が知ってる蔵馬には似合わないよ)
彼はからかっているのだと思うようにするが、整った顔立ちに綺麗な声でそんな言葉を言われれば、平然でいる方が無理な話。
耐性のない未来は頬をピンク色に染める。
「違うよ。褒め言葉は素直に受け取ったら?」
「…ありがとうございます…?」
疑問形で礼を述べた未来に、まあそれでもいいやと蔵馬は苦笑いする。
「とりあえず本屋に行こうか」
近くに大型の本屋があるらしく、案内する蔵馬の隣に未来は並んだ。
***
「これと、これ。これなんかいいんじゃない?数学はやっぱりチャート式が分かりやすいかな」
ぽんぽんと蔵馬は選んだ参考書を未来に渡していく。
「よし、私これ全部買うよ!勉強も頑張らないとね」
高校生あるある。
参考書を選び買った瞬間だけ、勉強へのやる気が燃え上がる。
「オレの教科書や問題集も使っていいし、わかんないことあったら質問して」
「了解です蔵馬先生。さすが盟王高校の生徒は頼りになるなあ」
盟王、という単語を出して未来の頭を掠めたのは、先日の蟲寄市内の本屋での一幕。
「そういえば、この前に本屋で良い人に会ったんだよ。盟王の制服来てたから、蔵馬の知り合いだったりして」
かくかくしかじかと未来は本屋での出来事を蔵馬に話す。
「へえ…よかったね、容疑が晴れて」
「本当それ。あの人が来てくれなかったらと思うとゾッとするよ」
御手洗と共に警察送り、なんて羽目になっていたかもしれない。
「お礼したいと思っても、名前も知らないからな~。蔵馬、何かその人に心当たりない?」
「それは無茶ぶりすぎるよ、未来」
手がかりは実質“眼鏡”のみ。
いくら蔵馬だって、本人特定は不可能である。
「あはは、ごめん。わかってて訊いた」
何を買うか選び終え、参考書を抱えた未来と蔵馬はレジへ向かった。
列に並び、レジ待ちの最中に未来がふと目をとめたのは博物館のポスター。
プラネタリウムの宣伝をしており、今の時期はちょうど春の星座を解説しているらしい。
「行きたい?」
未来の視線の先に気づいた蔵馬が顔を覗いて問う。
「うん…。ちょっと興味はあるけど、でも今日は勉強する予定だったし」
「勉強は来週からオレがスパルタで教えるから、行こうよ」
スパルタ蔵馬には恐怖を感じるが、そう言った彼の顔は優しくて。
「うん!行く」
こういうときは、自分の気持ちに素直になった方がいい。
未来も笑顔で彼にうなずいたのだった。
***
「美味しい!」
熱々のグラタンを冷ましつつ、舌鼓をうち幸せそうな未来。
本屋に行った後、二人はあるイタリアンレストランでランチをしていた。
「じゃあ、食べ終わったらプラネタリウムね」
「そうだね、楽しみ~!」
そこでふと、未来は考える。
(本屋だけど一緒に買い物して、ご飯食べて、プラネタリウム行って…これじゃあまるで…)
自意識過剰のようで、そこから先を言うのは憚れる。
(いや、蔵馬みたいに、からかうみたいなふざけた感じで言えばいいんだよ!)
努めて自然に、からかうような調子で言おうと未来は口を開いた。
「なんか、デートみたいだね」
蔵馬はすぐには反応しない。
ゆっくり顔を上げ、未来と目を合わせる。
(蔵馬…?)
窓から日の光を浴びこちらを見つめる蔵馬は、切り取って一枚の肖像画にできるくらい綺麗だった。
「オレは最初からそのつもりだったけど」
ドキッと未来の胸が高鳴る。
今までより、ずっとくすぐったくて甘い音がした。
だって、蔵馬の顔が真剣そのものだったから。
微笑をたたえてからかうような、冗談を言ういつもの蔵馬の顔じゃなくて…。
「そ、そっかあ。デートかあ。初デートの相手が蔵馬なんて貴重だな…。畏れ多い」
「畏れ多い?」
未来が発した単語を拾い、蔵馬は眉を寄せる。
「だって…蔵馬は素敵だから」
蔵馬は簡単にほどく。
隠していた秘密の心の楔を。
未来は先週の、雑踏の中でも目立ち華やいでいた蔵馬の姿を頭に浮かべる。
そしてそれは先週だけでなく、今日も同じだった。
「私も蔵馬の隣に立つ時に恥ずかしくないように、少しでも良くなりたくて…。美容院だって行ったし。前から行きたかったのもあるけど」
この前蟲寄市を訪れたのは、新しい服が買いたかったから。
前から春服が欲しかったのもあるが、今日、自分はその時買った新しい服を身につけている。
「ふっ…」
クスッと蔵馬が笑って、未来は赤面する。
「なんだ。未来だって、最初からデートだって意識してたんだ」
蔵馬に笑われて、穴があったら入りたい気分になりながらも未来は開き直る。
「意識しない方が変だよ!蔵馬みたいな人だったら尚更」
そうだ。
デートみたいだって意識したから、昼食もグラタンを選んだ。
パスタやピザは、食べ方に気を遣わなければいけないから…。
「嬉しい」
「え?」
「意識してたのが、オレだけじゃなくて嬉しい」
本当に嬉しそうに蔵馬が言うから、未来は何て返せばいいかわからなくなる。
それは初めて見る蔵馬。
いつもは大人びている蔵馬の、高校生である年相応の男の子の顔だ。
笑っていたのは、からかっていたのではなく、嬉しかったからなのか。
そう納得してしまいそうになる。
「未来の初デートの相手がオレで、オレの初デートの相手が未来で嬉しいよ」
しみじみと、気持ちを噛みしめるように蔵馬は言う。
(これもからかってるの…?)
からかってる。
そうに決まってる。
だって、あの蔵馬だ。
これまで仲間として接してきた、人をからかうのが大好きな…。
「今日の蔵馬、なんか変だよ…」
「そう?未来が今まで気づかなかっただけだよ」
気づかなかっただけ。
その意味がわかるほど、未来の恋愛の経験値は高くなかった。
***
「あと数分で始まるね」
プラネタリウムで席についた未来は、隣の蔵馬に話しかけた。
(そういえば、蔵馬は妖狐なんだよね。いまいちピンとこないけど)
暗黒武術会での、あの妖艶で美しい妖狐の姿は、一度見たら忘れられない。
そんな妖狐からしたら、自分なんてただの子供だろう。
蔵馬は対等に接してくれているし、彼は誠実だと信頼しているが。
(やっぱり、蔵馬は私をからかって楽しんでるんだよね)
蔵馬は冗談なのに、本気にして照れていたら恥ずかしい。そう未来は言い聞かせる。
「ねえ、魔界にも星はあった?」
「どうだったかな。夜空なんて見上げることがなかったから忘れたな」
「ええ~。忘れたって」
意外にも抜けている蔵馬が可笑しくて、未来はクスクス笑う。
「蔵馬は極悪非道だったらしいけど、本当に?どんな悪いことしてたの?」
極悪非道の盗賊妖怪だったという蔵馬と今の蔵馬のギャップが信じられなくて、興味本位で未来は訊ねる。
「世の中には知らない方がいいこともありますよ、未来」
「よ、余計気になるよ」
気になるが、たしかに知るのも怖くなってくる未来。
「蔵馬は優しいし、仲間思いだし、極悪非道なんてイメージと結びつかなくて。盗みとか、裏切りとかいう単語の対極にいるもん」
「それは光栄だな」
ほら。
こうやって蔵馬は本心を隠す。
蔵馬の微笑の裏の思いを、未来は読めないのだ。
蔵馬はからかっている、と思う一つの理由もこれだ。
(でも…蔵馬の優しさは本物だよね)
自分や幽助たちに対する蔵馬の態度、思いに何の嘘もない。
それは分かっている。
当たり前だ。
未来は蔵馬が大切な人だと思う。
大事で、かけがえのない仲間。
蔵馬がくれた薔薇の香りを思い出す。
未来が今まで接してきた蔵馬は、いつだって優しかった…。
「なんでそんなに蔵馬は優しいの?」
思わず口からこぼれでた言葉。
これから放課後や休日に勉強にも付き合ってくれるというし。それだけじゃない。
知り合ってまもない迷宮城での戦いも、垂金の別荘でも。
たしかな優しさが蔵馬にはあった。
「オレは皆に優しくしているわけじゃないよ」
「蔵馬は優しい人だよ。桑ちゃんとも、夏休みあたりから勉強教える約束してるんだってね。受験生には心強い味方…」
「わからない?」
若干強い口調で、未来の声を蔵馬が遮った。
「わからない?オレが何を言いたいか…」
間近で蔵馬の翡翠色の瞳に見つめられて、一瞬、時が止まったみたいに感じた。
全ての動作を、蔵馬の瞳に封じられる。
「くら…」
『まもなく上映を開始します』
やっとのことで彼の名前を呼ぼうとしたら、アナウンスがかかり館内は暗くなっていった。
(やっぱり、今日の蔵馬は変だよ…)
満天の星空の下、未来の胸のドキドキは鳴り止まなかった。
***
「綺麗だったね、プラネタリウム」
未来に蔵馬も同意するが、すぐに沈黙が訪れる。
どうもプラネタリウム上映後、お互い意識してしまい、なんとも歯痒い空気が流れている。
(な、なんか他にも喋らないとっ…!)
沈黙に耐えられなくなった未来は、とりあえず思い付いたことを口に出すことにした。
「蔵馬が通ってる盟王高校も、この近くにあるの?」
「あるよ。ここから10分くらいかな」
「そっか。見てみたいな」
未来にとって、それはほんの気まぐれの質問だったのだが。
「じゃあ、これから盟王の教室で勉強する?今日は授業がなかったけど、土曜だから校舎は空いてるし」
予想外の蔵馬の提案に、盟王への興味も手伝って未来はのることにした。
「ほ、ほんとに部外者の私が入っていいのかなあ」
教師に見つからないかとビクビクしつつ、蔵馬についていった未来は盟王の下駄箱前で躊躇する。
「大丈夫。誰も未来のこと咎めないよ」
今日盟王高校に登校している生徒のほとんどは部活動が目的で、校舎は無人に近かった。
「蔵馬の使ってる教室に行ってみたい!」
そんな未来の希望に応え、蔵馬は自分の教室である2年C組に彼女を案内する。誰もいない教室には夕日が差し込んでいた。
未来はふと、廊下に掲示してある名前の羅列が目に入った。
そこに南野秀一の名前を見つけ、未来は目を丸くして隣にいる蔵馬の肩を揺する。
「ちょっと!すごい蔵馬、学年一位じゃん!」
貼り出されていたのは、春休み明けの実力テストの順位だった。
一番最初で輝く南野秀一の名前に、未来は興奮気味だ。
蔵馬に僅差で敗れ惜しくも二位なのは、海藤優という人物である。
「まさか学年トップとは…。蔵馬はさすがだな~。これから勉強教えてもらうのに頼もしいよ」
感嘆する未来は、現在の蔵馬の席だという窓側の一番後ろの席に腰をおろす。蔵馬はその前に。
「窓側一番後ろなんて、ラッキーだね蔵馬。特等席じゃん」
「うん。オレも気に入ってる」
またいつも通りの二人の空気を戻しつつある未来と蔵馬は、勉強に本腰をいれていく。
***
「そろそろ帰ろうか」
外が暗くなり始め、蔵馬がお開きを提案した。
「うん。蔵馬、ありがとう。すごく分かりやすかったよ」
「どういたしまして」
荷物をまとめ、教室を出て、二人は校舎から校門までの道のりを歩く。
隣のグラウンドには、部活動後の生徒がまばらにしか残っていない。
「あ、あの星座、プラネタリウムで解説してたやつじゃない?」
うっすらと空には星が瞬き、未来が頭上を指差す。
「春の大三角形、だっけ」
プラネタリウムでの記憶をたどり、蔵馬が星座の名を述べる。
獅子座のデネボラ。
乙女座のスピカ。
牛飼い座のアークトゥルス。
この明るい3つの星を結べば、大三角形が出来上がるのだ。
「私これまでオリオン座くらいしか知らなかったけど、今日賢くなれたな」
「オレも。星は全然詳しくなかったし」
一時ぎこちない雰囲気になったことを忘れたかのように会話していた二人だが、また話を蒸し返したのは、意外にも未来だった。
「蔵馬…。わからないから、ちゃんと教えて」
そう告げられ、振り向いた蔵馬の瞳に映った未来は、まっすぐ彼を見ていた。
「プラネタリウムで、わからない?って蔵馬言ったでしょ…。ちゃんと蔵馬の口から、説明してほしい」
胸がドキドキする。
こういった類いの緊張を感じるのは、未来は初めてだった。
「じゃないと、勝手に解釈して…自惚れてしまいそうになる」
「…未来…」
未来は、本当はわかってて訊いてる。
わかってて、尚蔵馬に言わせようとしているのだ。
からかっているのか、本気なのか。
まだどちらなのか確信を得ていないようだ。
(あれだけわかりやすい態度をオレがして、何も察しないほど未来も鈍感じゃないよな)
観念した蔵馬が、すうっと息を吸う。
全部本心だ。
可愛いと言ったのも、未来に伝える言葉に嘘なんてないよ。
未来だから優しくしたくなる。
他の人と違って未来が特別なんだよ。
オレは未来のことが…。
「未来、オレは…」
その全ての想いを彼女に伝えようと、蔵馬は決心した。
「飛影…?」
想いを告げようとした瞬間、耳に入ってきた未来の言葉に蔵馬は冷水を浴びせられたような感覚に陥る。
「あ、違った。なんか木が揺れて、飛影かなって思っちゃったんだけど…見間違えるなんてバカだね、私」
「…飛影とは会ってるの?」
それだけ静かに訊ねるので、精一杯だった。
「ううん。幽助と桑ちゃんは時々私のバイト先の雪村食堂に食べに来るから会うけど、飛影は全然…。蔵馬は会ってない?」
「オレも会ってないよ」
「そう…」
目を覚まされた気がした。
飛影を思う未来の顔、これ以上見たくない。我ながら、子供らしい理由だけど。
「あ、そうだ、話の続き…。蔵馬、遮っちゃってごめん」
未来がハッと我に返る。
さっきまでオレを見つめていて、頬を染めて試すようなこと言っていたくせに。
でも、仕方ないか。
飛影の姿を見かけたかと未来が思った瞬間、彼女の意識の全部がそちらに持っていかれた。
未来は、ずっとずっと、飛影の安否を心配していたのだろう。
武術会以降全く姿を現さなくなった、彼の。
「わからない?、の続き?」
「うん」
さっきより、オレの答えへの未来の関心が薄れているのが嫌でもわかった。
まだ飛影に未来は気を取られっぱなしらしい。
「大切なチームメイトの未来が高校を中退するのは可哀想だから、教えてあげようと思ったんですよ。教える時も優しくするとは限らないから、覚悟しておくように」
自分でも上手く笑えたと思う。
未来をからかうような、いつもの調子で。チームメイト、の言葉を添えて。
「中退なんて縁起でもないこと言わないでよー!ていうか優しくしないって怖いな…」
なんだ、やっぱりからかっていたのか。
そう未来が感じているのが見てとれた。心なしかホッとしているようにもみえる。
***
(あの時未来が飛影の名前を出して、よかったかもしれないな…)
未来を駅までおくった帰り道、蔵馬は一人考える。
告げてしまいそうになった。
好きだって。
(オレは飛影の未来に対する気持ちを知っている。飛影もたぶんそれに気づいてる。だが、飛影はオレも未来が好きだと知らない)
そんな中で未来に告白するのは、“裏切り”になるのだろうか。
飛影の気持ちを知っている以上、彼に自分の気持ちも教えて、それから告白するのがフェアじゃないのか…。
“裏切りとかいう単語の対極にいる”
そう未来は自分を形容してくれた。
(違う。妖狐の頃、裏切りは日常だった)
だが、今は…。
飛影を出し抜くようなやり方はとりたくない。
たしかにそう思っている自分がいた。
未来が飛影の名前を出すまで、すっかり彼のことが頭から抜けていたけど。
ふと頭上を見上げれば、先ほどよりくっきりと空に春の大三角形が浮かんでいた。
プラネタリウムでの解説のアナウンスを思い出す。
『スピカは女性的な純白または青白い色をしているのに対し、アークトゥルスは男性的なオレンジ色をしています。この二つの星は春の夫婦星と呼ばれています』
結ばれた三角形がちょうど自分達の関係を表しているようで、蔵馬は自嘲的に笑う。
デネボラか、アークトゥルスか。
どちらになりたいかなんて決まってる。
そして、飛影に譲る気もない。
改めて、蔵馬は自らをとりまくトライアングルを実感したのだった。