Ⅲ 魔界の扉編
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✴︎52✴︎前兆
(ここが蟲寄市かあ)
蔵馬の家に行ってから数日たった平日の午後、未来は皿屋敷市から電車で20分ほど先の駅にある蟲寄市に訪れた。
たまには知らない街を見学してみようと思い、未来はここで買い物をすることにしたのだ。
(それにしてもなんだろ、この虫)
不思議なことに蟲寄市を訪れたとたん、気味の悪い虫が数は多くはないが点々と飛んでいた。
だが周りの人間は肩に虫が止まろうが何も気にする様子をみせないし、この市ではこれが当たり前の光景なのだろうか。
(蟲寄市特有の虫なのかな)
そもそも異世界の住人である未来はそう解釈し、通りすがりの本屋に立ち寄った。
(参考書は蔵馬と土曜に選ぶ約束してるけど、事前に自分でも探しておこうか)
中高生用の参考書コーナーに足を運んだ未来は、中学生だろうか、揃って同じ制服を着た男子学生たちが目についた。
「御手洗じゃーん。何してんの?」
「別に…。ただ本屋に寄ってみただけ」
御手洗と呼ばれた茶髪でウェーブがかった縮れ毛の少年を囲むように、いけすかない笑みを浮かべて三人の中学生が立っている。
「なんだよその愛想ねえ返事」
「せっかくオレらが一人ぼっちの御手洗くんに話しかけてやってんのになあ?」
「カンシャしろよ、カンシャ」
御手洗に因縁をつけ嘲笑う彼らを見、未来は心底不快になった。かといって関係のない自分がどうこうできるわけでもなく、気を取り直して未来は手にしていた参考書に目線を戻す。
「なんか言えよ、御手洗」
ただ無表情でうつむいているだけの御手洗の反応が面白くないのか、若干苛ついた口調でリーダー格の男子生徒が急かす。
「つまんねー奴。行こうぜ」
チッと舌打ちをうつ音が聞こえ、やっぱり気になってしまった未来はまた彼らの方に顔を向ける。
その時、未来は見た。去り際に、男子生徒の一人がスッと御手洗の学生カバンに薄い単行本を忍ばせるのを。御手洗はそれに全く気づいていない。
「ちょ、待っ…」
さすがに黙ってはいられなくなった未来が声を出すと、眉間にしわを寄せ不可解そうにこちらを見る御手洗とバッチリ目があった。
(さっきの三人を先に捕まえるべき?それともこの子に教えてあげるのが先?)
焦りつつぐるぐる思考を巡らす未来は、とりあえず単語を連呼することしかできず…。
「カバン、カバン!」
「え?」
ますます御手洗に不信感を募らせてしまった。
「あのね、さっきの人があなたのカバンに…」
「ちょっと、万引きした子を見たって言われたんだけど?」
説明しようとする未来の言葉を遮るように、怒りの表情を浮かべたベテランであろう本屋の女性店員が現れた。店員が御手洗のカバンを探れば、すぐに単行本が顔をだす。
「あなた、こんなことしてどうなるか分かってる?すぐ学校と警察に連絡するからね」
「その子じゃないです!」
当事者である御手洗が否定する前に、切羽詰まった未来の声が店内に響いた。
「私、見ました。その子に罪を着せるために、ほかの学生が彼のカバンに未購入の本を入れたんです。たぶん、店員さんに告げ口したのも彼らだと思います」
未来はあるがままの真実を店員に述べたのだが、彼女の訝しげな表情は変わらない。
「証拠は?何か証拠でもあるの?」
ぐっと言葉に詰まる未来。見たところ防犯カメラの類は設置していないようだし、店員の責めるような問いかけに何も答えることができない。
「後からならなんとでも言えるわよね。あんた達、本当はグルなんじゃないの?」
「違…」
見ず知らずの未来を巻き込んでは申し訳ないと思ったのだろう。小さめだが否定の言葉を御手洗が呟いた。
「よくいるのよ、一人でやる度胸はなくて二人以上で手を組んでやる子。一番タチの悪いタイプね」
「言いがかりです。私も彼も万引きしていません!」
未来がハッキリした口調で主張するが、店員は全く取り合おうとしない。
「素行も悪けりゃ態度も悪いわね。その制服どこ中だったっけ?」
悔しい。御手洗や自分の無実を立証することができず、不甲斐なくて、悔しくて未来は唇を噛む。
「オレも見ましたよ、ほかの男子学生がその子のカバンに本を入れるの」
突然の救世主の一声に、驚く未来が振り返った。立っていたのは、眼鏡をかけたいかにも賢そうな男子高校生だ。
(蔵馬と同じ制服だ!)
そこで未来は気づく。店員の視線は高校生の顔ではなく、着用している制服の方に向いている。
「…まあ、盟王の生徒さんが言うなら本当なのかしらね…」
態度を一転して変えた店員に、未来も御手洗も拍子抜けする。
「今回は本を返してくれたらよしとするわ」
単行本を持ち店の奥に消えていく店員の背中を、ポカーンと未来は見送った。
「ありがとうございました」
店の外に出ると、未来と御手洗は高校生に礼を言う。
「別に礼を言われることじゃないよ。にしてもあの店員ヤな感じだったな。謝るくらいすればいいのに」
本当に大したことをしてないと感じているのだと、高校生の口調や表情からありありと分かる。
「あの中学生三人も追いかけようとしたんだけど、足が速くてすぐまかれちゃったよ」
三人を追いかけていたせいで、彼は御手洗の無実を証言するのが遅れてしまったのだという。
「本当に助かったよ!あのままだったら私たち補導されちゃってたもん」
「どうってことないよ。じゃあ」
照れているのか、未来らに会釈したのち、高校生はそそくさと逃げるように去っていった。
「あなたも…ありがとうございました」
高校生がいなくなると、今度は御手洗が未来に礼を言う。
「あはは、私は全然役にたたなかったけどね。盟王パワーはすごいなあ」
苦笑いで頬をかく未来。名門だという盟王高校の生徒に対する世間の評価を、身に染みて感じた。
「……」
御手洗は黙ったまま、うつむき地面を睨みつけている。
まるでこの世の何もかも恨んでいるような瞳に、思わず未来はビクッと肩を跳ねさせた。
彼の射るような瞳の矛先にいるのは同級生三人なのか、本屋の店員なのか、それとも人間全てなのか。
「じゃあさよなら…ってもう!やだこの虫!」
御手洗に別れを告げようとした未来だが、集ってきた数匹の虫を鬱陶しそうに追い払う。
その様子に、御手洗は目を丸くして未来に訊ねた。
「見えるの?この虫が?」
「え…普通見えないの?」
今の御手洗の言い方では、見える者と見えない者がおり、ほとんどの人間が“見えない者”にあたいするようだ。
「その虫が蟲寄に発生し始めたのは一週間くらい前かな。初めて虫が見える人に会えたよ。僕の頭がおかしいのかと思ってた」
初めて同士と出会え、御手洗が作っていた他人である未来に対する壁が少し取り払われた気がする。誰も信用しない、何もかもを憎んでいたような御手洗の瞳が、いくらか柔らかくなった。
「うっ…」
「ど、どうしたの!?」
突然口元を押さえしゃがみこむ御手洗に、未来は動揺する。
「大丈夫?えと…御手洗くん、だっけ?」
話すのもままならない御手洗がこくりと頷く。彼の顔は青白く、相当辛そうだ。
「病院に行く?とりあえず座れる場所に移動しようか。私の肩使っていいから」
いくら先ほど出会ったばかりとはいえ、目の前で倒れた御手洗を放っておくほど未来は薄情ではない。
迷惑はかけたくないし、他人の、しかも初対面の人間の情にすがりたくないのだろう。御手洗は拒む意思を伝えるべく首を横に振るが、未来はしゃがみこむと彼の腕を自分の肩にかけ、力をふり絞って立ち上がる。
「遠慮しないで。病院行くならタクシー呼んだ方がいいかな…」
周りに行き交う人々は好奇の目を向けるだけで誰も手助けしようとはしない。
心配そうにこちらを見る者もいるのだが、皆、声をかけるまでには踏み切れず通りすぎていく。
「大丈夫?トイレ行きたい?」
どうやら吐き気は治まったのか、微かに首を振る御手洗。
「どこか休める場所を探すか、大通りに出てタクシーを拾おう」
未来は歩けない御手洗の体を支え、ベンチや大通りを探すため進みだした。
「大丈夫?」
とりあえず公園のベンチに移動した未来と御手洗。 顔面蒼白で俯く御手洗の背中を未来は擦っていた。
「やっぱり病院行く?かなり辛そうだよ…」
やはりタクシーを拾おうかと公園の外側を未来が覗くと、轟音を鳴らしこちらに近づいてくるバイクの存在をとらえた。
バイクは公園内に侵入し、エンジンは切らぬまま未来らの前で停止する。
「良い医者を知ってるぜ」
乗っていたのは、高校生くらいだろうか、流れるような黒髪と切れ長の目が印象的な、眉目秀麗といった感じの青年。
「知り合い?」
「いや‥‥」
小声で未来が訊けば、御手洗が否定し首を横に振る。
「突然の激しい頭痛と吐き気。オレもつい先日襲われた」
「あ…同じ病気の方?」
突然の見知らぬ男の登場に警戒していた未来だが、御手洗と同じ症状を経験したとなれば心強い。
「医者(ドクター)たちのところへ連れてってやる。乗れ」
男は御手洗にバイクの後ろに乗るように促す。しかし御手洗は動けないのと、遠慮するのとで首を振るばかりだ。
(この人に御手洗くんを任せていいのかな。怪しすぎるよ)
未来はといえば、目の前の男に不信感が募る。
「なんでタイミングよく現れて、こいつの症状を知っていて、しかも助けてやるのかって思うだろ?」
自分の疑問をピタリと男に当てられ、驚いた未来の目が揺れる。
「いずれ答えは分かる…。安心しろ、別にこいつに危害を加えるわけじゃない。医者(ドクター)のいる病院へ連れて行くさ」
男は嘘をついているようには見えないが、言葉の裏に何かありそうで未来の猜疑心は消えない。
「いずれ分かるってどういうこと?」
「さあな…。それもそのうち分かるだろ」
男は御手洗を引っ張り半ば強引にバイクの後ろに座らせる。腑に落ちない彼の返事に、未来は眉を寄せる。
「こんなに早く出会えるとは思っていなかった。じゃあな、永瀬未来」
「なっなんで私の名前を…!」
名前を言い当てられた未来の反応が予想通りで愉快なのか、男は片方の口角をわずかに上げる。
「オレの名前も教えといてやる。刃霧要。能力名は狙撃手(スナイパー)」
そう告げるやいなや、男―いや、刃霧は御手洗を乗せバイクで走り去っていった。
取り残された未来は呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我に返る。
(本当にあいつに任せておいていいのかな…!?)
数々の意味深な発言を連発した刃霧に御手洗を渡しておくのは、あまりにも危険なのではないか。
いてもたってもいられなくなった未来は、道路に出るとちょうどやってきたタクシーを止めるため手を上げた。
***
「本当に病院に連れてきたんだ…」
ぽつりと病院の待合室に佇み呟く未来。
タクシーに乗り込んだ未来は前を走るバイクを追ってくれと運転手に頼み、この大凶病院へたどり着いた。
(安心したけど、なんか拍子抜け)
どうやら刃霧は善意で御手洗を助けたようだ。病院へ送っていったのだから、そうとしか思えない。
病院名こそ怪しいが、しっかりとした医療設備が整った大病院である。
「追ってくるとは、お前も暇だな」
「うわっ!」
気づけば今一番会いたくない相手No.1である刃霧が横に立っていて、たじろぐ未来。
刃霧がきちんと御手洗を病院に連れてきた今となっては、タクシーで追いかけたなんてばかばかしい。疑ってしまい刃霧に対する後ろめたさもあったし、自分の愚行が恥ずかしくて未来はできれば彼と会うのを避けたかった。
「あいつなら診察を受けてる最中だぜ」
「そっか、よかった。ありがとね、私が言うのも変だけど…」
おずおずと低姿勢で未来は述べる。
きっと刃霧は自分と同じ症状の御手洗を遠くから見て心配し、様子を伺って尾行していたのだろうと未来は自己解釈した。これならタイミングのよい刃霧の登場も説明できる。
ただひとつ謎なのは、
「ねえ、なんで私の名前を知ってたの?」
これだけだ。
「…ある人に聞いた」
「誰?」
「いずれ分かる」
「もう~、そればっか!」
納得のいく答えをくれない刃霧に、未来は口を尖らせる。
(ほんとに誰だろう…)
全く思い当たる節がないが、刃霧の言う通り“いずれ分かる”なら深く考えないことにした。
「じゃあさ、いずれ分かるってのはなんで?どういう意味?」
ここさえ判明すれば、何か謎が解けるかもしれない。最後の質問だとことわって、未来は刃霧に訊ねる。
「オレたちは近いうちにまた出会って、否が応でも顔を合わせることになるから」
「え?」
刃霧の返答にどう反応していいかわからない未来。
「ま、まあいいや。じゃあ私もう行くね」
当初の目的である買い物をするため、未来は踵を返すと病院を出て行った。
(新手のナンパ?また会う運命的な…)
病院の自動ドアをくぐりながら、首を捻る未来だった。
(でもナンパならこんなにすんなり私を帰さないだろうし…あ、でもまた会う運命だから問題ないのか)
まあ御手洗は無事見届けたし、一件落着だ。
これ以上考えて悩むのはやめようと思い直し、気持ちを切り替えて未来は足を踏み出していった。
“能力名は狙撃手(スナイパー)”
実は刃霧のこの一言こそ重要な意味を持っていたのだが、すっかり聞き落としていた未来は知るよしもなかった。