Ⅱ 暗黒武術会編
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✴︎43✴︎五十年目の再会
―オレもお前も今が強さの最盛期だろうな。時が止まればいいと最近よく思う。オレは怖いんだ。―
青年の言葉に少女は耳を傾ける。
―オレ達より強いヤツが現れることが怖いんじゃない。そんな奴が現れたとき自分の肉体が衰えていたらと思うと怖いのだ。口惜しいのだ。―
ふたりは共に苦行に耐え強さの境地を目指した。
だからこそ青年は自らの心の内を少女には話すことができた。
―人間とは不便なものだな。―
少女は青年の悩みがさも大したことのないように、涼しくも優しい顔でこう言った。
―あんたが年をとればあたしも年をとる。 それでいいじゃないか。―
それはもう50年前のこと。
サングラスの下に隠れた青年の穏やかな瞳が変わってしまったとしても、仕方のない月日なのかもしれない。
共に時を刻むことのできる幸せ。
少女と一緒に年をとり生きていけることがどんなに尊いか、青年は気づけなかったのだろうか。
***
(幻海師範…!)
未来は無我夢中で闘技場からホテルまでの道のりを走った。この妙な胸騒ぎが、気のせいであってほしいと願いながら。
先程もらった前世の実、試しの剣、死出の羽衣を抱えた蔵馬も彼女の後を追いかける。
ホテルの玄関の前には、桑原、陣、凍矢、酎、鈴駒の姿があった。
「桑ちゃん!幽助は!?」
「さっき起きたと思ったら猛スピードで走ってあっちの森の中消えちまったよ。浦飯といい未来ちゃんといい、そんなに急いでどうしたんだ?」
聞き終わるやいなや、未来は桑原が指した方向へ走ろうとする。
「えぇ!?浦飯追いかけんのか!?アイツすっげースピードだったし追いつくのはキツイんじゃねーか!?」
桑原に背後から言われ、未来の顔がどうしよう…!と青ざめる。
「未来!」
その時、尋常ではない未来の様子から何か緊急を要するものを感じとった陣が、風を巻き起こした。
「オレの風が連れてってくれるっちゃ!」
風は未来の身体の周りを舞い、彼女を宙に浮かせ高速で森の奥へ運ぶ。
「陣!ありがとうー!」
届いているか分からなかったが、未来は精一杯後ろにいる陣に向かって叫びながら、飛ばされていった。
(幽助だ!)
しばらくすると幽助の背中が見え、風は彼が立ち止まると共にスピードを落としていった。
(戸愚呂もいる…!師範は!?)
風がやむと、未来は幽助の隣におり立つ。目の前に広がっている光景が信じられず、声が出なかった。
「遅かったな…」
戸愚呂の傍らには、腹から出血し倒れた幻海の姿があった。
「月日とは無情なものだな。渾身をこめた幻海の最後の一撃、オレの皮膚すら傷つけることができなかった」
呆然とする幽助と未来の二人には、戸愚呂の言葉は耳に入ってこない。
ただ幻海…その一点のみを見つめていた。
「ばあ…さん」
「師範!」
棒立ちになっていた幽助だったが未来の声で我に帰り、共に幻海の元へ駆け寄る。幽助は幻海の体を抱え、その上半身を起こした。
「ばあさん!ばあさんしっかりしろ!」
「師範!しっかり!お願い…」
絞りとられそうな声で祈る未来。
「幽助と未来…か」
二人の必死の呼びかけが届いたのか、幻海が目を開いた。
「ばあさん!よっしゃ今すぐ皆のとこ連れてくからな!」
「蔵馬が治してくれるよ!さっきも医務室で薬草を提供しててね…」
「私は死ぬさ…あの時からわかっていた…」
喜ぶ幽助と未来とは対照的に、幻海の表情はもう死を悟っていた。
淡々と幻海は三鬼衆が暗黒武術会へ招待に来た時のことを語る。幻海にとって50年ぶりの武術会だった。
「戸愚呂がばあさんと共に戦った仲間…?」
「50年も前に…?」
告げられた衝撃的な事実に、幽助も未来も二の句がつげない。
「オレは人間から妖怪に転生したんだよ。より長く自分の強さを維持するためにね」
ニヤリとした笑みを浮かべ、戸愚呂が説明する。
「それが50年前の暗黒武術会で優勝した時の望みだった。仲間はみんな猛反対したがね…」
幽助は戸愚呂をキッと睨みつけると、幻海の右手を強く優しく握った。未来は左手を。
「幽助…未来…人はみな…時間と闘わなきゃならない…奴は…その闘いから逃げたのさ…」
幽助と未来の二人に絶対に伝えておきたいことがあった。
息を切らしつつも、幻海は途絶えそうな命のすべてをそこに注ぐように必死で述べる。
「お前は間違えるな…幽助…お前はひとりじゃない…忘れるな…誰のために…強く…」
幻海は懸命に語りかける。50年前の戸愚呂と同じように、危うい強さを持った幽助に。
「ばあさん…」
「師範…」
幻海の瞳には自分を見つめる幽助と未来が映る。彼女は二人の顔を眺めると、口元をゆるめ笑った。
「出来の悪い弟子と…家事もろくにできない不器用な子供が…同時期にやって来て…うるさい孫が…ふたりいっぺんにできたみたいだった…」
穏やかな笑顔のあと、ふっと消えた命の灯火。
幽助の腕の中で息絶えた幻海の姿に、未来の目の前は真っ暗になった。
(私だって…私だって…師範が…)
嗚咽をこらえるが、止まらない涙は静かに流れ未来の頬をつたう。
(本当のおばあちゃんみたいで嬉しかった…)
この世界にきて以来、ずっと幻海と寝食を共にしてきた未来。最初こそ幻海の毒舌にへこたれる日もあったが、いつの間にか彼女を本当の祖母のように慕っている未来がいた。
幽助にとっても、幻海はかけがえのない師匠となっていた。
「浦飯、霊光波動拳の継承者であるお前がもっと早く生まれていれば、こんな醜い幻海を見ずにすんだ…」
静かに語った戸愚呂の言葉に、ピクッと幽助の肩が反応した。
「闘いに生きる者の道はより強くなるか死ぬかの二つしかない。だらだらと余生をおくる堕落の道を選んだ瞬間、そいつはすでに死んでいたのだ」
「そのうすぎたねぇ口をとめやがれ。この場でてめェをぶっ殺すぞ」
ふつふつと、幽助の怒りの炎が勢いをます。
「何度でも言おう。そこのそれは腐れかけた負け犬だ」
「てめェ!!!」
我慢できなくなった幽助が戸愚呂に拳を振り上げ飛びかかる。
しかし、いとも簡単に戸愚呂はそれを受け止めると、幽助に強烈なパンチをくらわせた。
バキバキバキッと幽助の体が木々をなぎ倒していく音が辺りに響き、はるか彼方へと吹っ飛ばされていった。
「いいパンチだったぞ浦飯。今までで最高の…」
もうすぐ100%の力で闘える。
その喜びに、戸愚呂は体を震わせた。
「なんで…?」
幻海の亡骸を抱く未来が発したか細い声に、戸愚呂がそちらを振り返った。
「なんで殺すの…?仲間だったんでしょ?‥ひどいよ、こんなの…ひどい」
幻海の死、という現実にまだ頭がついていかない未来。目線が定まっていない瞳で、心のままに感情を吐露していく。
「あなたは間違ってる…おかしいよ。師範がどういう気持ちで…大事な用って言ってあなたに会いに行ったか、考えたことあるの!?」
もう強大な力を持つ戸愚呂に対する恐怖心など微塵も感じる余裕がなかった。ただ幻海を失ったことが悲しくて、悔しくて…未来は大粒の涙をこぼしながら戸愚呂を責めたてる。
「返して…師範を返して…!」
戸愚呂は無言で泣きじゃくる未来を見つめていた。この場で未来を殺し黙らせることなど彼には容易かったが、そうしなかった。
「…ッ」
何も言ってこない戸愚呂をキッと未来は下からにらみつけた。
(…!)
けれど彼のサングラスの下に驚くほど優しくつらそうな瞳を見つけて、未来は意表をつかれる。
戸愚呂と幻海。50年ぶりに再会を果たしたふたりの悲しい結末を憂いているのは、自分や幽助だけではなく彼もなのかもしれない…
そう未来に思わせる瞳だった。
「未来」
ザッと草木をかき分ける音がし、現れたのはコエンマだった。
「コエンマ様…」
未来はごしごしと目をこすり、涙を拭う。
「幻海の体はワシが霊界に連れていきあずかっておく。大会が終わったら幻海邸にでも埋葬しよう」
コエンマが力が入らない未来の腕から幻海の体を預かり、抱き上げた。
未来は何も言う気力がなく、呆然と自分からコエンマの腕へと移る幻海を見つめた。
埋葬、という言葉をコエンマから聞くと、ああ本当に幻海は死んだのだ、と目をそらしたい事実が現実味を帯びた。
「私も…私も一緒に行きます」
「今のお前の精神状態では、霊界に行くのは危険だ」
霊界とは、本来死人が訪れる場所である。以前未来もしたように幽体離脱をすれば生人も行けるが、不安定な精神状態の者が訪れると、そのまま命を落としてしまうこともあるのだ。
幻海が亡くなったショックからまだ立ち直っていない未来にとっては、危険な場所だとコエンマは判断した。
「そんなの関係ありません。行きたいんです」
未来はまだ幻海と離れたくなかった。
「気持ちは分かるが未来。ダメだ。大会が行われたこの島に幻海を埋葬するのは未来も嫌だろう?ワシが責任を持って幻海を弔うから…分かってくれ」
未来の気持ちをくみたいコエンマにとっても、つらい決断なのだ。それを未来も悟り、こくりとうなずいた。
「わかりました…お願いします」
「すまんな。さあホテルまで付き合うから一緒に帰ろう」
未来の背中を押し、ホテルへ向かおうとしたコエンマだが、ある一人の少年の姿を視界にとらえ足を止める。
「飛影…」
とてつもない戸愚呂の妖気を感じ、この場にやって来た飛影だった。
「霊界の…コエンマといったかな?少し話がある。残ってくれ」
戸愚呂が幻海の体を抱き上げるコエンマを呼び止めた。
「…わかった。いいだろう。飛影、未来を頼む」
了承したコエンマが、戸愚呂と向かい合う。
「未来、行くぞ」
歩き始める飛影に、未来も続く。
(陣の風で連れてきてもらったから実感なかったけど…けっこうこの場所、ホテルから距離あったんだ)
飛影の後を未来はとぼとぼ歩く。
ホテルにはきっと桑原や陣、凍矢たちがいるだろう。
…絶対、何があったか聞かれる。
そう思うと、自然と未来の歩みは遅くなる。
今はまだ皆に会いたくなかったし、泣いたあとがのこる顔をさらしたくなかった。
何より、幻海が死んだなんて台詞を口に出したくなかった。
「未来、はぐれるぞ」
「あ…ごめん、飛影」
気づけば飛影との間に距離ができてしまっていて、ぱたぱたと未来は彼に駆け寄る。
飛影はそんな未来の様子を見、しばらく考えると、ある質問を投げかけた。
「帰りたくないのか」
飛影に問われ、未来は目を見開くも…彼の言葉こそが自分の本心なのだと気づかされる。
「…うん。まだ帰りたくない」
うなずくと同時に、未来はぎゅっと目をつむった。また涙がこぼれ落ちそうになったから。
「ついてこい」
飛影はホテルとは違う方向に足を進みだした。
(え…ホテルに戻らないの?)
予想外の飛影の行動に驚いたが、未来は彼の背中を追った。
到着したのは島の浜辺だった。
「綺麗な夕日だね」
潮の香りがまじった風で乱れた髪をなおしながら、呟いた未来。
ちょうど水平線上に太陽が沈み、砂浜に腰をおろす未来と飛影の姿を赤く照らしていた。
「ここで暇な時、修行をしていた」
「そうだったんだ…」
大会中、飛影が度々不在であった理由が、今わかった。
ふたりはそれ以降言葉を発さず、波が海岸をうつ規則的な音だけが響く。
手持ちぶさたなのか、指で砂浜をなぞっている未来を飛影は見つめた。
幻海の死体。近くにいた戸愚呂。泣いたのだろう、赤くなった未来の目。
何が起こったのか飛影が悟るには十分だった。
そして未来も、あえて何があったか聞かず、ただこの場所へ連れてきてくれた飛影の優しさに気づいている。
(飛影…ありがとね…)
こうして静かに心を落ち着かせると、改めて死んだ幻海の姿が未来の中でちらついて、こみ上げてくるものがある。
「未来」
つらそうな表情をする未来に、飛影が話しかけた。
「何が聴こえる?」
「え…波の音が聴こえるよ?」
突然の意図が分からない飛影からの質問に戸惑いつつ、未来は答えた。
「そうだな」
飛影がそう言っている間にも、ザザーンと、大きな波の音が響いている。
「お前の声くらい、かき消す」
この時、未来にもわかった。飛影が何を言わんとしているのかが。
未来が抑えていた涙、感情が…次第に堰をきったように溢れだす。
「……うっ…ひっく…うっ…」
まだ、まだ泣きたりない。
ずっとこらえていた涙を、嗚咽を、未来はもらしはじめる。
(師範…幻海師範…)
もう幻海とは会えないのだと思うと、涙が止まらなかった。
コエンマが現れて以来我慢していた涙を、嗚咽と共に未来は流し続ける。
「ここには誰も来ない。ずっとここでオレは修行をしていたから知っている」
誰にも会いたくない。
聞かれたくない。
泣き顔を見られたくない。
…だけど、思いっきり泣きたい。
そんな未来の気持ちを飛影は察していた。
そして自分の前では、未来に感情を抑えてほしくなかった。
泣きたいだけ泣けばいいと思った。
「ひっく…うっ…」
未来はわんわん泣いた。
そしてその隣には、飛影がいた。
彼の言葉通り、波音は彼女の泣き声を隠す。
いつしか日は沈み、今度は月明かりがふたりを照らしていた。