Ⅴ 蔵馬ルート
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✴︎107✴︎ヒロイン
電車に揺られて約40分。
降り立った駅のホームにて。
「わあ、ちょっと潮の香りがするね!」
はしゃぐ未来が愛らしく、隣の蔵馬が柔らかく微笑む。
鼻腔をくすぐる涼やかな香りには、二人とも覚えがあった。
改札を出た二人は、手を繋いで街へと繋がる歩道橋の上を歩く。
「懐かしいなあ……」
「ほぼ七年ぶりだね」
「そっか、もうそんな経つか」
感慨深そうに、未来はきらきらと光に波打っている眩しい海を眺める。
約七年前のあの日以来、初めて二人は縦浜を訪れていた。
今までも何度か二人の間でまたここへ行こうかという話になったことはあったのだが、結局一度も実行に移してはいなかった。
大学を卒業して一年経ち、未来の社会人としての生活が軌道に乗り始めた今回のタイミングでの実現となったのは、運命的だったと感じる。
「あの遊園地で遊んだよね」
「今日も行こうか」
「うん、行きたい!」
群生したビルとは不釣り合いにそびえ立つ観覧車が目印の小さな遊園地へ、七年前と同じように二人は向かう。
「あ、でも今日私たちこんな格好だね」
「少しだけなら問題ないよ」
今夜のディナーのドレスコードに従い、未来は綺麗めの上品なワンピース、蔵馬はジャケットを着ている。
遊園地にはそぐわない格好だが、着崩れない程度に遊べば大丈夫だろう。
「まず何に乗ったか覚えてる?」
「ブランコだろ、未来の希望で」
「そう!あれ好きなんだ」
当然だとばかりに蔵馬が答えて、嬉しそうに未来がはにかむ。
あの日の行程をなぞるように、二人は最初のアトラクションに空中回転ブランコを選んだ。
「これ乗るのも七年ぶりだよ。やっぱちょっと怖いね」
「万一事故が起きても、ちゃんと助けるから安心して」
「ほんと頼むよ、蔵馬!」
「まあ、今の未来なら自力で何とか出来そうだけどね」
ブランコに座って七年前と似たような会話をする二人だが、彼ら自身も、取り巻く環境も当時とはガラリと変化している。
この七年でめまぐるしく世界は変わり、本当に様々なことがあった。
今人間界には、雪菜やカルトのような魔界からの移住者がどんどん増えている。人間側も妖怪の存在に気づきつつあり、両者は徐々に歩み寄り始めている段階だ。
第二、第三回魔界統一トーナメントの優勝者は、人間界へ友好的に接するという初代王者の煙鬼の方針を踏襲していた。
当時まだ高二だった二人も、今では立派な社会人である。
高校卒業と同時に義父の会社に就職した蔵馬は、優秀な腕を買われ既に役職持ち。周りの社員からの信頼も絶大だ。
無事第一志望の大学に合格し四年間経営学を学んだ未来は当初の志どおり、妖怪と人間の橋渡しとなるような事業を始めた。
人間界へ移住した妖怪が快適に暮らせるようサポートしたり、魔界への観光ツアーを開いたり、地道にコツコツ妖怪と人間の垣根がなくなるよう励んでいる。
高校を卒業してから今まで、蔵馬と未来は特に大きな喧嘩をすることもなく順調に愛を育んできた。
二人はいつも自然に互いを思いやっていたし、単純に相性がとてもいいのだ。
同世代の他のカップルがするように休日や平日の夜にデートを重ねて、時間を見つけては遠出して旅行して。
一緒に美味しいものを食べて、同じ景色を見て笑い。
ごくたまに小さな喧嘩をしても、その日のうちに必ず仲直りして抱きしめあう。
そんな穏やかなまばゆい日常を共に過ごしてきた二人は、当時以上に互いがかけがえのない存在になっている。
未来にだけ見せられる顔が、蔵馬にだけ見せられる顔が増えていき、今では互いが一番気を許せる相手だ。
照れくさかった秀一呼びも、とっくに未来は慣れっこである。
もう未来は蔵馬なしの人生は考えられなくて、彼も同じように思っていてくれたらどんなに嬉しいか。
最近そんなことをよく考える。
「キャーー!!」
風が涼しくて気持ちいい。
ブランコが空高く上昇し回転を始めてからも、爽快感に叫びながら未来は蔵馬のことを想う。
いつか志保利に語ったように、これからもずっと彼のそばにいさせてほしいと。
***
遊園地はそこそこに、七年前は行かなかった観光地にも足を伸ばし、ショッピングを楽しんで。
海沿いを手を繋いで散歩し、中華街にも寄るとちょうど夕飯時の時間となった。
「今日のディナークルーズ、すっごく楽しみにしてたんだ!」
七年前、サプライズで蔵馬が用意してくれたディナークルーズにとても未来は感激し喜んだものだ。
また体験したいとの彼女のリクエストに応え、蔵馬が予約してくれていた船へ顔を綻ばせながら未来は乗り込む。
今回は前回と違ってきちんとドレスコードのある、少しばかり格式高いレストランだ。
「素敵……!すごいすごい!また連れてきてくれてありがとう!」
絢爛な作りのらせん階段。
一面に敷かれた重厚な絨毯。
宝石箱をひっくり返したような美しい夜景。
豪華な内装と景色にピョンピョン飛び跳ねんばかりに喜び“すごい”と“ありがとう”を連発する未来に、蔵馬がふっと小さく吹き出す。
「変わらないね、未来」
「何度来てもこんなの感激するし嬉しいよ!」
「よかったよ、こんなにまた未来が喜んでくれて」
グランドピアノが中心に置かれていて、ディナークルーズにふさわしく高級感漂う船上レストランだ。
うっとりと船内を眺めている未来を、優しい蔵馬の眼差しが包む。
案内された窓際の席に座った二人の元に、スパークリングワインが給仕される。
未成年のためあの日は注文できなかったアルコール類を蔵馬と乾杯して嗜んでいるなんて、お互い大人になったなと未来は感慨深い気持ちになった。
「美味しいね。このワイン」
「うん。飲みやすいし未来が好きそうだなと思ったよ」
ワインはまろやかな飲み口で、辛すぎるものが苦手な未来の好みだった。
ふと未来が視線を海へ向ければ、ワイングラスを持って向かい合わせに座る自分と蔵馬の姿が窓ガラスに映っている。
七年前のディナークルーズはだいぶ気分的に背伸びをしたし、浮いていないかと心配にすらなった。当時から蔵馬は様になっていたけれど。
今の自分なら違和感なくこの空間に溶け込めているだろうか。
「私もちょっとはこういう店が似合う大人になれたかな」
「未来はすごく綺麗になったよ。あの頃も十分可愛かったけどね」
まだあどけない顔つきの少女から大人の女性へと、この七年で美しく未来が成長していった様を一番知っているのは蔵馬だ。
「ありがとう」
ストレートに褒められて、未来の頬にうっすら朱がさす。
(蔵馬もどんどんカッコよくなってく。ちょっと困るくらい……)
素敵すぎて心がもたないくらい、日に日に蔵馬の魅力は増していくばかりだとその整った顔立ちを眺めながら未来は思う。
「昨日ね、幻海師範の家に遊びに行ったら陣たちも来てたんだ」
「へえ、元気そうだった?」
美味しくて見た目も華やかなコース料理に舌鼓を打ちながら、未来は蔵馬と談笑する。
話題は昨日未来が幻海邸を訪れたことについてだ。
「うん!相変わらずすごく元気だったよ。師範と一緒に後輩の指導してた」
第一回魔界統一トーナメントが開催されて以来、幻海邸には彼女を師と仰ぐ若い妖怪が続々と訪れ、日々修行に励んでいる。
普段は魔界で生活している陣たちは、たまに幻海の元を訪れては兄弟子として彼らの指導をしていた。
「六人とも、次のトーナメントでは絶対優勝する!って燃えてたよ」
「前回の大会でかなり善戦してたし、組み合わせ次第ではいけるんじゃない?」
「蔵馬はどうなの?」
未来に問われて、前菜のテリーヌを切っていた蔵馬のナイフの手が止まる。
「蔵馬も次のトーナメント出るよね。優勝したいって思わない?」
「……正直、あまり考えてない」
魔界の覇者になりたいかと聞かれたら、他の出場者たちほどの熱意はないと蔵馬は自覚している。
昔は喉から手が出るほど欲した地位であり、盗賊として名を上げようとあれだけ躍起になっていたというのに。
けれど、決して蔵馬に欲がなくなったわけではない。
ただ彼の望むものの形が変化しただけだ。
「ふふ、私も。まあ私は蔵馬と違ってまかり間違っても優勝できるような実力ないけどね」
「未来だって、組み合わせ次第でわからないよ」
危険だからと未来の出場を断固として反対していた蔵馬も、今では彼女の実力を認めている。
それくらい長く、けれどあっという間の年月があれから経ってた。
美味しい料理とお酒、素敵な夜景を楽しみながら、蔵馬と未来はとりとめのない会話に興じる。
先日海藤が文学賞をとった作品の感想。
未来の大学の後輩でもある螢子が、来月母校の皿屋敷中へ教育実習へ行くこと。
就活に励んでいた桑原がめでたく第一希望の会社から内定をもらったこと。
マセガキ修羅に早くも彼女ができて、ちょっと黄泉が寂しそうなこと。
二人の口から出る友人たちの近況も、七年前のそれとは様変わりしており月日の流れを感じさせるものだった。
一方で、変わらないことも当然ある。
コエンマ、ぼたん、ジョルジュ早乙女の霊界組なんてまさにそうで、仲の良い元気な彼らの顔を見るたびに未来はなんだかホッとした。
相変わらずバトル野郎の幽助と飛影は、ちょくちょく魔界で拳を交わし益々強くなっているようだ。
幽助、桑原、蔵馬、飛影、そして未来。
全員が揃うことは滅多になかったけれど、ひとたび顔を合わせれば久しぶりの対面なのが嘘みたいに、まるで昨日も会ったみたいなノリで五人は騒いで笑いあった。
命をかけた死闘の場に身を投じていた当時から、変わらない絆がそこにある。
「デッキに出てみようか」
メイン料理を食べ終え残すはデザートのみとなった頃、蔵馬が未来を誘った。
あの日と同じく、もちろん未来は了承して二人は外のデッキに向かう。
「風が気持ちいいね」
夜の風は少し肌寒いが心地よい。
視界いっぱいに広がる、ネオンライトに光る夜景と静かな海に、未来はうっとりと心酔する。
デッキには蔵馬と未来以外に人はおらず、二人の貸し切りだった。
「懐かしいな……あの日もこうして一緒に外へ出たよね」
「ああ。そうだったね」
深い感情が隠れたような瞳で、蔵馬が波打つ海を見つめる。
その横顔にギュッと胸が苦しく掴まれるような感覚をおぼえながら、未来もまた海へと視線を移した。
忘れるわけがない。
二人にとってここは、切ない思い出の残る場所だった。
あの日蔵馬はひとえに未来を守るために、彼女の幸せのために、愛しい手を離すことを決断したのだ。
「今はもう絶対に未来のことを離せないな」
それこそ、たとえ世界中の全てを敵にまわしたとしても。
噛み締めるように述べた蔵馬の手に、そっと未来が触れ指を絡める。
「離したら嫌だよ……」
控えめに触れてきた未来の細く柔らかな両の手を、ギュッと強く、それでいて優しく蔵馬が包み込む。二人の気持ちは一つだった。
「未来」
真っ直ぐな深い眼差しが、未来をとらえて離さない。
「好きだよ」
あの日と同じように、胸にわく激情が自然と口をついて出る。
しかしあの日よりも、蔵馬にとってそれはずっと強くて重い意味を持つ言葉になっていた。
私も蔵馬が好きだよ。
あの日返せなかった言葉を未来の唇が紡ぐ前に、蔵馬が続ける。
「オレと結婚してほしい」
未来の丸い瞳が大きく見開かれ、光が灯る。
それは二人の頭上に広がる煌めく夜空を映したみたいな美しさだった。
「これから先の人生、ずっと未来に隣にいてほしいんだ」
そうして蔵馬が取り出した小さな箱には、まばゆいダイヤの指輪が輝いていた。
感極まって涙目になっている未来を見て、真剣そのものだった蔵馬の表情がふっと緩む。
「未来。オレと結婚しよう」
「はい……!」
やっと返事ができた未来が、蔵馬の目を見てしっかりと頷いた。
微笑みあった二人を祝福するように、潮の混じったあたたかい風が辺りを包む。
「すごく綺麗……」
左手の薬指に嵌めてもらったリングを夜空にかざして、未来が目を細める。
「蔵馬、すごく嬉しい。ありがとう」
あの日、私も蔵馬のことが好きだと、一緒にいたいと返せていたらよかった。
蔵馬に辛そうな顔をさせたことは、ずっと未来の中でしこりのように残っていて。
今日、思い出の場所で蔵馬を笑顔にさせる返事ができたことを、とても幸せに思う。
「私も蔵馬が好きだよ。世界中の誰よりも」
いつ頃からだろう。考えるよりとっくに昔から、蔵馬は未来にとって一番大切な人になっていた。
微笑んだ未来の身体を、たまらず蔵馬が引き寄せ抱きしめる。
「絶対に幸せにする」
大好きな彼の腕の中に閉じ込められた未来の頬に、喜びで彩られた一筋の涙が零れ落ちた。
***
クルーズ船を降りた蔵馬と未来は、七年前もそうしたようにライトアップされた観覧車に乗り込む。
ただあの時と違うのは、向かい合わせではなく肩を寄せ合い隣に座っていること。二人とも笑顔で結婚に向けての話をしていること。
極めつけは、未来の左手の薬指に蔵馬からもらった指輪が輝いていることだ。
「あ、あれ今日泊まるところじゃない?」
「ほんとだ」
夜景の中に見つけた高層のシティホテルを未来が指差す。
土日どちらも予定が空いていると、二人は泊まりがけでデートすることが多かった。
「幻海師範に会う度、未来の花嫁姿はまだかって言われてたんだ」
眼下に広がる景色をリラックスした表情で眺めながら、実はさ、と切り出した蔵馬が打ち明けた。
「師範そんなこと言ってたの!?」
「冗談っぽくだけどね」
蔵馬としても早く未来へプロポーズしたかったのだが、彼女が大学を卒業し、新生活が軌道にのるまで待っていたのだ。
もうずっと前から、蔵馬は社会的にも未来を自分のものにしたくてたまらなかった。
「そっか……師範にも早く報告に行かなきゃね」
きっと、いや絶対喜んでくれるだろう。
二人の結婚を幻海も待ち望んでいてくれたことを知って、未来の胸にじんとあたたかいものが染み渡る。
もういつ死んでもいいなんて口では言っているが、幻海にはちゃんと自分のウェディングドレス姿を見てもらわなければと未来は思った。
「もうすぐ私、南野未来になるのか〜。けっこう語呂いいね」
「かなりいいよ」
未来に負けず劣らず浮かれている蔵馬が言い張る。
南野未来。なんて良い響きだ。
「ふふ、楽しみ」
蔵馬ときちんと籍を入れることができるから、幻海の養女になっていて正解だった。
南野さんと呼ばれる生活を想像して、ちょっぴり照れくさそうに未来がはにかむ。
結婚式の計画や、新居の準備。
これからしばらく忙しい日々が続くと、浮き足立つ未来は頬が緩むのを抑えられなかった。
「前に蔵馬とここでデートした時もすごく楽しかったけど……今日またここに来れてよかったな」
過去へ思いを馳せた目をして、未来がしみじみとこぼす。
七年前にここで蔵馬とデートしたことも、振り返ると胸が苦しくなる瞬間はあれど大切な思い出だ。
同じ場所でまた、喜び一色の思い出を新たに作れたことが未来は嬉しかった。
あの日ほぼお互い無言だった観覧車の中で、二人の将来への希望に満ちた話ができる。
観覧車を降りた後も、今日は一緒に眠れる。そればかりか、そう遠くないうちに毎日同じ家へ二人は帰るようになる。
全て叶わなかった頃の哀切を身をもって知っているから、二人はよりいっそうの幸せを噛み締めることができる。
「蔵馬。絶対に幸せにするって言ってくれたけど、私、蔵馬のおかげで十分今もすごく幸せなんだよ」
船の上で未来を抱きしめながら、幸せにすると蔵馬は言ってくれた。
けれど蔵馬と交際を始めてから、彼が隣にいてくれるだけで未来は既に十分幸せだった。
「オレもそう思ったから、未来にプロポーズしたんだ」
一緒に笑うのも。
喧嘩するのも。
仲直りするのも。
きつく抱きしめるのも。
全部全部、相手はこれからも未来がいい。
そう強く蔵馬が願うくらい、彼女と共にいる日々は彩られていた。
幸せな時もそうでない時も、未来が一緒にいる毎日がこれからもずっと続いていく。
未来が楽しい時、辛い時、一番近くで寄り添うことができる。
その約束がこんなにも熱く胸を震わせるなんて、未来と出逢うまで蔵馬は知らなかった。
地位も名声も、彼女の前だと全てが霞む。
自分が贈った指輪をつけてくれている未来の左手を蔵馬の右手が包む。
愛おしさにあふれた眼差し。左手は彼女の頬へと滑らせれば、二人の目線が交わった後、未来がそっと瞼を閉じた。
「愛してる」
囁いて、誓うように蔵馬が口づける。
彼にとって生涯ただ一人のヒロインへ。
*fin*