Ⅴ 蔵馬ルート
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✴︎106✴︎ミスター&ミス盟王
吹奏楽部の公演が終わると、そろそろ蔵馬の店番が終わる予定の時間だった。
体育館を出た横の小スペースで、志保利と未来は立ち止まる。
「じゃあ、私はママ友とここで待ち合わせしてるから。未来ちゃん、今日はありがとう。すごく楽しかったわ」
「私もすごく楽しかったです!ありがとうございました」
今日志保利と話せて、未来の心は穏やかに晴れ上がった空みたいに澄んでいる。
志保利の記憶をいじる必要はない、変えたくないと、衷心から思えた。
「未来ちゃんの文化祭はこれからが本番ね。秀一と楽しんでね」
微笑んだ志保利は、体育会から出てくる人波に目を止めて「あら」と呟いた。
志保利の視線の先に眼鏡をかけた知人の姿を見つけて、未来は叫ぶ。
「海藤くん!」
振り向いた海藤が、未来の姿に気づいて驚いたように眉を上げた。
「永瀬さん……久しぶり」
「わあ、元気だった!?」
「ああ。南野から話は聞いてたけど、永瀬さんも元気そうでよかったよ。南野のお母さんも、ご無沙汰してます」
「こちらこそ、いつも秀一がお世話になってます」
去年の六月以来、未来は海藤と一年以上ぶりの再会を果たした。
海藤が会釈すると、志保利も柔らかく微笑んで応える。
「未来ちゃん、海藤くんと知り合いだったのね」
「はい。秀一くんから紹介されて」
「そうだったのね。実は今から会うママ友って、海藤くんのお母さんなのよ」
「そうなんですか!?」
驚くと同時、南野さーん!と言って手を振りこちらへやって来る眼鏡をかけた中年女性の姿を未来はとらえた。その顔はどことなく海藤に似ている。
「これから南野のとこ行くんだろ?案内しようか?」
四人で軽く談笑すると、蔵馬、海藤の母親は二人で講堂の方へ向かっていった。
その場に残された未来へ、海藤が案内役をかって出る。
「いいの?助かる!迷っちゃいそうだったから」
片手で数えるほどしか盟王高校を訪れたことのない未来にとって、嬉しい申し出だ。蔵馬がいる教室を目指し、二人は校舎に入る。
「蔵馬と海藤くんのお母さん同士、仲良くなってたんだね」
「この前の保護者会で意気投合したらしいよ」
それよりさ、と校内を歩きながら海藤が未来へ切り出した。
「永瀬さん、南野と付き合ってるんだって?おめでとう」
「あ、ありがとう」
恥ずかしそうに目を泳がす未来へ、永瀬さんにも見せたかったなぁと海藤が続ける。
「永瀬さんがいなくなってからずーっと暗い顔してた南野がある日、目に見えて表情が明るくなって登校してきたからさ。どうしたんだよって聞いたら、永瀬さんと付き合うことになったって。一月末くらいだったかな?」
「あ……うん、それくらいの時に付き合ったから」
「あんなに分かりやすく上機嫌な南野は珍しいぜ。まあ、ようやく念願叶ったんだから無理もないか」
黄泉との婚約記念パーティーで想いを通じ合わせた後、傍目に分かるくらい学校でも蔵馬がそんなに喜んでくれていたなんて。
未来はみるみる緩みそうになる頬をおさえる。
「そういえば魔界の統一トーナメントで敗退して数日ぶりに登校してきた時も、三回戦で負けたって言ってたわりには機嫌よかったな……」
訝しげに首を捻っている海藤に何も応えることができず、うっすら染まった頬を隠すように未来は俯いた。
「はい、ここがオレたちの教室」
海藤が、フリーマーケットの看板が掲げられている四階の教室の前で足を止める。
廊下からこっそり未来が中を覗くと、教卓で会計係を務めている蔵馬の姿があった。
客から商品を受け取って袋詰めし、お金をやり取りする蔵馬の横顔を見つめていると、謎の感動が未来を襲う。
「蔵馬、ちゃんと働いてる!」
「そりゃ南野も店番くらいするだろ……。あと、ここではその呼び方マズいんじゃない?」
「あ、そうだよね。気をつけなきゃ」
念のため高校の敷地内では蔵馬呼びは控えるべきだろう。
蔵馬の家族の前で彼をそう呼ぶように、“秀一くん”を今日は徹底しようと未来は決めた。
「南野に声かける?」
「ううん。仕事中だもん。終わるまで待ってるよ」
こちらに気づく様子なく会計業務をしている蔵馬の横顔を見つめながら、未来は首を横に振った。
通行人の邪魔にならないよう、廊下の窓際の壁に背中を預ける。蔵馬の店番が終わるまで、こうして教室前で待機するつもりだ。
すると、廊下の向こうからワーワーと盛り上がる喧騒が聞こえてきた。
「岸さーん!絶対投票するよー!」
「ドレス似合いすぎー!」
「盟王きっての美男美女の二人に、清き一票を〜!」
未来が視線をやると、拡声器を持った男子生徒に先導され、周囲に囃し立てられながらこちらへ歩いて来る華やかな二人組がいた。
(わ、可愛い)
にこにこと微笑んで周りに手を振っている、ドレスアップした女子生徒に未来は目を奪われる。
隣を歩くタキシードを着た男子生徒も、なかなか整った顔立ちをしている。
「すごく可愛い子だったね」
「あれは今年のミス盟王候補の一人の、うちのクラスの岸さん。隣にいたのはミスター候補の奴だよ」
目の前を通り過ぎていった彼らの背中を見送って、思わず未来がこぼすと海藤が詳しく説明してくれた。
「岸さんは去年のミス盟王でさ、二連覇は確実っていわれてる。ミス候補は白いドレス、ミスター候補はタキシード来て校内練り歩くのが毎年恒例なんだ。同じクラスから選出された候補者同士、二人組になってね」
盟王高校では各クラスから一名ずつミスとミスター候補を選出し、文化祭当日に投票を行う。
パンフレットに添付された投票用紙に、票を入れたいミスとミスターの候補者の名前をそれぞれ一名ずつ記入し、事務室前のボックスに提出するシステムだ。ちなみに不正を防ぐため記名式。
校庭のメインステージで行われる夕方の開票イベントは、全校生徒が注目する一大行事だという。
「うちのクラス、ミスターにはまず南野が推薦されたんだけど断ってたよ。結局アイツ、三年間逃げ続けたな」
「くら……秀一くん、そういうの絶対やりたがらなそうだもんね。よかった、断ってくれて」
蔵馬がミスターコンに出なくてよかったと、未来は胸を撫で下ろす。
あんな風に着飾ってミス候補の女の子と並んで歩く蔵馬の姿を見たとして、とても平静でいられる自信がない。
「へえ、随分堂々と惚気るようになったね」
「そ!そういうつもりじゃあ」
「南野の恋路を見守ってきた身としては、二人が収まるところに収まって本当によかったと思うよ」
「恋路!?」
あたふたして顔を赤くする未来の反応が面白くて、ははっと海藤が笑い声をあげる。
滅多にポーカーフェイスを崩さない海藤の笑みに周囲が驚き、ひっそりと騒つき出した。
「海藤が笑ってるぜ」
「あの子、何者?」
「まさか彼女?」
「すげー可愛いじゃん」
「未来」
二人に近づいていった学年トップの有名人の姿に、周囲はよりいっそうの驚きで息をのむ。
「秀一くん!」
廊下にいる自分たちに気づいて来てくれたのかと、未来の顔が花のように綻ぶ。
蔵馬は無言で未来の隣までくると、自然な動作で彼女の髪をすくい耳にかけた。
目の玉が飛び出そうになるくらいの衝撃を受けながら、彼らに注目していた学生たちは事の成り行きを息を殺して見守る。
「あ、乱れてた?ありがとう」
「未来、もう来てたんだ」
「うん。秀一くんのお母さんと別れた後、海藤くんにここまで案内してもらったの」
ドギマギしながら未来が大人しく髪を触らせると、満足したのか蔵馬は次に海藤の方へ顔を向けた。
「海藤は、未来と会うの久しぶりだったんじゃないか」
「ああ。こうして久々に南野と永瀬さんのツーショットが見られてよかったよ」
ニヤリと口角を上げた海藤の見透かしたような視線に、居心地の悪さを感じた蔵馬が閉口する。
こういうカオが見られるから、永瀬さんが絡んだ時の南野は面白いんだよなと胸中でほくそ笑む海藤。
彼女と別れておそろしく気落ちしていた頃の彼を知っているから、本当に二人が再会できてよかったと、しみじみとした感慨深さも込み上げていた。
「じゃ、オレは文芸部の方で用があるから」
「またね。ありがとう、海藤くん!」
片手を上げて去っていった海藤を見送る未来の脳裏に、魔界の穴事件の思い出が走馬灯のように駆け巡る。
一生忘れられない経験を共にした海藤は、未来にとって特別な友人だった。勿論、蔵馬にとってもだ。
「ごめん未来、まだオレと交代で入るクラスメイトが来てなくて。中でもう少し待っててくれる?」
二つ返事で快諾した未来は、蔵馬の引き継ぎが終わるまで教室でフリマの商品を物色し待つことにした。
仕事に戻るとすぐ、蔵馬は大量購入した保護者の対応に追われ忙しそうにしている。
「南野くんのクラス、フリマって」
「やばいよね。南野くんの私物が合法的に買えるってことじゃん」
(……は!?)
フリマはそこそこ盛況で、入れ替わり立ち代わり訪れる客足は途絶えない。
ブルーシートの上に並べられている小物やゲームソフト、洋服を未来が眺めていると、聞き捨てならない発言が耳に飛び込んできた。
「南野くん忙しそうだね」
「かっこいい〜。南野くんがこっち見てない間に早く目当ての物買っちゃお」
未来の横にいる女子生徒二人組が、出口付近で会計業務をしている蔵馬を見ながら小声で囁き合っている。
「あの、南野くんが出品したものってどれですか?」
女子生徒の一人が、商品の前で胡座をかき店番をしている男子生徒へおずおずと訊ねた。
耳をそばだてながら、彼らの動向を未来は固唾を飲んで見守る。
「南野?……うーん、たしかこのトレーナー出品してた気が」
「買います!これください!」
「ちょ……!」
女子生徒がトレーナーを手に取り、愛おしそうに顔を埋める。
未来が思わず咎める声を出したその時。
「ちょっと、何言ってるの。それうちの担任が出したヤツでしょ」
現れた美少女が、呆れた声で指摘する。
蔵馬の出品物ではないと判明した途端、女子生徒はパッとボロ雑巾でも触っていたかのようにトレーナーから手を離した。
(あ、この子……)
見覚えのある顔に未来は目を見張る。今年のミス第一候補といわれている“岸さん”だ。
「似たようなこと聞いてきた女子、あなたたちで十組目だって。もう彼が出品したものはとっくに売り切れてるよ」
彼女はミスコン活動中の白ドレスから、既に制服に着替えていた。
どこか圧のある綺麗な笑顔で告げられて、すごすごと女子生徒たちは教室から撤退する。
(蔵馬の出品したもの、もう買われちゃったんだ……。私のバカバカ!)
フリマだと聞いた時、そこまで考えが及ばなかったことを未来は猛烈に後悔する。
あんな輩がたくさんいると知っていたら、文化祭開始と同時、いの一番に蔵馬の私物を買い占めに行っていた。
この校内のどこかに蔵馬が出品した服の持ち主がいると思うと、未来の胸はズキズキと痛む。
先週、蔵馬の家に泊まって、彼の服を借りてすごく幸せな気持ちになった。まるで蔵馬に包まれてるみたいで……。
あれを味わえるのは、自分だけの特権なのに。
「秀一くん」
背筋がぞわっとするほどの猫なで声に、肩を落としていた未来はがばっと顔を上げた。
あの“岸さん”が、会計業務をしている蔵馬へ擦り寄り話しかけている。
しゅ………秀一くん???
聞き間違えでなければそう言ったか。頭の中がはてなマークでいっぱいだ。
「ごめんね、遅くなって。ミスコンの仕事が長引いちゃって」
「いいよ。さっさと引き継ぎしようか」
申し訳なさそうに岸が手を合わせて謝ると、淡々と言って蔵馬が教卓に帳簿を広げる。どうやら蔵馬の仕事の引き継ぎ相手は彼女だったらしい。
「さっき私がドレス着て校内巡回してたの、秀一くんも見てくれた?この教室の前も通ったんだよ」
「いや」
「えー、全然目合わないと思ったぁ。すっごく素敵なドレスだったから秀一くんに見てほしかったのに!」
引き継ぎのため蔵馬が業務的な説明をする合間、岸が馴れ馴れしく絡む様子を未来は凝視する。あまりにも距離が近くないか。
「結果発表の時またあのドレス着るから、今度はちゃんと見ててね。ステージの上から秀一くん探して手振るね」
「岸さん、すごいよねー。南野くんにあんな風に話しかけれて」
「岸さんだからできるよね。なんたってミス盟王二連覇確実だもん」
こそこそと他の生徒たちが耳打ちし合っている。
校内で女子生徒から絶大な人気を誇る蔵馬だが、いわゆる高嶺の花のような存在でミーハー心から騒いでいる者がほとんどだ。岸のように本気でオトそうと近づく猛者はかなり珍しい。
自分が一番可愛いと微塵も疑っていないような笑顔をつくって、岸は蔵馬に話しかけ続けている。
絶対、蔵馬の私物をせしめたのは岸さんだ。同じクラスなのをいいことに開店前に蔵馬が出品した物を買ったんだ!!と、未来は確信していた。
「ねえ、秀一くん聞いてる?」
岸が蔵馬の顔を覗き込み、ただでさえ近かった二人の距離がさらに縮まる。
ねーねーと甘えるように彼女が蔵馬の腕に触れた時、ついに未来は限界を迎えた。
「秀一」
ツカツカと二人に歩み寄って。衝動的に口をついた呼び方に、教室中の視線が自分に集中したのが分かった。
「秀一、まだ引き継ぎ時間かかるのかな。なら私、ちょっと外ぶらぶらしてるね」
努めて穏やかな声で、ニコッと笑顔をつくって未来が蔵馬に訊ねる。
「いや……もう終わる。すぐ行くよ」
呆気に取られている岸や周囲の人間と同じく、目を見開いて驚いた様子の蔵馬だったが。スタスタ教室から未来が出て行くと、「じゃあこれで」と慌てて岸へ帳簿を押し付ける。
「秀一くん、今のって」
「彼女だよ」
唖然としている岸へ言い残すと、颯爽と未来を追いかけ蔵馬は教室から出て行ったのだった。
ズンズンと脇目も振らず、未来は廊下を突き進んだ。
しかし後ろからついてくる足音の主が小刻みに肩を震わせている気配に、人気の少ない階段の踊り場までくるとピタッと立ち止まる。
「〜〜何が可笑しいの!?」
くるっと振り向いた先には、口元を手で押さえクスクス笑い声を漏らしている蔵馬がいた。
「いつの間に未来がオレを呼び捨てするようになってたなんてね」
「いつも呼び捨てにしてるでしょ、蔵馬って!」
からかい口調で言われて、今日は彼の生来の名は口に出さないと決めていたのに、思わずツッコんでしまう。
「そ、それよりさ、あの子とそんなに仲良いの?他の人はみんな南野くんって呼んでるのに、あんな親しげに秀一くんって……」
「単なるクラスメイトの一人だよ。南野って名字の知り合いが他にいて紛らわしいとかいう理由で、勝手にああやって呼び出したんだ」
「ウソ、絶対ウソだよそれ!」
憤慨する未来に、「だろうね」とあっさり蔵馬は同意する。
自分に好意を向ける相手を突き放すのもエネルギーがいるし、逆上されても厄介だ。
多少の不快感は目を瞑ろうと、蔵馬はこれまで岸に馴れ馴れしくされても適当にやり過ごす対応をとっていた。
「面倒だから放置して好きにさせてたけど、結果こんな面白い未来が見られたからよかったかな」
塞翁が馬とはこのことか。思わぬ収穫に蔵馬は上機嫌だ。
対して、未来はみるみる眉間の皺を深める。
「ヤキモチ妬かせて喜ぶなんて趣味悪いよ!」
あんなに分かりやすく蔵馬狙いの美少女と彼が同じクラスで四六時中そばにいるなんて、こっちは気が気じゃないっていうのに。
同性の自分の目から見ても、とても岸は可愛くて懐かれたら悪い気はしないと思った。
「ごめんごめん。未来がオレにヤキモチなんて新鮮だったからさ。ちゃんと未来のこと彼女だって説明しておいたから、もう大丈夫だよ」
ぽんぽんと優しく頭を撫でられて、ほっと未来の顔に安堵の色が浮かんだ。
「さっきは嫌な気持ちにさせて悪かったね」
「まあ……別にさっきのは、蔵馬が悪いわけじゃないから。勝手にあの子が馴れ馴れしくしてただけで」
単純なもので、蔵馬から素直に謝られると、すうっと怒りが萎んでいく。
冷静になって振り返ると、これ見よがしに秀一呼びするなんて、褒められた態度ではなかったのではとの懸念が頭をよぎった。
自分があんな行動に出るなんて、未来自身も驚いているのだ。
「……私、蔵馬のクラスメイトにあんな牽制するようなことして、すごい感じ悪かったかな」
「未来はただオレの名前を呼んだだけだろ?全く問題ないよ」
些か不安だったけれど、キッパリ蔵馬が断言してくれて気持ちが軽くなる。
「名前で呼ぶのもやめてくれって、後で言っておくよ。彼女が嫌がるようなことしたくないって」
「えっ………や、いいよ。なんかそれ私が彼女として余裕ないみたいだから!」
一瞬顔面が喜色にあふれた未来だったが、しばし思案するように顎に手を当てると、断固として言い張った。
我ながらめんどくさいことを言っているなと思うが、未来にだってプライドはある。
岸が秀一くん呼びし続けるのも嫌だが、彼女として堂々としていることを優先した苦渋の決断だ。
「……わかった」
「ねえ、そんな可笑しい!?」
またクスクス込み上げる笑いを耐えている蔵馬に、未来が喚くのであった。
「じゃ、そろそろ行こうか」
未来の機嫌がおさまったところで、そっと蔵馬が彼女の手を取った。
思いがけない行動に目を瞬いた未来だったが、彼と指を絡めて応える。
「いいの?手繋いだりして」
好奇の目に晒されたり、冷やかされたりして蔵馬が嫌な思いをするのではないかと未来は心配だった。
ミスターコンを断ったこと然り、きっと蔵馬は高校で極力目立ちたくないのだろうと考えていたから。
「いいよ、この際。未来と噂になれるなら本望だしね」
冗談めかしく蔵馬は言って、未来の手を引いて歩き出す。
「まずは未来が行きたいって言ってたお化け屋敷にする?」
「うん」
蔵馬に導かれ、三階の教室を目指して一歩ずつ未来が階段を降りる。
繋いだ手から伝わる蔵馬の体温に安心して、未来の胸をとくとくと満たした。
「なんかめちゃくちゃ注目されてる気が」
「未来が可愛いからじゃない?」
「いや、どう考えてもアナタが有名人だからでしょ!」
道行く学生が、手を繋いでいる蔵馬と未来を目に止め次々と振り返る。
ショックを受けた顔で目を見開いたり、きゃあきゃあ興奮した様子で小声で騒いだり、反応は様々だ。
「秀一くんってやっぱりものすっごくモテるんだねぇ……」
蔵馬の私物を買おうとする客やミスコン常連美少女に言い寄られる彼を目の当たりにし、既に未来は嫌というほど実感していた。
自分が好きになった素敵な人だ。学校でもモテているのだろうなとは思っていたが、未来の想像以上だった。
「秀一でいいのに」
「……うん、頑張るよ」
まだ照れがある呼び方だけれど、ちょっとずつ慣れていけたらと思う。
未来の返事に、満足そうに蔵馬の唇が弧を描いた。
お化け屋敷の教室の前では数組が列を作っていて、未来たちも最後尾に並ぶ。
その最中も、彼らの前を通り過ぎる幾人かの学生が驚いたように表情を変えていた。
「オレたちは本来脅かす側に回るべきだけどね」
意味深な台詞をぶっちゃけた蔵馬に、「たしかに」と未来が吹き出す。
「未来はお化け屋敷好きなの?」
「好きっていうか、彼氏と一緒に入るのちょっと夢だったの」
「じゃあ今日は遠慮なくオレに掴まるといいよ」
恥ずかしそうに打ち明けた未来と絡めた手を、蔵馬が優しく包む。
ただの初々しい高校生カップルにしか見えない二人の正体が妖怪だなんて、まさか誰も思わないだろう。
「にしても盟王の文化祭、お客さん多くてほんと盛り上がってるよね。秀一…のクラスのフリマもかなり盛況だったし」
わいわい賑わっている校内を見渡すと、“くん”をつけたくなるのを我慢して未来が言う。
先ほどは蔵馬のクラスの売り上げに貢献しようとフリマの商品を眺めていたが、結局何も買わずに出てきてしまった。
「せめて秀一が出品した物は買いたかったなあ」
「そんなに洗剤欲しかった?」
さらりと蔵馬が問う。
一瞬理解が追いつかず、キョトンとした顔で未来は瞬きを繰り返した。
「え、蔵馬、服は出品してなかったの!?」
「ああ。洗剤だけだよ」
思わず普段通りの蔵馬呼びに戻った未来が驚愕する。
てっきり服だとばかり思い込んでいたが、蔵馬が出品したのは貰い物の洗剤セットだったのだ。
「なんだ……そっか。ふふ」
「未来、嬉しそうだね」
そう言って微笑する蔵馬は、未来の真意を見抜いているのかいないのか。
どちらにしろ、彼が微笑み返してくれるなら未来はそれで十分なのだった。
「次の方、どうぞー」
係員の生徒に促され、ドキドキ足を踏み入れたお化け屋敷は高校の文化祭の模擬店にしては本格的だった。
驚かされる度に未来は悲鳴をあげ、蔵馬にしがみつく。
そんなベタなやり取りが馬鹿みたいに二人は楽しくてたまらなかった。
お化け屋敷を出て、「けっこう怖かったね」なんて感想を言い合いながら廊下をぶらぶらと歩く。
その間も、二人の手はずっと離れることなく繋がれたままだ。
蔵馬とお互い制服姿で校舎を歩き、文化祭を楽しんでいる。
幸せにどっぷり浸かってこのままほわほわに溶けてしまうんじゃないかと思うくらい、未来にとって甘い宝物のような時間だった。
その後は色々な模擬店をまわったり、屋台で軽食を食べたり、海藤が寄稿する文芸部の部誌を買ったりして二人は文化祭を楽しんだ。
終盤となった祭も、後はミス・ミスターコンの開票イベントを残すだけだ。
「今日はすっごく楽しかった!」
「オレも未来のおかげで楽しかったよ」
「秀一くん!」
休憩スペースとなっている講堂横のベンチに座り、穏やかに談笑する二人。
しかし、割って入るように飛んできた高い声に、ピキッと未来の顔が凍りついた。
「秀一くん、こんなところにいたんだ!」
相変わらずの秀一くん呼びで、例の“岸さん”が、蔵馬の姿を見つけるやいなやこちらへ駆け寄ってくる。
隣に座る未来に気づかないわけがないだろうに、露骨すぎる態度に唖然とするくらい岸は蔵馬の顔しか見ていない。
「探してたんだよ!もうすぐ開票イベだから絶対見に来てね!」
「あ、ああ……」
蔵馬が圧倒されていると、「あ、もうこんな時間!」と腕時計を見て岸が叫ぶ。
「本番前に秀一くんに会えてやる気もらっちゃった。ありがとう。じゃあまたね!」
最後まで頑なに未来のことは視界に入れようとせず、嵐のように岸は来襲し去っていった。
「私のこと彼女だって説明したんじゃなかったの!?」
「確かに言ったよ」
「あの、すみません。三年の南野先輩ですよね」
未来が蔵馬に詰め寄っていると、ミス・ミスターコン実行委員長だと名乗る男子生徒が話しかけてきた。後ろには、ぞろぞろと数名の他の実行委員を連れている。
「実は今年もミスターコン出場者たちを上回る票が南野先輩に入っていまして。すごいですね、三年連続の裏ミスターは快挙ですよ」
「ええ!?」
まさかの報告に、蔵馬ではなく未来が仰天の声をあげる。
ミスターコン出場者たちを差し置いて、三年連続最も多くの票を獲得し“裏ミスター盟王”の座に蔵馬が君臨していたなんて。
「今から始まる開票イベント、裏ミスターとしてぜひステージへ上がってください。南野先輩も最後の文化祭ですし、今年こそは嬉しい返事を聞きたいです!どうかお願いします!」
「ちょっと、すごいじゃんどうするの?」
「あの、南野先輩の彼女さんですよね?」
毎年断っているらしい蔵馬に、今回こそはと実行委員長が頼み込む。彼は次に、蔵馬の腕を揺すっている未来へとその顔を向けた。
「実は南野先輩の名前が書かれた投票用紙のほとんどに、“と、その彼女”と記載されていたんです。そこでお二人を、裏ミスター&ミス盟王としてステージで表彰したいと思いまして!」
「えええ!?」
何故自分に蔵馬と連名で票が入っているのか。滅相もないと、ぶんぶん勢いよく未来は手と首を振る。
「私ここの生徒じゃないしノコノコ出てったらみんな興醒めですよ!」
「いやいや、学校一有名な南野先輩の彼女のお披露目ですもん!盛り上がること間違いなしです!南野先輩が彼女連れてたって噂で校内持ちきりなんですから」
そんな見世物みたいな。
絶対に蔵馬も難色を示すだろうと未来は思ったが、予想を裏切る台詞が彼から飛び出した。
「オレは未来がいいなら出てもいいけど。最後の文化祭、思い出作りに」
「うお、マジっすか!ありがとうございます!」
前向きな蔵馬の返答に、実行委員長はガッツポーズだ。
「蔵馬、なんで!?」
「断り続けるのも骨が折れるし……未来と噂になれるなら本望だからね」
小声で未来が聞けば、言ったろ?と蔵馬はからかうような笑みを浮かべる。
「先輩と彼女さんの連名で多くの人が票を入れたのは、ツーショットをステージで見たいからですよ。全校生徒の期待に応えると思って、どうか!」
「で、でも……」
「そこをなんとか!お願いします!」
委員長に続き、お願いします!と後ろの委員たちも一斉に未来へ頭を下げた。
「……じゃあ、ほんのちょっとだけなら」
「やった!ありがとうございます!」
了承するまで顔を上げる気配のない彼らの押しに負け、未来が首を縦に振る。
こうして急遽ミス・ミスターコンへの飛び入り出演が決まった未来と蔵馬なのだった。
***
校庭のメインステージ前には、多くの生徒や来場者が集まっていた。
ステージ上には白ドレス姿のミス候補、タキシード姿のミスター候補がズラリと並んでおり、マイクを手にした実行委員長が司会を務めている。
打ち合わせもそこそこに、未来と蔵馬はステージ前で待機していてくれとの実行委員からの指示の元、ミス盟王とミスター盟王が発表される様子を他の観客たちと共に眺めている。
ミス盟王は予想されていた通り蔵馬と同じクラスの岸。ミスター盟王は二年の男子生徒が選ばれていた。
「ううう……ほんとに私も出てもいいのかな」
「もう乗り掛かった船だよ」
ミス盟王のタスキをかけられた岸が退場するのを、大衆が拍手で見送っている。
どんどん自分の出番が近づいてきて、今から辞退してもいいかな!?と顔を青くし呻いている未来を蔵馬が励ます。
「そもそも裏ミスターってなんだよ……」
「オレが聞きたいよ。ちなみに去年、一昨年と裏ミスは不在だったよ」
その人気の凄まじさ故に新しい概念を生み出していた蔵馬に、未来は脱力する。
『さて、これにてミスコン、ミスターコンは終了……ではなく、最後に裏ミスター&ミス盟王を発表したいと思います!』
「南野くん!?」
「それ以外ないでしょ」
「ステージ上がってくれるの!?」
「じゃあミスはやっぱり……!」
満を持して委員長から発表されたサプライズに、期待にわく観客がそわそわと騒めく。
『それではステージに上がってきてもらいましょう。裏ミスター盟王三連覇の南野秀一先輩と、その彼女の永瀬未来さんです!』
なんで蔵馬はそんなに落ち着いていられるの!?
緊張が最高潮で頭が真っ白になる未来とは対照に、この状況を面白がっている蔵馬は口元に小さく笑みを浮かべている。
実行委員に誘導されステージへ上がる二人に、わあっと盛り上がる会場から大きな歓声と拍手が起こった。
大勢の観客がこちらを見つめている光景に怖気付く未来だが、蔵馬の顔に泥を塗らないよう堂々としていなきゃと自分を奮い立たさせる。
『いくつかお二人に質問させてもらいましょう!南野先輩、彼女さんとの出会いは!?』
『友人の紹介です』
幽助と桑原に連れられるまま未来は迷宮城で蔵馬と出会ったから、彼の発言は間違いではない。
三年目にして初めて登壇してくれた裏ミスターの姿を目に焼き付け、一言一句を聞き逃すまいと観客は興味津々だ。
『共通の友人がいらっしゃるんですね!そこも詳しく聞きたいところですが、続いてお互いの第一印象は!?』
『可愛い子だなと』
『わかります!めちゃくちゃ可愛いですもんねー!では彼女さんはどうでしょう?』
蔵馬の回答に大きく頷くと、次に委員長は緊張で表情を固まらせている未来へマイクを向ける。
『私は、優しそうだなと思いました』
私も可愛いと思ったなんて正直に言うと後のおしおきがコワイので、無難な回答に留めておく。優しそうだと感じたのも嘘ではない。
『では、お互いの好きなところは!?今度は彼女さんから回答お願いします!』
そのままマイクを未来へ向けて、委員長が訊ねた。
『ひたむきなところが好きです』
蔵馬の好きなところなんて数えきれないくらいあるが、しいて答えるなら。未来が紡いだ言葉に、蔵馬がその翡翠色の瞳を大きく丸め瞬く。
『ひたむきなところですか!なんだか素敵な回答ですね〜。では南野先輩は!?』
南野ファンの一部であろう、やだー!やめてー!聞きたくないー!と女子生徒の悲痛な叫び声がステージの上に届いた。
その反応に、ここらが潮時かと委員長は苦笑いする。
『ちらほら阿鼻叫喚の声が聞こえてきたので、インタビュー終了としますか。南野先輩、永瀬さん、ありがとうございました!』
ええー!もっとしてほしーい!というブーイングが観客から聞こえたが、これ幸いと逃げるように未来は蔵馬の手を引きステージからはける。
「彼女さん可愛かったね!」
「お似合いだったね〜」
「いーなー、南野」
「いーなー、南野くんの彼女」
「やだもう恥ずかしすぎた緊張した!」
観客たちが口々に感嘆と羨望の声を漏らしている一方。
ステージ裏の簡易テントの下では、極度の羞恥と緊張から解放された未来がバクバクといまだ鳴り続ける心臓を押さえていた。
「おつかれさま。よく頑張ったね」
「南野くん!」
ドッと疲れた表情の未来を蔵馬が労っていると、聞き覚えのある高い声が割って入ってきた。
(南野くん!?秀一くんじゃなくて……?)
ミス盟王のタスキをかけた、ドレス姿の岸がこちらへ駆け寄ってくる。
蔵馬を下の名前ではなく名字で呼んだ岸に、未来は大いに戸惑った。
「さっきのステージめちゃくちゃよかったよ、南野くん!カップルで裏ミスター&ミス盟王なんて伝説じゃん!」
「岸さんも、ミス盟王おめでとう」
「ありがとう!」
先ほど蔵馬とその恋人がステージに並ぶ光景を見せつけられたというのに、はしゃぐ岸に憂う様子はなく、無理をしている感じも全くない。
「私たち今年の二大ミスですね!」
「いやいや私は部外者なんで!」
今回はちゃんと未来の存在を視界に入れ、友好的に岸は接してくれた。
蔵馬のおこぼれ票で生徒でもないのに裏ミスと称されてしまった自分を、正式なミス盟王と決して同列に扱ってはならないと未来は恐縮する。
「私、南野くんが全然彼女つくろうとしないから実は心配してたんだよ!ちゃんと付き合ってた子いて正直今安心してる!」
コロっと態度を変えた岸に困惑していた未来がピンとくる。
(この子……もしかして蔵馬が好きだった事実をなかったことにしようとしてる!?)
蔵馬に恋人がいると知ってもなおアプローチを続けていた岸だが、二人が全校生徒公認カップルとして祝福された今、略奪するのは現実的ではないと判断したのだろう。
蔵馬が自分に靡かなかったことを認めたくない岸は、彼に言い寄っていた過去の抹消を図っているようだ。
「あっ」
語尾にハートマークの聞こえる言い方でこぼした岸は、蔵馬と未来への別れの挨拶もそこそこに、視界を横切った男子生徒の元へ駆け寄った。
「優太くん!今日一緒に帰ろうよ!」
岸が腕を絡ませているのは、昼間彼女が一緒に校内を歩いていた、同じクラスのミスター候補の男子だ。
その切り替えの早さにポカーンとする未来の横で、面倒事が解決したと蔵馬は上機嫌である。
「彼女が媚び売ってたのはオレにだけじゃないよ。あいつ岸さんに気があるみたいだったし、志望校も同じらしいし上手くいくんじゃない?」
明日には付き合ってるかもね、なんて他人事のように蔵馬が言う。
未来が二人に視線をやると、周囲に舞う花の幻覚が見えるくらい喜び岸にデレデレする彼へ、彼女も愛おしそうに微笑んでいた。
「……そっか」
何はともあれ、もう岸が蔵馬に言い寄る心配はなさそうだ。
もしかしたら、蔵馬は自分を安心させるためにもステージに上がることを快諾したのかもしれないなと未来は思った。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
差し出された蔵馬の手に、躊躇わず未来が触れる。
そうして手を繋いだ二人は、人通りの少ない裏門から盟王高校を後にして、住宅街を歩いた。
「そういえば、蔵馬は私の好きなとこなんて言おうと考えてたの?」
「顔」
未来の質問に、間髪入れず蔵馬は答えた。
「顔!?もまあ……嬉しいけど……」
それだけ?と微妙な表情で未来が訊ねると、ふっと蔵馬が吹き出す。
「冗談だよ。顔が好みなのは本当だけど」
「じゃあ本当は何て答えようとしてたの?」
「未来と一緒。だから驚いたんだ」
意外な蔵馬の返事に、未来が瞳が丸くする。思いもよらなかった回答だった。
「私ってひたむきかな?」
「オレはそう思うよ。未来こそ、オレのどこがひたむきなの?」
「私の見てきた蔵馬はずっとそうだったよ!」
蔵馬はいつもひたむきだった。
愛する人たちを決して傷つけないために。
大切な人を守るためならどんな非情な決断もできる強さを持った蔵馬のことを、冷たい人だと未来は思わない。
「オレが見てきた未来も、ずっとそうだったな」
がむしゃらで真っ直ぐで……自分のことをひたむきだなんて評してくれる未来と出逢えたことは、奇跡みたいに幸せなことだと蔵馬は思う。
この幸せをずっと守り続けたい。
誓うようにギュッと繋いだ手を握り直した蔵馬に、未来も応える。
「これからもずっとひたむきに蔵馬を好きでいるね」
「頼むよ。未来はかなりモテるから」
「蔵馬に言われたくないよ!」
外野が波風を立てようとしたとして、二人の心がひたむきに互いを想いあっていれば大丈夫だ。
薔薇色に暮れる空が、幸せに満ちた二人の未来を確信し祝福するように輝いていた。