Ⅴ 蔵馬ルート
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✴︎101✴︎犬蓼vs蔵馬
『ここまで残った奴らだからもしかすっと死んでもいいぐれーの覚悟で戦うつもりの奴もいるかもしれねーけどよ』
本選の火蓋が切られる前に、大会主催者を代表して幽助による開戦の挨拶が行われていた。
ステージに立ち、マイクを握る幽助に大勢の注目が集まる。
『正直言って死人は出したくねーんだ。やっぱ後味もよくねーしな』
何度でも挑戦し、何度でも戦いたいから。
極めて幽助らしい理由だった。
『実のところオレ今回優勝する自信はねーが二年後ならかなりいけると思うし』
「戦う前から負け惜しみか幽助ー!」
『もちろん優勝した奴が決めることだけどよ、できれば何年か毎にこうやってバカ集めて大将決められたらいいんじゃねーかと思ってる』
飛ばされた酎のヤジに、口の端を小さく上げつつ幽助は続ける。
『誰が勝ってもスッキリできる気がするんだ。んじゃおっ始めよーぜ!』
わあっと観客、選手たちから大きな歓声があがったのだった。
「おつかれ、幽助」
ステージを降り仲間たちの元へ戻ってきた幽助を、やや沈んだ表情の未来が労った。
「そう落ち込むなって未来!オメーがちょっと色目使えば蔵馬はぜってー攻撃できねーからよ!」
「幽助、さっきから笑いすぎ」
出来すぎた偶然にまたゲラゲラ笑い始めた幽助を、むくれた未来が睨む。
(一回戦の相手が蔵馬って、そりゃないよ〜〜!)
一回戦突破を目標としていたのにと、未来は心底嘆いた。
「大丈夫、安心して未来。痛みも傷の一つもなく負けさせてあげるから」
ニッコリとした笑顔を浮かべ、蔵馬が未来の肩に手を置く。
偽名を使ってまでこの危険な大会に参戦した恋人にひどくお冠の彼だったが、対戦相手が自分だと判明して以降すこぶる上機嫌であった。
「茶番もいいとこじゃねーか!未来、棄権しねーのかよ?」
「っ……しないよ。エントリーした時に、誰が相手でも棄権しないって決めたもん」
初心の決意を思い出し、これは逆にチャンスなのかもしれないと未来は気を取り直す。
(私が強くなったって身をもって蔵馬に分かってもらうんだ……!)
弱気になっていた心を奮い立たせ、未来はメラメラやる気に満ちあふれていく。
「蔵馬!あんまり油断してると足元すくわれるかもよ。どっちが勝っても恨みっこなしだからね!」
「望むところですよ」
一転して強気の未来だったが、蔵馬はやはり余裕げな態度を崩さない。
「おい蔵馬、まかり間違っても未来に負けるなよ」
「勿論」
二回戦の相手はおそらく時雨になる。
実際に時雨と相討ちになった経験があり、彼の強さを肌で知る飛影が蔵馬へ念を押す。
蔵馬とて、軀軍の筆頭戦士として名を馳せた妖怪と未来を戦わせるわけにはいかなかった。
「未来たちだべ!」
そんな折、未来ら四人を発見した陣たち六人が駆けてくる。
皆一様にニヤニヤしており、彼らが何を考えているか嫌でも未来は分かった。
「未来が出場したのも驚いたが、まさか対戦相手が蔵馬とはな!闘技場で夫婦喧嘩する気か!?」
ガハハハと酎が豪快に笑い、本選前の景気付けだと酒をあおる。
天は蔵馬の味方をしたなと、凍矢はしみじみと何故か感心したように呟いていた。
「蔵馬、頼んだよ。オイラたち蔵馬が勝つ方に賭けたんだから!」
「オレだけは未来に賭けたぞ。師匠が弟子を信じなくてどうする!」
「鈴木……!」
「今晩は鈴木の金で豪遊決定だな。たらふく飲み食いしてやろう」
「う……やはりオレも蔵馬にさせてもらえるか……」
「ひどーい!」
「阿呆か。全員が蔵馬にしたら賭けが成立せんだろう」
死々若丸の言葉にいえーい!と盛り上がる周りを見て、懐が不安になってきた鈴木が青ざめる。
じーんと感激したのも束の間、未来は頬をふくらました。
「じゃ、未来。そろそろBブロックの控え室へ行こうか」
「うん」
差し出された手をいつも通りとりそうになった未来だったが、すぐにハッとする。仲良く手を繋いで行くわけにはいかないだろう。
「蔵馬、ダメだよ!今から私たち戦うんだよ!?」
「テメーら試合中にイチャつくんじゃねーぞ」
イラァ…ときた幽助が忠告したのであった。
***
A〜Dブロックに分かれて始まったトーナメント本選。
早々に決着がついたDブロック一回戦第一試合は、酎が対戦相手の棗という選手をナンパして幕を閉じた。
「見損なったぜあの馬鹿たれがー!バトル野郎の風上にもおけねェ」
Dブロックのモニター前で怒り心頭の鈴駒が叫ぶ。しかし彼もまた、対戦相手の流石ちゃんにメロメロになり敗北するという結末を迎える予定である。
「凍矢は善戦しているな」
Cブロックのモニターには、一回戦第二試合の様子が映されていた。
今のところ凍矢が優勢であり、この分だと彼の勝利は手堅いだろうと鈴木は安堵する。
「Bブロックは第二試合が終わったみたいだべ!」
「お、じゃあついに蔵馬たちか」
陣の一声で、幽助ら一同はBブロックのモニター前へと移動する。
「未来が予選に出た時はハラハラしたけど、本選は蔵馬が相手で安心だよな!」
「ああ。大怪我でもしたらどうするんだと思っていたからな……」
蔵馬なら絶対に未来を傷つけるようなことをせず、上手く勝利するだろうと鈴駒は確信している。
弟子の身を心配していた鈴木も大きく頷いた。
『さて、Bブロック一回戦も第三試合を迎えました。蔵馬選手と犬蓼選手こと未来さんは暗黒武術会でチームメイトでしたが、ここでは敵!どんな試合が繰り広げられるのか楽しみですね』
Bブロックのモニターに、闘技場で向かい合う未来と蔵馬の姿が映し出される。
苦楽を共にした仲間同士の夢の対決に、実況小兎も熱が入る。
『両選手とも癌陀羅軍営に所属されてましたから、浦飯チームの中でも縁の深い二人だとワタクシは思っております。黄泉選手の秘書であった妖駄さんから見て、お二人の関係は?』
『そうですな、良き友人といいますか……』
歯切れの悪い返事をする妖駄である。
『それではBブロック一回戦第三試合。犬蓼vs蔵馬。始め!』
「未来。最初オレは何もしないから、好きに動いていいよ」
「あんまり舐めてかかって負けても知らないからね!」
余裕たっぷりに攻撃を誘う蔵馬に、ムカッと頭にきた未来が叫ぶ。
そうして未来が刻んだ空間の切れ目の中へ、彼女の身体は神隠しにあったように消えていった。
『おーっと犬蓼選手、闇撫の能力で次元の穴を開け、その中へ入ることでどこかへ移動したようです!』
本選の舞台となる円形闘技場は、草原、ジャングル、砂漠、湖といった様々な自然環境を設置しており、選手が自分の能力を生かせる場所を選びながら戦う駆け引きが可能となっている。
手に汗握って小兎が実況する中、妖力を探るべく神経を研ぎ澄ました蔵馬はジャングルの方へ未来の気配を感じた。
姿を隠しやすい森を選んだというわけか。しかしジャングルは、植物使いの蔵馬にとっても有利な場所であると未来も分かっているはず。
それだけ自信があるということか?
眉を顰めた刹那、足元を這うような妖気を感じ蔵馬は跳び上がる。
木の上に着地した蔵馬が下を見れば、先ほどまで自分がいた地面に大きな暗い次元の穴が開いていた。
(やっぱり蔵馬は速い……!って、あれ!?)
予選の妖怪相手のように容易くは場外にできない。
茂みに潜んでいた未来が蔵馬の瞬発力に舌を巻いていると、気づけば木の上から彼の姿が消えていた。
「あっ」
いつのまにか目の前にいた蔵馬に、両手を掴まれる。そのまま太い木の幹を背に未来は身体を押しつけられた。
懸命に身をよじるが、男の力には敵わずびくともしない。
「くっ……」
「外せない?オレは今なんの妖力も込めてないんだよ」
綺麗な翡翠色の瞳に間近で見つめられ、未来は息をのむ。
蔵馬は植物を武器化しないどころか、妖力も使わない南野秀一としての肉体だけでいとも簡単に未来を追いつめてみせた。
悔しいやら情けないやらで、未来は返す言葉がない。
『な、なんだか両選手の距離がとても近いです!解説の妖駄さん、これは一体!?』
『こ、これは壁ドンという技ですな』
「あいつらイチャつくなって言っただろーが!」
実況者の二人が動揺を隠せない中、幽助は思いっきり顔をしかめている。
「分かっただろ?人間の男にすら未来は勝てないんだ。トーナメントで妖怪と戦おうなんて無謀すぎる。これに懲りたら……」
その先を述べることなく、蔵馬は未来から手を離さざるをえなくなる。
大きな怪物のような腕が、背後から彼を襲ってきたからだ。
「影ノ手か……!」
咄嗟に避けた蔵馬を捕まえようと、大きく掌を広げた何本もの太い腕が再び彼に迫る。
裏男の体内で樹が操っていた、次元を自由に移動できる“影ノ手”を未来は自己流でマスターしていたのだ。
影ノ手を操りながら、すうっとまた未来の姿は次元の穴へ消えていった。
「くっ」
ローズウィップを繰り出した蔵馬が、影ノ手をまとめて縛り上げる。
同時に未来の気配を探るが、彼女は何度も次元の穴を使ったワープを繰り返すことで今いる場所を不明確にし蔵馬を錯乱させていた。
『蔵馬選手、薔薇を鞭化して応戦!犬蓼選手はどこへ姿を隠しているのでしょうか!?』
「おいおい……未来のヤツ、蔵馬相手によくやってるじゃねーかよ」
思いがけない未来の奮闘に幽助も、その隣にいる飛影も目を皿のようにして驚いている。
「妖狐蔵馬と闇撫の未来が戦ってるらしいぞ!」
口コミが続々と人を呼び、Bブロックのモニター前には大きな人集りができている。
テレビ中継は闇撫という珍しい妖怪の出場とあってBブロックを映し続け、いまや魔界中が未来と蔵馬の試合の行く末に注目していた。
「そこか!」
ひっきりなしに現れる影ノ手を避けながら、数十メートル後ろで微かに未来の気配を感じた蔵馬が飛び掛かる。
(捉えた!)
蔵馬の動きを掴んだ未来は、彼めがけて一際大きな影ノ手を発動させた。
「なっ」
未来との間を阻むように、急に眼前に現れた影ノ手に蔵馬が目を見張る。
避けきれない、当たる──そう理解した瞬間、蔵馬の姿は銀髪の妖狐へと変化していた。
攻撃対象を失った影ノ手は、勢いあまってジャングルの木々をバキバキとなぎ倒していく。
「こ、こんなに攻撃力高かったの!?」
予想外の威力に、術者の未来さえも唖然としていた。
避けられたのは悔しいが、蔵馬に当たらなくてよかったのかもしれないと未来は思った。大事な恋人を傷つけたくはない。
『蔵馬選手、妖狐の姿となり影ノ手のパンチを間一髪のところで回避しました!』
『どうやら蔵馬選手は急激に妖力を上昇させた時、本来の妖狐の姿へ戻るようですね』
「蔵馬を妖狐に戻しやがった…!」
幽助たち以上に当事者の蔵馬が一番、一瞬でも未来に本気を出させられたことに驚いていた。もっと楽に勝てると考えていたのだ。
「……未来、強くなったね」
南野秀一の姿に戻った蔵馬が、観念したように未来へ言った。
「ほ、ほんとに……?ほんとに強くなったって思う?もう前までの私じゃない?」
「うん。想像以上だ」
肯定した蔵馬の表情は、どこか誇らしげでもある。
「う、嬉しい……」
「未来!?どうして」
「だって私、蔵馬に認めてもらいたくてこの大会に出たから〜!」
うるうる涙目になって感激している未来に、ギョッとした蔵馬が駆け寄る。
「もちろん、蔵馬に敵うなんて思ってないよ。相当手加減してくれたのは分かってるつもり。でも私が前よりは強くなったって認めてもらいたくて、棄権せず戦うことにしたの」
試合中蔵馬から攻撃を受けることは一切なかったし、本気で殺り合えば到底太刀打ちできない相手だと未来は自覚している。
「未来の闇撫の才能は前から認めてたつもりだけど」
「でも私を一人で行動させるのは不安だったんでしょう?」
危険だから魔界へ一人で行くなと言ったり、霊界特防隊を警戒して単身で人間界を行動しないよう蔵馬が未来へ告げていたのは事実だ。
「未来。オレに認めてほしかったってどういうこと?」
まだ出場した訳に裏がありそうだと感じた蔵馬が、戦闘で乱れていた未来の髪を耳にかけた。遠慮せず何でも言ってごらんと促すように。
「蔵馬。これは蒸し返して責めたいわけじゃないから誤解しないでほしいんだけど……空が私に寄生したこと、本当は教えてほしかったなって思ってた」
思いもよらない名前が出て、蔵馬は意表を突かれる。
『さ、先ほどの壁ドンという技といい相変わらず距離の近いお二人です。妖駄さん、解説をお願いします』
『寄生妖怪の空は前癌陀羅軍事総長であった鯱の命令で、蔵馬選手への嫌がらせ目的で未来選手に取り憑いていたんです』
そんな話は初耳だと、困惑するギャラリーがザワザワ騒ぎ始める。
「蔵馬が私のことを想って黙っててくれたっていうのは分かってるんだよ。ただやっぱり蔵馬にとって私はどこまでも守らなきゃいけない存在なんだなって痛感して、それを変えたいと思ったんだ」
幻海を通してでも、蔵馬が空の寄生を未来へ伝える方法はあったはずだ。
何もかも一人で抱え込んで蔵馬が解決しようとしていたと知り、未来が感じたのは己の不甲斐なさだった。
「あの時、私は蔵馬と一緒に悩んで一緒に戦いたいって思ってて……でも蔵馬がそうは思わなかったのは、私が頼りないからだよね」
仙水との戦いで、未来は役立たずなんかじゃない、大事な浦飯チームの一員なのだという皆の想いを受け取り劣等感は消えていた。
けれど、隣で戦えたらいいのになという思いは未来の根底にずっとある。
「私は蔵馬と肩を並べて、蔵馬の大切な人たちを一緒に守れるような人になりたい」
未来の真剣な眼差しが、蔵馬の胸を打つ。
優しい蔵馬の背負うものは大きいから。
せめて自分だけはその輪から外れ、共に守れるような強さが欲しいと未来は切に願っていた。
『妖駄さん……あの、ワタクシには愛の告白に聞こえるのですが……』
『似たようなものでしょう』
しかし未来さんは黄泉選手の妃のはずでは?と混乱する小兎に、半ばヤケクソで妖駄が同意する。
「この大会で結果を残せたら、私が強くなったって蔵馬をちょっとでも安心させられるかなって……そう思って、偽名を使って蔵馬の目を欺いてでもエントリーしたの」
「未来……」
より強くなったと実感してもらえるように、あえて蔵馬の得意なフィールドであろうジャングルで勝負を挑んだ。
どうしても認めてもらいたかったのだと打ち明けた未来を、翡翠の瞳を大きく広げて蔵馬は見つめていた。
「ばかだね」
ふっと、いつものように優しく蔵馬が微笑む。
「忘れたの?オレは何度も未来に支えられてきたって言ったこと」
未来の存在に、未来の言葉にいつもオレたちは勇気づけられ守られてきた。
彼女が一度死んで生き返った時、妖狐の姿の蔵馬が述べた台詞だ。
闇撫の能力を極める以前から、ずっと未来に自分は守られてきたんだと穏やかな蔵馬の瞳が告げている。
「じゃあこれからは、もう少しだけ頼りにしてほしいかな」
「わかった。……けど、これからもオレに未来のこと守らせてよ。ずっと、一番近くで」
未来の頼もしい申し出は嬉しいけれど、蔵馬にだって譲れないことがある。
誰よりも愛おしい彼女を隣で守るのは、いつも自分でありたい。
「うん。ずっとだよ」
頷いた未来の白い手を、誓うみたいに蔵馬がとり口づける。
その所作があまりに綺麗で、未来は見惚れてしまった。
「蔵馬のことも、私に守らせてね」
「その心意気は有難いけど、いくらオレや母さんたちを守りたいからって、もう一人で突っ走って黄泉と偽装結婚の密約なんて交わさないように」
「そ、それは反省してるんだから!ちょっと勝手が過ぎちゃったなって……」
急に手の甲にキスなんてされてドギマギしながら未来が言えば、蔵馬から忠告を受ける。
申し訳なさで居た堪れなくなった未来が、俯き加減で謝った。
「でも結果的に蔵馬の家族を人質にとらないって約束を黄泉さんは守ってくれたわけだし、悪いことばかりじゃなかったと思うんだよね」
「開き直るんだ。黄泉との婚約記念パーティーなんかに出席させられてこっちは地獄の気分だったのに」
「ご、ごめん……」
「でもあの日は、たしかに悪いことばかりじゃなかったけどね」
ニコッと悪戯っぽい笑みを浮かべた蔵馬。
温室で彼と想いを通わせた際の出来事が思い出されて、かあっと未来の頬が熱くなった。
「も、もう!ってか試合中なのに、私たち喋りすぎだよ!」
「だって未来が他の男のものだと思われてるの、もう我慢ならなかったから」
へ?と首を傾げた未来に示すように、蔵馬が空中を指差す。
「言ったでしょ?オレは世界中に言いふらしたいくらいだって」
頭上に漂う小型カメラを見つけて面白いくらい真っ赤に染まっていく恋人の顔を眺めながら、いつかの台詞を蔵馬が繰り返したのだった。
「う、うそ……今までの全部……?」
蔵馬との戦闘に集中するあまり失念していたが、試合の様子はリアルタイムで中継されており会話も全て筒抜けなのだった。
きっと魔界中の妖怪からとんでもないバカップルだと思われているだろうと、顔から火が出るほどの恥ずかしさに未来は襲われる。穴があったら入りたいとはこのことだ。
「てっきり未来も分かってて話してるんだと」
「そんなわけないじゃん!」
危なかった。手の甲にキスくらいで留めておいてよかった。好きとか口走らなくてよかった。
これ以上小っ恥ずかしいやり取りを蔵馬と交わしていたらと思うと、未来はゾッとする。
「でも、まあいっか……」
蔵馬はどこまで計算した上で試合に臨んでいたのだろうか。
この状況はおそらく彼の狙い通りなのだろうなと思うと、悪くないかという気分に未来はなってくる。
「私も蔵馬以外の人と夫婦だなんて、いつまでも誤解されたくなかったし」
耳まで赤くして未来が白状すれば、とっても満足そうに蔵馬が微笑んだ。
「そろそろ試合再開する?」
「もういいよ……蔵馬には負けた。降参する」
これ以上茶番試合を観客に披露するわけにはいかないだろうと、力なく未来が敗北を宣言したのであった。
『犬蓼選手改め未来選手、降参!Bブロック一回戦第三試合の勝者は蔵馬選手です!』
高らかに蔵馬の勝利を小兎がアナウンスし、彼の二回戦進出が決定した。
『お二人の間で交わされた言葉はもはやプロポーズ!ワタクシ不覚にもカンドーしてしまいました。解説の妖駄さんもコメントをどうぞ!』
『まず黄泉様……いや黄泉選手との偽装結婚について説明しなくてはなりませんね。実は未来選手は闇撫を抑止力として使おうと考え黄泉選手が据え置いた、名ばかりの王妃でした』
ええいもうこうなれば全てを白日の下に晒すのじゃと、開き直って妖駄が暴露する。
本来の解説業の範疇をはるかに超えた仕事ぶりである。
『衝撃の事実です!両選手の会話通り、結婚は偽装であったと発覚!未来選手は何故そのような役職を受け入れたのでしょうか!?』
『今後一切蔵馬選手の家族を脅かさないという条件付きだったからですよ』
『なんと!まさに愛!愛ですね……!』
『犬蓼の花言葉をご存知ですか?』
妖駄の質問に、いいえと小兎が首を横に振る。
『“あなたのために役に立ちたい”です。未来選手がそこまで知っていて偽名に使用したのかは分かりませんがね』
顔を真っ赤にしながら蔵馬に手を引かれて闘技場を後にするモニター画面の中の未来を、慈しむような目をして妖駄は見守っていた。
『ちなみに黄泉選手の名誉のために言いますが、彼は未来選手に指一本も触れていません。終始紳士的に彼女に接しておりました。誓って証言します』
『結婚は本当に文字通り契約上のものだったということですね。黄泉選手の秘書を務めていた妖駄さんが仰るのだから真実なのでしょう!』
敬愛する黄泉を悪者にしてはならんと妖駄が熱弁し、小兎が大きく頷いた。
「指一本もというわけではなかったがな」
予選敗退し泣き疲れて眠っている修羅を背負いながら、ボソッとモニター前の人混みの中で黄泉が呟く。
彼にとってはあまり面白くない展開ではあるが、つくづく蔵馬も変わったなと感じ、その口元には弧が描かれていた。
『いやはやとにかく素晴らしい試合を見せてもらいました!観客の皆様、いくつもの困難を乗り越え固い絆で結ばれたお二人に、今一度盛大な拍手を!』
小兎の掛け声と共に、魔界中の妖怪たちが蔵馬と未来へ大きな祝福の拍手をおくる。
「美しい……なんて美しい愛だ!こんなに似合いのカップルはいないぞ!」
「蔵馬ーー!未来ーー!幸せになーー!」
鈴木や鈴駒が大声で叫び囃し立てるものだから、のせられた観客たちはいっそう叩く手に力を込める。
不思議な熱気に包まれた会場からは、なかなか拍手の音が鳴り止まなかったという。
第一回トーナメントで話題をさらった妖狐蔵馬と闇撫の未来の試合は、その後何年も魔界で語り草となるのだった。
***
「どんな顔して皆のとこ戻ればいいんだろ……」
闘技場を出て、メイン会場へと続く林の中の小道を進む未来の足取りは重い。
「もう皆に会わずにこのまま帰ろうかな!?」
「そういうわけにはいかないみたいですよ」
ホラ、と蔵馬が指した先にいた三人の姿に、幻かと未来は瞬きを繰り返す。
「な、なんで……!?」
「いの一番にオメーらの顔拝んでやろーと思ってよ」
待ち構えるように立っていたのは幽助だった。その隣には腕組みをした飛影、桑原もいる。
「なんだありゃ、テメーら戦いの場をなんだと思ってんだ!?」
「触れないで!そっとしといて!」
半ば本気で幽助に怒鳴られ、恥ずかしさで死にそうな未来が叫ぶ。
「おい浦飯、未来ちゃんは頑張って戦ってたじゃねーか!最初だけは!」
「桑ちゃん、一言多い!」
「必死だな、蔵馬。あんなふざけたマネをしてまで未来が自分のものだと主張せずにはいられなかったか」
「その通りだから否定しませんよ」
未来たちが騒ぐ傍ら、少々嫌味ったらしく言った飛影に蔵馬は動じなかった。
「……あの言葉、必ず守れ。いいな」
「ああ。分かってる」
未来のこと、大切にする。
予選時に飛影の前で誓った言葉だと、訊かなくても分かった。
蔵馬が頷いたのを確認して、気が済んだ飛影はくるっと背を向ける。
「あ、そっか。飛影試合か」
Dブロック一回戦第四試合を飛影は控えているのだと、幽助がはたと思い出した。
「飛影、頑張ってね!ファイト!」
「対戦相手殺すんじゃねーぞ!」
未来と桑原の声援に見送られながら、飛影はDブロックの闘技場へと向かったのだった。
「ねえ、蔵馬。飛影さ……」
瞬く間に飛影が去った後、そっと小声で未来が蔵馬へ話しかける。
「……ううん、やっぱなんでもない」
予選のクジ引きの後、飛影の眼差しからもしかしてと感じた気持ちについては、自分の胸の内だけに秘めておくべきだろうとすぐに未来は思い直した。
何か察するところがあったのか、蔵馬も問い詰めることはしない。
「もうじき今日は閉会して、残った試合は明日に持ちこしだってよ。オレは選手用のホテルに泊まるけど、未来たちはどうすんだ?敗退したヤツも泊まれるらしいぜ」
もう人間界では既に日が落ちた頃だろう。
幽助に訊ねられ、うーんと未来は悩む。
「一応親には今日は魔界に泊まることになると思うって伝えてるんだけど、どうしようかな」
「オレはせっかくだから観客用のホテルに一泊するぜ。コエンマたちも泊まるってよ」
「お、じゃあ夜はコエンマとぼたんも誘ってどっかでメシ食おーぜ」
コエンマに奢らせようと企んだ幽助が、桑原へ提案する。
「オメーらも来るか?」
「私はいい……散々冷やかされそうだもん」
「って未来が言ってるから、今日は遠慮するよ」
「おーおー、そうしろ。二人で仲良くラッコ鍋でも食っとけ」
しっしと二人を追い払う仕草をする幽助だが、その口元はニヤついている。
『Dブロック一回戦第四試合の勝者は飛影選手です!以上をもちまして本日の試合は全て終了といたします』
「え、もう飛影勝っちゃったの!?」
聞こえてきたアナウンスに、素っ頓狂な声をあげる未来。
目を丸くして四人顔を見合わせ、誰からともなくプッと吹き出す。
「モニターんとこまで観に行く間もなく終わっちまったな」
「飛影らしいというか」
いつも飛影の試合は圧勝だったよなと、懐かしい気持ちで皆がいた。
「じゃ、オレらもう行くわ」
「うん!またね」
コエンマたちと食事をしに行くという幽助・桑原と解散し、預けていた荷物を取りにロッカールームへ未来は蔵馬と共に向かう。
「そういえば、みんなで集まったの一年ぶりだったね」
「ああ。五人全員揃ったのは、未来と幽助が人間界を去って以来だ」
まるで毎日会ってたみたいな顔で再会して、あっさりまた別れて。なんとも自分たち浦飯チームらしい。
「今蔵馬が考えてること当てよっか。“あの三人が大好き”でしょ!」
「半分正解で、半分間違い」
顔に書いてあるもんと言った未来の顎先を、不意に蔵馬が指で持ち上げる。
一瞬触れて離れていった唇に、未来は目を瞬いた。
「未来のことも大好きだって思ってたからね」
恋人の唇を掠め取った蔵馬が、密やかに告げたのだった。
未来に言い当てられた通り、蔵馬にとって幽助たちは特別だ。
五人のうち誰が欠けても嫌だと、彼にそうまで言わしめた存在は初めてだった。
母親からの無償の愛を一身に受けた蔵馬には、彼ら然り本当に大切なものが増えて……共にそれを守りたいと言ってくれた未来のことを、狂おしいくらいに愛している。
こんな気持ちになるのもまた、蔵馬は初めてのことだった。
「未来」
幸い二人が歩いていた小道に他の通行人はおらず、先ほどのキスに目撃者はいなかった。
突然の口づけに未来が驚く暇のないまま、蔵馬は続ける。
「今日、未来のこと帰したくない」
告げられた台詞に、未来の心臓が壊れそうなくらい高鳴り出す。
未来が欲しい、愛おしいと蔵馬の表情が、声が。眼差しが語っている。
どうしよう、なんて迷わない。
とうに返事は決まっている。
好きでたまらなくて、もっとその先を求めるようになっていたのは未来も同じだから。
「私も……帰りたくない」
小さな声で告げたきりあまりの恥ずかしさに俯いてしまった未来を、たまらず蔵馬が抱きしめたのだった。
***
「……なんかあんな試合した後で照れるよね」
それからしばらくして。
ホテルのロビーに足を踏み入れいざチェックインとなった時、未来は及び腰になっていた。
ロッカールームや夕食のため入ったレストランでも散々好奇の目に晒され、お幸せに!なんて知らない妖怪から茶化されたのだ。
「向こうは仕事だから何も思わないって」
恥ずかしがる未来に対し、蔵馬はあまり気にしている風ではない。
ホテルは高級感ある内装の大きく綺麗な建物で、二人は暗黒武術会の際に宿泊していたそれを思い出した。ロビーの天井は高く、シャンデリアが煌めいている。
「蔵馬選手に未来選手ですね。お待ちしていました」
フロントのホテルマンの言葉に、戸惑う二人は顔を見合わせる。
「本来選手の皆様はご家族、夫婦の方以外は全員シングルルームへ案内する手筈となっているのですが、支配人の意向でお二人には特別に最上階のスイートルームを急遽ご用意しました」
「ス……!?」
「先ほどの試合、感動致しました!」
想定外のサービスに未来の声が裏返った矢先、スタッフルームからホテルの支配人だという老妖怪が現れた。
「実は私の妻もその昔、当時の悪代官から一方的な好意を持たれ強引に婚姻させられましてね……二人で駆け落ちして逃げた過去があるのです。お二人のことが他人事だとは思えなくて」
支配人は蔵馬と未来に若かりし頃の自分と妻を重ね、ひどく心を打たれたらしい。
「ホテル運営者として守秘義務がありますから、お二人が今日スイートへ泊まられたことは誰にも口外しませんのでご安心を。防音に優れた部屋で、プライバシー対策も万全です」
「部屋へご案内しますね」
「え!?あ、ちょっと!」
「遠慮なさらずに」
下げていた荷物をホテルマンに奪われ、支配人に促されるまま有無を言わさず未来と蔵馬はエレベーターに乗せられる。
「それではごゆっくり」
あれよあれよという間に最上階のその一室に押し込まれ、パタンと閉まった扉を呆然として二人は見送った。
「………」
ペコリと一礼してホテルマンが去り、部屋に取り残された二人はしばらく無言でその場に突っ立っていた。
さすがスイートルーム。広い室内に置かれた家具のどれもが一級品で、重厚感漂っている。
「……支配人の圧、凄まじかったね」
口火を切ったのは蔵馬だった。あのニコニコとした笑顔の圧に屈せず断れる者がいるのだとしたら、ぜひ会ってみたいという心境である。
「うん。拒否権ないって感じで」
未来が同意して、次第にクスクスと笑い声を漏らす二人。
「でも、よかったよ。こんなに広い部屋にしてもらえて」
「そうだね」
頬に蔵馬の手が触れて、キスの予感に未来が瞼を閉じる。
とっても特別で忘れられない夜になると確信しながら。
それから彼らがどんな甘い夜を過ごしたのかは、二人だけの秘密。