Ⅴ 蔵馬ルート
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✴︎98✴︎千年目の邂逅
「……私が黄泉さんのものになったら、それであなたの気が晴れるの?」
「ああ」
ピカッとまた黄泉の背後で稲妻が光る。
自分を脅迫する彼を、神妙な面持ちで未来は真っ直ぐ見つめて。
「嘘だ」
轟く雷鳴音が静まると、芯の通った声でそう言った。
「……何だと?」
思わぬ未来の指摘に、黄泉が眉間に皺を寄せる。
そして彼女の心音が、いつのまにか平静を保っていることに黄泉は気づいた。
「そんなことしても黄泉さんは満足できないと思う。……自分が誰を求めてるのか、本当は分かってるんじゃないの?」
黄泉の脳裏に浮かんだのは、銀髪の妖狐の後ろ姿だった。千年間、ずっとその背中を追い続けていた彼の。
思い知らされた瞬間、全身の血が逆流したようにカッと熱くなる。
「知ったような口を……!」
逆上した黄泉の様子に、やはり蔵馬との関係に首を突っ込み言及すべきではなかっただろうかとの思いが未来の頭をよぎった。
しかし、すぐに首を横に振る。今後も黄泉と付き合っていくなら、どのみち避けては通れない話だ。
「私はあなたの言いなりにはならない。絶対に蔵馬から離れないから!」
黄泉に怒鳴られても、怯まず未来が啖呵を切ってみせる。
もう二度と蔵馬を諦めないと、彼と再会したクリスマスイブに決めたのだ。
皆を黄泉から守って、蔵馬と一緒にいる道を掴んでみせると未来は闘志に燃えていた。
「それに私は、黄泉さんに蔵馬を殺させたくない。蔵馬に手をかけたとして絶対に後悔しないって言い切れる?本当はそんなこと望んでないでしょ?」
「黙れ!」
誰にも、己さえも触れさせなかった心の奥を、未来は無遠慮に畳みかけ突いてくる。黄泉は今すぐ彼女の口を塞ぎたかった。
「オレは本気だ。未来さんがオレのものにならなければ蔵馬を殺す!」
未来を強引に連れ出そうと腕を伸ばした黄泉だったが、その手は空を切る。
「黄泉。二度と未来に触るなと言ったはずだ」
未来を守るように、黄泉との間に蔵馬が立ちはだかっていた。
黄泉を見据えるその瞳はひどく冷淡で、纏う妖気からはハッキリと戦闘の意志がうかがえる。
未来と同じように、蔵馬も心に誓っている。
愛する者をみすみす黄泉の手に渡すようなことはしないと。
自分の身と引き換えに彼女を犠牲にする道など選べるものか。
「未来のことは諦めてくれ。オレはお前にも誰にも彼女を渡すつもりはない」
「覚悟の上か、蔵馬」
怒りに瞼をヒクつかせる黄泉の妖気は爆発寸前だ。
「未来、早く逃げるんだ」
蔵馬が背後に語りかけるが、未来はその場をピクリとも動こうとしない。
「未来、早く!」
己が頼めばすぐに黄泉の手の届かないところへ逃げると約束したではないかと、蔵馬が詰る。
しかし未来は冷や汗をかくだけで、一向に次元の穴を開けようとしなかった。蔵馬を置いて自分だけ逃げることなど出来ない。
「ほう、そんなに蔵馬が死ぬところを見届けたいか」
ならば望み通りにしてやろう。
振り上げた黄泉の拳を、受け止めたのは蔵馬ではなかった。
「なっ!」
蔵馬との間に割って入り両手でパンチを受け止めた男の登場に、驚愕する黄泉が眉を上げる。
庇われた蔵馬は、目を丸くして友の背中を見つめた。
「幽助!?」
「…っ…いってェ〜!まだ痺れてるぜ」
赤くなった掌に息をかけ冷やしている幽助。
咄嗟に飛び出したため受けの構えが間に合わず、モロに黄泉の重い拳を受けたらしい。
「トーナメント前の肩慣らしになっかな。黄泉、まずはオレが相手だ」
ポキポキ手指関節を鳴らし、戦闘準備万端の幽助が黄泉を見据える。
強い奴と闘える喜びに、彼の目の奥が躍っていた。
「こいつの頭冷めるまでオレが相手しとくからよ、未来と蔵馬は先にばーさんとこ戻ってろ」
「オレたちも黙ってないぜ!」
顔だけ未来たちの方を振り向き幽助が告げる。今の黄泉の前に二人を晒すのは危険だと、彼なりに判断したらしい。
間髪入れず現れたのは、六人のS級妖怪たちだ。
「悔しいけど未来は蔵馬のことがすっごく好きなんだよ!邪魔するなよな!」
「全く美しくない口説き文句だ!二人の仲を引き裂くような行為、オレは許さん!」
鈴駒と鈴木の主張に、そうだそうだと陣や酎、凍矢が同意する。
死々若丸も無言で腰刀に手をかけており、加勢するつもりなのが見てとれた。
「幽助、皆……!」
蔵馬と未来のために、身の危険も顧みず皆は闘おうとしてくれている。
胸打たれると同時、未来が感じたのは焦燥感だった。
「バカめ。そんなに死にたいか」
「男なら引けねー時があんだよ。知らねェか?」
今にも得意の酔拳を繰り出さんと酒瓶をあおる酎が、黄泉へガンを飛ばす。
守るべきもののために、劣勢と分かっていても男なら立ち上がらねばならぬ時があるのだ。
それに彼らは戦ううちにまた強くなる。勝機はゼロではないはずだ。
「な、なんだこいつ!?」
「うーちゃんも戦おうとしてくれてるの……?」
突然辺りを覆った大きな影の正体を、唯一知らない幽助が狼狽の声をあげる。
命令もなしに現れて、黄泉を睨みつけている裏女の意志が未来へ強く伝わってきた。
「黄泉様!軀が接近しているのですよ!?」
急速に妖力を上げていく主人の不穏な気配に、飛び起きた妖駄が這う這うの体で庭へやって来た。
「知らん。あいつも軍を解散したなら問題ないだろう」
国家解散するという軀の声明を盲目的に信じるのは危険だ。幽助らとの戦闘で著しく黄泉が妖力を失った隙を突き、軀に攻め込まれるかもしれぬと考えるのは当然の懸念。
分かっていてもなお、今の黄泉は自分に反抗する者を力でねじ伏せたいという直情的な欲求に駆られていた。
「幽助。帰るのは未来だけでいい」
ローズウィップをしならせ、蔵馬が幽助の隣に並ぶ。
戦闘意欲を示すその行為。そして燃える翡翠の瞳からは、死ぬ気はさらさらないことが見てとれる。
死をも覚悟で挑むのと、死を見据えて闘うのとは似ているようで異なるのだ。
無様な負け戦にはしない。
蔵馬も自分と同じ気持ちでいると感じ、幽助がニッと口角を上げた。
「よっしゃ、さっそくおっ始めっか!」
「いいだろう、全員殺してやる」
「ストーップ!!」
幽助らに続き、不敵に笑う黄泉が構えをとり戦闘態勢に入る。
熱い妖気と妖気がぶつからんとした寸前、未来が声を張り上げた。
「皆、これ以上黄泉さんをいじめるのはやめよう!」
正義の味方ばりに叫んだ未来の台詞に、幽助や蔵馬たちだけでなく、黄泉も気を削がれた。
黄泉を飲み込もうとしていた裏女は、目を点にして主人を見つめている。
「はあ!?未来、何言って」
「黄泉さんはさ、ちょっと意地悪言って私を困らせたくなっただけなんだよね。なんか大ごとになって引くに引けなくなっちゃって、今正直焦ってるでしょ?」
喚く幽助を無視して、眉を下げた未来が黄泉へ同情の目を向ける。
「王妃のフリをやめるってことは、もうすぐ生まれる子供の世話を手伝うって約束も反故にされるんだって思ったんでしょ?国家解散強いられて、部下の人はいなくなっちゃうしさ。ワンオペ育児の過酷さが昨今叫ばれてるっていうのに……!」
「……は」
全く思いもよらない未来の台詞に、見当違いの情をかけられた黄泉が気の抜けた声を出す。
想定の遥か斜め上をいく彼女の言動に、皆も呆気にとられ言葉を失っていた。
「黄泉にガキィ!?……とてもいるよーに見えねーが」
「幽助、そこにはいないよ。保育カプセルの中にいるんだよ。黄泉さんの遺伝子から作ったんだって」
まじまじと黄泉の下腹部を見つめ、じゃあ戦えねぇかと一人納得している幽助に未来が教える。
幽助は黄泉のことを一体何だと思っているのだろうと頭の片隅で考えながら。
「安心して!王妃のフリはやめても、約束通り赤ちゃんの面倒みるのは私も少し協力するからさ。ね、蔵馬。一緒に頑張ろう!」
「えっ……」
突然道連れにされ困惑する蔵馬と、同じく動揺している様子の黄泉の視線がかち合う。黄泉の瞼は閉じられたままなのだが、こちらに注意を払っているのは分かるから不思議なものだ。
両者の間になんとも奇妙な沈黙が流れる。
「………未来がそうしたいなら」
未来一人を黄泉の子供のベビーシッターにさせたくはないと考えた上での、苦渋の返答であった。
「皆もよかったら手伝ってあげてね」
「オレ赤ん坊の面倒なんてみたことないべ」
「普段からオレたちは鈴駒の子守りをしてるだろ」
「あー、言ったな死々若!」
「おいよせ鈴駒!」
ガキ扱いされ憤慨する鈴駒と死々若丸の間で、黄泉そっちのけで喧嘩が勃発する。
周りがなだめるところまで含め、いつもの彼らお約束の光景だ。
「霊界や人間界まで制圧したいっていう、黄泉さんの野望は応援できないよ。どちらの世界にも私の大切な人たちがいるから」
偽の王妃の役目から解放された未来は、もう黄泉とは無関係だ。
ギャーギャー鈴駒たちが騒いでいる傍ら、自分の立ち位置を明確に表明すべく未来が述べる。
「でも、取引の約束は守る。蔵馬の家族をもう人質にしないって条件、ちゃんと黄泉さんは守ってくれたからね。だからもう物騒なこと言うのはやめてね。機嫌なおして?」
「未来さん、何をふざけて」
「お願いだからもう本当に、さっきみたいなこと言って脅迫しないで」
凄みさえ感じる真剣な声色で懇願され、黄泉が反論しかけた口を閉じる。
未来は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあった。
「黄泉様」
まだ何か言いたそうな黄泉に、不躾を承知でそっと声をかけたのは妖駄だった。
怒りのままに選択を誤り、大事なものを失ってほしくない。
そう黄泉に対して思っていたのは、未来だけでなく妖駄もだ。
「蔵馬や彼らを殺せば未来は生涯黄泉様を許すことはないでしょうし、二度と彼女の笑い声を聴くことは叶いませんよ」
それでもいいのですか?と妖駄の目が、静かな声が訴えかけていた。
至極的を得た妖駄の言葉に、グサリと黄泉の胸が刺される。
蔵馬に夢中で黄泉に靡かぬ未来の見る目の無さに、妖駄とて憤りを感じている。
けれど思い通りに動かぬ未来に苛立ち暴れた先に、主君の望む彼女の姿はないと妖駄は確信していた。
「国家解散を宣言しても、我々はこれからも黄泉様に付き従います。御子息の世話係に未来も名乗りをあげたことですし、今までと何も変わりませんよ」
妖駄に諭されるうち、血が上りきった頭がゆっくり冷めていく。
蔵馬に反旗を翻された挙句、王妃としての未来を失ったあまり怒りで頭が支配され判断力が低下していたと黄泉は自省する。
表向きは国家解散しても、水面下で組織を操り己がトーナメントで優勝するよう画策すれば良い。
蔵馬たちと拳を交えたところで、望んだ姿の未来が手に入らないなら不毛な争いだ。
そもそも軀の接近中に妖力を損なうのは得策ではない。
次第に黄泉は冷静さを取り戻していった。
「浦飯。トーナメントの件だが」
打ち砕かれたと思われた野望の灯火が、再び黄泉の中で燃え盛る。
代わりに彼から殺気が消え、妖気は平常時の状態へと落ち着いていった。
「開催は100日後にしてくれ。この条件をのめばオレは君の提案に従う」
「おう。わかった」
じきに生まれる息子を軀への対抗馬として育てるために時間が必要だ。
そんな思惑が裏に隠された黄泉の条件を、幽助は二つ返事で了承する。
「トーナメント出場者は癌陀羅で募るといい。参加希望者にとって分かりやすい場所で募集を行うのが親切だろう。魔界有数都市のここなら最適だ」
思いついたように黄泉が提案し、一人で話を進めていく。
「妖駄、来い。保育器の様子を見に行く」
「はい、黄泉様」
言いたいことを言って満足したのか、妖駄を引き連れ庭を去っていった黄泉をポカンとして一同は見送った。
「い、一件落着したのか?」
「たぶん」
確認するように皆の顔を鈴木が見渡す。
死々若丸と取っ組み合いの喧嘩になった末、彼の肩に乗っていた鈴駒がコクリと頷いた。
「幽助さん、生きた心地がしませんでしたよ!」
新米国王の暴走に頭を抱え、ハラハラしながら一部始終を見守っていた北神が幽助に詰め寄る。
いざとなれば加勢すると決め、固唾を飲んで庭先で待機していたのだ。
「よかったあ〜!」
どうにかこの場を切り抜けた安堵から、ドッと力が抜けた未来がその場にしゃがみ込んだ。
「おい貴様、さっきのふざけた発言はなんだ」
鈴駒を肩車した状態のまま、死々若丸が未来へ問いかける。
「だってあのまま戦ったら本当に皆が殺されちゃうかもって思ったからー!なんとかして黄泉をなだめようとしたの」
裏女に黄泉を次元の穴へ閉じ込めてもらうか、あるいは蔵馬たち全員を逃してもらう選択肢もあったが、それでは根本的な解決にはならない。
どうにかして戦闘が始まる前に黄泉の怒りを鎮められないか。
いざという時は自分が蔵馬や幽助や、皆を黄泉から守ってみせるという先日の発言を、未来なりに実行しようとしての言動なのだった。
「まーオメーのトンチンカンな言動には今さら驚かねーけどよ」
「それ幽助に言われたくない!」
「未来、大丈夫?」
立ち上がろうとするも、腰が抜けてふらついた未来の身体を蔵馬が支える。
「蔵馬、ありがとう」
「いや……オレの方こそ。ありがとう」
黄泉と戦闘になってもやむを得ないと覚悟していたし実際蔵馬は戦う気満々だったが、結果として平和的にこの場をおさめた彼女に助けられた形だった。
「そうだな。オレたちは未来に礼を言わなければならないな」
「こちらこそだよ!蔵馬や皆が助けに来てくれて嬉しかったし、だからこそなんとかなったもん!ていうか妖駄さんの功績が大きいし」
かしこまって礼を述べた凍矢へ、ぶんぶん未来は首を横に振る。
戦意を喪失させ黄泉を諌めるきっかけを作ったのは未来かもしれないが、彼は妖駄の説得に心を動かしたように見えた。
「それにしても黄泉がこうもあっさり引き下がるとはな」
奇跡みたいな展開に、拍子抜けする鈴木はいまだ当惑の表情を浮かべている。
「そもそも黄泉が蔵馬を殺したくなかったからだと思うよ」
「いや、あいつ本気だったぜ!?」
「本気で蔵馬を殺してもいいって気持ちにはなったかもしれないけど、本心では殺したくなかったと思うから」
「はあ?結局どっちだよ?」
「一時の気の迷いだったんじゃないかなってこと!」
未来が述べるが、幽助は頭にクエスチョンマークを浮かべている。
「とにかく無事解決してよかったべ!」
あまり深く考えないタチである陣がニカッと笑えば、まあそうだなと幽助も同意した。
「そうだ陣、組み手やんねーか?」
「オレも誘おうと思ってただ!」
切り替えの早さと単純さは、幽助も陣に負けてない。
酎や凍矢たちも交えて組み手が始まって、一同はまたいつもの調子を取り戻し始める。
しかし組み手には参加せず、未来の隣に立つ蔵馬の顔は険しさを保ったままだ。
ひとまずの難は去ったが、まだ問題が解決したわけではない。
黄泉は未来を手に入れようと、また躍起になるだろう。
それに、黄泉が本気で国や地位を捨てる気だとは到底思えない。
トーナメントの参加者を募る場に癌陀羅を提供したのは表向き崩壊した国と自分の脅威を残すためだろうと、黄泉の狙いに蔵馬は気づいていた。
「未来、黄泉の子供の世話をするって本気なのか?」
自分も世話係にカウントされたことを思い出し、蔵馬が訊ねた。
「うん。ああでも言わないと黄泉さん機嫌なおしてくれそうになかったから」
「母親役にでもされたらどうするんだ」
「ちゃんと契約した時に、お母さんにはなれないって黄泉に伝えてるよ!念のためそういうの防止に蔵馬にもついてきてもらいたいなと思ってて、巻き込んだのは申し訳ないけど」
ごめんけどお願い!と手を合わせる未来の頭に、ポンと蔵馬が手を置いた。
「いいよ。黄泉の件は元々オレの不手際だ」
突き詰めていえば、千年前に黄泉を裏切りそして仕留め損なったことが今抱える問題全ての根源だと蔵馬は考えていた。
「代わりに未来は今後も黄泉を警戒するように。黄泉は未来に本気だって、さっきので十分わかっただろうから」
「うーん……」
「まだ自覚してないのか!?」
はっきりしない未来の返事に、怒りを通り越し蔵馬は呆れる。
「だって、やっぱり黄泉は私より蔵馬に執着してるように見えるからさ」
黄泉にとって蔵馬が特別な存在で、嫌っていないのは確かだと思う。
だから未来は、黄泉に本心からの殺意はないと動じずにいられた。
(これは私の想像でしかないけど、黄泉がここまでのし上がった原動力の一つに蔵馬の存在があったんじゃないなあ)
黄泉は蔵馬に認められたかったのではないかと未来は思う。
事あるごとに昔の蔵馬の極悪非道ぶりを未来に匂わせていた黄泉。
自分を裏切り姿を消した、憧憬する妖狐蔵馬の面影を彼は今の蔵馬にも求めているようだった。
脅迫という手段をとることでしか蔵馬を繋ぎ止められない黄泉を、不器用だなと感じる。
蔵馬の家族を盾にとる卑劣な手口故、その点に関しては微塵も同情は出来ないけれど。
「またさ、黄泉と二人で話す時間作ったらいいよ」
それだけ未来は蔵馬へ告げる。
仲良くしてくれとまでは言わないが、ここまで蔵馬への感情を拗らせた黄泉の心を晴らすのは、彼だけだと思うから。
***
黄泉と軀が国家解散を宣言してから七日後。
癌陀羅の地下室では、妖駄と黄泉が保育カプセルに眠る赤子を見守っていた。
カプセル内は羊水の役割を担う液体で満たされ、臍の緒のように子の腹と機械主要部がチューブで繋がっている。
「うーん。未来を呼びましたが、あと二、三日はかかるかもしれませんな」
モニター画面の波形を読み、子の出生予定日を妖駄が推察する。
「目を覚ましたらすぐ戦闘教育を行おう。妖力値はどう出てる」
「なんと8万ポイントを越えております。末恐ろしい御子ですよ」
「何しろオレの切り札だからな」
多額の財を投じ、最先端の遺伝子技術を駆使して創った優秀な息子だ。
黄泉はトーナメントでの勝利を確実にするために、開催日までに子の妖力値を50万ポイント以上に育て上げようと目論んでいた。
黄泉は軀以外の大会参加者を敵と見なしていない。
他の魔界の住人も皆、トーナメントは黄泉と軀の一騎打ちとなるにきまっていると考えているはずだ。
「お、未来たちが来たようですな」
地下室の扉が開き、未来が顔を覗かせた。その隣にはやむなくといった感じで同行してきた蔵馬の姿がある。
そろそろ黄泉の息子が生まれそうだとのことで、妖駄に呼び出されたのだ。
「こんにちは!」
いつも通り砕けた調子の未来と違い、蔵馬の目つきは鋭い。
あんな一幕があった後だ。未来が能天気で引きずらない性格であるだけで、蔵馬の警戒は尤もなのだが、黄泉から微塵も殺気が感じられないことは彼も気付いていた。
「生憎じゃが、読みが外れて今日は目覚めそうにない」
「そっか。仕方ないよ、赤ちゃんがいつ生まれるかなんて正確に分かるわけないし」
無駄足を妖駄は詫びるが、未来に気にする様子はない。
「どうだ蔵馬、これがオレの息子だ。既に妖力値8万ポイント。今にお前たちを追い越すぞ」
得意げに黄泉が蔵馬へ話しかける。
魔界の覇者となる自信をつけ、余裕を取り戻した彼は普段通りに蔵馬と接することができた。
「お前のクローンとは違うのか?」
「とも言えるかもしれんな」
黄泉の遺伝子のみを使って作り出したのだから、そう解釈もされ得るだろう。
頭から一本の角を生やした小鬼の寝顔に、蔵馬は若い頃の黄泉の面影をみた。
「あれ!?なんか前見た時よりすごく大きくなってるね!?」
先々月、未来が妖駄に城を案内してもらった時に新生児サイズだった赤子は、今や幼児ほどの体格にまで成長していた。
さすが妖怪だと、規格外のスピードに仰天する未来である。
「もう名前は決めてるの?」
「うむ。修羅様じゃ」
黄泉が考えた名前を誇らしげに答えた妖駄。
彼の調べでは魔界の姓名判断もバッチリ満点であり、王子の風格に相応しい名だ。
「修羅くんか。いい名前だね」
「修羅“様”じゃ!」
「えー、まだそゆこと言う?」
おなじみのやり取りに飽き飽きした未来が唇を尖らせる。
「あ、あくびした」
見てみて、と蔵馬へ未来が修羅を指差した時、一同はとてつもなく大きな妖力の放出を感じた。
一体何人の超S級妖怪が集まっているのか。魔界全土に轟くその余波で、大気は震え地面が揺れる。
「な、何これ!?」
「凄まじい妖気だ……!」
いまだかつて感じたことのないほど巨大な妖気に畏れを抱き、未来は蔵馬の腕にしがみつく。
「雷禅の国の方角です!複数ですが……計測不能です!」
振り切れた妖気計の針を、信じられないという目で見つめ妖駄が叫ぶ。
「バ、バカな!この妖力、一人一人がオレと同格……いやそれ以上だ」
こんな奴らが野心も持たず隠れていたとは、全くの計算外だ。さすがの黄泉も狼狽え汗をかく。
なのに、この高揚感は何だろう。
暴虎馮河の勇であった昔の血が騒ぐとでもいうのか。
つまらぬ策略を捨て、一個人として力を試してみたいと黄泉の心が弾んでいた。
「あ、修羅くんが……」
クスクス。ケタケタ。
子供特有の高い笑い声が聞こえ、一同がカプセルへ視線を向ける。
「修羅……お前もオレと同じ気持ちか」
キャッキャッと笑い楽しげな様子の赤子は、父の心を映す鏡だ。
観念したようにスッと黄泉は妖駄から引ったくっていた妖気計を持つ手をおろした。
「妖駄。お前も自由だ、好きにしろ。誰が勝つかもうオレにもわからん」
「ま、まさか本気で国を捨てトーナメントで戦うと!?」
「やはりオレもバカのままだ」
国も地位も全て捨てよう。
黄泉は今から、ただの黄泉だ。
「まずい、さっきの妖気で管制塔が誤作動を起こしたようじゃ!未来、御主も復旧作業を手伝え!」
ピー、ピーと城内のスピーカーから鳴り出した警報音に妖駄が慌てふためく。
わたわたとポケットから管制塔の鍵を取り出すも、焦りのあまり手元が狂い床に落としてしまった。
「わかったから妖駄さん落ち着いて、ひっひっふー」
「深呼吸しろと言いたいのか!?そりゃラマーズ法じゃ!」
だいぶ修羅に思考が引っ張られている未来に妖駄がツッコむ。
ドタバタと二人が廊下を駆けていき、ポツンと地下室に残された蔵馬と黄泉の横で、カプセル内の修羅がモゾモゾ手足を動かしていた。
「蔵馬。浦飯が訪れた日に軀が接近するのも、未来さんと妖駄がオレを諭すのも、今日まで隠れていた強者の存在も全てお前は予期していたのか?」
「いや」
二人きりになったのを機に、黄泉は蔵馬へ訊いておきたいことがあった。
計算済みだったのかという黄泉の問いかけに、即座に蔵馬は首を横に振る。
「そうか。ではあの時、お前は死も覚悟してオレから寝返り、未来さんを渡すまいと立ち向かったのだな」
しみじみ噛み締めるように述べた黄泉の言葉を、蔵馬は否定しなかった。
「黄泉。オレはこれからも、大切な人たちを守るためなら手段を選ばない。勿論、お前が相手でもだ」
「何度でもオレを裏切る心づもりだというわけか」
淡々と言った黄泉の声に、怒りや悲壮の色は混じっていない。
憑きものが落ちたような、吹っ切れた顔で彼はいる。
「つくづくお前も変わったな」
他者への情など皆無だったかつての彼からは考えられない覚悟を口にした妖狐蔵馬を、まさに今黄泉は認め受け入れようとしていた。
そして、根っこの部分は昔から変わっていなかった自分自身も。
「以前、昔のオレと似ているといった主旨の発言を未来さんへしたことがあるんだ」
「未来とお前が?冗談だろ」
心底不愉快そうに眉を顰めた蔵馬に、黄泉がフッと息を漏らす。
以前までの彼のそれと違い、嫌味のない笑みだ。
「だが、あれは語弊があったな。たしかに無鉄砲なところは似ているが、彼女は仲間を平気で危険に晒すような行動はとらないだろう」
幽助や飛影を裏切りたくないとスパイ任務を断り、蔵馬の家族の身の安全ため王妃の役目を引き受けて。魔界の大妖怪との争いを避け仲間たちを守ろうと、必死になって道化を演じた未来。
他者のために一生懸命な彼女と、副将であった当時、向こう見ずな行動で多くの部下の命を犠牲にしてきた己とは似て非なると黄泉は思う。
「昔のオレは玉砕承知で突っ走る癖があったからな。お前に切られて当然だと、納得しているのは本当なんだぞ」
「未来のことは諦めるんだろうな」
回顧する黄泉の台詞には反応せず、矢継ぎ早に蔵馬が詰問する。
「オレが辛抱強くなったのをお前もよく知っているだろう。あっさり引き下がるとでも思ったか?彼女に関しては長期戦でいくことにした」
「オレは未来を手放すつもりはない」
いくら待っても無駄だと苛々した口調で告げた蔵馬に、好戦的な黄泉の血が騒ぐ。
「望むところだ。さて、どう振り向かせるか」
未来の話題を持ち出すと、蔵馬と対等になれた気がして黄泉は好きだった。
彼女のことになると、蔵馬もただの一人の男になるから。
「幸い彼女は修羅の世話係を名乗り出てくれている。共に子を育てるうち、自然と夫婦愛が芽生えても不思議じゃない。我ながらよく出来た筋書きだ」
「おい、黄泉」
「掻っ攫われたくなければ、お前が見張っておけばいい」
冗談でも過ぎる台詞に蔵馬が怒気を露わにすれば、ベビーシッターは何人でも募集しているんだと黄泉がおどける。
国を捨てたせいで部下を全員失い、このままだと一人で子育てをせねばならない状況の彼は猫の手も借りたい心境なのだ。
「トーナメントが楽しみだ」
「……ああ。そうだな」
眉間に刻まれていた皺を消して、素直に蔵馬が頷く。
心からの言葉だとありありと分かる黄泉の台詞に、正直に応えたくなったからだ。
昨年夏に再会してから初めて、遠い過去をひっくるめても今日が一番互いに飾らず本音で話し合えていると感じた。
まるでまた改めて邂逅した気分だ。
腹の探り合いなど必要ない関係に落ち着いた二人にはもう、長年燻っていたわだかまりの影はない。
父と古き日の同志の対話なんて露知らず、カプセルの中ではマイペースに修羅が大きなあくびをかいていた。