Ⅴ 蔵馬ルート
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
✴︎94✴︎Steal My Girl
未来が黄泉と偽装結婚の密約を交わしてから十日。
癌陀羅では国王の婚約記念パーティー当日を迎えていた。
控室にて大きな全身鏡に映る自分の姿に、未来が目を瞬く。
「未来様、とてもお綺麗でございます」
「黄泉様もお喜びになるでしょう」
ヘアメイクと着付けを未来に施した侍女たちが口々に褒めそやす。
「ほう。馬子にも衣装とはこのことじゃの」
ジャージ姿ばかり見てきた妖駄も、感心して呟いた。
高貴な雰囲気のロイヤルブルーのドレスには、銀糸で細かな刺繍が散りばめられている。
胸元の控えめなビジューが可憐な印象を与え、構築的なフリルが鮮やかな青を際立たせる。
宝石で彩られたティアラに、刺繍と揃いのシルバーのイヤリング。
それらに身を纏った未来は誰が見ても王妃に相応しい美しさだった。
「黄泉様に感謝するのじゃ!人間界の値段で換算するとそのティアラだけで軽く数億は超えるぞ」
「数億!?」
さすが魔界の大国の王だと未来が舌を巻く。
しかし煌びやかで眩しいドレスとは対照的に、未来の顔は晴れない。
こんな風に着飾られて、普通だったら嬉しくないわけがないと思う。
隣に立つのが黄泉でさえなければ。
(でも……蔵馬の家族を守るためだもん)
王妃の役目を全うしようと、今一度腹を括った未来が鏡の中の自分を見つめる。
「さあ、黄泉様と招待客がお待ちじゃ。会場へ急ぐぞ」
妖駄を先頭に、侍女たちに連れられ未来はパーティー会場へと向かう。
道中想うのは、この十日間何度も考えた蔵馬のことだ。
おそらく蔵馬も今日会場に来ている。
十日前、喧嘩別れのようになって以来、鯱に阻まれたせいもあり未来は蔵馬と会えていなかった。
居た堪れなくて、あわせる顔がないけれど……もう一度謝りたい。
それに、未来は蔵馬にまだ一番大事な気持ちを伝えられていなかった。
危険を顧みずこの世界に戻ってきたのは、彼に会うためだったというのに。
(蔵馬の前で、黄泉の隣に立ちたくないな)
想い人のことを考えると、王妃をやり遂げるという決意が瞬く間に萎んでいきそうになる。
黄泉と偽装結婚の密約を交わした時には、まさかこんなパーティーをするなんて考えてもみなかった。
王妃として名前を貸すくらいの気持ちで未来はいたのだ。
黄泉から聞いたのだが、この婚約記念パーティーの発案者は妖駄らしい。
“ああ見えて奴は世話好きイベント好きでな……老い先短い年寄りの道楽だと思って大目に見てやってくれ。”
城を案内したり勉強を教えたりと、世話好きなことは薄々勘づいてはいたが加えてイベント好きとは。
お爺ちゃん孝行と思うしかないのか……と未来はため息をつく。
「なんじゃ、辛気臭いの。腹でも減ったのか」
主催の身で食べ過ぎるでないぞと妖駄が忠告する。
あくまで婚約記念パーティーであり結婚披露宴ではないので、立食形式のややカジュアルな催しの予定だ。
「御主へ配慮して、人間を使った料理は出すなと黄泉様がシェフへ命じておった。全く黄泉様のお手を煩わせてけしからん」
「当たり前でしょ!」
人間を食べるなんてもっての外だ。
ましてや元々人間である未来の目前に出すなんてありえない。
「陣たちは先に会場に行ってるんだよね」
憤る未来だったが、気を取り直して妖駄へ訊ねる。
「ああ。御主といい、TPOというものを知らん奴らばかりじゃったの」
数時間前、未来は闇撫の能力で魔界への穴を開けて六人と共に癌陀羅の地に降り立った。
ドレスコードを守らずいつもの修行着で訪れた六人に妖駄はカンカンだった。
「皆あの服のまま参加するの?」
「たわけ!スーツを用意して着替えさせたわ」
ドレスコードがあるということは、蔵馬もフォーマルな格好で来るのだろう。
(絶対かっこいいだろうなあ)
自業自得とはいえ、願わくば蔵馬の隣に立ちたかった。
***
パーティー会場では、黄泉の部下や属国の重鎮たちが宴の開幕を待っていた。
ざっと数百人はいる招待客で会場内はあふれている。
「黄泉様に見初められた未来様とはどんな方なのだろうな」
「国王のお眼鏡にかなうとは」
「闇撫なんて貴重種族、会うのは初めてだ」
話題は本日の主役である未来のことで持ちきりだ。
慣れないスーツに身を包んだ幻海邸で居候中の六人は、会場へ足を踏み入れた途端に飛び込んできたご馳走の並ぶ景色に釘付けになっていた。
「すっげー!」
「うまそー!」
「酒だ!オレに酒を持ってこい!」
豪華な食事に爛々と目を輝かせ、今にも口へ放り込みそうになっている陣と鈴駒。
飲み放題とあり我を失う酎。
草ばかりの食事、禁酒の毎日だったので無理もない。
「まだ飲み食いするなよ。乾杯の挨拶の後だ」
「おい。少しは慎め。お前らと同類と思われてはかなわん」
騒ぐ三人を凍矢が諭し、死々若丸が恥さらしだと白い目を向ける。
「蔵馬じゃないか!」
ちょうど会場入りした蔵馬を発見し、おーいと鈴木が手を振る。
ダークスーツを召した蔵馬は、周囲に薔薇の錯覚が見えそうなくらい華があった。
その端正な顔には相変わらず影が落とされていたけれど。
「ハチャメチャにいい男だな蔵馬!死々若といい勝負ってとこか!?」
まあオレ様には負けるがな!と豪快に笑う酎。
凍矢の制止もむなしく、両手に酒瓶を持っており既に酔っているようだ。
「蔵馬、久しぶりだな。クリスマスイブ以来じゃないか?」
「ああ。六人とも特訓は順調だったようだな」
『皆様本日はお集まりいただきありがとうございます』
蔵馬が鈴木たちの元へ来たところで、マイクを持った燕尾服姿の妖駄のアナウンスが入る。
隣にはジャケットを着た黄泉が立っていた。
『さっそく御披露目といきましょう。我が国の王妃となる、闇撫の未来です』
妖駄の声と共に玉座の間から登場した未来の姿に、会場中が息をのむ。
青いドレスと白い素肌のコントラストが眩しい。
やや憂いを帯びた表情がまた美しさに花を添えている。
ポテトを刺したフォークを口元に持っていったまま、陣は大口を開けて固まっていた。
嫌味の一つでも言ってやろうと考えていた死々若丸も言葉を失っている。
「未来……すっごく綺麗!」
やっと声を出せた鈴駒が、熱を込めて叫んだ。
「美しい……!美しすぎるぞ未来!」
暗黒武術会の際のピエロちっくに鈴木も絶叫する。
「ズルいぞ黄泉ィ!オレだってフリでいいから未来と結婚してみたいモンだぜ!」
「酎、そりゃマズイだ。極秘事項らしーからな」
酔っ払う酎の口を陣の手が塞ぐ。
「ほんと男の風上にも置けない奴だよ黄泉は!闇撫を抑止力として活用するためなんて建前で絶対下心の塊だろ!未来はオイラのだぞ!」
「お前の女でもないだろ」
小声で地団駄を踏む鈴駒に死々若丸がツッコむ。
「なんとお美しい」
「あの美貌で闇撫とは天は何物も与えたものだ」
「さすが黄泉様。お目が高い」
招待客たちも未来を絶賛だった。
「……蔵馬」
そして蔵馬もまた、未来の美しさに惹きつけられている一人だった。
壇上の彼女に目を奪われている彼へ、静かに凍矢が声をかける。
「ここ最近、未来はずっと元気がなかった。今のお前と同じ顔をしていたぞ。未来は何も言わないが、お前と何かあったんじゃないかと思ってな」
二人がすれ違ってしまったとすれば、それはきっとお互いを想うが故だ。
確信する凍矢が語りかける。
「蔵馬……後で未来とちゃんと話してこい。お前の光は未来なのだろう?」
二人には対話が必要だと凍矢は感じていた。
この男の求める光は誰なのか、一戦交えた時から知っているつもりだ。
「ああ。……オレは今日ケリをつけるためにここへ来た」
そうキッパリ述べた蔵馬の鋭い眼光からその意志の強さと、好戦的な妖狐の影を凍矢は感じ取る。
「……そうか」
心配は無用のようだなと、悟った凍矢が口角を上げた。
***
妖駄の乾杯の挨拶後、幕を開けた宴。
存分に飲み食いするようにとの黄泉からのお達しの元、招待客たちは豪華な食事に舌鼓を打つ。
黄泉と未来が並ぶ玉座の間の前には人だかりができ、二人へ挨拶しようとする者たちが列をなしていた。
「この度はおめでとうございます」
「ありがとうございます」
「本当に闇撫なのですか?」
「はい」
「以後お見知り置きを」
「よろしくお願いします」
ありがとうございます、はい、よろしくお願いしますの三つで大体乗り切れる、あとは微笑んで話を聞いておけばいいと事前に黄泉から言われていたが、実際その通りだった。
彼らの誰もが勝手に喋り、未来がそれに頷くだけで満足そうに去っていった。
貼り付けたような作り笑顔を浮かべ、未来は招待客の応対をする。
ちらっと会場の奥の方にいる陣たちへ目を配ると、料理を貪り食っている彼らがいて今度は自然にふっと口元が緩む。
その横にいた蔵馬の姿には、ドキンと胸が跳ねた。
(パーティーが終わったら、ちゃんと蔵馬と話そう)
決意する未来が、ぐっと膝の上で両の拳を握る。
それにしても、ダークスーツを着た蔵馬はただ立っているだけで絵になる格好良さだ。
「未来様?」
「は、はい」
ぼーっと蔵馬に見惚れていると、招待客に名を呼ばれ我にかえる。
そんなヒヤッとする一幕があったりしつつも、次第に列はまばらになり、時折数人が挨拶に来るだけとなった。
もう今日の王妃の役目はほぼ終えたといっても過言ではない。
あとはただ玉座の間にいればいいだけだ。
「蔵馬に見限られたかもしれないというのに、健気だな」
周りに聞こえないくらいの低音で隣から発せられた声に、未来が眉を顰める。
「奴の家族を人質にしないという守られるかもわからない約束のため、懸命に王妃をやり遂げようとしている」
「試すようなことしなくても大丈夫だよ?」
肩をすくめた未来が、呆れたように黄泉へ言った。
「あなたは取引の条件は守るよ。約束破ってまた蔵馬の家族を人質にしたところでメリットないでしょ」
変わらない彼女の心音。
真っ向から“信じる”と述べてきた人物の中で、嘘も計算の匂いも感じさせなかったのは未来が初めてだった。
たしかに彼女や蔵馬に対しては、動揺を誘うような台詞をわざとかけてしまうなと黄泉は己を俯瞰する。
時間の無駄としか思えない、くだらない行為なのに。
こんな風に面白い反応が返ってくるから、止められないのだろうか。
現に黄泉は、未来と偽装結婚の密約を交わしてからの一連の状況を楽しんでいた。
「それに本心では、これ以上蔵馬に嫌われたくないでしょ?……黄泉さんも私もさ」
ぼそっと付け加えた声色は、明らかに落ち込んでいる。
簡単に弱みをみせる未来に、彼女の辞書には取り繕うという言葉がないのだろうかと真剣に黄泉は考えてしまう。
初めて未来と会った時に思った。
肝が据わっているのか。それともただのバカか。
その答えを、黄泉は今見つけた気がした。
「蔵馬が何故未来さんに惹かれたのか、少し分かった気がするな」
「へ!?」
黄泉の唐突な意外すぎる発言に、未来が間抜けな声を出す。
「未来さんと違って、蔵馬はどうしてもバカになれない奴なんだ」
「……ケンカ売ってるの?」
バカ呼ばわりされ気分を害す未来だったが、黄泉の言う“バカ”が鯱に対して使っていたものとはニュアンスが違うことくらいは分かった。
「オレが奴の家族を人質にとった時も、おそらく未来さんが空に寄生された時もそうだ。怒りや悲しみを感じるより先に、常に奴は賢い対処法を導こうと頭を回すのに忙しい。恐ろしい奴だ」
いかなる局面においても、まず冷静に最善策を探してしまう蔵馬。
哀れだと黄泉は言うが、己に向けられる未来の憐憫の眼差しには気づかない。
「だからこそ未来さんのようなバカが蔵馬は眩しいんだろう」
「……じゃあ、そんな“バカ”をあと三人私は知ってるよ」
仲間のためなら一直線、なりふり構わぬ愛おしいバカたちを。
図らずも未来が九日前と似た声を出し、黄泉は虚を突かれる。
どんな表情をしているのだろうと気になってしまう、鈴を転がすような優しい声だ。
彼女にそんな声を出させる蔵馬とバカだという三人が、少し羨ましいような。
小さくわいた不思議な感情に、首を傾げる黄泉だった。
***
『ご歓談中、失礼します。ここで皆様へ朗報です。先日我が軍は素晴らしい戦力を手にしました』
照明が落とされ、暗くなる会場。
宴も中盤に差しかかったところで、マイクを手にした妖駄が重大発表があるとアナウンスする。
『なんと妖力値10万ポイント以上の者を、六人も新たに兵として迎えたのです!』
ジャーン!という効果音と共に、料理を口いっぱいに頬張っている陣たち六人がスポットライトに照らし出される。
精悍とは言い難いその姿に青筋を浮かべながらも、咳払いして妖駄は続けた。
『この六人を育てたのは、約半年前に我が軍に参入した蔵馬です。彼はこの短期間で六人を鍛え上げました』
スポットライトが、次は六人の横にいた蔵馬を照らし出した。
『皆様、お手元の妖力計でこの六人の妖力を計測してみてください』
「信じられん!120800だと!?」
「本当に六人とも10万を超えている!」
「あの蔵馬とかいう男、何者だ!?」
配られた妖力計に映る数値の羅列に、会場中がどよめいた。
『よくやった褒美をとらす。蔵馬、お前を第二軍事総長に任命する』
妖駄からマイクを受け取った黄泉が、直々に蔵馬へ命じる。
国王に次ぐ最高位を得た蔵馬を、会場中が拍手で讃えた。
「危険ですぞ黄泉様!そやつら全て蔵馬の子飼い!謀反のおそれが……!」
『黙れ鯱。お前の意見など求めていない』
叫ぶ鯱だったが、冷たく黄泉にあしらわれる。
「たった半年で六人も」
「なんて優秀な男だ」
「それに引き換え……」
癌陀羅のNo.2に君臨し軍事総長に任命され五百年、何の功績も残してこなかった鯱。
会場中から軽蔑の眼差しが鯱へ注がれる。
(おのれ……おのれおのれおのれ!!)
会場の端から蔵馬を睨みつける鯱は、煮えたぎる憎悪でわなわなとその巨体を震わせていた。
『人間界で修行を重ねていた六人をこの場へ連れてきたのは妃だ。彼女が開ける穴は霊界がS級妖怪避けに張った結界など物ともしない』
黄泉の発言で、その隣に座る未来へ客たちの注目が移る。
「ということは、王妃の能力があれば黄泉様も人間界へ移動可能ということか!?」
「黄泉様は本当に素晴らしい方を妻に迎えたものだ」
「闇撫の未来様がいれば我が軍は安泰だな!」
魔界のみならず、人間界と霊界の統治も目論む黄泉。
彼の部下たちも、志は一つだ。
『今一度、六人と蔵馬、そして王妃へ盛大な拍手を』
わっと歓喜にわく招待客から、拍手喝采を受ける未来たちなのだった。
***
「ふー」
サプライズ発表で盛り上がった会場がやっと落ち着いたところで、気の抜けた未来がため息をつく。
「あっ、ごめんなさい」
「御主も長丁場で疲れたじゃろう。少し休憩してきてはどうじゃ」
「え、いいの!?」
妖駄と目が合い、しゃんと姿勢を正した未来。
てっきり怒られると思ったのに、いつも厳しい妖駄から出たとは考えられない台詞に耳を疑う。
「構わんですか、黄泉様」
「ああ、勿論」
「ただし二十分だけじゃ。いいな!」
「はーい」
侍女をつけようとした妖駄だが、一人でいいと未来が断る。
「おや、黄泉様も休憩をご所望ですか?」
未来が休憩に入り数分も経たぬうち、急に立ち上がった黄泉へ妖駄が訊ねる。
「いや、すぐ戻る」
主役が二人とも抜けるわけには……と困り顔の妖駄を振り切り、切羽詰まった様子の黄泉が未来を追うべく玉座を後にする。
彼女に続いて会場を出て行く、鯱の妖気を察知したからだ。
蔵馬への憎しみを募らせ、鯱は相当気が立っているようだった。
未来へ何をしでかすか分からない。極めて危険な状態だ。
「黄泉」
焦る黄泉が会場を飛び出した。
しかし呼び止められた瞬間、彼の心が冷静さを取り戻していく。
「オレが行く」
それだけ告げて、棒立ちになる黄泉を残し蔵馬は廊下を駆けていった。
“鯱の件はまもなく蔵馬が自力で片をつける。オレがわざわざ手を出すまでもない”
九日前に未来へ告げた台詞が、今ブーメランのように黄泉の胸に突き刺さっていた。
わざわざ自分が行かなくても、蔵馬が解決する。
分かりきっていたことなのに、どうして自分が彼女を助けに行かなければなんて思ってしまったんだろう。
およそ理知的とは程遠い己の行動に黄泉は愕然としていた。
安全は保障するという契約だからか。
闇撫を失っては軍の痛手だからか。
蔵馬の想い人という点から興味の対象だからか。
いや。……もう、蔵馬は関係ないのかもしれなかった。
***
「はー、疲れた」
しばし温室で休もうと、廊下を歩いていた未来は背後から凄まじい殺気を感じて振り向いた。
「鯱……!?」
「殺してやる!!お前も蔵馬も!!」
血走った目をした鯱が未来へ襲い掛かる。
急な事態に声すら出せなかった未来の身体が何者かに抱き止められ、ふわりと宙に浮いた。
はずみでガシャンと金属音を鳴らしてティアラが地面に落ちる。
「フン、やはり来おったか!」
攻撃をかわされた鯱が舌打ちする。
いつも未来を安心させる薔薇の匂いに、恐怖で固くなっていた身体の緊張が解けていく。
鯱に殺されそうになった未来を助けたのは、蔵馬だった。
「鯱。お咎め覚悟の上か」
姫抱きにしていた未来を地面におろすと、彼女を後ろ手に庇うようにした蔵馬が鯱へ問いかける。
その瞳も声も、ひどく冷淡だ。
対してその内は、未来を傷つけようとした鯱への灼熱の如く燃えるような殺意で満ちていた。
「王妃に惚れていた貴様が己の物にならないならいっそと彼女を殺した!その現場を目撃したオレが貴様へ血の粛清を下した!シナリオはとうにできておるわ!」
二人を殺したとて、この完璧なシナリオがあれば咎めを受けない自信が鯱にはあった。
「さっさと来いよ。殺してやる」
「貴様の妖力はたかだか2000程度!どうあがこうとオレの相手ではない!」
手元の妖力計が示す数字を見て、嘲笑う鯱が蔵馬を標的に大きな槍を構える。
「くだばれ奸ギツネが!」
鯱が槍を振り上げたと同時、ローズウィップが空を切る。
未来が瞬きをした刹那で、広がる景色は一変した。
銀髪の妖狐の傍らで、無惨にもバラバラになった鯱の身体が転がっている。
切断された鯱の手に握られた妖力計の画面には、152000の文字が刻まれていた。
目を見開いたまま絶命した鯱の首がゴロンと微かに動き、ヒッと喉奥で未来が小さな悲鳴をあげる。
切り裂かれた胴体の周りには赤黒い血だまりが出来ていた。
蔵馬はきっと、これまでも自分に刃を向けた相手を数え切れないほど葬ってきたのだろう。
こんな風に躊躇なく、あっさりと。
「オレが怖い?」
いつの間にか南野秀一の姿に戻っていた蔵馬が問いかける。
自嘲的な微笑を携えて。
その様が、未来には十日前の蔵馬と重なって見えた。
もしかしたら黄泉は今まで考えていたより信じられる人かもしれないと述べた未来に、“オレと違って?”と問いかけた蔵馬の姿と。
陰鬱な表情に胸が痛む。
けれど反面、らしくない訊き方をした蔵馬の姿から、彼の心の奥底に今が一番触れている時なのではないかと未来は考える。
感情を隠し押し殺すのが得意な彼が、こんなに自分を剥き出しにしてくれているのだから。
これはチャンスだ。
もう二度と蔵馬にそんな顔をさせないための。
そう未来は直感していた。
「怖くないよ……怖いなんて思うわけない」
未来が首を横に振り、ゆっくりと蔵馬へ近づく。
ドレスを着ているため早く歩けないのがもどかしい。
「蔵馬、ありがとう。助けてくれて」
その時、遠くから喧騒が聞こえてきた。
外の空気を吸おうと招待客数名が会場から出てきたのだろう。
「場所を移そうか」
「私、いい場所知ってるよ。この先に温室があるの」
未来が誘えば、とても自然な動作で蔵馬は彼女を姫抱きにする。
「いくよ」
「うん」
ぎゅっと未来が首に掴まったのを合図に、温室へ蔵馬が急ぐ。
まるで姫を拐うかのような一幕。
けれど最初から未来は蔵馬のものだった。
本来あるべき腕の中へと戻っただけだ。
無人となった通路に、また静寂が訪れる。
辺りには鯱の亡骸と、王妃の象徴であるティアラだけが残されていた。
***
城の外れに位置する、天井の高い広い温室は癌陀羅で唯一未来の心休まる場所だった。
植物に囲まれる空間は、蔵馬を近くに感じさせたから。
とても綺麗な場所なのにいつも人気はなく、未来は妖駄の講義の合間ここへ来るたび一人で心を落ち着かせることが出来た。
今日とて無人なのは変わらず、室内には蔵馬と未来の二人しかいない。
「自分や周りの人を守るために一生懸命な蔵馬に、私たちは何度も救われてきたよ。そんな蔵馬を、怖いなんて思うわけがない……」
蔵馬にお姫様抱っこされていた未来は地面に足を着くと、思いの丈を伝えようと真っ直ぐ彼を見つめる。
黄泉は蔵馬のことを恐ろしいと評していたけれど、それは違う。
大切な人を守るためならどんな非情な決断もできる強さを持った蔵馬のことを、冷たい人だと未来は思わない。
蔵馬はただひたむきなだけだ。
愛する人たちを決して傷つけないために。
「この前はごめんね。もう蔵馬は私のこと嫌になっちゃったかもしれないけど……私は蔵馬が好き」
蔵馬の眉がどこか泣きそうに歪んで。
言うが早いか、彼は未来を腕の中へかき抱いていた。
もう本当にずっと前から、蔵馬は未来をこうしたかったから。
「未来が好きだ。半年前に伝えた時から……いやその前からずっと」
密着した身体から感じる蔵馬の体温が心地よい。
絞り出されたような声からひしひしと伝わる彼の想いに、未来の涙腺が緩む。
「けれどオレの好きは、未来みたいに綺麗なものじゃないよ」
そしてきっと、飛影のように純粋なものでもない。
「え……」
言葉の真意を訊ねるより早く、唇が塞がれる。
あまりにも性急な口づけだった。
愛情も、狂うような嫉妬も欲も。
その全てを伝えようとする蔵馬のキスが、何度も未来へ落とされる。
「……分かってないって怒ったのは、オレの未来への気持ちを未来が全然理解していないと思ったからだ」
長く深い口づけの後、やっと離された唇。
息さえ上手くできなかった未来は、潤んだ瞳で蔵馬を見上げる。
「未来を閉じ込めて、壊れるまでオレのものだと分からせてやりたいって心底思うよ」
まるで独り言のように、ポツリと低くこぼした蔵馬。
陰りを帯びた眼差しは欲を孕んでいて、直球的な台詞と相まってサッと未来の頬に朱がさす。
「今日そんな格好で黄泉の隣にいた未来を見てオレがどんな気持ちになったか分かる?……もう後のことなんてどうでもいいから、未来を連れ去りたくなった」
しかし理性がその衝動を押しとどめる。
蔵馬の家族を守りたいのだと言った、未来の気持ちを無下にしたくないと。
必死で耐えるような蔵馬の表情に、未来の胸が切なく軋む。
「蔵馬、ごめんね。ありがとう。大好き」
たしかに蔵馬は幽助たちのような、感情赴くまま一直線のあったかいバカではない。
けれどバカになれないそんな蔵馬の不器用さが、未来はとても愛おしい。
人一倍他人想いの、優しい蔵馬が。
「綺麗じゃない蔵馬の気持ちも、私は全部受け止めたいよ」
後ろめたい過去も、全部。
もう一人で抱え込んでほしくないから。
「蔵馬になら私、傷つけられてもいい」
翡翠色の瞳が見開かれて……しがみつくように、蔵馬は未来を強く抱きしめた。
どこまで未来は己を受け入れてくれるのだろうと、瞼を閉じて蔵馬は彼女の温もりに酔いしれる。
未来はいつもそうだ。
呂屠戦の後も。天沼戦の後も。
気安めを言う訳でも、慰める訳でもなくて。
蔵馬の苦しみをまるで自分のことのように受け止め、彼を包んでくれる。
「ごめん。もう嫌と言われても離せない」
この期に及んでこちらの気持ちを慮る蔵馬に、未来は胸が締め付けられる思いだった。
「うん。離さないで、我慢しないで……」
たまらず蔵馬が噛みつくようなキスを落として、未来の頭の芯が溶けていく。
腰に力が入らなくなった未来の身体を蔵馬が抱き止め、押し倒す。
青いドレスのフリルがシーツのように、未来の頭から背中にかけて散らばった。
覆い被さる蔵馬の背中へ未来が腕を回せば、互いだけの世界へ沈んでいく。
狂おしいほどの多幸感に浸りながら、二人はいつまでも唇を重ねていた。