Ⅴ 蔵馬ルート
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✴︎93✴︎Paradoxな君
「オレは黄泉を殺し損ねたと思っている」
物騒な台詞に未来が息をのんだのが分かって、蔵馬はまた彼女から目線を外す。
本当は、こんな投げやりな形で打ち明けるつもりじゃなかった。
「………どうして殺そうとしたの?」
裏切ったのは黄泉ではなかった。
蔵馬の方だったのだ。
衝撃を隠せない未来が静かに問うた。
「黄泉はオレの率いる盗賊団の副将だった。当時の黄泉は玉砕主義で単独行動が目立ち……いつしかオレは黄泉が邪魔だと思うようになっていた」
そこで蔵馬は、殺し屋を雇い黄泉を抹殺しようと目論んだのだ。
「蔵馬、ごめんね。私、何にも分かってなかったね……」
思い詰めた様子の蔵馬が、何か話そうとして躊躇いやめたことがあったと未来は思い出す。
打ち明けるのは勇気が必要だったと思う。
きっと、こんな風に話したくはなかったはずで。
そうさせたのは、先の自分の発言だ。
無知は罪とはこのことだ。
強い自責の念に駆られる未来が俯く。
「軽蔑した?」
「しないよ!」
とんだ杞憂だと、弾けたように未来が顔を上げた。
「そりゃびっくりはしたけど、当時の魔界の倫理観が私の感覚と同じとは思えないし……これまでたくさん蔵馬の優しさに触れてきたもの。軽蔑なんてするわけないよ」
未来の持つ一般常識が通用しないのが魔界だろうし、大昔の蔵馬の行為を今さら自分が咎めようなんて気は起きない。
共に過ごして培った彼への気持ちと信頼が、揺らぐわけがない。
「当たり前でしょう?」
覗き込まれて、未来と目が合う。
向けられた微笑みに、蔵馬は胸のわだかまりが昇華されていくのを感じた。
「ただ、黄泉はどう思っているのかな」
しかし未来が黄泉の名前を持ち出すと、蔵馬の顔が強張る。
「恨んでいないとは言っていた。本心とは思えないが」
「そっか……」
蔵馬が恨まれていないかと未来は気を揉む。
その姿が黄泉の心情を慮っているようにも映って、蔵馬の胸にざわざわとさざ波が立つ。
「もし恨んでいたとしても、黄泉は蔵馬に協力を仰ぐことを選んだんだよね」
黄泉はいかなる場面においても最もメリットのある道を考え実行している印象を未来は受けた。
蔵馬の知略の恩恵に与ろうとしている黄泉が、彼へ直接的に危害を加える可能性は薄いか。
感情だけで動く人物なら、とっくに蔵馬を殺しているだろう。
考え込んでいた未来が、ふと曇ったままの蔵馬の表情に気づく。
「蔵馬、私当時の蔵馬がちゃんと考えてやったことにどうこう言う気は本当にないよ?それに今の蔵馬は裏切るような人じゃないって知ってるし」
「いや」
かぶせるように蔵馬は否定した。
「オレは繰り返すよ」
「…え……」
とても冗談を言っているように見えない、真剣な眼差し。
なびく蔵馬の前髪が、その整いすぎた顔に影を作る。
「意外だな」
割って入ってきた低音に、ハッと未来は振り返った。
「オレとの過去をお前は未来さんに知られたくないだろうと考えていたが」
「黄泉。今すぐ未来との取引を白紙にしろ」
まさか自ら喋るとはと驚く黄泉に、間髪入れず蔵馬が命じた。
「そうなるとオレは今後もお前の家族を人質にとるし、スパイ任務も予定通り彼女にやってもらうが」
「未来ほどの闇撫を捨て駒にするつもりか!?」
「惜しくないと言ったら嘘になるが、一方的に取引を解消する代償は払ってもらう。約束を反故にされればオレだってたまには感情的に動きたくもなるさ」
未来に危険な任務をさせるわけにはいかない。
八方塞がりとなった状況に、蔵馬がぐっと唇を噛む。
「……いつまで未来に王妃のフリをさせるつもりだ」
「情勢によるな。雷禅の死後、軀との一騎打ちで闇撫の未来さんをどう使うかオレはまだ決めかねているんだ」
だから未来を黄泉に近づけたくなかったんだ。
彼女を利用する気満々の黄泉に、腑が煮え繰り返るような憤りを蔵馬は覚える。
「そう怒るな。伝言の通り空は死んだ。お前に感謝されこそ怒られる筋合いはないぞ」
「空もお前の差し金か」
「愚問だな。お前が見誤るはずがない」
「蔵馬、本当にそれは違うよ!空は鯱の命令で私に取り憑いていたの」
繰り返すという蔵馬の発言にいまだ動揺したままの未来だったが、それだけは訂正せねばと口を挟む。
「よければ未来さんの口から全て説明してくれないか。オレが話すより蔵馬も納得するだろう」
「え……」
黄泉に促され戸惑うも、いずれにしろ早く蔵馬に話すべきだと未来は思い直す。
空を黄泉が排除してくれたこと、闇撫を抑止力として活用するため偽装結婚を持ちかけられたことを未来が手短に語った。
「鯱に手出しされる心配はなくなるし、蔵馬の家族がもう二度と人質にとられなくなるから、この提案にのったんだ」
そうやって黄泉は未来を言いくるめたのか。
事の経緯を知った蔵馬は一層苛立ちを募らせるが、黄泉は涼しい顔をしている。
「ていうか蔵馬、私が空に寄生されてたの知ってたの?」
「……ああ。未来はいつ気づいたんだ?」
「もしかして誰かに取り憑かれてるのかなと疑ってはいたけど、さっきこの目で空を見るまで確信はしてなかったよ」
「だから真偽を確かめるために癌陀羅へ行ったのか」
己の読みの甘さに、蔵馬は頭を抱える。
そうだった。
空の存在に気づいたところで未来は取り憑かれる恐怖にただ怯えるのではなく、解決しようと身体が先に動いてしまうような少女だった。
「うん。闇撫の能力で魔界へ穴を開けられるようになったから……」
「自分がどれだけ危険なことをしたか分かっているのか!?オレがあと九日で全て解決するつもりだったのに……!」
悔しげにこぼした蔵馬に、未来が目を見張る。
「どういうこと……?」
「あと九日で六人全員の妖力値が十万を超えるとお前は読んだわけか」
困惑する未来とは対照に、黄泉は蔵馬の発言の意図を理解したようだ。
「鯱を始末しても、何の実績もない現状では空は命令を聞かない上、謀反の罪に問われる。育てている六人の妖力値が十万を超え、己の地位を確立するまでは下手に動けない……おおよそこのように考えていたんだろう」
蔵馬がこの三週間静観していた理由を瞬時に推測した黄泉が、ズバリ言い当てる。
「余計なことをしてくれるなという口ぶりだが、身の異変に勘付き藁にもすがる思いでここへ来た未来さんを責めるのは酷というものだ」
「ごめん、ちょっと黙っててほしい!」
黄泉に肩を持たれても余計話が拗れそうだと感じ、要らぬ世話だと制する未来。
「ひどいな、せっかく妻を庇ってやったのに」
「妻って、偽だからね!?」
「まあそう落ち込むな。王妃になったことでこれ以上ない程未来さんの安全は確約されたんだ。二度とお前の家族を人質にとらないと誓ったしな」
念を押す未来を無視し、お前にとって悪いことばかりではないはずだと黄泉が蔵馬を諭す。
「未来さんにも指一本触れはしない。そういう契約だからな。彼女から迫られたら別だが」
「はあ!?」
迫るわけないでしょうが!と憤慨する未来の反応が予想通りで黄泉が笑った。
いつの間に黄泉と軽口を叩き合えるようになったのか。
敬語もなくし臆することなく黄泉と接する未来の姿が、蔵馬をまた沈ませる。
「まもなく北棟で定例会議が始まる。せっかくだ、お前も参加してくれ。未来さんも見学するといい」
もはや拒否の選択肢はないと、蔵馬も未来も察していた。
準備のため別所に寄ってから行くと言って黄泉が去り、残された二人は重い足取りで北棟へと向かう。
「蔵馬、さっきのどういうことなの?あと九日で解決するつもりだったって……」
まず先の疑問を解決しようと未来が訊ねた。
「大方黄泉の言った通りだ」
その整った顔に影を落としたまま、蔵馬の口から彼の考えていた策と空の思惑が明かされる。
「っ……だから今日電話に出てくれなかったんだ」
自分が空に取り憑かれたように蔵馬も何かされてはいないかと心配して単身癌陀羅へ来たが、こういった形で彼が苦しめられていたとは思いもよらなかった。
そして蔵馬は、そんな状況下でも未来を救うべく模索していてくれたのだ。
一見冷めた様な対応にも全て意味があった。
理解した未来の顔がみるみる青くなる。
「蔵馬も空のこと、なんとかしようとしてくれてたんだね。色々考えてくれてたのに、私が一人で行動して計画めちゃくちゃにしちゃったよね……ごめん」
「オレの方こそすぐに助けられなくてごめん」
「ううん、蔵馬は悪くないよ!」
一ヶ月近くも空の寄生を許して申し訳なかった。
不安になった未来が単身癌陀羅へ赴いたのも無理もないのかもしれない。
彼女の行動力に驚かされるのはこれが一度や二度目ではない。
けれど。
「でも……だからってどうして黄泉と結婚のフリなんて……」
諸悪の根源は鯱と空で。
突き詰めて言えば、大昔に黄泉を裏切ったことによる身から出た錆が今のこの現状だ。
家族を守ろうとしてくれた未来を責めるべきではない。
理性がそう告げていても、あまりの事態に何故と蔵馬は吐露せずにはいられなかった。
「それは、蔵馬の家族を人質にとらせないために……」
「未来にそんなこと頼んでないよ」
ガンと鈍器で殴られたかのような衝撃が未来にはしった。
「……恩着せがましく聞こえたならごめん」
蔵馬のためだけじゃない。
未来個人としても、彼の家族を守りたかった。
だから黄泉と偽装結婚なんて契約を結んだ。
蔵馬とおんなじ風に笑う、優しい彼の母親。
再婚の知らせも、蔵馬に新しい弟が出来たと聞いた時も、未来は嬉しくて。
新しい家族の平穏な生活が脅かされてほしくないと思った。
しかし、圧倒的に覚悟が足りなかった。
蔵馬に何を思われてもいいから彼の家族を守りたいという覚悟が。
それさえあれば、今未来の心はこんなに掻き乱されていない。
覚悟もないのに独断で突っ走るべきじゃなかった。
自分の行動に責任を持つとは、きっとそういうことだ。
「こんなの未来が人質になったようなものだ」
「黄泉は私のこと利用する気満々だから命を脅かすようなマネしないと思うよ。あの人取引の条件は守ろうとするし、何よりメリット重視って感じだし、それに」
「もういい」
聞きたくないとばかりに蔵馬が遮る。
「未来は何も分かってないよ」
いつも優しい翡翠色の瞳が怒りに染まる瞬間を、未来は幾度か見たことがある。
けれどその身に向けられたのは初めてで。
“私、何も分かってなかったね……”
つい先ほど未来が述べた台詞だ。
蔵馬に言われなくても、既に未来は痛感していた。
何にも分かってなかったって。
「……ごめんね。無神経なこと言って、計画も台無しにして……」
突き放すような言い方に胸が抉られる。
けれど自分には傷つく資格もないと未来は思った。
だって蔵馬の方が、よっぽど辛そうな顔をしている。
未来に出来るのはただ謝ること。
そして自分の行動に責任を持つことだ。
「けどもう後戻りできないから……偽の王妃をやり遂げようと思う。蔵馬は関係ない。私が蔵馬の家族を守りたいからやるの。もう独断で黄泉と取引なんてしないし、迷惑かけないようにするから」
寒くもないのに両の手足がかじかむ。
震える声で未来はそれだけ捲し立てた。
「本当にごめん」
くるりと未来が蔵馬へ背を向ける。
もう涙を堪えきれそうになかったから。
「未来!」
「密会とは感心せんな」
言い過ぎたと気づいた蔵馬が未来の肩へ手を伸ばした矢先、咎める声が割って入ってきた。
「蔵馬。彼女は王妃となられるお方なのだ。貴様のようなただの一兵が気軽に謁見できるような存在ではない」
最悪のタイミングで、最悪の人物の登場だ。
どうしてこうも毎度、鯱はこちらの感情を逆撫でするような発言をするのか。
泣いている場合じゃないと、ありったけの気力を振り絞って涙を堪えた未来が目元を擦り、鯱へと向き直る。
「密会じゃないし、私が誰と話そうとあなたに文句を言われる筋合いない」
「ほう。蔵馬が姦通罪に問われても構わないと仰るか」
「そんなこと私も黄泉も許さない!」
「失礼ながら、お妃様は軍事総長である我の権限をあまりにも矮小に考えておられる」
予想打にしない発言にも、怯まず未来は強気で返す。
しかし、今回ばかりは鯱の方が一枚上手であった。
「不貞の疑いと我の一声があれば、軍法会議で議員の感情を煽り蔵馬を処罰するなど容易いことよ」
雄弁に語る鯱に、サッと未来の顔が青ざめる。
先ほど空を躊躇なく殺した鯱の姿が、鮮明に脳裏に蘇った。
鯱が空を未来に寄生させたのも、蔵馬への嫌がらせが目的だった。
蔵馬を槍玉にあげる隙を、鯱は虎視眈々と狙っているのだろう。
蔵馬と親しい様子を見せれば、鯱にその絶好の機会を与えてしまうと未来は悟る。
「我の権限があれば妃様ですら処罰の対象となり得るかもしれませんな。黄泉様に不義理を働くなど到底許され難く、国民の怒りを買う行為」
「鯱。不敬だぞ」
下衆な笑みを浮かべよく動く口を回らせる鯱を、蔵馬がピシャリと黙らせる。
「オレはもう誤解を招くような行為はしない。これで満足か」
ズキンと未来の胸が痛んだ。
何を傷ついているのだろう。
蔵馬にそんな台詞を言わせたのは、黄泉と偽装結婚の密約なんて交わした自業自得なのに。
「その代わりお前も二度と彼女に近づくな」
怒りに満ちた冷酷な蔵馬の表情に、恐怖を感じた鯱が慄く。
「フ、フン、貴様に言われずとも王妃に気安く話しかけたりせんわ!」
たじろぐ鯱が精一杯の虚勢を張った。
「万が一にも黄泉様をお待たせするわけにはいかん。早く会議室へ向かわねば」
ジロジロと監視するような鯱の視線に晒されながら、無言で一行は北棟へと向かう。
まさか鯱がこんな脅しをかけてくるとは思いもしなかった、己の浅はかさを未来は呪う。
蔵馬は予期できていたのだろうか。
どちらにしろ呆れ果てているに違いない。
今日、途中までは万事上手くいったと思っていた。
蔵馬の家族を人質から解放できて、自分の身も守れることになったと。
ところが彼の策を台無しにするような行動をしてしまっていたと判明して。
“ 黄泉のこと、もう少し信じてみることは出来ないかな?”
過去を知らなかったとはいえ、あんな台詞を吐いた自分が憎い。
よりによって黄泉相手に偽装結婚の密約なんて交わすべきじゃなかった。
蔵馬の怒りと鯱の脅迫を前に、今頃未来は思い知る。
居た堪れない気持ちでいっぱいで、会議の間も未来はずっと蔵馬の顔が見れなかった。
***
次の日、妖駄に呼び出された未来はまた癌陀羅を訪れていた。
「なんじゃその眼鏡は!御主ふざけておるのか!?」
「気にしないで続けて」
昨夜幻海邸へ帰った後、一晩中泣いて腫れた目元を隠すため未来はサングラスを着用していた。
ちなみに闇撫の修行中であったため今日も上下ジャージである。
ったく最近の若いモンは礼儀というものを知らん等とひとしきり小言を述べた後、妖駄が本題に入る。
「今日はまずワシが城の案内をする。明日からは魔界史と地理の勉強に励むのじゃ」
「勉強!?」
「十日後の婚約記念パーティーまでに魔界の情勢を頭に叩き込むのじゃ!ワシが直々にみっちり教えてやる。王妃ともあろう者が最低限の教養も身につけておらんと露呈しては国の名が廃るからな」
「別に偽なんだしそこまで気にしなくても」
「それはワシらだけ知る極秘事項!パーティーで御主は歴とした妃として出席するのじゃぞ。配下の国の重鎮を多数招いているからの。黄泉様に恥をかかせてはならん!」
「じゃあパーティー開催しなきゃいいんじゃ」
「属国との交流は関係維持に不可欠なのじゃ!」
鬼の形相の妖駄が杖を竹刀のように持ち地面へ叩きつける。
体は小さいのにえらい迫力だ。
「ほれ、行くぞ!」
「わ、わかったよ。いいから落ち着いて。血圧上がっちゃうよ」
そんな一幕があった後、妖駄につられ未来は広大な敷地を練り歩いていた。
すれ違う者が皆、未来を見かける度に立ち止まり平伏していく。
「契約上の偽妃なのに……」
「フフン、気分が良いじゃろう」
「いや、騙してる罪悪感がすごいよ。それになんだかこのまま本物の王妃に仕立て上げられそうで怖いし」
聞き捨てならない発言に、妖駄が足を止めた。
「本来なら御主は正真正銘の妃にしてくれと黄泉様へ頭を下げるべきじゃ!世の女子が喉から手が出るほど羨む地位を御主は手にしかけておるのに!」
結婚が偽装であることはトップシークレットなため、小声で妖駄が喚く。
「天下人の妻になりたくないのか!?黄泉様は魔界のみならず霊界、人間界の掌握まで狙っておる向上心に満ち溢れたお方ぞ!」
「え、魔界だけじゃなくて?」
向上心があると言えば聞こえが良いが、凄まじく強欲だなというのが率直な未来の感想だ。
何がそこまで黄泉の野心を駆り立てるのだろうか。
会議室やトレーニングルーム、食堂、宿舎などを案内され順にまわっていく。
途中立ち寄った地下室のカプセルには、産声をあげる日を待つ黄泉の息子が眠っており未来を驚かせた。
「わあ、綺麗」
それまでの無機質な部屋の数々からは一転、ドーム型の広い温室に未来は目を細める。
高い天井からは日が差し込み、城の中で唯一明るい印象を受ける場所だった。
(蔵馬……)
植物に囲まれていると、自然と連想するのは彼のこと。
結局昨日は会議が終わると鯱と使い魔に監視されるようにそれぞれ別に魔界を後にして、蔵馬とはそれっきりだ。
鯱の目が光る中で蔵馬に近づいて、また迷惑をかけてしまうのを未来は恐れた。
幻海邸へ戻ると、未来は蔵馬とのやり取りは伏せて皆へ癌陀羅での出来事を話した。
空に寄生されていたショックで未来は落ち込んで元気がないのだと皆は解釈したようだ。
男性陣に蔵馬とのことを相談するのは躊躇われたが、未来は幻海にだけは打ち明けようとした。
しかし、蔵馬と喧嘩したと伝えた途端。
“痴話喧嘩に付き合うほどあたしは暇じゃないんだよ!”
と言って、詳細も聞かずサッサと攻略中のゲームの続きをしに行ってしまった。
(師範、冷たい〜〜!)
幻海らしい塩対応に、心の中でまた一人ごちる。
蔵馬のことを思うと、自己嫌悪で消えてしまいたい気持ちになる。
緑の空間はそんな未来の心を少なからず癒してくれたのだった。
「素敵な温室だね。誰が作ったの?」
「ここにある植物は全て黄泉様が収集し、専属の庭師が手入れしておる」
「……ふーん」
園芸に興味があったとは意外だ。
「これで案内は終了じゃ」
温室を出て、妖駄と未来は城の中央部へと続く長い廊下を歩いていた。
「魔界にはおどろおどろしい草花しかないイメージだったけど、温室の植物はみんな綺麗だったね」
「中には猛毒種もあったがの」
「ええ、先に言ってよ!」
無闇に触らなかったから良かったけれどと、未来が妖駄をなじる。
「あれ、あそこは案内されてないよ?」
廊下の奥の大きな物々しい扉を未来が指差す。
入室にはパスワードを要するようだ。
「あそこは半年前から使われておらん」
「厳重そうな扉だけど、何か大事な物でも保管してたの?」
「オレの光を奪った妖怪を捕らえていたんだ」
答えたのは妖駄ではなかった。
気配なく背後に立っていた黄泉に、その妖力の強さを垣間見る。
「光を奪ったって……」
つまり、蔵馬が黄泉に差し向けた刺客か。
半年前、蔵馬と再会するまで黄泉はその妖怪を捕らえていたというのか。
空室になったのは、殺したからだろうと嫌でも察しがつく。
「未来さんが今考えていることを当てようか。やはり蔵馬のことを恨んでいるのだろうか……違うか?」
図星を突かれた未来が押し黙る。
「断っておくが、オレは蔵馬を恨んでいない。奴の力を欲し人間界から呼び寄せたが、復讐心は一切ない」
未来との偽装結婚も己に利点があるから決行したまでだと黄泉は述べる。
「今でこそ慎重派だが、昔のオレは玉砕承知で突っ走る気があった。勢いのまま思いつきで行動していた。……まるで未来さんのように」
薄く笑う黄泉に名指しされ、ぞくりとした寒気が未来の背を伝う。
“その愚直さ、必ず躓く時がくる”
予言めいた黄泉の台詞は、まさに今を言い当てているのではないか。
単独行動により蔵馬に散々迷惑をかけ、呆れられ……嫌われてしまったであろう今を。
「蔵馬に切られて当然だ」
目の前の女に昔の己を重ね、黄泉が言い放つ。
「未来さんも気をつけた方がいい。といっても、後の祭りか。昨日は面白いものをみせてもらった。あの様に蔵馬が感情を露わにするとは珍しいな」
昨日蔵馬と未来を残し立ち去った後も、黄泉は二人の会話に聞き耳をたてていたらしい。
不躾な助言に、未来の身体が強張る。
しかし、黄泉が次に気づいた時には既に彼女の心音は落ち着きを払っていた。
「忠告ありがとう。これ以上蔵馬の足を引っ張らないよう本当にしっかりしなきゃ」
反発も憂いもしない未来に、予定したシナリオとのズレを黄泉は感じる。
「余裕だね。奴の本質を知っていればそんな悠長に構えていられないだろうが」
蔵馬には未来に見せていない一面がある。
過去の蔵馬を知る黄泉が、そう匂わせて未来の動揺を誘った。
「蔵馬が一体どうやって君を手懐けたのか興味があるよ」
「私は蔵馬に脅迫されてもないし、契約を結んでもいない」
「……皮肉のつもりかな」
自分の意思で蔵馬の味方をしているのだと主張する未来の姿は、初めて黄泉の癪に触った。
「黄泉様に皮肉とは許さんぞ!」
(余裕なんてないよ)
すっかり形骸化した妖駄の小言を聞き流し、未来が胸の内で呟く。
繰り返すと言っていた蔵馬の真意はわからないけれど……
蔵馬はどんなに呆れたとしても、仲間を見限れるような人じゃない。
敵にも情けをかけて足を掬われるくらい、不器用なくらい優しい人なんだと、未来は痛いほど知っている。
だからこそ、そんな蔵馬の足を引っ張り傷つけるようなことをもう二度としたくない。
絶対にしてはならないと強く誓った未来に、余裕なんて微塵もなかった。
けれどそれを一度彼に裏切られた経験のある黄泉に告げるのは酷なように感じて、伝えるのは憚れたのだった。
「ところで鯱のことなんだけど」
「ああ、昨日は修羅場だったな」
鯱の脅迫を黄泉も把握済みらしいが、まるで他人事だ。
「やはりバカの行動は予測がつかん。奴の蔵馬への憎悪の深さをオレはみくびっていたようだ」
未来を王妃にすれば蔵馬への嫌がらせは自分が実行するので鯱も気が済むだろうと黄泉は考えていた。
ところがそれで大人しくしているような鯱ではなかったのだ。
「そんな、黄泉さんが鯱も満足するだろうって言ってたから私はー!」
黄泉を責めようと開いた口を、途中で未来がつぐむ。
「おや、何か文句があるんじゃないのか」
「……ううん、やめた」
偽装結婚を提案したのは黄泉だが、その誘いにのると選んだのは他でもない自分だ。
鯱の暴走を予想できなかったのは己のミスだと、甘んじて未来は受け止めることにする。
他人のせいにするのは楽だが見苦しい。
昨日で散々自分のことが嫌いになったけれど……
次に蔵馬と会う時は、これ以上恥ずかしくない自分でいたい。
文句を言ったって現状は変わらない。
蔵馬の家族を守るため偽の王妃をやり遂げると決めたのだと、今一度未来は腹を括った。
「では素直な未来さんに免じて一つ報告だが、鯱は蔵馬の偵察のため手下の使い魔を人間界まで派遣したようだ。しばらく蔵馬との接触は控えた方が無難だな」
「っ……昨日見送りの使い魔が蔵馬に張り付いてたから嫌な予感はしたけど、やっぱり……」
蔵馬への当てつけのため未来と強引に結婚しようとしたり、空を寄生させたりと蛮行を重ねてきた鯱。
鯱ならやりかねないと思っていたが、人間界まで魔の手を送るとは。
この分だと電話も盗聴しそうだ。
どうしても蔵馬と未来の交流を断ちたいらしい。
このままずっと蔵馬と会えなくなったらどうしようと絶望的な気持ちになる未来。
蔵馬の方は、未来の顔なんて見たくもないと思っていて痛くも痒くもないかもしれないけど。
そう考えて、未来の胸がまたズキズキ痛む。
「黄泉さん、鯱にやめるよう命令してよ。四六時中見張られてるなんてすごいストレスのはずだよ」
「御主、それが黄泉様へ頼み事をする態度か!?」
「他でもない妻の頼みなら叶えてやりたいところだが、しかし……」
「ふざけないでさあ!」
「これ、口を慎め!」
「鯱の件はまもなく蔵馬が自力で片をつける。オレがわざわざ手を出すまでもない」
真面目に返事してと立腹する未来だったが、黄泉の言葉に目から鱗が落ちる。
「蔵馬がそう言ったの?」
「いや。だがいつまでも鯱の好きにさせておく奴ではないだろう」
気持ちいい程ハッキリと黄泉は断言する。
「未来さんが気に病むことではない。じきに蔵馬が解決する」
(黄泉って、ほんとうに……)
誰より蔵馬の実力へ厚い信頼を置いていた飛影を、こんな時に思い出した。
黄泉とは似ても似つかない人物のはずなのに。
「そうだよね……私も蔵馬を信じる」
未来の声色に、黄泉が耳を疑う。
なんと言葉で表現すればいいのだろう。
黄泉が今まで聞いてきた未来のそれとは全く違う。
耳にするだけで蔵馬を想っていると分かる……穏やかで優しい声だった。
今まで黄泉は視力を失い不便を感じたことはない。
代わりに研ぎ澄まされた聴覚により相手の顔を見ずとも声色や心音から感情は読み取れるし、コミニュケーションに不自由はなかった。
今、未来はどんな顔をしていたのだろうか。
初めて自分にそんな感情を抱かせた未来と、蔵馬という男に黄泉はますます興味を募らせるのだった。