Ⅴ 蔵馬ルート
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
✴︎92✴︎King & Queen
時折雷鳴の光る暗く赤い空。
お世辞にも綺麗とは言えない景色なのに、どこか懐かしいと感じるのは未来に流れる闇撫の血のせいか。
はるか空へとそびえ立つ大きな御殿を見上げれば、忘れようとしていた緊張感が呼び覚まされる。
前回来た時は蔵馬が隣にいたが、今回は己のみ。
一人で黄泉と立ち会う不安にすくむ足を震い立たせ、御殿の敷地内へ未来は侵入した。
「や、闇撫の娘!?」
いるはずのない人物の登場に、ちょうど玄関前を箒ではいていた妖駄は驚愕する。
「ほう」
「よ、黄泉様!」
今度はいつの間にか背後に立っていた主人に驚いて、妖駄が声を上げる。
「未来さんの妖気を感じ、まさかと思って来てみたが……素晴らしい。ここにいるということは、既に闇撫の能力を磨いたということか」
「はい」
満足そうに口角を上げた黄泉が問えば、静かに未来が頷く。
「蔵馬は一緒じゃないのか?」
「はい。私だけです」
蔵馬を伴わない来訪に、意外だという風に黄泉は両眉を上げる。
「蔵馬が一人で未来さんを来させるとはな。まあいい、中へ案内しよう。妖駄、給仕を」
「承知しました」
積もる話はゆっくり中でと、黄泉は未来を御殿へ招き入れた。
「期限より九日も早くワープ能力を身につけるとは。やはりオレの目に狂いはなかった。未来さんは類稀なる才能を持った闇撫だ」
前回来訪時と同じ客間の和室へ未来は通され、机を挟んで黄泉と向かいあった。
「しかも未来さん自ら報告に出向いてくれるとは。嬉しいよ。オレは優秀な部下を持った」
耳障りの良い言葉を並べながら、黄泉は妖駄が給仕した茶と菓子に口をつける。
「実は、今日は報告のためだけに来たんじゃないんです。どうしても訊きたいことがあって」
勝手に部下扱いされている点はこの際言及せず、真剣な面持ちで未来が切り出す。
「三週間前に伺った後から、不思議な症状に私は悩まされてるんです」
「不思議な症状?」
「単刀直入に聞きます。私の身体を誰かに乗っ取らせましたか!?」
鬼気迫る表情の未来からの、思いもよらない詰問に黄泉は面食らう。
「そうなら早く抜き取って下さい。寄生される経験なんて仙水の魂で十分です!もう懲りごりなんです!」
「何をワケがわからぬことを……黄泉様、こんな戯言に付き合う必要はありません」
傍で控えていた妖駄が進言するが、黄泉は沈黙し考え込むように口元に手を当て未来と対面している。
探るような視線を向けられていると、未来は感じる。
黄泉の両瞼は確かに閉じられているというのに。
「空か?」
「カラ……?」
黄泉が口にした聞き慣れない単語に、首を傾げる未来。
「空。いるなら出てくるんだ」
空のように小さな妖気を探ることは、黄泉含め多くの妖怪が不慣れだ。
いつも相手にするのは大きな妖気の持ち主。
小さな雑魚妖怪など眼中にない。気に留める必要もなかった。
視界に入れない生き方をしてきたが故、未来の発言を聞くまで彼女に宿る空の存在に黄泉は気づかなかった。
「分からないか?これは国王命令だ」
二度目の命に、ようやく空は観念した。
「うっ……」
突然、体内を虫が這い回るようなひどい不快感が未来を襲った。
ケホッと咳き込んだ拍子に己の口から出てきたモノに、未来の顔から血の気が引いていく。
「さすが黄泉様。よくお気づきで」
うごうごと形を変える枯れ木のような妖怪が、姿を現したからだ。
「妖駄。鯱を連れてこい」
「はっ」
空の直属の上司である鯱を呼ぶよう黄泉に命じられ、妖駄が退室する。
(な、何こいつ……!)
確証は持てず癌陀羅まで来たが、まさか本当に寄生されていたとは。
しかも目の前にいる空は、未来が今まで見てきた妖怪の中でも上位に入る気味の悪い容姿をしていた。
(こんなのと一ヶ月近く共生してたの!?お風呂とかも!?)
悪夢のような現実に、吐き気が込み上げてくる。
「カカカ、ショックで二の句も継げねェって感じだな」
「空。鯱の命令か」
「へ」
真っ青な未来の顔を見てヘラヘラ笑っていた空。
しかし、地を這うように低い声で黄泉に問われ言葉に詰まる。
「は、はい、鯱様の命令で……空気清浄機に紛れてこの女の身体に入りました」
表情のない黄泉の無言が恐ろしい。
察しの悪い空でも気づき始めていた。
己の行動が、最も敬うべき主人の機嫌を損ねてしまったことに。
「黄泉様。鯱殿を連れて参りました」
空がしどろもどろになっていると、魚鱗に体表を覆われた大柄な妖怪と共に妖駄が戻ってきた。
「闇撫の娘……!?」
鯱という名前らしいその妖怪は未来の姿を目に留めると、みるみる両の口角を上げていく。
「黄泉様、この前の件を考えてくださったのですか?」
「癌陀羅での安全は保障する。これが未来さんとの取引の条件だと、お前たちも知っていたはずだ」
鯱の質問は無視し、淡々と抑揚のない声色で黄泉が続ける。
「未来さんの身体にとり憑くなど、約束の反故と捉えられかねない行為。オレの顔に泥を塗るつもりか」
「も、申し訳…!」
「空!闇撫の娘にそんな不埒な真似をしていたのか!」
項を垂れた空だったが、大声で鯱から叱責され、弾けたように顔を上げる。
「な…!?命令したのはアンタだろう!?蔵馬への嫌がらせにって!」
「全く呆れる……この期に及んで主君のせいにするとは。お前のような家臣を持ったことを恥じるわ」
「違う!アンタの命令でやったことだ!」
未来への寄生行為に黄泉が立腹したことも、今の鯱の態度も空には予想外だった。
罪を一人で被ってはたまらないと空が反論するが、鯱は全く聞く耳を持たない。
「黄泉様。全ては空の独断で行ったこと。しかし、奴の上司として我も責任をとりましょう」
「ほう」
空登場以降初めて黄泉が薄く笑い、鯱の発言を待つ。
「黄泉様への忠誠心を示すため、闇撫の娘への贖罪のためにも、この手で空の命を絶ちます」
「なっ……」
無情な死刑宣告に、空は開いた口が塞がらない。
「鯱のダンナ!そりゃねェぜ!」
「長年連れ添った部下を殺めるのは我が身も切れる思いですが、これも己が受けるべき報いでしょう」
心苦しそうに悲痛に眉を歪ませて鯱が述べるが、空には胡散臭い演技にしか見えなかった。
「だ、誰か!助けっ…!」
部屋の外へ逃れようとした空の身体を、容易く鯱が片手で掴む。
「ぎゃああああ……」
鯱が片手にほんの少し力を入れれば、絶叫と共に空の身体は跡形もなく雲散霧消していった。
「闇撫の娘」
「ひっ」
急に鯱に近寄られ、未来が肩を跳ね上げ座ったまま後ずさる。
空が殺される光景を、呆然としてただ眺めているしかなかった未来。
部下をあっさり処刑した、冷たい鯱の瞳が恐ろしかった。
「そう怯えるな。闇撫の娘の……あ~……えーと」
「未来じゃ」
「そう、未来さん」
ボソッと妖駄が呟き、そうだったと鯱が頷く。
「空の無礼、深く詫びる。この場で切り出すのも何だが……近々、未来さんを我の妻として娶りたい」
鯱が一体何を言っているのか理解できず、未来は思考停止した。
「以前癌陀羅を訪れた未来さんをちらりとお見かけして以来、我の心はかき乱されているのだ。未来さんは我が軍の要人故、黄泉様には既にその旨お伝えしている」
「なんと!」
初耳だった妖駄が些か身を乗り出す。
軍内の艶聞は老後の楽しみの一つらしい。
「じきに未来さんを新居へ迎えよう。喜ぶがいい、完成は間近だ」
何言ってんだこの人。
そんな心境の未来だったが、怒涛の展開の連続に疲弊した彼女に言い返す気力は残っていなかった。
「黄泉様。失礼しました。婚姻の件、宜しくお願いします」
黄泉へ深々と御辞儀をすると、鯱は部屋を後にしたのだった。
「は~、鯱め、あのように熱い想いを秘めていたとは。御主もなかなかやるのう」
「な…ななな……」
完全に他人事で楽しんでいる妖駄の横で、唖然としていた未来がワナワナと震え出す。
「何言ってんのあの人!?頭おかしいんじゃない!?」
「その言い草はなんじゃ!悲しいかな鯱殿はあれでも我が軍のNo.2ぞ!」
未来を叱りつつ、自分も大概酷い言い方を鯱にしている妖駄である。
「婚姻て何!?黄泉さんは知ってたの!?」
「これ!様をつけろて」
「オレも君との披露宴の祝辞を頼まれた時は鯱の趣味を疑ったよ」
「披露宴!?あいつ勝手にそこまで企画してたの!?」
「まあ、蔵馬への嫌がらせだろうと考えれば腑に落ちたが」
「蔵馬への嫌がらせ!?なんの恨みがあるっていうのさ!」
鯱への怒りに燃える未来は、黄泉の失礼発言に気づく様子はない。
「ていうか私の名前も覚えてなかったのに、一目惚れしたなんて信じられないんだけど!」
「ああ、空の独断だという台詞も嘘だろうな」
さらりと述べた黄泉に、未来が眉をひそめる。
「気づいてて、止めずに殺させたの……?」
「オレに次ぐ妖力を持つ鯱を罰し戦闘意欲を欠かれると軍の痛手だ。不要な猜疑心も生みたくはない」
鯱を越える人材が現れたら別だが。
心の中で付け加え、近いうち訪れるだろうその日の予感に黄泉がほくそ笑む。
「あいつを好き勝手させて被る煩労はあるが、奴を扱いやすくなる利の方が幾分上回る」
「鯱のことよく見てるんだね。機嫌損ねた方が面倒臭いから放置してるの?だからって……」
「空に同情しているのか?奴のことは未来さんも恨んでいるだろうに」
「同情っていうか……元凶の鯱がお咎めなしなのが気に食わない」
「悪いが理解してくれ。先に説明した通りだ」
黄泉に諭され、いまだ納得いかない未来だったが押し黙る。
「もう我慢ならん!黙って聞いておれば、黄泉様に何て口の利き方じゃ!」
「妖駄、下がれ。茶をもう一杯頼む」
「承知しました」
タメ口の未来に怒り心頭の妖駄だったが、黄泉に命じられすごすごと引き下がる。
「空の件も申し訳ない。癌陀羅での安全は保障すると言ったのに、見抜けなかったオレのミスだ」
潔い黄泉の謝罪に、未来は目を見張る。
「さっきも思ったけど……空のこと、黄泉さんがそんなに怒るとは思ってなかった」
むしろ黄泉の命令で自分は何者かにとり憑かれたのだと考えていたから、未来は余計意外だった。
「取引の条件は守り、成果に見合う報酬は与える。でないと支持者はいなくなってしまうからな」
「蔵馬や私を脅迫はするのに?」
「強引な方法をとらせたのは君たちだろう」
素直に従わない蔵馬と未来の態度が、己に苦肉の策をとらせたのだと黄泉は主張する。
「それに前も言ったが、オレは蔵馬の家族に実際に手を下すことになるとは微塵も思っていない。奴は必ず期待以上の武功をあげる男だ」
「えらい信頼だね。信頼って言い方も変な気するけど……。部下とも信頼関係を築こうとはしてるんだ、一応」
抑圧した政治を行っている人物に違いないと黄泉を評していたが、そういう面ばかりでもないらしいと未来は知る。
黄泉は約束を守ろうと努力しており、家臣へ相応の恩賞を与えているようだ。
そこに情なんてモノは皆無で、より意のままに部下を動かし国を発展させるために過ぎないのだろうが。
恐怖政治では敵国へ民は逃げ、優秀な家臣は引き抜かれ、癌陀羅のような大国は統治できないだろう。
妖駄のあの忠誠心も、今の話を聞けば頷ける。
「黄泉様の魔界掌握の踏み台とはいえ、表向きは家臣を大事にしているテイをとらんとな」
己が主君の最大の理解者だとばかりに、妖駄が黄泉に二杯目の茶を差し出しながらドヤ顔で述べる。
「じゃあ今回の件のお詫びもしてくれるの?」
「ほう。何が望みだ?」
「今回のことは水に流す代わりに、もう蔵馬の家族を人質にしないでほしい」
高価な物を強請られるとばかり考えていた黄泉は、意表を突かれた。
「あと、スパイ任務もやりたくない」
「はー!!こやつ一つならず二つもせびるとはなんたる図々しさ!!信じられん!」
目に余る未来の言動に、妖駄はカンカンだ。
「なかなか可笑しなことを言うな」
対する黄泉に怒る気配はなく、愉快げに笑みを浮かべている。
「スパイ任務を遂行してもらえなければ、軍にとっての未来さんの価値は無に等しくなるが」
あろうことか国王に強気な取引を持ちかけ、しかも己の立場が悪くなるような望みを口にする未来は黄泉の理解の範疇を越えていた。
以前も思ったが肝が据わっているのか。
それとも、ただのバカか。
未来という人物を、黄泉はまだ計りかねている。
「私はやっぱり幽助と飛影を裏切って騙すようなことしたくないから」
「そんな理由でせっかくの地位を手放すのか?要人として扱ってやっているというのに」
また妖狐蔵馬とは相容れない馬鹿げた台詞を繰り返す未来に、やや苛立ちがわき上がる黄泉。
先ほど自分が空や鯱へ怒った労はどうなると黄泉は言いたかったが、低く語勢を強めてもなお一定でぶれることない未来の心音に、彼女の意思を感じ取る。
「強情のようだな。そうだな……うん……」
黄泉はしばらく考え込むようにし、両者無言の時間が流れる。
「うん……いいだろう。スパイ任務の件、なかったことにしよう」
「ほ、本当!?」
ダメ元で頼んでいた未来は、黄泉の返答に顔を輝かせた。
「よ、黄泉様!いいのですか!?」
「ああ。抑止力として未来さんを使う方が得策だろうと考えたんだ」
言うなれば、黄泉は未来を捨て駒として使うのが惜しくなったのである。
「諜報員として潜り込ませ正体がバレたら、未来さん程の闇撫が敵の手に堕ちる危険に晒される」
わりと無謀な期日を設けたつもりだったが、こんなにも早く闇撫の技を極めた未来の才能を黄泉は買っていた。
「なるほど。せっかく育てた使い手が敵国へ渡り戦力にされては元も子もないですな」
「ああ。我が国には優秀な闇撫がいると、逆に隠さず吹聴した方が良い牽制になるだろう」
「うむ!」
妖駄も納得し、さすが黄泉様は聡明だと主君を崇め讃える。
「だが、蔵馬の家族の件は駄目だ。未来さんの要求をのめない。あいつはああでもしないと素直に従ってくれないからな」
「そんな!」
これからも蔵馬の家族を人質にとると宣う黄泉に、未来は憤った。
「よっぽどのことを昔したから、素直に協力してもらえないんじゃない?」
その台詞に、茶飲みを口元へ持ち上げていた黄泉の手が止まる。
「ぬあっ!今の無礼な発言は聞き捨てならんぞ!」
「だって……!」
「……よっぽどのことをしたのは蔵馬の方なんだがな」
未来と妖駄の喧騒に、黄泉の呟きはかき消された。
「ところで未来。御主、鯱殿の件はいいのか?」
妖駄に問われ、問題はまだ残っていたと未来は思い至る。
「そ、そうだった!断ってこなきゃ!あいつのところへ案内してもらえる?」
「やめておけ。襲ってくださいと言っておるようなものじゃと、御主のような生娘じゃ分からぬか。既成事実を作られてはたまらぬじゃろ」
「既成事実?」
「魔界では男の部屋へ自ら赴くなど誘いと捉えられても仕方のない行為。同意でないと主張したとて誰も守ってはくれぬ」
面白がっている節はあるが、懇切丁寧に説明し助言してくれる妖駄である。
「それ以前にあやつ、御主が何も言わなかったことで婚姻を快諾されたと都合よく解釈しておるはずじゃ。それを大義名分に奴の方から襲ってくるかもしれんぞ」
「じゃ、じゃあどうすれば……」
一難去ってまた一難。
とんでもない奴に目をつけられてしまったと、未来は泣きたくなった。
(ていうか、空に身体を乗っ取られたままじゃ本当に危険だったんだな……)
容易く既成事実とやらを作られてしまっていたかもしれないと、未来は身震いする。
「ちょっと黄泉さん!癌陀羅での安全は保障してくれるんでしょう?何とかしてよ!」
「こら、口の利き方を慎まんか!というか御主、さっきから黄泉様への敬語を忘れておるぞ!」
未来が泣きつき妖駄が怒る光景を、クククと笑って黄泉は眺める。
「同意の上と鯱に押し切られては、オレも諌められんな。まあ、一つ策は思いついたが」
「策……!?」
期待を込めた眼差しで黄泉を見つめる未来だったが。
「未来さんが癌陀羅国王妃になればいい」
なんて台詞を、飄々と黄泉は吐いたのだった。
癌陀羅国王妃。
つまり、黄泉の妻になるということだ。
「それ、何の解決にもなってない気がするけど!」
「結婚するフリだけだ。実際に婚姻関係は結ばない。未来さんには指一本触れないよ」
相手が変わっただけではないかと未来が吠えれば、黄泉が偽装結婚を持ちかける。
「未来さんという闇撫の存在を自然に違和感なく他国へアピールする手立てはないかと先程から考えていたんだが……女王として君臨させ大々的に公表しよう。自由自在に次元間を移動できるという噂と共にな」
せっかく宝華の闇撫を手にしていても、敵にその存在を知らしめなければ意味がない。
未来を抑止力として最大限利用すべく、黄泉が考えた策がこれだった。
「オレの妻になれば鯱は未来さんに手が出せなくなる。蔵馬への嫌がらせはオレが実行する形になるし、鯱も満足するだろう」
黄泉と未来、お互いの利害が一致したウィンウィンの提案というわけだ。
「嫌がらせ……」
蔵馬は嫌がるだろうか。
未来が黄泉と偽の夫婦になれば。
勘違い女という死々若丸の言葉が、未来の頭をリフレインする。
「でも……自意識過剰かもしれないけど、私やっぱり蔵馬が嫌がるかもしれないことは……」
「そうだ、この要件をのめばオレは今後一切家族を使い蔵馬を脅迫しないと誓おう」
出来ないと言いかけた未来だったが、思わぬ黄泉の台詞に息をのむ。
「本当に……?」
「ああ。オレは取引の条件は守るよ」
未来が訊ねれば、勿論だと黄泉が頷いた。
未来を王妃にすることは、彼女を人質にすることと同義だと黄泉はほくそ笑む。
「本当だね!妖駄さんも聞いたね!?もう絶対蔵馬の家族を人質にとらないって!」
「聞いた聞いた」
証人になってもらおうと話しかけてきた未来へ、面倒臭そうに妖駄が返事する。
「御主、もう黄泉様を敬う気はないな。そもそもそんな格好で来るし……」
ツッコミ疲れている妖駄が、ジャージの未来をジト目で睨んだ。
「あっ!そういえばいつのまにかタメ口になってたね。空と鯱のことで動転してうっかり……」
「今頃か!?ワシが何回指摘したと思うておる!?はあ……」
今更になってハッとする未来に、妖駄は脱力し怒る気も削がれている。
「妖駄、構わん。未来さんは表向き妻として振る舞うのだから砕けた言葉遣いの方が周りに怪しまれんだろう」
「あの、この結婚が嘘だってこと蔵馬と同居の七人には話していい?」
「蔵馬が育てている六人と指導者だな。分かった。その七人、オレ、未来さん、妖駄、蔵馬だけの機密事項にしよう」
「はっ。この妖駄、口は固いと自負しております」
「何年お前を秘書として遣えさせている。そんなことは疾うに承知だ」
「黄泉様……!」
黄泉からの厚い信頼に、ジーンと妖駄は感動している。
「代わりにオレも一つ条件をつけたい。もうすぐオレの遺伝子から作った息子が生まれるんだが、他の部下数人と一緒に未来さんにも世話を頼みたい」
「赤ちゃんのお世話!?」
嬉しい反面、責任重大だと未来は身構える。
「いいけど、お母さんにはなれないよ?」
「勿論。では未来さん、交渉成立だ」
右手を差し出した黄泉に、ためらいがちに未来も手を重ねる。
「約束は守ってね」
ちゃんと温かいんだ。
大きな手にそんな感想を抱きながら、未来は黄泉と握手を交わしたのだった。
「さて、早速公表するか。鯱にも上手く言っておかんとな」
「待って!」
退室しようとした黄泉を、未来が呼び止める。
「私もう一つ、確かめたいことがあってここへ来たの。私みたいに、蔵馬は何かされてない!?」
「我が軍に鯱以上の馬鹿はおらんし、いたとしても蔵馬はそんな奴の罠に溺れるような馬鹿ではない」
散々な言われようの鯱である。
「それと未来さん。一つ忠告しておくが」
未来へ向き直り、黄泉は先日や今日の彼女の言動を反芻する。
黄泉から見た未来の性格は良く言えば勇猛果敢、猪突猛進。
悪く言えば軽慮浅謀 、螳螂之斧‥‥。
血気盛んで暴虎馮河の勇であった昔の自分と、どこかダブるところがあった。
「その愚直さ、必ず躓く時がくる」
だから、こんな予言紛いの台詞を告げてしまったのかもしれない。
***
やけに寒い一月の昼下がりだった。
暖房をきかせていても、ペンを握る指先はかじかみ冷える。
日曜日の今日、自室で勉強していた蔵馬はふと窓の外へ顔を向ける。
自由気ままに空を鳥が泳ぐ光景は、己を取り巻く戦況とは裏腹にのどかだった。
カレンダーに視線を移した蔵馬は、指折り数えて待ちわびた日は近いと、机の上に置いた拳に力を込める。
(あと九日だ)
ついに二桁を切った。
黄泉からの使い魔が訪れるその日に、全てを解決してみせると蔵馬は決めていた。
幻海から何の音沙汰もないということは闇撫の特訓は順調で、空も悪さをしておらず屋敷は平和なのだろう。
未来を守るという幻海の言葉は、ありがたく頼もしかった。
天才と謳われた女妖怪の子孫でトリップまで成し得た未来だ。
きっと一ヶ月という期限内に闇撫の能力を極められるはずである。
(黄泉は驚くだろう。あの期日、本気で守れると考えて設けたとは思えない)
そうして未来の才能を実感し、満足した黄泉に告げるのだ。
未来ほどの腕前の闇撫を敵地に送り込んで、万一の時に惜しくはないのかと。
(黄泉なら未来のスパイ任務を取り下げる)
黄泉は変わった。
一か八かの賭けのような策を選ぶ大胆さは今の黄泉にはない。
結局未来頼みなのが情けないが、スパイ任務から彼女を守るため考えた蔵馬の策がこれだった。
(六人の特訓は少なくとも年末まで順調だった。この調子でいけば九日以内に達成できるはずだ)
そして未来を空から解放するためには、軍内で鯱以上の地位につかなくてはならない。
六人が妖力値十万を越えた時、その日はくる。
今すぐにでも鯱を殺りたい気持ちは山々だったが、何の実績もない現状では空は蔵馬の命令を聞かないし、謀反の罪に問われてしまう。
六人が妖力値をクリアしたとの幻海からの報告を、今か今かと蔵馬は待っているのだ。
(しかし……未来の用件は何だったんだろう)
今朝電話に出てやれなかったことが、蔵馬の胸を痛める。
電話口に出たところで、空が現れ未来との会話は叶わなかっただろうが。
“お前がこの女に会いに来た時は、必ずオレが出迎えてやるぜ。お前はオレがいる限り一生この女と会えねェってわけだ!”
クリスマスのあの日、仲良くしようぜと笑った後に空はそう言っていた。
未来自身に会えずとも毎日でも彼女の無事を蔵馬は己の目で確認したかったが、そうなると問題になるのが記憶の齟齬だ。
蔵馬は空の存在を気づかせまいと、未来との交流を絶っていた。
戸愚呂兄に寄生された巻原がいい例だ。
乗っ取られていく恐怖を、未来には感じさせたくない。絶対に。
(あと九日待ってくれ)
心の中で未来へ告げる。
申し訳なさ、恋しさに胸が軋んだ。
想い人に会えなくて苦しんでいたのは、蔵馬も同じだった。
(……?……微かな妖気……)
小さな妖気を感じ、思考を中断する。
蔵馬が空を見上げると、幻魔獣のような容姿の使い魔が浮遊していた。
「黄泉からの使者か。何の用だ?」
「これをお渡しに参りました」
窓を開けてやれば、使い魔は蔵馬へ封筒を差し出した。
「婚約記念パーティーの招待状でございます。日時と場所は記載の通りです」
差出人として黄泉と連名で記された名に、蔵馬は言葉を失った。
「この未来というのは……どの未来だ?」
「闇撫のお嬢様の未来様でございます」
やっとのことでそれだけ訊ねたが、同姓同名かという希望も即座に打ち砕かれた。
「それと黄泉様からの伝言で、空は排除し処刑したから安心しろとのことです」
衝撃でまわらない頭で、未来が空から解放されたことを蔵馬はなんとか理解する。
「未来の同意はとっているのか」
「勿論です。本日未来様が癌陀羅を訪問し、ご婚約されたのです」
「今日!?未来が?一人でか?」
「はい」
絶句する蔵馬は唖然として声も出ない。
未来が単身癌陀羅へ行ったことは百歩譲って目を瞑ろう。
しかし、だからといって何がどうなったら黄泉と婚約だなんて話になるんだ。
「使い魔……今からオレを癌陀羅へ連れて行け」
目眩がする頭を抱えつつ、蔵馬が命じる。
「え?しかし……」
「連れて行け」
「はあ……分かりました」
困惑する使い魔だったが、有無を言わさぬ蔵馬の口調に、首を縦に振るのだった。
***
(蔵馬はどうしてるのかなあ……)
御殿の縁側に腰かけ、物憂げに未来は魔界の赤い空を仰ぐ。
瘴気対策のため洗浄機で肺を洗った後、こうして未来は一人縁側で休んでいた。
ちなみに洗浄機は黄泉が丹念にチェックし、空のような輩が潜んでいないことを確認済みだ。
(蔵馬は空に気づいてたのかな)
黄泉の返答から蔵馬は例えば自分のように何かしらの被害にはあっていないと知り、未来はホッとした。
しかし、ここ三週間の蔵馬の思考は全く謎のままだ。
ぼんやり庭を眺めていると、こちらへ駆けてくる足音と今まさに想っていた人物の妖気を感じ、未来は目を瞬いた。
「未来!」
「蔵馬……!?」
ずっと恋焦がれていた彼の登場に、未来は感極まり立ち上がる。
(よりによって私ジャージ……!)
まさか蔵馬と会えるとは思わず、特訓中に着の身着のまま魔界へ来た自分を未来は呪った。
「蔵馬、どうしてここに!?会いたかっ」
「未来、どういうことだ!?」
未来が言い切る前に、切羽詰まった様子の蔵馬に両肩を掴まれ問われる。
「一体これは何だ!?」
蔵馬が未来の肩から手を離し、先ほど使い魔が寄越した封筒を突き付けた。
「そんなの蔵馬に届いてたんだ!?あ、結婚ならね、嘘だよ!ただ結婚するフリをするってだけで」
蔵馬の気迫に驚き押されつつ、弁解せねばと未来が早口でまくし立てる。
「話せば長くなるからとりあえず端折って言うと、スパイ任務する必要なくなって、しかも聞いて蔵馬!もう蔵馬の家族を人質にはとらないって黄泉さんが約束してくれたの!」
明るく語った未来だが、予想に反して蔵馬の表情は全く晴れていかない。
「あと結婚のフリすることで鯱に手出しされる恐れもなくなるって!なんか私目をつけられてたみたいで」
「未来。今すぐそんな馬鹿げた契約は破棄してこよう」
結婚が偽装だと知りひとまず安堵する。
言いたい事や聞きたい事はまだ山ほどあったが、努めて冷静さを保ち蔵馬は言った。
「鯱から狙われてるならオレが守るよ」
「ダメだよ!」
未来の返答に、蔵馬は耳を疑う。
「結婚のフリをやめたら、蔵馬の家族を脅かさないって約束がなしになる!」
「黄泉が本気で守ると思っているのか?」
黄泉と約束なんてものを交わした気でいる未来に、思わず蔵馬の語尾は強くなる。
「そりゃあ確証はないけど……」
蔵馬の発言は尤もだ。
未来だって、信用の置けない人物だと今まで黄泉を評していた。
けれど、未来の黄泉に対する印象は今日一日で少し変わっていたのだ。
円滑な統治のための手段に過ぎないとはいえ、黄泉は部下と信頼関係を築こうと努めているように見えた。
その部下の中には未来も含まれていた。
きっと、蔵馬も。
「あのさ、蔵馬。黄泉のこと、もう少し信じてみることは出来ないかな?」
恐る恐る訊ねれば、心底驚いたように蔵馬が眉を上げた。
「ごめん、難しいよね。黄泉は平気で人を脅迫するような性格してるもん。きっと蔵馬も仲間だった頃、よっぽどなことされたんだよね……。約束を守らない、裏切る奴だって思うくらい」
未来が接してきた蔵馬はいつだって優しく仲間想いだった。
そんな蔵馬が昔の仲間に非友好的なのは、黄泉との過去によほど悪い思い出があるからなのだろう。
「けど黄泉はもしかしたら、今まで考えていたより信じられる人なんじゃないかと思うんだ」
「オレと違って?」
自嘲的に蔵馬から訊ねられ、未来は絶句する。
未来は蔵馬を心から信用している。
冗談でもそんな台詞を吐かれてショックだった。
「どうしてそんなこと言うの……?そんな風に思うわけないじゃん!」
「よっぽどなことをしたのは、黄泉じゃない」
澄んだ未来の視線が今は痛い。
その瞳から逃れるように目を伏せていた蔵馬が、今度は真っ直ぐ未来を見つめて告げる。
「裏切ったのはオレだよ。もう何百年も前、黄泉を刺客に襲わせたが致命傷は与えられず……奴の視力を奪うに終わった」
淀みなく、蔵馬は続ける。
「オレは黄泉を殺し損ねたと思っている」
ざあっと風が舞い、木々と蔵馬の髪が揺れめく。
明るみになった真相は、三者の関係をまた複雑なものにしていくのだった。