Ⅴ 蔵馬ルート
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
✴︎91✴︎9人いる!
「皆お疲れさま!飲み物冷やしてるよー!」
今日も厳しい特訓にへとへとになった六人が最後の力を振り絞り、幻海邸の縁側まで駆けてくる。
「勝負だべ!」
「うおおおお!」
「負けるかあああ」
「また今日も競争してるんだ」
必死の形相で縁側に雪崩込んできた三人に、吹き出してしまう未来。
「はい、陣が一位ね!」
酎と鈴駒をおさえ、一等で未来の元へゴールしたのは陣だ。
「敗因は…あれか…スタートダッシュの‥遅れか…」
「陣の…動きには…ブレが…なかった…」
ぜーぜーと息も絶え絶え反省会を開いている酎と鈴駒を尻目に、一番に到着した陣へ未来はスポーツドリンクの入った水筒を渡してやる。
穏やかな歩調で向かっていた凍矢、鈴木、死々若丸も遅れて到着した。
「サンキュー!」
一気に飲み干した陣は未来へ目を止めると、じっと顔を近づける。
「陣?」
まじまじと至近距離で見つめられ、しかも陣が珍しく真面目な表情をしているものだから未来は困惑してしまう。
「私の顔に何かついてる…?」
「未来の風の匂い、ちっと前から変だべ」
「変…?」
ますます困惑する未来に、陣が大きく頷く。
「んだ!嫌な匂いがするだ!」
ドストレートな陣の台詞は、ガーーンと大きな岩石となって未来の頭を直撃した。
「陣!」
「このやろ!」
「あだっ」
間髪入れず、酎と鈴駒から陣へ鉄拳がお見舞いされる。
「未来のどこが臭いってんだ!むしろフローラルな良い香りだ!」
「未来はオイラの理想の匂いだよ!臭いなんて女の子にかける言葉じゃないんだからな!」
「あまりにもデリカシーに欠けている!汗臭いのは未来ではなくオレたちだ!」
「陣、あろうことか臭いとは…。今のはお前が悪い。未来に謝れ」
「オレ、臭いとは言ってねえだ!」
少々変態ちっくな発言をする酎と鈴駒、鈴木、凍矢から一斉に責められ、四面楚歌の陣が喚く。
「……貴様ら、あまり臭い臭い言ってやるな」
皆が口を開くたび傷口をえぐられている未来を見兼ね、あの死々若丸がフォローにまわる始末である。
「オレ、未来の風の匂い好きなんだべ。それが最近ちっと変わった気するだ。嫌な風が混じった感じだべ」
「風の匂い~?」
陣以外はちっとも分からない感覚に、意味不明だとクエスチョンマークを浮かべる一同である。
「そんな非科学的な理由で臭いと言いがかりをつけられた未来が可哀想だ!」
「鈴木……フォローしてくれるのはありがたいけど、私一応臭いとは言われてないんだよ」
熱を込めて庇ってくれる鈴木に、おずおずと未来が述べる。
「仮にそう思ったとしても腹の中でこらえておけ、陣。未来、すまないな。陣に全く悪気はないんだ」
「う、うん。大丈夫」
「それに、変な匂いはしないから安心しろ。陣の気のせいだろう」
凍矢の気遣いに安堵し、未来の心は幾分軽くなった。
「武術会の時はだいぶ人間臭かったがな」
「死々若、め!」
死々若丸の意地悪発言を鈴木が窘めるのはお決まりの光景である。
「未来、ごめんな?」
皆から説教された陣が、耳をしょぼんとさせて未来に謝る。
「いいよ、陣!私も良い風の匂いになれるよう意識して頑張ってみるからさ!」
「どうやってだよ!?」
鈴駒がツッコミ、場は笑いに包まれてまた和やかな空気が戻ってくる。
(そう、陣の気のせいだろう……)
いやに動物的勘がはたらく陣の主張も、今回ばかりは思い過ごしだろうと考える凍矢なのだった。
***
その日の夕食後、未来は沈んだ気分で幻海邸の長い廊下を歩いていた。
陣に風の匂いの異変を指摘されたせいではない。
(蔵馬、今日も来なかったな……)
もうずいぶん想い人の顔を見ていないからである。
癌陀羅へ赴いたクリスマス以降、未来は蔵馬と会っていなかった。
“蔵馬、ほんと気に病まないでね。とにかく私、闇撫の修行頑張るよ!”
“未来、ありがとう。また”
そんな会話をして幻海邸を去っていく蔵馬を見送ったのが最後だった気がする。
(蔵馬。またっていつなの?)
せっかくこちらの世界に戻ってきたというのに、年明けの挨拶も蔵馬に出来ていない。
(そろそろ新学期が始まる頃だし、きっと忙しいんだよね!冬休み明けのテストがあるのかもしれないし)
そう結論づけ、未来は前を向こうとする。
(でも……)
蔵馬、喜んでくれてると思ったのに。
クリスマス以降全く連絡をよこさない蔵馬の態度に、未来は人知れず傷ついていた。
感動の再会を果たし、ほんの二週間前まで有頂天になっていたのが嘘のようだ。
(用もないのに会いたいなんて言って来てもらうのは迷惑かな……)
南野家へ電話することも考えたが、まだ彼女という立場ではない宙ぶらりんな蔵馬との関係が未来を足踏みさせていた。
「あ、鈴木」
リビングの戸を引く音が聞こえ、俯きがちに歩いていた未来が顔を上げる。
「ああ未来、今ちょうどリビングでは酎と鈴駒が女子の理想の匂いについてフローラル派VS石けん派で争っているところだぞ」
「へー……そうなんだ」
心底どうでもいい情報を得たと、未来が力なく返事する。
「そろそろ特訓始めるか?」
「うん。お願いしてもいい?」
「ああ。先に稽古場へ向かっていてくれ。オレもすぐ行く!」
「わかった!ありがとう。自主トレして待ってるね」
食事の後は、師匠となってもらった鈴木に修行をつけてもらうのが日課だ。
居候の面々や幻海にも、未来は黄泉から脅されていることを癌陀羅から戻ったその日に伝えていた。
スパルタでお願いしますと鈴木に頼み込み、以降毎日闇撫の修行に励んでいる。
鈴木が陣たちと特訓をしている間も、未来は一日中稽古場にこもり寝る間も惜しんで修行をしていた。
(落ち込んでる場合じゃない!闇撫の能力を磨くために頑張んなきゃ)
なんせ蔵馬の家族の命がかかっている。
期日までに、未来は闇撫の技を磨きワープ能力を身に付けなければならないのだ。
(よし、稽古場行くか!)
しかし、気合いを入れて歩き出した未来の思考に、次第に靄がかかっていく。
頭がふらっとして、気が遠くなる感じに抗えない。
うつらうつらと、未来の意識が夢の中に落ちていく。
(…………あれ?)
次に気づいた時には、未来は先ほどと同じように廊下に立っていた。
(またこれだ。立ちくらみの一種なのかな)
まるで眠りから覚めた直後のように、ぼんやりした頭で未来は考える。
実は、未来がこのような感覚に陥るのは一度や二度ではなかった。
初めて感じたのは、たしか癌陀羅から帰ってきた直後だ。
奇妙な体験に首を捻りつつ、稽古場に到着した未来が戸を開けると既に鈴木の姿があった。
「鈴木もう着いてたんだ。ごめんね、お待たせ」
「いやそんなに待ってないさ!」
先に着いて自主トレしていると言った手前、未来が謝ると鈴木が首を横に振る。
そして未来の唇の端についているモノに気づき、ふっと鈴木は口角を上げた。
「デザート食べてて遅れたんだな。ついてるぞ」
「え?」
身に覚えのない鈴木の指摘に、未来が手で口元を拭った。
(これってチョコレートだよね?食べてないのにどうして?)
混乱する未来は、怪訝な顔つきで手元を見つめていた。
「鈴木。私、本当にチョコを食べた記憶がないの」
「はは、未来、疲れすぎて無心で食べてたんじゃないか?」
神妙な面持ちで主張した未来だが、鈴木は冗談半分に聞いているらしく笑っている。
「それに最近私ね、突然頭がぼーっとして気が遠くなる感じがするんだ」
しばしば起こる不思議な感覚について未来が相談すれば、途端に鈴木は真面目な表情になる。
「立ちくらみか?やっぱりひどく疲れてるんだろう、未来。闇撫の特訓、とても頑張っているからな……。今日くらい休んでもいいんだぞ?」
「ううん、やるよ。蔵馬の家族の命がかかってるもん」
鈴木の気遣いはありがたいが、未来は三人分の命を背負っている身なのだ。
「あまり思い詰めて倒れないようにな?未来なら期日までに闇撫の能力を極められる。あともう一息だ!焦る必要はない」
「うん、ありがとう」
未来の目覚ましい成長を師匠として一番知っている鈴木が励ました。
(闇撫の能力って、知らず知らずのうちにそんなに身体を酷使してるのかなあ)
本当にこの現象は疲労のせいなのかと、半信半疑の未来である。
(初めて立ちくらみっぽくなったのは癌陀羅から帰ってきた時で、まだ闇撫の修行を始めてなかったのに)
二度目のトリップの疲労が出たのか?と未来は考えるが、とにかく修行を辞めるわけにはいかない。
「さ、修行始めよっか」
「ああ……未来、本当に大丈夫か?」
「うん!大丈夫!」
「わかった。だがあんまり根詰めすぎるなよ。家族が人質となっているとはいえ、蔵馬も未来に身体を壊してほしくないはずだ」
未来の体調を慮り、無理をしないようにと鈴木が念押しする。
「蔵馬……」
鈴木が口にした名前に、未来の胸が締めつけられる。
「蔵馬、最近うちに来ないよね」
ポツリとこぼした未来。
寂しい、恋しいという思いが滲み出た言い方だった。
「たしかに今年に入ってからはまだ来てないな。だが今までも大体二週間に一度のペースでオレたちの様子を見に来ていたから、そろそろ来る頃じゃないか?」
「うん……だといいな」
なんなら明日来るかもな!との鈴木の台詞に、やっと少し笑えた未来が頷く。
蔵馬の家族が人質となってしまった中、両想いの気配に浮かれたり、交際を始めて楽しんだりしているような状況でないことは理解している。
また、未来は蔵馬の前で泣き言は言わないと決めていた。
これ以上蔵馬に自分を責めてほしくない。
けれど。
背負うものの大きさ、プレッシャー。
幽助と飛影を裏切る罪悪感。
漠然とした不安。
きっとお互いが抱えているであろう感情を、未来は蔵馬と共有したかった。
言葉に出さなくたっていい。
ただ隣にいてくれるだけで。
安心できて、それはきっと強さに変わるから。
(私、ずっと蔵馬に守られてきたんだな……)
身体だけじゃない。心もだ。
蔵馬がそばにいない今、未来は痛感していた。
こんなに心細く弱気になっているのは、蔵馬が近くにいないせいだ。
暗黒武術会の決勝戦前、蔵馬が嗅がせてくれた薔薇の匂いを思い出す。
黒桃太郎たちと再対面した裏御伽戦前に手を握ってくれたことも。
蔵馬はいつも安心をくれた。
隣に蔵馬がいてくれて、未来がどんなに心救われたか。
(蔵馬。会いたいよ)
整った蔵馬の顔。
優しい眼差し。
蔵馬はこの場にいないのに、彼を思い描くだけで未来の胸は高鳴る。
いま、無性に未来は蔵馬に抱きしめてほしかった。
けれど次の日も、その次の日も蔵馬が未来の前に現れることはなかったのだった。
***
そして、風の匂い騒動から一週間あまりが経った朝。
「そうそう、円を描くように集中して……すごい!すごいぞ未来!」
朝練中の稽古場に、感動する鈴木の声が響く。
「すごいぞ!まごうことなき魔界だ!ついに成功させたんだ!」
未来の両手の間に出現した球体を覗けば魔界の赤暗い空が見え、わずかに瘴気の匂いが漏れ出ている。
「でもこんな小さい穴じゃだめだ……っ!」
さらに意識と力を込めれば、穴は未来の手を離れ人が通れるくらいの大きな円に成長した。
「うっ」
限界がきた未来が地面に手と膝をつくと、魔界への穴も消滅する。
「はあ、はあっ……」
「未来、すごいぞ!こんなに短期間で魔界への入り口を作るなんて!」
まるで全力疾走した後のように息切れし汗をかく未来を、鈴木が自分のことのように喜び称賛する。
短期間で未来が闇撫の能力を極められたのは、聖光気を操る技術と似たような感覚でやり易かったためと。
「鈴木の指導のおかげだよ……!」
鈴木という師匠の存在があったために他ならない。
「本当にありがとう……!」
「オレも良い経験をさせてもらったぞ!」
持つべきものは優れた師匠である。
未来が自己流で闇撫の能力を極めようとしても、こんなに上手くはいかなかっただろう。
「もう未来は完全に師匠のオレを追い抜いたな!」
「私……蔵馬に報告してくる!」
これで胸を張って一週間後、黄泉に会える。
蔵馬の家族の命を守れる。
「ああ、それがいい!」
大きく頷いた鈴木に見送られ、稽古場を出た未来は電話台へ駆ける。
霊界特防隊から命を狙われる未来は、自由に一人で外出できず電話で伝えるしかないのだ。
幸い今日は日曜だから、学校が休みの蔵馬はきっと家にいるだろう。
(蔵馬、私やったよ!)
自然と口角が上がっていく。
胸に花が咲かんばかりの心境で未来は走った。
今まで用もないのに連絡することを躊躇していたが、電話する大きな理由ができた。
早く蔵馬に伝えたいと、はやる気持ちで未来は以前教えてもらってメモしていた電話番号へ電話をかける。
『はい、畑中です』
何度目かのコール音の後、電話口に出たのはちょうど声変わり過渡期のような若い声をした少年だった。
(蔵馬の弟さんだな?おんなじ名前だっていう)
母親が再婚し家族が増えたとクリスマスイブ皆で宴会をした際に蔵馬から聞いていた未来が思い至る。
「すみません。私、南野秀一くんの友人の永瀬なんですけど、南野くんいらっしゃいますか?」
『秀兄ですね!すぐ呼んできます!』
秀兄ー!電話ー!と叫ぶ声が漏れ聞こえ、待ちに待った想い人の登場が近づき未来の胸が高鳴る。
(なんかドキドキする……!)
緊張と感激で声が上ずってしまいそうだと未来は思う。
しかし。
『すみません。あの、秀兄ちょうど今出かけていて……』
(え?)
非常に申し訳なさそうにおずおずと述べた少年の言葉に、喜びにあふれていた未来の心は急速に冷えていく。
(さっき蔵馬のこと呼んでたよね?)
蔵馬が在宅しているのは明白だ。
なのに。
「っ……そうですか。わかりました……失礼します」
不在は嘘だろうと蔵馬の弟を問い詰めるわけにもいかず、呆然とした気持ちのまま未来は受話器を置く。
(蔵馬……どうして?)
居留守をつかわれたショックで、未来はしばらく棒立ちになり電話の前から離れられなかった。
***
「はあ……」
その日の昼食中、居候の六人と円卓を囲んだ未来がため息を落とす。
ちなみに幻海は既に食べ終え先ほど席を立ったところだ。
「未来、ため息多くない?魔界への穴開けるの成功したんならもっと喜んでるかと思ってた」
「無理ねえべ。いくら未来が料理頑張ってくれてるとはいえ草の苦味は消えねえだ」
鈴駒が小首を傾げれば、草の味にうんざりしている陣が頷く。
「ごめんごめん。たくさん食べるよ!」
無意識に皆の前でため息をついていたと、ハッとした未来が草入り卵焼きを口の中へかき込む。
「これ食べたら強くなれるんだもんね!?」
食欲など全くといっていいほどなかったが、ごくんと草を飲み込んだ未来。
独特な苦味に後から吐き気が込み上げた。
「その意気だ未来!オレも見習わないとな!」
「そういえば、蔵馬は草を送ってくるばかりで最近顔を見せないな」
あろうことか生の草を口いっぱいに頬張り、案の定むせこんだ鈴木に水の入ったコップを渡してやりながら凍矢が述べた。
凍矢の言う通り、蔵馬は今まで以上に大量の草を定期的に送りつけてはくるがクリスマス以降自身が姿を現すことはなかった。
「あの婆さんに寄越した伝言のせいで年末から特訓はさらに地獄だしな」
連日の幻海の鬼厳しい修行に疲弊し、苛々した口調で死々若丸がぼやく。
幻海によると、よく食べよく動き半年という期限を待たず早急に妖力10万越えを成し遂げろというのが蔵馬の伝言らしい。
おかげで六人と未来は、草の摂取に励むフードファイターさながらの生活をおくる羽目になった。
「家族が人質になってるんだもん。蔵馬も色々考えることがあって、忙しいんだよきっと……」
浮かない顔をしたまま、未来が自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
蔵馬だって大変なんだから。
幻海邸に訪れないのも無理はない。
居留守をつかうのもしょうがない。
………しょうがないのか?
「ねえ。友達から相談された話なんだけどさ、皆の意見が聞きたくて」
悩みを自分の内だけで留めておけなくなって、突拍子もなく未来が切り出す。
「いい感じで両想いじゃない?って人がいたのね。でも急に会いに来なくなって、連絡もくれなくて、こっちからしても返事がないんだ」
「お、未来が恋バナ!?」
「未来には早くて分かんねー話だよな、ウン。オレに任せとけ!」
「オレに上手いアドバイスが出来るだろうか!?だが全力を尽くそう!」
未来の友達の相談に応えてやろうと、曇りなき眼で話を聞く鈴駒、酎、鈴木の面々。
「コイバナって何の花だべ?」
「……カマトトぶるな、陣」
恐ろしいことにマジで言ってる可能性は高いが、一応ツッコんであげる死々若丸。
「……」
そして、さっきの蔵馬の話としか思えなかったが触れずに黙っている凍矢。
「どうしてだと思う‥‥?」
「それは不可思議な話だな」
「信じられないよ!」
「酒の飲み過ぎで記憶喪失か?」
「酎、冴えてるだ!違いねえべ!」
「阿呆か貴様ら。不思議でもなんでもない」
論外の4人へ呆れた視線を投げつつ、理由は明白だと死々若丸が言う。
「貴様が勘違い女だった。それだけのことだろう」
どこか得意気な顔をして、死々若丸は未来にズバリ言い放った。
「死々若!そんな暴言を……!」
「勘違い……」
「そうだ。好意を寄せられていると勘違いし距離を詰めてきた貴様が欝陶しいから避けているだけだろ」
慌てる凍矢と落ち込む未来を気にも留めず、死々若丸は淡々と告げる。
「告白はされたんだけどな、半年前だけど」
「半年前?」
話にもならんという感じで死々若丸から鼻で笑われ、未来の心がポッキリ折れる。
「貴様、半年間ずっと自分が想われていた自信があるとは図々しいにも程があるな。加えて勘違いか。避けられても察せんとは。これだからモテたことのない奴は」
「死々若、活きいきしすぎだぞ!」
「いつになく楽しそうだべ」
未来へ容赦ない台詞を浴びせ続ける死々若丸に、ギャラリーも圧倒されている。
「勘違いか……恥ずかしー……」
死々若丸へ言い返す気力はなく、ぐうの音も出ない未来が項垂れる。
クリスマスイブの蔵馬は自分の願望が作り出した都合の良い幻想だった気さえしてきた。
「未来、友人のためにそこまで胸を痛めて……!」
「ん?コレ未来の友達の話なんだよね?」
鈴木が感激している横で、先ほどからの会話のおかしさに鈴駒は気づき始めていた。
「ごちそうさま……」
残りの草を無理やり飲み込んだ未来は、ふらふらとした足取りで食器を台所へ運びに行く。
「未来もう完食か!」
「オレも急ぐぞ!」
「最後の奴は罰ゲームな!」
「あ」
リビングで草の早食い競争が開催された一方、未来は台所に置かれたゴミに気づく。
(また置いてある。も~)
ポテトチップスの空袋を、げんなりした気分で未来はゴミ箱に捨てた。
「最近お菓子の袋キッチンに置きっ放しにしてる人いるけど、食べたらちゃんとゴミ箱に入れるようにしてね」
「いや…それを食べたのは未来だったと思うが」
皆へお願いした未来だったが、到底嘘をつくとは思えない凍矢の台詞に耳を疑った。
「わ、私!?」
「オレも見たべ」
「オイラも見たよ!」
「今朝一心不乱に食べてたな!」
口々に目撃情報が寄せられ、驚愕する未来である。
(そういえば、今朝も立ちくらみはあった)
チョコを食べたんだろうと鈴木から指摘された際の記憶と今の出来事とが、点と線で繋がっていく。
「し、師範ー!!」
「未来!?」
血相を変えて台所を飛び出していった未来を、丸い目をして皆は見送った。
「師範!大変です!」
ダダダダーッと廊下を走り、自室で寛いでいた幻海の元へ未来は駆け込んだ。
「私、夢遊病みたいなんです!」
切羽詰まった未来の主張に、面倒くさそうに幻海が振り向く。
「なーに馬鹿らしいこと言ってんだい」
「私、知らないうちにお菓子を食べてるみたいなんです!何かを食べた跡があるけど記憶がないのって、夢遊病の症状だって聞いたことがあります!」
かくかくしかじかと未来が最近の奇妙な現象を語るにつれ、幻海の眉間のシワが深まっていく。
「師範の力で治せますか?」
「あたしは医者じゃないよ。そもそも本当に夢遊病なのか疑わしいね」
藁にもすがる思いの未来は涙目で訊ねるが、幻海の応えは否だ。
「だいぶ闇撫の修行で参ってんじゃないのかい?寝る間も惜しんで励んでりゃ、疲れがでるだろう」
「鈴木にも同じことを言われましたけど……本当にこれは疲れからくる症状なんでしょうか?私どうも信じられなくて」
「次元に穴を開けようとするなんて相当な大業だよ。加えて精神的にも追い込まれてる今の状況じゃ仕方ない」
「そうですかね……」
「今日はもう早く休みな」
「はい」
まだ納得できない部分もあったが、幻海に諭され大人しく未来は退室する。
(菓子を勝手に食うぐらいしかしてないようだから泳がしていたが、さすがの未来も勘付き始めたね)
未来が去った後、幻海は蔵馬と最後にした会話を思い起こす。
クリスマス。
癌陀羅から帰還した二人の気配を感じ幻海が表に出れば、蔵馬と未来が対面していた。
「蔵馬、ほんと気に病まないでね。とにかく私、闇撫の修行頑張るよ!」
「未来、ありがとう。また」
手を振って蔵馬と別れた未来が、玄関に立つ幻海に気づく。
「あ、師範!ただいま戻りました!稽古場へ行ってきますね!」
さっそく闇撫の修行を始めようと駆けて行った未来の気に、幻海が眉をひそめる。
「行きと違う妖気を感じるね」
「師範、さすがです」
幻海ほどの熟練者でなければ、気づかないようなわずかな変化だろう。
空はその小さな妖気を巧みに隠し、未来の中に息づいていた。
「けれど、気づいていないフリをしていてください。……未来のためにも」
「黄泉のところで一悶着あったみたいだね」
蔵馬の顔に落とされた影の濃さから、事態の深刻さを幻海が察する。
「ここに居る間はあたしがあの子を守る。悪さしないか見張っているから安心しな」
言葉通り、これまで幻海は未来を見守り空の行動に目を光らせてきたのだ。
(本当に疲れてるからなの……?)
俯いて下を向きながら、とぼとぼ廊下を歩く未来が悶々と考える。
いつもの習慣で、自然と足は稽古場の方へ向かっていた。
立ちくらみの症状。
途絶える意識。
身に覚えのない間食。
全ては癌陀羅を訪れてから起きたという点が、ずっと未来の心に引っかかっていた。
(蔵馬にも相談したくても、電話にさえ出てくれないんじゃどうしようもないよ)
一向に姿を現さない蔵馬。
居留守を使ってまで避けられて。
落ち込まないでいる方が無理な話だった。
今日電話に蔵馬が出てくれなかった事実に、また未来の胸は押し潰され苦しくなる。
「疲れたな……」
我慢していた弱音が、ふいに未来の口からこぼれた。
「誰かいるの?」
己の胸に手を当てて、そっと小声で訊ねる。
それは未来が立てたあらゆる仮説の中で最も嫌なモノだった。
この家に住んでいるのは幻海、陣、凍矢、鈴駒、酎、鈴木、死々若丸、未来の八人だ。
誰の目から見てもそれは明らかだ。
もう一人いるなんて馬鹿げた話、ある訳がない。
(でも)
全ての元凶は癌陀羅を訪れたことにあるような気がしてならない。
蔵馬も自分と同じように、何かを抱えているのかもしれない。
(せっかく蔵馬に会いたくてこっちの世界に戻ってきたのに、こんなのって…)
ずっとこの状況が続くのだろうか。
蔵馬には会えなくて、訳の分からない症状に悩まされる日々がずっと。
(そんなの、絶対嫌だ)
稽古場にたどり着いた時には、もう未来の目線は地面になく前を向いていた。
「鈴木」
「未来、さっそく稽古始めるか?まあオレが教えることはもうないに等しいがな」
「私、今から癌陀羅へ黄泉に会いに行ってくる」
稽古場で待っていた鈴木の顔から笑みが消え、瞬きを繰り返す。
「い、今何と言った!?なぜだ未来!?黄泉の期日にはまだ一週間あるぞ。使い魔を寄越してくるんだろう?」
「確かめたいことがあるんだ。もう待ってられない」
「し、しかし、あまりにも急じゃないか!?魔界への穴を開けるのに今朝成功したばかりだぞ!もっと技を磨いてからの方が」
唐突に魔界行きを宣言した未来に、あたふたする鈴木は開いた口が塞がらない。
「せめて安全を実証してからにしないか!?生命体を未来の穴で転送する実験はまだしてないだろう」
そうだ!と名案が浮かんだとばかりに鈴木が手を打つ。
「死々若たちの誰かに協力してもらおう!皆がこの歴史的実験の被験者になりたいと、こぞって名乗りを上げるぞ!」
ヤメロと皆が聞いていたら顔面蒼白になるであろう鈴木の提案に、未来は首を横に振る。
「ごめん。私、そんなことしてる時間も今は惜しいの」
それに勢いのまま行動しないと、時間が経つにつれ怖れが前に出て黄泉に会いに行けなくなる。
「用が済んだらすぐ戻ってくるから心配しないで!行ってきます!」
「あ!おい未来!」
三週間前に訪れた癌陀羅を頭に思い描き念じながら、ぐっと力を込めて穴を出現させた未来。
鈴木が止める間も無く、未来はそこへ飛び込んだ。
(待ってろ、黄泉!)
決意を胸に、未来は癌陀羅の地に降り立つ。
立ち並ぶ近代的な高層建造物の中で、一際目立つ大きな御殿。
その最上階に鎮座しているであろう国王に謁見すべく、未来は一歩足を踏み出した。