Ⅴ 飛影ルート
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✴︎after story3✴︎W trouble
「ねえ、未来って休みの日は旦那さんと何してるの?」
今にも雨が落ちそうだ。
眩しいくらいさんさんと晴れていた天気は、夕方に一変した。
曇りがかった暗い空を見上げながら考えていると、ふいに友人に訊ねられる。
長い講義が終わり、キャンパスを出た先の並木道を未来は同学部の友人と並んで歩いていた。
入学した際は満開の桜で彩られていた景色も、すっかり青々しくなったものだ。通りは帰宅する学生であふれていて、ゆっくりとした足取りの彼女たちを何人か足早に追い越していく。
「え……」
「どこに出かけることが多いのかなって!」
分かりやすく質問を言い変えた友人が、興味津々のキラキラした瞳で訊ねる。
入学して早々に開催された懇親会で、未来が既婚者だと判明すると周りの学生たちは大きく驚いた。新婚の同級生なんて新鮮で珍しく、しばらく未来は質問攻めにあったものだ。
ちなみに未来のことを可愛いなあと思いアプローチの機会を窺っていた男子学生もちらほらいたのだが、さすがに人妻を狙うわけにはと皆すごすごと引き下がっていた。
魔界に戸籍や婚姻届のシステムはないため、妖怪の夫婦はみな人間界でいう事実婚状態だ。公的な文書がなくとも、本人たちの同意があれば正式な夫婦だという認識が魔界では浸透している。
あのプロポーズを経て共に生活を始めた飛影と未来も同様だ。ずっと一緒にいると、二人は互いに誓い合ったのだから。
「そういえば、全然お出かけなんてしてないかも」
デートらしいデートなんて、最近全くしていないと未来は思い至る。
飛影と一緒に外出するのは、近所の散歩くらいのもので。幽助のラーメン屋に二人で行くことはあるが、それもごくたまだ。
スーパーへの買い出しは家事ロボットのヒロシが行くか、未来が一人で済ませることが多い。
「付き合いたての時はプール行ったりしたんだけどね」
「そっかあ。旦那さん、警備とかSPの仕事してるんだっけ?疲れてるから休日は家でゆっくりしたいのかな?」
「うーん、そういうわけでもないと思うんだけどね」
嘘は言ってない嘘はと、心の中で弁解しつつ未来が答える。
飛影は魔界でパトロールの仕事をしているし、時雨や奇淋と百足を基点として活動しているので軀の用心棒を務めているようなものではないか。まあ、彼らよりはるかに軀の方が強いのだが。
「旦那さんインドアなんだね〜」
自分と同居を始めるまで、家さえ持たず野宿暮らししていた飛影をインドアと評するのはおかしい気がする。かといってアウトドアともまた違う気がして、未来は返答に窮する。
「あ、でも一緒に山に行くことはあるよ!」
「山!?登山好きなんだ!」
「と、登山に限らず、身体動かすの好きな人だからさ」
闇撫の修行に付き合ってもらう際、幻海邸の山に入ることを指し言ったのだが、やはり上手く説明することはできない。
「登山以外で、未来は外でデートしたくならないの?」
「あんまり考えたことなかった……」
友人の問いに、未来は目から鱗が落ちるような気分だった。
未来はただ飛影と一緒にいるだけで幸せだった。一年も彼と逢えなかったことを考えたら、今の状況は夢のようだ。
身体を重ねたことで、深く互いを知り、彼との距離も近づいた気がして。
もっともっと飛影のことが好きになった。
大好きな人と身も心も結ばれることでこんなに嬉しくて幸せな気持ちになれるなんて、今まで誰も教えてくれなかったと初めての夜に未来は思い、内心周囲の人間を詰ったものだ。
未来が飛影だけしか知らないように、飛影のことを知っているのも未来だけで。
一生懸命自分を求めてくれる姿。熱い瞳も、温もりも。飛影の指が唇が、どんなふうに愛しい人に触れるのか。
全てこの世界でただ一人、自分しか知らない特権なのだと思うと未来は身がすくむ程の言いようのない喜びに満たされた。
当たり前のように飛影が自分の元へ帰ってきてくれることが、本当に幸せで……噛み締めるように日々を過ごしていたから、デートしたいという発想に今まで至らなかったと未来は振り返る。
「でも、今度たまには一緒に出かけたいって言ってみようかな!」
「うん、旦那さんも未来が頼んだらきっとデート連れてってくれるよ!」
力強く述べた友人へ、未来も微笑んで頷いた。
「あれ、未来の携帯じゃない?」
「あ、ほんとだ」
そんな折、未来の通学用のトートバッグの中から電子音が聞こえてきた。大学生になったのを機に購入した携帯電話だ。
「噂をすれば旦那さんから?」
取り出した電話のディスプレイ画面に表示された珍しい名前に、目を瞬かせた未来の小脇をニヤつく友人が小突く。
「ううん」
「えー、じゃあ浮気?」
「いやいや違うよ!」
ちょっと揶揄ってみただけの友人は、手を横に振って否定する未来へ、わかってるよという風にふふっと笑う。
「早く出てあげなよ。私、この後バイトだから急ぐね!バイバイ!」
「あ、うん、またね!」
ニコッと笑って駆け出していった友人を見送り、未来は携帯電話を耳にあてた。
「もしもし、蔵馬?」
着信の主は、共に命を賭けた闘いの場に身を置き苦楽を味わった、未来の大切な仲間の一人だった。
『未来。今電話して大丈夫?』
「うん、ちょうど講義終わって帰ってたとこだったから」
電話口から聞こえたこちらを気遣う声に、大丈夫だよと未来は明るく返事をする。
この春から義父の会社で新社会人として華々しいスタートを切った蔵馬も、未来と同じく高校卒業を機に携帯電話を所有していた。
『飛影は一緒にいますか』
「飛影?今は魔界へ行ってるよ」
『そうですか……』
飛影は時雨や奇淋と共にいつものパトロール業務に従事している頃だろう。あるいは百足の鍛錬場で暴れているかもしれない。
思案するように沈黙する蔵馬に、未来は首を傾げる。
「飛影に用事?急用なら呼んで来ようか?」
『……いや、飛影が人間界へ戻ってくるのを待つよ。未来、急だけど今から幽助の家で会えないか?』
「それは大丈夫だけど、何かあったの?」
『未来たちに相談したいことがあるんだ』
蔵馬の声色から緊迫したものを感じ取った未来の表情が、真剣なものへと変わる。
「わかった。今から幽助ん家行くね」
『ありがとう。オレもすぐ向かうよ』
じゃあまた、と通話を終えた未来は、新妙な面持ちで手元の電話を見つめ道端に佇む。
何人かの学生が脇を通り過ぎ、ポツリポツリと頭に水滴が落ちてきたところでハッと未来は我にかえった。慌ててバッグから折り畳み傘を広げ、幽助の家へと向かう。
蔵馬が自分たちに相談だなんて、よっぽどな何かがあったのだろうか。不安が募るが、今やるべきことは一つだ。
幽助の家への道すがら、人気のない路地裏に立ち寄ると未来は声を張り上げた。
「うーちゃん、おいで!」
瞬間、ずおっと大きな暗い影が辺りを包む。未来の相棒兼ペットである裏女の参上だ。
「飛影に呼ばれて迎えに行ったら、今日は幽助の家に送ってくれる?蔵馬たちと一緒に私もいるから」
主人の命令に、大きく頷いた裏女は次元の狭間へと姿を消す。
魔界と人間界の行き来の手段として、いつも飛影は裏女を呼び寄せていた。こうして彼女へ命じておけば、飛影は魔界での用が終わり次第、幽助の家に現れるだろう。
続けて未来も幽助のマンションを念じながら次元の穴を開け、その中に飛び込む。そうして幽助の家の玄関前に到着した時には、小降りだった雨は本降りとなっていた。
「よお、未来。蔵馬はまだ来てないぜ」
呼び鈴を押すと、程なくしてドアが開けられる。仕事が休み故か、ラフに髪をおろしている幽助に未来は迎えられた。
「おじゃまします。幽助、一昨日はラーメンごちそうさま。今日は定休日だっけ?」
「おお。パチンコでも行くかと思ってたとこで蔵馬から電話あってさ」
幽助に促され、未来はリビングに足を踏み入れる。温子は不在のようで、家にいるのは彼一人だけだった。
「桑ちゃんもまだ来てないんだ」
「桑原?そういや蔵馬、桑原呼ぶとは言ってなかったけど来んのかなアイツ」
「え、てっきり桑ちゃんも呼ばれてるんだと思ってた」
実は蔵馬はちゃんと桑原も呼んでいるのだろうか。彼だけ招集していないとすれば、何か意図がありそうだが。
「蔵馬の話ってなんだろ……」
「さあな。案外すっげーくだらねぇことかもよ」
「それならいいけどさあ」
気を揉む未来がカーペットに腰をおろしたところで、ピンポーンとインターホンが鳴る。蔵馬がやって来たのだろう。
「雪菜ちゃんを探してる人がいる!?」
三人でリビングの机を囲んでまもなく、蔵馬の口から語られた衝撃の一報に未来は開いた口が塞がらなかった。
「しかも雪菜ちゃんを自分の妹だって言ってって……?本当にその人が探してるのは私たちの知ってる雪菜ちゃんなの!?」
「まだ断定はできないが、その可能性は高いと思う」
混乱する未来へ、冷静に蔵馬が告げる。
「マジかよ。ぜってーそいつ何か企んでるじゃねーか」
「氷泪石目当て?理由が何であれそんな危険なヤツ雪菜ちゃんに近づけちゃいけないよ!」
苦虫を噛み潰したような顔をしている幽助の隣で、切羽詰まった声で未来が叫ぶ。
昨日蔵馬の両親は皿屋敷市の商店街を歩いていた際、雪菜という名前の妹を探している少年に出会い、警察に相談してみるといいと促して別れたという。
その出来事を蔵馬は今日の昼休憩中、義父との会話で知って。しかもよくよく聞くと、少年と彼が持っていた妹だという写真の中の少女の特徴は、彼らのよく知る雪菜と酷似していたというのが蔵馬が語った一部始終だ。
「この事、桑原には言ったのか?」
「そうだよ、桑ちゃん!桑ちゃんに早く伝えないと!」
「桑原くんには、氷女を狙う妖怪が最近皿屋敷市に出没しているから十分気をつけた方がいいと連絡はしておきました」
雪菜さんはオレが絶対に守る!と使命感に燃えている桑原が目に浮かんで、幽助と未来は苦笑いしつつホッとする。
「一緒に住んでるんだもん。いつも以上に警戒して桑ちゃんがボディーガードしてるなら安心できるね」
「でもよ、そんな回りくどい言い方しなくても兄と名乗る怪しいヤツがいるって桑原に言えばよかったんじゃねーか?」
「どうして兄と名乗る人物が怪しいのか、幽助は桑原くんへ説明できますか?」
「そりゃ、本当の兄は飛影だからで……」
言った瞬間、あ、と気づいた幽助が口をつぐんだ。
「そうなんですよ。飛影の許可なしに、下手なことを桑原くんへ言えないなと思って」
「……そうだよね。桑ちゃんは飛影と雪菜ちゃんが兄妹だって知らなくて……飛影も知られたくないみたいだから」
口にした事実に、しんみりとした気分になった未来が俯く。
飛影と雪菜の関係を知っている蔵馬たちは当然、彼女の兄と名乗る人物が現れれば怪しむが、桑原は違う。雪菜さんの兄が見つかったと素直に受け止め喜ぶだろう。
「まあ、その妖怪は狙った氷女の兄だと名乗る手口をとるとでも桑原くんに説明してもよかったんですけど」
「でも、桑ちゃんもしかして本物の雪菜ちゃんのお兄さんなんじゃないかって期待もしちゃうよね」
いつか飛影が本心から雪菜へ伝えたくなった時に、兄だと名乗ってほしいと未来は切に願っている。
しかし飛影は桑原にも、そして雪菜にも自分の正体を明かす気はさらさらないようだった。
「桑原くんへの対応は飛影に相談するとして……とにかくその少年が桑原くんたちの家を突き止め接触する前に、オレたちで何とかしなければならない」
「うん。絶対阻止しないとね」
「引っ捕まえて正体暴いてやろうぜ」
蔵馬の言葉に、未来も幽助も力強く同意する。
全員の頭の中に、雪菜を監禁していた垂金が思い起こされていた。絶対にもう二度とあのような輩を彼女へ近づけるようなことがあってはならないと、三人が決意を一つにした矢先。
「幽助ーー!大変大変大変だよーー!」
突然窓が開け放たれぴゅうっと風が吹き込んできたかと思えば、ベランダから勢いよく櫂に乗ったぼたんが部屋へ飛び込んできた。
まさかの登場に、度肝を抜かれた三人はそろって目を皿のようにして驚いている。
「ぼたん!?テメー勝手に窓から入ってくんなって前も言っただろーが!」
「未来と蔵馬もいるなら手間が省けたよ!三人とも早くコエンマ様の話を聞いとくれ!」
「あ、テメ、何テレビ線勝手に抜いてんだ!」
幽助の文句は聞き流し、ひどく焦った様子のぼたんがわたわたと霊界と繋がるモニターを取り付ける。
雨の中を飛んできた彼女の髪や着物は濡れていて、しかめ面しつつ幽助がバスタオルを投げてやっていた。
『おお幽助。蔵馬と未来も一緒か、ちょうどよかった』
表示されたモニター画面に、赤ちゃん姿のコエンマが自室の椅子に座っている様子が映し出される。
『大変なことになった。いいか、落ち着いて聞くのだぞ。……実は先ほど、魔獄大山が大噴火を起こしたのだ』
青白い顔をして告げたコエンマの台詞に、その場にいる誰もが息をのんだ。
「な、何だって!?」
衝撃的なコエンマの台詞に、動揺が隠せない幽助、蔵馬、未来の三人。
「……で、マゴクダイセンって何だ?」
「それ私も気になってた」
しかし続く幽助と未来の台詞に、ガクッとコエンマが項垂れる。
『知らんのに驚いておったのか!?』
「魔界の活火山ですよ。次に噴火した時はすなわちこの世の終わりを意味する……そう言い伝えられていました」
モニター内でコエンマが叫んでいる傍ら、険しい表情の蔵馬が端的に説明した。
「この世の終わり!?」
『魔獄大山は地獄……つまりあの世と通じている魔界最大の火山だ。ひとたび噴火すれば、地獄由来のマグマが半永久的に大地へ流れ続ける。その莫大なエネルギーを上回る妖力で、噴火口を塞ぎ封じ込まん限りはな』
未来の声が裏返る中、額に冷や汗を流すコエンマが淡々と語り始める。
あの世と通じている火山。
そんなものの噴火を許し続ければ、この世の均衡は崩れ、人類滅亡レベルの天変地異は必至だという。
『早く噴火を止めんことには魔界だけでなく人間界や霊界にも悪影響が及び、この世は死地と化す。以前の噴火の際は雷禅の決死の防守により、すんでのところで事なきを得たらしい』
「……全盛期の雷禅でやっとか」
伝説級の妖力を誇った父でさえ自然の脅威を相手には苦戦したと知り、事態の深刻さを幽助も感じ取る。
『今、煙鬼ら雷禅の旧友、軀や黄泉、陣や凍矢たちをはじめとする魔界の妖怪が一丸となって噴火口へエネルギー弾を撃ち込み、マグマの噴出を抑え込もうとしておる最中だ。世界を救うには、一人でも多くの妖怪の協力が必要だ』
名だたる妖怪たちに混じって闘う大切な人の姿が頭に浮かんで、未来の瞳が揺れる。
「じゃあ飛影も……?」
『おそらくな。飛影も現場にいるだろう』
小さな未来の呟きに、こくりとコエンマが頷く。
今こうしている間も彼が緊迫した場で闘っていると思うと、未来は居ても立っても居られず落ち着かない気分になった。
「オレらにも加勢しろってわけだな」
理解した幽助が、すくっと立ち上がる。思い立ったら即行動が、彼のポリシーだ。
「頼んだよ、幽助!」
『蔵馬も行ってくれるか?』
「勿論ですよ」
ぼたんから声援を受ける幽助の姿を横目に捉えつつコエンマが訊ねれば、当然だと蔵馬が立ち上がった。
魔界だけではなく、人間界と霊界もひっくるめた危機だ。加勢を躊躇う理由がない。
「私も行くよ!微力だけど私の妖力も役に立てたらって思うから……!」
幽助と蔵馬に続き、立ち上がった未来が熱く宣言する。
「よし未来、さっそく魔界への穴開けてくれ!その火山ぶっ潰しに行ってやろーぜ」
「うん、頑張る!」
「いや、未来はここに残っていた方がいい」
幽助から期待を込めた眼差しを向けられ、やる気に満ち溢れる未来だったが、蔵馬の一言に出鼻を挫かれた。
「一人でも多くの妖怪の協力が必要なんでしょ!?私だって闇撫としてそれなりに強くなったんだよ?」
なんで!?と涙目の未来に詰め寄られ、それは知ってるけどと困り眉で蔵馬がことわる。
「飛影も絶対許さないと思うよ」
「その通りだ。未来は大人しく待っておけ」
蔵馬になだめられると同時、背後から聞こえた低い声に未来は勢いよく振り向いた。
「飛影にうーちゃん!?」
幽助宅のリビングの壁いっぱいに現れたペットと共に登場したのは、今しがたまで未来の頭の中を占めていた張本人・飛影だった。
「飛影、噴火を止めに行っていたんじゃ」
「ああ。さっきまでな。貴様らを連れに来ただけだ」
蔵馬に訊ねられた飛影の頬には、ところどころ黒い煤がついている。つい先ほどまで火山口におり、幽助たちを迎えにここへ現れたらしい。
「コイツの口ん中入りゃーいいんだな。頼んだぜ!」
「うーちゃん、お願いします」
「未来。お前は来るなよ」
こちらを見上げる幽助と蔵馬へ、裏女はウィンクして了解の意を伝える。
そんな和やかなやり取りの横で、ジロリと飛影が未来を睨んだ。反発しやがったら許さんとその鋭い目が語っていて、うっと未来はたじろぐ。
「……そんなに危険なの?」
『うむ。ワシも未来は火山に近づかん方がいいと思うぞ』
頑なに飛影が未来の参戦を拒む理由を、薄々察していた彼女が静かに訊ねると、応えたのはコエンマだった。
『火山口付近は灼けるような高温だ。噴出する溶岩に飲み込まれればS級妖怪とてひとたまりもなく、命を落とす恐れがある』
「…っ……!」
S級妖怪さえ命を落とす。
そのフレーズに視界が暗転し、未来は生唾を飲み込む。否が応でも速くなる五月蝿い鼓動が、如何に自分が動揺しているかを物語っていた。
想像以上に危険な使命だ。そんな場所に愛しい人を送り出さなければならないのか。
本心は行ってほしくないと嘆いていたが、未来は懸命に前を向いたままコエンマの言葉を聞いていた。
軍で軀に次ぐNo.2にまで上り詰めた飛影の強さは、未来もよく知っている。
この世の危機を救うために、大きな戦力となる飛影の参戦は不可欠だ。
「未来。わかったらさっさと家に帰れ」
「……うん。そうする」
まっすぐ飛影に射すくめられて、素直に未来は従った。
自分の出る幕ではなく、現場に向かったとて周囲に心配をかけ彼らの足枷になってしまうだろう。飛影や皆に任せるしかない。
一切の迷いや恐れのない飛影の瞳を見て、未来は彼を信じて送り出す覚悟を決める。
「皆、十分気をつけてね。絶対死なないで」
「ああ、わかってる」
「おう。任せとけ」
蔵馬と幽助、そして飛影の顔を順々に見つめる未来。彼女を安心させるように蔵馬が微笑み、幽助はグッと親指を立てた。
「お前は期限が近いレポートとかいうやつの心配だけしとけ」
「わ、わかってるよ!」
先日飛影へヤバいと漏らした厄介なレポートの存在を思い出し、青ざめた未来が主張する。
命がけの出陣前にしてはひどく淡泊な態度も彼なりの優しさなのだと、容易く理解できるくらいには既に二人は深い時間を共に過ごしていた。
「飛影、今からすごく危険で難しい任務に行くんだろう?未来にやる気充電させてもらわなくていいのかい!?」
突拍子もないぼたんの発言に、不可解そうに飛影は眉間に皺を寄せる。
「ほら我慢しないで男ならガバッときつく未来を抱きしめて安心させてやんなよ!」
「そうだな、一思いにブッチューといっとけ飛影!」
「後ろ向いてますから、気にせずどうぞ」
友人カップルへラブシーンを催促するぼたんに便乗し、熱い抱擁と接吻を急かす幽助。
ニッコリ笑った蔵馬が、言葉通りこちらへ背を向けた。
ここぞとばかりに揶揄われ、拳を握りしめた飛影がわなわなと怒りで小さく身体を震わせる。
「殺すぞ貴様ら」
「するわけないでしょ!!」
顔を真っ赤にして未来も叫ぶ。
『この世の行く末がかかった一分一秒を争う事態なのだぞ……わかっておるのか?』
ズルル…と椅子から滑り落ち、霊界のプリンスの姿がモニターから消える。
緊張感の欠片も無いやり取りを繰り広げる部下をはじめとした一同に、怒りを通り越し呆れて脱力するコエンマなのであった。
***
「ふーっ。やっと終わった」
飛影たちを見送ると、未来は帰宅してすぐ風呂に入り、パジャマ姿でパソコンに向かいレポートを書き上げていた。
翌週の提出期限まで日がないと焦っていたが、集中すれば案外早く終わったものだと伸びをする。
(飛影たちは大丈夫かな)
考えてしまうのは、やはり飛影たちの安否だ。彼らなら噴火を鎮静して無事帰ってきてくれると信じてはいるが、心配でたまらない。
何かに集中しようとしないと、とめどなく襲ってくる不安から逃避するように未来はレポートへ向かっていたのだった。
壁の時計を見上げれば、既に日付は変わっていた。
パソコンをシャットダウンし、立ち上がった未来は寝室へと向かい、二つ並んだ布団の一つに潜り込む。家事ロボットのヒロシが干してくれる布団は毎日ふかふかだ。
「飛影……」
布団に横たわり、無人の隣を見つめて呼んでみる。
結婚して一緒に暮らし始めて以来、一人で眠るのは初めてで。飛影と二人で過ごす夜に慣れきっていた未来に、今宵は寂しすぎた。
無性に飛影の温もりが恋しくなる。
別れ際だって、本音をいうともし周りに仲間たちがいなくて飛影と二人きりだったら、絶対ギュッとしてチューくらいしてたと思うし、正直したかったが、羞恥心が身を留まらせた。
もしあれが今生の別れとなってしまったら、なんでしなかったのだと一生後悔するだろうが……そこまで考えて、未来は悲観的になった己を叱咤した。他でもない自分が飛影を信じなくてどうするのだ。彼は必ず無事に戻ってくる。
(雪菜ちゃんの件も不安なのに、まさかこんなことになるなんて)
この世の滅亡の危機という、緊急性の高い事案が飛び込んできたため雪菜の件を蔵馬たちと解決する暇がなかった。
けれど、桑原がついているからひとまずは大丈夫だろうと未来は思い直す。雪菜を守ることを第一の信条にしている桑原の眼前で、彼女に危害を加えられる者はまずいないだろう。
一瞬の油断が命取りとなる現場へ向かう飛影を動揺させたくなくて雪菜の件は黙っていたが、帰ってきたらすぐに知らせなくては。偽物の兄の登場に彼も落ち着いてはいられないはずだ。
桑原に負けず劣らず、雪菜を大切に思っている飛影だから。
(飛影、早く帰ってきてね。雪菜ちゃんのためにも)
飛影と仲間たちの無事だけを祈り、未来は目を瞑る。今の彼女に出来るのは、彼らを信じて普段通りの生活をおくること。そして雪菜に近づく謎の輩への対処法を考えることだけだった。
***
土砂降りだった雨が上がり、快晴の翌朝。
この世の危機なんてまるで感じさせない呑気なエンタメ情報をテレビが流し、せっせとヒロシが掃除に精を出している室内で未来がメイクをしていると、携帯電話の軽快な着信音が鳴った。表示された名前に、もしやと未来は緊張感を高める。
「桑ちゃん……?」
『未来ちゃん!よかった、繋がった!こんな大事な時に浦飯も蔵馬も全然電話出なくてよ』
おそるおそる未来が電話に出れば、弾んだ大声が耳に飛び込んできた。逸る気持ちを抑えきれず興奮した様子の桑原が、ビッグニュースがあると早口で捲し立てる。
『なんと雪菜さんの兄が見つかったんだ!』
「桑ちゃん、違うよそいつ偽物だよ!」
反射的に、未来はそう叫んでいた。
『な、なんでそんなこと言うんだ未来ちゃん!?』
「だ、だって桑ちゃんも蔵馬から聞いてるでしょ?氷泪石を狙って氷女に近づこうとしてる奴がいるって!絶対偽物にきまってるよ!」
どう釈明しようと焦る未来だったが、桑原の説得を試みる。
『たしかに未来ちゃんが警戒するのも分かるが、本物だと思うぜ?雪菜さんとそっくりだからな!今朝お兄さまがオレん家に訪ねてきたんだ!』
「今その人桑ちゃんちにいるの!?」
『おお。今からケーキでも買いに行ってもてなそうと思っててよー』
「今すぐ私も桑ちゃんの家行くから!絶対そいつと雪菜ちゃん残してケーキ屋さん行っちゃダメだよ!桑ちゃんそいつ見張って、雪菜ちゃん守ってあげて!」
きつく忠告するやいなや電話を切り、秒で身支度した未来が次元の穴を開ける。念じたのは桑原家の玄関だ。
現状、幽助たちは頼れない。飛影の大事な妹を、この手で守らなければ。
それに。
(もう雪菜ちゃんは私の妹でもあるもん!)
彼女は絶対に守り抜くと固く決意する未来が、次元の穴に飛び込んだ。