Ⅴ 飛影ルート
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十月。
人間界では紅葉が始まった頃。
魔界の移動要塞・百足の一室にて、妖怪五名がたむろしていた。
「三年だぜ、気が遠くなる」
「三年もこんなくだらない見回りをさせられるのか」
「愚痴はよすんだな。全ては負けた我々の責任だ」
ぼやいた妖怪たちを元軀軍No.2・奇淋が窘める。
隣では時雨がくるくると包丁で器用に果実の皮をむいている。
大会優勝者である煙鬼が公布した自治法により、偶然できる空間の歪みにより魔界へ迷い込んできた人間は保護され人間界へ戻されることになった。
そのためパトロール隊が結成された。隊員はもちろん大会の敗者である。
飛影は奇淋、時雨、そして先ほど愚痴を述べた妖怪二人とチームを組まされ、日々パトロール業務に従事していた。
「これを食わんか。人間界のものらしいがなかなか美味だぞ」
時雨がいまだ不満そうな妖怪二人へ、三個ほど果実を皮をむき切り分け、つまようじを刺して皿にのせ差し出す。
「未来さんからの差し入れだ」
時雨は大会開催以降、未来のことを“闇撫の娘”と呼ばなくなった。
軀の対戦相手となっても臆せず戦った彼女への、彼なりの敬意の表れなのかもしれない。
「ラフランスという果実らしい。そうだったな飛影?」
「たぶんな」
正確な果物の名前は、飛影も覚えていない。
「未来…たしか大会では鏑と名乗っていた、飛影の女の名前だったな。なるほど、これは美味いな」
奇淋が面頬の下から一口食し、ラフランスを絶賛した。
妖怪二名も美味いと呟きながら次々と口に入れていて、早々になくなりそうな気配を感じた飛影も慌てて皿に手を伸ばす。
そして、これを未来から受け取った時のことを振り返る。
“おばあちゃんから家に大量に送られてきたから飛影にもあげる。パトロールの休憩中にでも食べてよ。”
ほのかに甘い香りを漂わせる果物が数個入った紙袋を、数時間前に飛影は未来から手渡された。
“時雨さんたちにもあげてね。あと軀にも。独り占めしちゃダメだよ!”
軀と時雨は命の恩人だし、パトロールのメンバーたちにも分けるようにと未来はしつこく念を押してきた。
二月に百足へ訪れた際、妖怪数人に連れ去られそうになったところを時雨に助けられたと、未来がポロッとこぼしたのは最近の話だ。
それを聞いた飛影はすぐさま時雨に未来を襲った妖怪はどいつか教えろと詰め寄ったが、もう半年以上前のことだから忘れたと返され、あえなく報復は実現しなかった。
「あ!まだ余ってる!」
あっという間に皿が空になったところで、目ざとく紙袋に残ったラフランスを見つけた妖怪。
「これは軀に渡せと言われたものだ」
軀用と言われれば、すごすごと妖怪は引き下がるしかない。
「軀様…か」
要塞の主の名前が出て、考え込むように時雨が顎に手を当てる。
「拙者少々解せん。たしかに煙鬼も強かったが軀様が本気を出せば倒せない相手ではなかったはずだ」
「いや、あの時はあれが軀様の全力だったのさ」
大会結果に納得いかなかった時雨がごちれば、長年軀に仕えてきた奇淋が首を横に振る。
「あの方の強さは精神状態に大きく左右される。あんな和やかな大会では最高時の半分くらいの力が関の山だろう」
精神状態が悪く陰鬱になっている時こそ、軀の真の力が発揮されると奇淋は読んでいる。
「多分これから先もあの方の真の強さを見ることは叶わぬだろうな。あの方の目は信じられないほど穏やかになってしまわれた」
それはきっと大会を開催した幽助や、記憶を共有した飛影や、そして未来の影響だ。
「ただ一度ひどく陰に入りこまれる時期がある。百数十年前、たまたま口答えをした当時のNo.2を我々の目の前で一瞬にしてミンチにしてみせた」
ヒッと妖怪二人が小さく悲鳴をあげた。
「それがちょうど今くらいの時期だった。飛影、気をつけることだな」
おそらく軀の元へ向かうのだろう、紙袋を持ち立ち上がった飛影へ奇淋が忠告する。
「未来を泣かせたくなかったらな。お前に何かあれば彼女が悲しむだろう」
「……気安く呼ぶな」
上手い返しが見つからず、ただ奇淋が未来を呼び捨てにした点だけ咎めておいた飛影だった。
***
「何か用か」
大きなソファベッドの真ん中に座る軀は、部屋を訪問してきた部下へ忌々しげな視線を投げかける。
なるほど、たしかに機嫌は相当に悪いようだ。
「未来からお前に渡せと言われた」
飛影が未来の名前を出すと、軀の表情が柔らかくなる。
「そうか。これは人間界の果物か?」
未来からの贈り物が嬉しいようで、受け取った紙袋を覗く軀の声が弾む。
「ああ。皮をむいて食べるらしいぜ」
「わかった。未来によく礼を言っといてくれ」
話を切り上げたつもりの軀だったが、飛影は立ちっぱなしで一向に帰ろうとしない。
「どうした。まだ何か用か」
「退屈だ手合わせ願いたい。本当の力を出したお前とな」
「行け。今日は生憎そんな気分にならん」
苛々した口調を隠そうともせず、軀が一蹴した。
「奴隷商人痴皇」
軀の父親の名前だ。
瞬時に軀の目の色が変わり、表情はまた険しいものになる。
「時雨との闘いのあとでお前がオレに見せた記憶。それが今の強さの動機だろう」
軀の図星を突いた飛影が、彼女の過去の記憶を否が応でも呼び覚ましていく。
軀は生まれた時から父親の玩具奴隷だった。
七歳の誕生日に軀が自ら酸をかぶり父親に捨てられるまでそれは続く。
軀が抗うほど父親は喜んだ。
「もう…よせ」
「なぜ奴を生かしておくんだ?奴が住む場所も知っているんだろう」
「やめろ。死にたいか」
疼く右腕を必死に抑える軀。こうでもしないと周りにあるもの全て破壊してしまいそうだった。
「あいつが昔唯一気まぐれに見せた優しさにすがっているのか」
飛影は挑発をやめない。
ドクンドクンと軀の脈は速くなり、額に嫌な冷や汗をかく。
「お前が強くなれたのは呪いのおかげじゃない。迷いのせいだ」
ギリ。
軀は血が滲むほど右腕を強く掴んだ。
「あわれな野郎だ」
ドン!!!と轟音がとどろき百足が大きく揺れる。
我慢できなくなった軀が、飛影の腹を渾身の力で思いっきり殴ったのだ。
飛影の身体は壁をぶち破り、要塞外まで吹っ飛ばされた。
「軀様!一体…!?」
奇淋や時雨をはじめとするパトロール隊のメンバーが、何事かと部屋へ駆けつけた。
「このまま進め」
「し…しかし」
「お前も殺されたいのか?」
氷のような目で軀に一睨みされれば、口答え出来る者などいるわけがない。
重傷を負い外へ投げ出された飛影を置いて、百足はそのまま魔界を進むのだった。
***
時を同じくして、霊界。
突如ぞくりとした悪寒に襲われ、未来が自分を抱き締めるようにして両肩を触る。
「未来、どうしたんだい?」
隣に座っているぼたんが、小首を傾げて未来の顔をのぞき込む。
「ちょっと寒気がして」
「未来さん、寒いですか?毛布持ってきましょうか?」
「ありがとう、雪菜ちゃん。大丈夫だよ!」
雪菜の気遣いに感謝し、ニコッと微笑む未来。
ラフランスを差し入れついでに、未来は霊界へ遊びに来ているのだ。
「寒気って…やだ、嫌な予感ってやつかい!?」
「でも私、静流さんみたいに霊感ないし。何でもないと思うよ」
心配するぼたんに、顔の前で手を振って未来は否定する。
「和真さんも、霊感が強いんでしたっけ」
「うん。そうだよ!桑ちゃんちは霊感が強い家系らしくって」
「そうですか…」
桑原のことを思い出しているのだろうか、ふんわりと雪菜が微笑む。
一段と柔らかく変化した雪菜の表情に驚き、未来とぼたんは顔を見合わせた。
「……雪菜ちゃん、桑ちゃんに会いたい?」
「ええ。もちろんです」
にこっと無垢な笑顔で雪菜が頷く。
雪菜が桑原に抱く感情が、どういう類のものなのかは分からないが…。
(桑ちゃんも、雪菜ちゃんを恋しがってたな…)
会いたいと、互いが思っているのは事実だ。
未来、ぼたん、雪菜が霊界の応接室のソファでくつろいでいると。
「未来、まだおるか?」
「お疲れ様です」
仕事終わりのコエンマとジョルジュ早乙女が、部屋に入ってきた。
「はい、お邪魔してます!あれ、コエンマ様、今日は霊界にいるのに人間界バージョンなんですね」
「ハンサムなワシと会えた方が未来が喜ぶと思ってな!」
「………」
「おい、何故黙る!」
肯定しない未来に、青年姿のコエンマが憤慨する。
「ま、未来は一応客人だから正装をな!はー、疲れた疲れた」
「今日もよく働きましたもんね」
コエンマがドサリとソファに腰をおろし、ジョルジュ早乙女も続く。
「未来、差し入れありがとな。美味かったぞ」
「未来さん、ありがとうございます!ジュルジュ感激です!」
初めて食べた珍しい人間界の果実は、霊界のプリンスやその部下の口にも合ったらしい。
「喜んでもらえてよかったです!」
ふと未来は、コエンマの目の下にうっすらクマができていることに気づいた。
(コエンマ様、ずっと大変だったみたいだもんな…)
ぼたんによれば、霊界の繁忙期であるお盆が過ぎてもコエンマは激務に追われ心労が絶えなかったらしい。
自分の父親を告発したのだから、精神的にもつらいものがあったのだろう。
コエンマのしたことは正しく、多くの妖怪や人間のためになったのだから、早く元気になってほしいと未来は思う。
「未来。飛影とは仲良くやっておるのか」
「はい!おかげさまで」
「そーかそーか、それはよかった」
幸せそうな未来にニコリとした後、「で」とコエンマは本題に入る。
「飛影とはどこまですませた?Bくらいはいったか。ん?」
「へ…!?」
「答えんということはCか!」
「コラ!」
赤くなった未来に詰め寄るコエンマの頭を、ぺしっとぼたんが叩いた。
「ぼたん!上司を殴るとは何事だ!」
「コエンマ様!セクハラですよ!」
「そうですよ!しかもBとかCとか古いし!今の若い子には伝わりませんよそれ!」
セクハラオヤジ化したコエンマを、ぼたんとジュルジュ早乙女がぎゃんぎゃん責め立てている。
「うるさいな、お前らだって本当は気になっとるくせに!」
耳が痛いコエンマだったが、カマトトぶるなと二人へ反論する。
「それはそうですけど…!」
「ちょ、何同意してるんですか!」
「それみろ」
興味津々だと認めてしまったぼたん。
焦ってツッコむジョルジュ。
何故か威張って得意げなコエンマ。
霊界の三人衆が集まると、五月蠅くて仕方ない。
「未来、実際飛影にはどこまで許したんだい?女同士のよしみであたしにだけこっそり教えとくれよ~」
「ぼたん、ずるいぞ!」
猫顔をして未来へすり寄るぼたんに、抜け駆け反対!とコエンマが吠えている。
「賑やかですね」
「う、うん。そうだね」
見慣れた光景なのか、ギャーギャー騒いでいる三人を雪菜はのほほんと眺めている。
(ま、まあコエンマ様が思ってたよりずっと元気でよかったな…)
すこぶる本調子のコエンマに、苦笑いしつつ安心する未来。
(ていうか…どこまでいったとか、絶対言わないからね!!)
下衆な話題を提供する気はないと、固く決意する未来なのだった。
「はいはい、この話題終わり!何か他のことしましょう」
パン!と一度未来が手を叩くと、言い争いをしていた三人が振り返る。
「じゃあ、先月発売されたゲームバトラー2でもします?」
ニヤッと得意げに口角を上げ、ジョルジュ早乙女が懐から真新しいゲームソフトを取り出した。
「ジョルジュ、いつの間に買っておったのだ!?」
「実はこの前ボーナスが出た時に…」
「わー、やってみたいです!」
わいわいゲームに熱中していく五人なのだった。
***
ところ変わって、人間界。
二階の自室で勉強中だった蔵馬は、ガラスの引き戸が揺れる音を拾い、窓の方へ顔を向けた。
「飛影!?どうしたんだその怪我」
土足で上がり込む無遠慮な訪問者の腹の深い傷に、蔵馬が目を見張る。
「それより調達してもらいたいものがある」
飛影が要求したのは、ヒトモドキという物騒な魔界の植物だった。
「その花ならすぐ用意できますが、一体何に…?」
「つまらんことだ」
早く渡せと急かすように、飛影が蔵馬へ手の平を見せる。
「その前にその傷、見せてください。あと靴を脱いで」
有無を言わさぬ口調で飛影に命令すると、蔵馬が一階から救急箱を取ってきた。
自前の薬草で傷口を消毒すると、丁寧に包帯を巻いてやる。
「…っ…大会でこの力を出せば楽に優勝してただろうに」
「その傷、軀に?」
痛みに呻いた飛影の台詞から、軀に殴られたのだろうと蔵馬が察する。
「痴話ゲンカですか?」
「殺すぞ」
「なんだ、残念です。オレが未来にアプローチするチャンスかと思ったのに」
「何だと?」
冗談なのか本気なのか、口元に綺麗な弧を描いて蔵馬は笑っている。
「何やってるんですか飛影」
そして、心底呆れたように溜め息をついた。
「その傷、未来には見せない方がいいですよ。すごく心配するはずだ」
「……」
きっと蔵馬の言う通りで、ぐうの音も出なかったから飛影は黙っていた。
お前に言われる筋合いはない、なんて言葉を軽口でも蔵馬に告げる気にはなれない。
「…それ」
ふと、蔵馬の机の上に二個並んでいる見覚えのある果物に気づいた飛影。
「ああ、夕方未来がうちに届けに来てくれたんですよ」
そういえば、幻海や他の仲間たちにもラフランスをおすそ分けすると未来が言っていたと飛影は思い出した。
「こんなことで妬いていたら先が思いやられますよ」
どうしてこうも毎度、蔵馬は飛影の心情が手に取るように分かるのか。
未来が蔵馬に会いに行ったと知り、膨らんだ己の嫉妬心を見透かされた飛影が眉を寄せる。
その表情の変化に、ああやっぱり妬いてたんだと蔵馬は思った。
蔵馬に言わせれば、飛影ほど分かりやすい人物は他にいない。
その時、部屋の扉がガタガタと音を立てて上下左右に大きく揺れ始めた。
「何だこれは?」
どう見ても人間の仕業ではない、突然の怪奇現象に警戒する飛影だが蔵馬に全く動じる様子はない。
「入ってもいいか?って聞いてるんですよ」
「あ?誰がだ」
「どうぞ」
蔵馬が優しく声をかけると音は止み、二人をぬっと大きな影が包んだ。
「うーちゃん、こんばんは」
現れた裏女と、普通にうーちゃん呼びする蔵馬に飛影は度肝を抜かれる。
「なんでこいつがお前の部屋に来るんだ」
「たまに遊びに来ますよ」
ね?と蔵馬が目配せすると、裏女がニッコリして頷く。
この慕いっぷり、飛影は既視感があった。
裏女から未来へのソレに似ているのだ。
未来へ向けられる目の方がもっと熱くて激しかったが。
「ん、なになに?」
裏女が何か伝えようとしているのだろうか、蔵馬がふむふむと呟き頷いている。
「オレのことが未来の次に好きらしいですよ。未来がオレを選ばないのが不思議だって」
「お前、こいつの言ってることが分かるのか!?」
「一緒にいるうちになんとなく分かるようになってきました」
半信半疑の飛影がホントか?と蔵馬を睨む。
裏女から熱烈に好かれるのは勘弁だが、未来のペットが蔵馬に懐いているのもいい気はしない複雑な心境の飛影である。
「未来が可愛がる気持ちがわかるな。裏男とは大違いだ。こんなに可愛い妖怪がいるなんて知らなかった」
蔵馬に嘘をついている様子はなく、本心からであろう発言に飛影は絶句した。
飛影からしてみれば、裏男も裏女もさして差はなく気味悪さは同等だ。
どうやら未来だけでなく、蔵馬も特殊な感性の持ち主であるらしい。
二人にとって裏女は愛くるしい小動物のような存在なのだろう。
「フフ、まあ未来には負けますけど」
「当たり前だ!!」
思わずツッコむ飛影であった。
「蔵馬、さっさと頼んだブツをかせ」
「はいはい」
付き合ってられん、といった表情で飛影が急かせば、蔵馬が植物の種を取り出し妖気を込める。
「扱いにはくれぐれも注意して」
「分かっている」
みるみる成長していったヒトモドキの苗と一緒に、蔵馬は白いTシャツを飛影へ投げて寄越した。
「傷を隠した方がいいでしょう」
要らん世話だと飛影は思ったが、無言で服を受け取っておく。
「じゃあな」
「飛影。未来をちゃんと掴まえておいてくださいよ」
返事はせず、飛影は夜の闇に消えてった。
きっと“当然だ”とか“貴様に言われなくてもそのつもりだ”とか思っていたに違いない。
「本当に…よろしく頼みますよ」
自分の突き入る隙がないほどに、飛影には未来を幸せにしてほしいと蔵馬は願う。
実は、飛影には教えなかったが裏女の言葉には続きがあった。
蔵馬が未来の次に好きだ。
未来がなぜ蔵馬を選ばないのか不思議でしょうがない。
けれど……未来が飛影といて幸せそうだから、自分は二人を応援するのだと。
「幸せ、ね…」
いつか未来に告げられた、“蔵馬の幸せがお母さんの幸せ”という言葉を思い出す。
「未来の幸せが、オレの幸せだ」
心から蔵馬はそう思えた。
そして仲間として、飛影の幸せだって願っている。
今、蔵馬は自分でも驚くほどとても穏やかな顔をしていた。
「キミもそう思うだろ?」
蔵馬が訊ねると、満面の笑みで裏女は頷いたのだった。
***
一時間後。
百足の自室に籠っていた軀は、追い出した部下が痴皇を連れて戻ってくる気配に目を瞬いた。
「あれはデタラメの記憶だ」
単純な催眠術で、軀が父親に優しくしてもらった記憶は偽物なのだと飛影が語る。
「復讐防止用の安全弁さ。今からオレが解除してやる」
ヒトモドキと一体化した痴皇の足を飛影が剣で貫けば、悶え苦しむ叫び声が要塞内に響いた。
「好きなだけ切り刻め。気がすめば殺したらいい」
寄生植物のヒトモドキは、宿主の脳を破壊しない限り半永久的に生き続けるのだという。
「ハッピーバースデイ」
氷河の国へ出向いて、氷泪石を墓に供えることで過去を受け入れた飛影。
ならば、今度は軀の番だった。
軀は優しく笑っている。
本当に軀なのかと、疑ってしまうくらい。
飛影の氷泪石で。
飛影の記憶で。
未来の記憶で。
どんどん癒されていた軀が、過去の呪縛から完全に解き放たれた瞬間だった。
「飛影。聞いてくれ。笑ってもいいぜ」
軀の心には穏やかな凪が訪れている。
だから、普段胸の奥にしまっていた気持ちをありのまま飛影へ伝えたくなった。
「お前は今日だけでなく、たくさんのものをオレにくれたな」
ありがとうと、軀の目が語っている。
飛影は多くの救いを軀にくれた。
氷泪石。記憶の共有。誕生日を祝う言葉。
そして。
「オレは未来を疎ましく思っていた時期があった。未来を想うお前ひっくるめてだ」
未来は飛影の全部を奪い、空っぽにして去っていった女だと軀は思っていた。
「でも、違ったな。未来が飛影を奪ったんじゃない。飛影がオレに未来をくれたんだ」
テーブルに置いたラフランスを眺めながら、噛みしめるように軀が言った。
ただのか弱い、元人間の女。
飛影が間にいなければ、軀が出会うことなど絶対にありえなかった相手だった。
「未来をお前にやった覚えはない」
「そう言うなよ。うかうかしてるとオレが本当に未来をとるかもしれないぜ?」
冗談でも不愉快になり、顔をしかめた飛影の反応に軀がまた笑う。
「飛影。オレはもう誰かの記憶を覗くのはやめようと思う」
帰ろうと扉のノブに手をかけたところで唐突に軀から告げられ、飛影は目を見開いた。
無断で他人の過去を覗く行為をやめようと軀は考える。
というより、もう覗きたいとも思わないだろう。
軀はすでに十分満たされていた。
「……勝手にしろ」
それだけ言って、飛影が出ていった後も軀は微笑んでいる。
これからは記憶を知るなんて方法をとらずに他者を理解していきたい。
飛影や未来、幽助たちがそうして絆を深めていったように。
きっと自分にも可能なことなのだと、軀は思えたから。
***
人間界を訪れた飛影の足は、幻海邸へ向かっていた。
「未来はいるか」
まだ未来が滞在しているなら、少しでも顔を見たくなったからである。
「奥の部屋にいるはずだよ」
最近は新しい弟子を鍛えるのに忙しい幻海が、廊下の奥を顎でしゃくる。
幻海の指す部屋の前まで飛影が行くと、襖を半分開けっ放しにして未来が横向きで眠っていた。
「未来」
声をかけても反応はなく、だいぶ熟睡しているようだ。
飛影は未来の隣に腰をおろすと、そのなめらかな頬を指の背で撫でる。
「…無防備な奴だ」
幻海邸には多くの若い妖怪が修行のため居候しているというのに、未来は何の警戒もせず寝顔をさらしている。後で叱っておかなければ。
しかし未来の穏やかな寝顔を見ていると怒る気なんて失せてくるから、ずるい奴だと飛影は思う。
平和にすやすや寝息をたてている未来を、飽きることなくずっと眺めていられそうだった。
「…ん…」
身じろぎしてころんと寝返りをうった未来に、ドキッと飛影の胸が跳ねる。
ずっと眺めていられそう…というのは、嘘だったかもしれない。
やっぱり、もっと触りたい。
「未来」
なんとなく呼びたくなって、飛影は口に出していた。
返事がないまま、ピンク色の唇に吸い寄せられるようにして顔を近づける。
ちゅ、と唇を触れ合わせて…
飛影が瞼を開けると、至近距離で未来と目が合った。
「ひ、飛影!?」
「起きたか」
「いま霊界行ってて帰ってきたところだよ…!飛影、来てたんだね」
幽体離脱から戻ってきたら、部屋に飛影がいてキスされていたという状況に、驚きを隠せない未来である。
「寝込み襲ってたの?」
「悪いか?」
薄く笑うと、飛影は未来の顔の両脇に手をつき跨った。
(えっ…!?)
飛影がそんな行動をとったことは初めてで、内心めちゃくちゃ動揺する未来。
「悪くないけど…」
ドキドキして落ち着かない。
自分を見下ろす飛影の顔が見れなくて、未来は視線をそらした。
「飛影ならいいけどさ……んっ」
未来に覆いかぶさった飛影が、また彼女の唇を塞いだ。
深くなっていくキスに、未来の頭は甘く熱にうかされていく。
お互いのことしか考えられなくて。
ずっとこうしていたくなる。
ああ、やばいな。
引き返すなら今だと飛影は思った。
「は……」
漏れる未来の吐息に、脳天に響くような衝撃が飛影のからだをはしる。
唇を離して、未来のとけた瞳で見つめられたらもうだめだった。
「やっ…飛影…!?」
首筋や鎖骨へ降りていったキスに未来が焦る。
「煽ったのはお前だぜ」
「…あ……」
身体の力が抜けていく。
心の準備なんてできていなかった。
待ってと止めたくても声が出ない。
でも。
飛影に触れられても全然嫌じゃなくて。
(飛影、大好き)
このまま流されてもいいかもしれない……。
未来が飛影の背中に腕を回したその時。
ゴホン!
大きな咳払いが聞こえて、飛影と未来は固まった。
「弟子が作った夕飯が余ってるから食べるか聞きにきたんだけどね」
恐る恐る声の方へ顔を向ければ、いつの間に襖を開けたのだろうか、部屋の外で幻海が仁王立ちしていた。
「欲しかったら冷蔵庫から好きにとって食べて帰んな。あたしはもう寝るよ」
それと、と幻海は付け加える。
「人んちでサカるのはやめてもらいたいね。今回はあたしだったからまだよかったものの、居候たちに気づかれたらどーすんだい。よそでやりな」
ごもっともな台詞を残すと、ピシャッと襖を閉めた幻海だった。
「……さいあくだ…」
火が出るほどの恥ずかしさで、真っ赤になった未来が両手で顔を覆う。
飛影は罰が悪そうに、押し倒した格好だった状態から身体を起こし未来から離れた。
場所に恵まれず、なかなか一線を越える機会が訪れない二人なのであった。