Ⅴ 飛影ルート
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✴︎95✴︎愛を知るひと
好きだ。
だから絶対生きろ、未来。
朧気になる意識の中でも、その言葉は確かに未来の耳に届いていて。
今にも消えかかった命を、生へと繋げる灯となっていた。
未来を姫抱きにして高速で駆ける飛影は、背後から距離を詰めてくる妖気を感じる。
「飛影!」
声の主は軀だった。
やっぱり飛影に未来を任せっきりにせず、一緒に百足へ向かおうと追いかけてきたのだ。
「よく考えたらお前に治療カプセルの使い方が分かるか不安になってな」
「それくらい分かる」
ムッとして飛影は言い返したが、どうだかと軀はごちる。
そうして百足にたどり着いた二人は、要塞の端に位置する治療室へと急ぎその戸を開けた。
治療室には人が入れるくらいの大きさのカプセルがいくつも並んでいる。
クリスマスイブに時雨との決闘後、死にかけた飛影を救ったのもこのカプセルだ。
「未来、ここまでよく耐えた。もう大丈夫だ」
飛影の腕の中でぐったりしている未来に、軀が優しく語りかけた。
「未来をカプセルに入れる作業はオレがやる。お前は隣の部屋で待機しておけ」
「なんだと?」
意図の不明な軀の申し出に、顔をしかめる飛影。はいそうですかと素直にきける命令ではない。
「オレがやる。さっさと起動させるぞ」
「いや、オレに任せろ」
早く治療を受けさせようと焦る飛影の腕から、強引に軀は未来を奪い取った。
「貴様!何のつもりだ!?」
「飛影、お前」
ジロリと軀が軽蔑の眼差しを飛影へ向ける。
「そんなに未来の全裸が見たいのか?」
***
大人しく部屋から退出した飛影を見送り、軀は未来の身体を治療カプセルの中に入れた。
起動ボタンを押すと、カプセルの中を治療効果のある液体が満たしていく。
未来の口に取り付けたマスクからも、同様の成分の気体が送られる仕組みとなっている。
外傷はなく、肺の洗浄が治療の目的だったので未来の服は脱がせなかった。
最初から軀はそのつもりで、裸云々は飛影を追い出す口実だ。
「未来。お前のことをもっと知りたい」
カプセルの中で目を瞑り漂っている未来を、軀はじっと見つめている。
自分を救ってくれた氷泪石の元の持ち主である飛影の記憶を知りたくなったのと同じように軀は今、未来に興味を持っていた。
なんて虫のいい奴なんだと憤りを感じたこともあった。
しかし今日まざまざと見せつけられた未来の覚悟は、軀の心を大きく揺さぶったのだ。
「お前の記憶を少し覗いてもいいか?」
この声は治療中の未来に届いていないだろう。
けれど、未来ならきっと了承してくれる気がするのはただの己の願望なのだろうか。
額に嫌な汗が流れる。
ドキンドキンと脈が速く、柄にもなく緊張していることに軀は気づいていた。
こんなに恐れるなら見なければいいのにと思うのに、知りたいという半ば衝動に似た欲求も抑えられない。
未来の意識に触れることは、軀にとって勇気を必要とするものだった。
未来が歩んできた人生は、軀のそれと全く違うものだろうから。
家族がいるから帰らなければなんて言葉を平然とほざくような未来。
彼女が愛されて育ったことは明白だ。
軀や飛影には想像もできないような生活をおくってきたのだろう。
何を怖がっているんだ、怖がるな。
どうして怖がる必要がある?
必死に自分に言い聞かせ奮い起たせる。
軀は己の人生に誇りを持ってきたはずだ。
それは絶対に嘘ではない。
半身の傷を治さないのも、その気持ちの表れだった。
「未来…オレにお前を教えてくれ」
一度深呼吸をして、軀は未来の意識に触れてゆく。
人間の記憶なんて見ようと思ったのは生まれてこのかた初めてだ。
きっと今まで見た誰の記憶とも似つかない希有なものであろう。
眼前の未知にどんなに鼓舞しようと払拭しきれぬ恐怖を感じつつ、軀はゆっくりと瞼を閉じたのだった。
・・・
おぎゃあ、おぎゃあと喚く赤ん坊の泣き声が聴こえる。
……ヒトはこんな大勢に囲まれて生まれてくるのか。
新生児のまだぼんやりとしている未来の目線から、徐々に状況を理解していく軀。
「おめでとうございます!」
この世に生を受けただけで祝福されるなんて、軀は目から鱗が落ちる思いだった。
「可愛い」
仰向けになってこちらを見つめる、柔らかい女性の声に動揺して脈が大きく跳ねる。
こんなに優しい音色の声をかけられたのも、こんなに慈愛にあふれた瞳で見つめられたのも、軀にとって初めての経験だったから。
それは大切に仕舞われていた。
遠い遠い、胸のずーっと奥の方。
未来が忘れてしまっても、心の奥で輝きを放っていた記憶。
「名前どうする?」
「未来がいい」
ふたりにとって、世界でいちばん幸せな日の記憶。
すくすくと未来は育つ。
周囲にその成長を心から願われて。
あれだけ大事にされているのに、そのうち生意気な憎たらしい態度だってとるようになる未来に存分に軀はヤキモキさせられた。
鏡の中で不器用な手つきで髪を結う少女が映る。たちまち音をあげた未来が母親に甘え泣きついた。
パパ抱っことせがむ未来。もう重くなったのにと文句を垂れつつ父親は応じてやる。
何気ない日常のほんの一部に過ぎないそれに、じんわりと胸の中心があたたかくなり溶かされてゆく。
子供の発達はめまぐるしく早い。
たくさん遊んで転んで学び、己が置かれる恵まれた環境のありがたみだって少しは理解できるようになった頃、未来にとっての転機が訪れる。
幼児を助けるべく、衝動的に道路を飛び出し危うくトラックに轢かれそうになった未来に軀の肝はひどく冷やされた。
お願いだから、もっと自分を大事にしてくれと叫びそうになる。
幽助。桑原。蔵馬。そして……飛影。
運命的な出会いを経た先に得る新しい世界。
未来に影響され変わっていく者もあった。
物理的な力以外の強さの存在に軀や飛影が気づかされたように。
・・・
軀はそこで未来の意識に触れるのをやめた。
ゆっくりと、驚くほど優しく軀の胸の内は波打っている。
恐れていた未来の記憶を見て、このように穏やかな気持ちになるなんて全く予想していなかった。
未来の記憶を見る行為に恐怖を感じたのは、彼女を羨ましく感じたり、誇りを持っていたはずの己の人生と比べて虚しくなってしまうのが怖かったからだ。
けれど、そんな不安は無用だった。
軀には、未来とそして自分自身とを受け入れる強さが既に備わっていた。
カプセルの中の未来の寝顔を、目を細めて眺める軀。
助かってよかったと、守りたいと心から思う。
だってあんなに小さかった未来が、こんなに大きくなってここにいる。
いわゆる母性と呼ばれるものだろう。
自分の中にもこんな感情が眠っていたなんて、おかしくてふいに笑みがこぼれた。
今まで触れた意識の中で最も心地好い、と感じた飛影の記憶。
未来の意識に触れ、軀は飛影の記憶を覗いた時とはまた別種の心地好さを感じていた。
未来視点の記憶を覗くと、彼女の人生を疑似体験できて……軀は愛情を受け、与えるとは真にどういうことかを知った。
一度未来が飛影より家族を選んだ事実は、責められるべきではなかったと今なら思える。
「ありがとう」
記憶を通して幸せな時間を過ごさせてくれた未来に、軀は礼を言っていた。
似たような経験をした者と互いの過去を共有する以外に、この痛みを癒す方法もあったのだと実感する。
「だから飛影もお前に癒され惹かれたんだろうな」
飛影にオレが羨ましいんだろうと言われた理由も今の軀には分かった。
振り回されてしまうくらい未来を想う飛影を、そんな存在なんて持たない軀はどこか羨ましく、そして疎ましく思っていたと気づかされる。
軀は面白くなかったのだ。
自分と同じく過去に痛みを持つ飛影が、未来に恋をし軀の知らない感情を学び得ていたことが。
飛影とは似た者同士でいたかった。
飛影だけ過去にとらわれず前を向き、何歩も先を進んでいるようで嫌だった。
置いていかないでほしかった。
それ故バカにする発言をしていたと、飛影には見抜かれていたらしい。
でも、これからは飛影を羨ましいだなんて思わない。
だって軀はもう知っている。
今未来に抱いている感情は、まさしく“愛”と呼べるものに違いないのだろうから。
今度はオレの意識に触れてくれ。
その言葉を、軀は未来へ告げはしなかった。
まっさらな未来に、殺戮と憎しみに塗れた己の過去を記憶を通して体験させるなんてあまりにも酷である。
未来にはあんな思いを味わわせたくないという気持ちが、自分を知ってほしいという欲求よりも軀の中で勝ったのだ。
カプセルのタイマーを見るともうすぐ治療が終わるようで、軀は隣室でそわそわしながら心配し待機しているであろう飛影を呼んでやることにした。
「飛影、そろそろ未来が起きるぜ」
軀からの知らせに、ガタンと音を立てて飛影が椅子から立ち上がる。
「来ないのか?」
しかし何故か飛影は移動を渋り、頑なにその場を動こうとしない。
「どうしたんだ。早くしろよ」
「おい待て、軀―」
若干イラついた軀が無理やり飛影の首根っこを掴んで治療室へ連れていく。
ひどく焦っていた様子の飛影だったが、未来の姿を見て拍子抜けした。
「服を脱がしたんじゃなかったのか!?」
「ん?ああ、裸じゃなくて残念だったな」
追い出された意味!と憤慨する飛影を雑に軀があしらったところで、ピー!と治療終了のブザーが鳴る。
カプセルを満たしていた液体が引くと、軀がシャッターを開け未来のマスクを取り外してやった。
「未来。気分はどうだ?」
「…んー…」
「まだ半分夢の中だな」
軀に手を引かれてカプセルの外へ連れ出されても、瞼を開けるのが億劫でうつらうつらしたままの未来。
「…な、何!?」
ところが、ゴーッという爆音と物凄い勢いの突風に煽られ、未来の意識は一気に覚醒した。
「やっと起きたか」
目を開ければ、巨大なドライヤーを持った軀がびしょ濡れの未来の全身を乾かしている。
「うわっちょ、風!すご!」
「ちょっとくらい我慢してろ」
尋常じゃない強さの風力に吹き飛ばされないよう未来が必死に踏ん張った甲斐があり、濡れていた服や髪の毛はものの数十秒で乾ききった。
「ほらもう終わったぞ」
「……ありがとう」
ドライヤーとの格闘でひどく疲弊した未来だったが、一応軀に礼を述べる。
(……なんかお母さんみたい)
世話をやかれて、なんて思ったことは軀には内緒だ。
「ここがどこか分かるか?」
「ううん。気分悪くなった後のこと、あんまり覚えてなくて…」
自分の身に起きた状況を理解できていない未来が、記憶の糸を辿っていく。
「蔵馬と幽助の声が聞こえて、それで…」
「それで、この百足へ治療のため連れてきたんだ」
横からとんできた低い声に、弾けたように未来が振り向けば。
「!!!?」
ずっと会いたかった飛影がいて、未来は腰を抜かしてしまった。
「……なんだその化け物でも見たかのような反応は」
「い、いやだってだってさ…!」
不服そうに眉間に皺を寄せる飛影に、しどろもどろになる未来。
(そうだ。私、飛影に抱えられて…!)
全てを思い出した未来が、カーッと顔を赤くしていく。
「オレはもう会場へ戻る。未来はゆっくりしていけよ。空気洗浄機を稼働させたからこの部屋で瘴気の毒にやられる心配はないぜ」
飛影と未来。青いふたりの掛け合いが面白くて、笑いをこらえながら軀が言う。
「え!?う、うん!治療してくれてありがとう」
「いや……礼を言うのはオレの方だ」
いまだ動揺していた未来だったが、軀の意外な返答に少し火照った頭が冷める。
「未来。試すようなことをして悪かった」
バレンタインデーの話をしているのだと、理解するのに数秒かかった。
まさか軀から謝られるなんて思っていなかった未来は、驚いて何も言えなくなる。
「気が向いたらまた遊びに来てくれ。今度は魔界の菓子でも用意しておこう。あの人間界の菓子はなかなか美味かった」
「あ…羊羹食べてくれてたんだ!?」
ぱあっと顔を明るくした未来に、軀も嬉しくなって微笑む。
「またな」
そう告げて部屋を出て行った軀の瞳は、未来や飛影が思わず目を奪われてしまう程とても優しく穏やかだった。
軀が退出し、部屋には飛影と未来の二人だけが残された。
(あれ…夢じゃなかったよね!?)
二人きりになって未来が考えてしまうのは、やっぱり先ほどの“好きだ”の言葉。
「未来」
「は、はい!」
飛影に名前を呼ばれて、また未来の胸が大きく跳ねる。
顔を上げれば、腰をぬかして床にぺたんと座りっぱなしだった未来へ飛影が手を差し述べていた。
「……どうした」
しかし一向に飛影の手をとって立ち上がろうとしない未来に、内心ショックを受けた飛影が顔をしかめる。
「ご、ごめんね!あの…」
顔を真っ赤にした未来は、飛影の方を見れないという感じで視線を右往左往させた。
「なんか…手とったら死んじゃいそうだから…」
意味不明な未来の発言に、飛影の眉間の皺はますます深められる。
「飛影の手とっても、きっと立ち上がれないよ…。腰がくだけちゃう」
心臓の音がうるさい。
こんなに高鳴ったことなんて生まれて初めてだ。
「ドキドキしすぎて、死んじゃうから…」
いま飛影に触れたら、自分はどうにかなってしまうと未来は思う。
「ちょっと待ってね…どうしよう、頭おいつかない。嬉しいの。嬉しいんだよ?嬉しくて…」
恋い焦がれた飛影が目の前にいるという状況に、感極まってプチパニック状態の未来。
「飛影…私、どうすればいい…?」
頬をリンゴのように染めて。
ふるふるからだと声を震わせて。
濡れた瞳を潤ませて、飛影を見上げて。
どうしたらいいって。
そんなの。
「あっ……」
引き寄せられて、驚いた未来が小さく声をあげる。
「オレのそばにいればいい」
腰がくだけちゃう。
言った通り力が入りきらない未来を、飛影が支え抱き締める。
未来の表情。声。匂い。温もり。
未来の全てが飛影の心と、からだを熱くして仕方ない。
「ずっと好きだった」
耳元で囁かれた言葉に、泣きたいくらいの幸せに包まれる未来。
それは飛影も同じだった。
会いたいと渇望していた相手が、いま腕の中にいるのだから。
「私も……飛影が好き」
そっと未来も飛影の背中に腕を回し、抱擁に応える。
そうして瞼を閉じれば、感じるのは飛影だけで…
遠回りして、やっと手にした狂おしいほどの幸せに酔いしれる。
「好きだよ、飛影」
少し身体を離して、びっくりするくらいの顔の近さに倒れそうになりながら未来は言った。
好きでいっぱいになって。
好きしか考えられなくて。
伝えられずにはいられない。
とろんとした涙目の未来に見つめられ、飛影の中で目覚めた何かが暴れだす。
頭がおかしくなりそうだ。
未来が欲しくてたまらない。
ピンク色の唇に、からだが疼いて誘われる。
「未来。好きだ」
飛影が未来の頬に触れたのが合図になり、どちらともなくふたりが目を閉じて。
未来の唇に引き寄せられるように、飛影は自分のそれを重ねていた。
「…んっ…」
唇が離れた合間、漏らされた未来の声が可愛くてすぐに飛影が二度目のキスをする。
こんなにキスが気持ちいいものだなんて知らなかった。
柔らかい感触が名残惜しくて、離れてはまた口づける。
その繰り返しだ。
重ねる度、未来が好きだと。
飛影が好きだと気づかされる。
何度も。何度も。
愛を知る。
まるで世界には自分たちしかいないみたいな気分だった。
一年ぶりの再会だ。
聞きたいこと。話したいこと。確かめたいこと。
たくさんある。
でもいまはいい。
互いの体温と、好きの言葉があればいい。
ふたりきりの室内で、飛影と未来は会えなかった時間を埋めるように何度もキスを交わしていた。