甘い香りに誘われて
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「軫宿!」
今まさに正門から出ていこうとする人物の名を呼ぶ。呼びかけに気付いた軫宿は足を止め、蘭飛の方へ振り返った。
「よかった、間に合った…」
「そんなに慌ててどうした?」
蘭飛はひとつ深呼吸し、乱れた呼吸を整えた。
「井宿さんに教えてもらったんだけど、これから診療所に行くんだよね?」
「ああ。なにか頼まれごとか?」
「桃饅頭を美朱様と作ったの。たくさん出来たから、もしよかったらお土産にどうかな」
蘭飛は胸に抱えていた包みを軫宿へ渡す。慌てて包んだものだから少し歪になってしまったが、そこは目を瞑ってもらうことにした。
「お前から渡した方がふたりも喜ぶと思うぞ」
「そうしたいのは山々なんだけど、ちょっとこれからしたいことがあって…」
「分かった」
軫宿は頷くと、その大きな掌で蘭飛の頭を撫でた。突然のことに驚きつつも、安心する温もりに蘭飛も瞳を細めて応じた。
「懐かしいな、この感じ。昔はよく撫でてもらったよね」
「あの頃の蘭飛は泣き虫だったからな。…いや、それは今も変わらずか」
「少しは成長したと思うけど?」
むくれて見せると、軫宿は小さく笑みを零した。蘭飛が強く成長したことは、もちろん分かっていた。自分の記憶の中にいるいつも泣いていた蘭飛は、もういない。妹のように思ってきた彼女の成長に嬉しさと少しの寂しさに似たものを、軫宿は抱いていた。
「近いうちに顔を出すからって、伝えてもらってもいい?」
「ああ」
軫宿を見送り、蘭飛は踵を返し自室へと向かう。自室に置いてきた蒸籠の中身の数を頭の中で数え、あともう少しだ、と意気込んだ。
「おっ!探したで、蘭飛!」
名を呼ばれ振り返ると、橙色の髪を揺らしながら翼宿が蘭飛に駆け寄った。
「翼宿、どうしたの?」
「お前がでっかい蒸籠担いで桃饅頭ばら撒いとる聞いて、探し回っとったんや!」
「ばら撒くって……まぁ、あながち間違いじゃないかも…」
「俺にもくれ!」
ずいと手を差し出す翼宿だったが、そこで話に聞いていた蒸籠を蘭飛が持っていないことに気付いた。
「なんやっ、まさかもうないんか!?」
「まだあるけど今は部屋に置いてあるの。一緒に来てもらってもいい?」
二つ返事で答えた翼宿が蘭飛の隣へ並ぶ。他愛のない会話をしているうちに、ふたりは蘭飛の自室へ到着した。
「ちょっと待ってね」
「おう」
翼宿は初めて入った蘭飛の部屋をぐるりと見回した。塵ひとつない床や主張しすぎていない洒落た家具、鏡台に整理され並べられた数々の化粧道具。それらはまるで、彼女の人となりを表しているようだった。
「そんなにジロジロ見られると恥ずかしいよ」
「! おお、スマン」
「なにか珍しいものでもあった?」
「いや、なんや綺麗すぎて落ち着かんわ」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておく」
どうぞ、と約束のものを皿に載せ差し出すと、翼宿はひとつ掴んでパクリとその口に放った。
「美味っ!めっちゃ美味いで、コレ!」
「よかった。まだあるから食べてね」
「お前は食わんのか?」
「私はあとで食べるから大丈夫」
「ンなこと言わんで今食えばええやろ、ホレ」
「んっ!」
翼宿はかぶりついていた桃饅頭を蘭飛の口へと押し付けた。
「どや、美味いやろ」
「んー…ちょっと甘過ぎかも」
「そか?」
翼宿が再度口をつけようとした、その時。
「あんた達、なーにやってんのよ?」
「あだだだだだだ!!」
ガシリ、と突如現れた柳宿が翼宿の腕を捕らえた。力を込めているのかギリギリと嫌な音が響き、翼宿は声を大にして叫んだ。
「翼宿、それ置いて今すぐ出て行きなさい」
「ハァッ!?いきなり何すんねんお前は!」
「い い か ら」
凄みを利かせたその声に、マジモンのやつや、と翼宿はそそくさと逃げるように部屋から出ていった。もちろん柳宿の言う通り、手に持っていた桃饅頭を置いて。
「蘭飛」
柳宿の顔を見て思わず、ひ、と声を洩らす蘭飛。微笑んでいる表情の中、瞳だけが怒気を含んでいるように見えたからだ。
「ぬ、柳宿…?もしかして、怒ってる…?」
「別に、全っ然、なんっにも怒ってないわよ」
「(絶対嘘…!)」
「翼宿とふたりで随分楽しそうだったわねェ?」
腕組みしてジトッとした目つきで見つめてくる柳宿に、蘭飛は居心地の悪さを感じながら答える。
「楽しそうって…ただおすそ分けしてただけだよ」
疑いの目をやめない柳宿。蘭飛は美朱と料理をしたこと、大量に出来てしまった桃饅頭を皆に配り歩いていたことを事細かに説明した。
「ふぅん、」
「ね、わかってくれた?」
「…どうして教えてくれなかったのさ」
「ごめんね、まだあるから」
「そうじゃなくて!…あんたが作ったのなら、一番に食べたかったって話よ」
柳宿は顔を背け拗ねたように呟いた。その仕草がまるで小さな子どものようで、蘭飛はつい笑みを零した。
「わざと教えなかったわけじゃないの。皆に配ってからの方が、柳宿とゆっくりお茶できるかなって」
「! だ、だからって、男をホイホイ部屋に入れんじゃないわよ。男は狼なんだから」
「なにそれ。その理屈だと、柳宿も狼なの?」
蘭飛は可笑しげに口元に手を当て笑う。
「…そうね、」
柳宿のしなやかな指が、蘭飛の頬をひと撫でする。ぴくりと反応し己を凝視する蘭飛を余所に、柳宿はその指を彼女の耳の輪郭をなぞるように這わせた。
「ふふ、くすぐったいよ」
身を捩って逃れようとする蘭飛だが、柳宿は動きを止めない。いつの間にか腰に回された腕の存在に気付くと、蘭飛は自分の置かれた状況を改めて把握した。これってまずいんじゃないか、と。
「ね、ぇ…柳宿…?」
「なによ」
「からかってるだけ、だよね…?」
胸を押し返すも、目の前の人物にはそんな抵抗も意味を成さない。その間も柳宿の指は蘭飛の首筋、弱いところを確実に突いていった。
「! ちょ、待ってってば…っ」
「…この際だからさ、確かめてみる?」
なにを、と蘭飛はその顔を見上げると目を見張った。そこにいるのは自分がよく知る柳宿のはず、なのに。
「あたしが、狼か、狼じゃないかってこと」
挑発的な瞳で自分を見下ろすこの男性は、誰?本当に、柳宿?
なにがなんだか分からず目を回す蘭飛。彼の背後、部屋の内扉。その鍵が掛けられていることに、彼女はまだ気が付いていない。
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